闇夜に鴉、雪に鷺-四






色葉は人の胎から産まれた人の子である。だが母胎が悪かった。ある研究者に目をつけられ独自に開発された新薬を、投薬され続け産まれる予定日が1週間早く産まれたその日。赤子は産声をあげなかった。呼吸は確保され自律神経も発達していた赤子の様子に、母親は言った「怪物」と。まさにその通りである。産まれた子は成長すると髪は黒かったはずが真っ白に、瞳は家系の唐紅を継いだが、色が濃すぎたため血よりも紅い色が継承され親は恐ろしくなり子供を研究者に預けた。故に親から与えられる当たり前の感情を教わらなかった異端児は、研究に実験に貢献し続けた結果、感情を切り離した。感情が無いわけではないが乏しいだけ。

『解らないのじゃ。感情の出し方を知らぬ赤子なんじゃよ。よって心から喜ぶ事も泣く事も怒ることも出来ぬ。どうやって表現すればいいのか術を知らぬのじゃ。なれど限りなく人の子。故に感情の渦が肥大すれば行場を無くした源は燻り故合って処置の為に儂が異能の複合合成構築によって創られ、爆発すれば儂が登場するようになった。今回は主も観てた故にわかるじゃろ?』
「怒り、か」

昇降機を降り廊下を歩き続ける中也。腕には温かみを帯びた幼子色葉が収まっている。襟衣を掴む小さき手は白く血の気が通っているのかさえ不明だ。

「じゃあ訊くが先刻のは手前の仕業なのか」
『あれは審判者じゃ。本人の意識や意思を切離した時神々の化身として地上に降り立つ者。神使なら聞いたことあるじゃろ。だがあれは人間が造った兵器じゃ。じゃが兵器にしては色葉は脆すぎる』
「あいつがいるアヴァロンってのは」
『深層心理の深淵。あの子が創った楽園の名称じゃ。意識を其処へ飛ばし閉じ篭っている。今は宛ら反省時間じゃな、やから暫くは出てこんよ。故に儂が表に出ておるんじゃがな!』

袖をぷらっと宙に浮かせ揺れる。幼子の煌めく瞳と輝く笑顔にもう「あーへいへい。かわいいかわいい」と認める中也。光源氏に敬礼までしそうな勢いが其処には存在していた。

「んで、手前はなんで退行してんだよぉ」
『此の姿の方が生意気利いても許されるじゃろ?』

きゅるん、と幼子特有の笑みを浮かべて瞬きを数度するぶりっ娘に鼻で哂い乍ら顔面を片手で覆った。効果は抜群だったようだ。

「色々俺にはわからねぇ事ばかりだがよ……あの放浪者は知ってるのかよ」

中也は階段を降り乍ら視線を幼子へ向けると、幼女は満面な笑顔を咲かせていた。だろうな、と納得する中也は足先を止める。目の前には鎖で繋がれ捕縛された男、太宰治がそこに居た。

「相変わらず悪巧みかァ太宰!」
「その声は……」

太宰は声がする方へ視線を向けると外套を翻し格好よく登場している中原中也がいた……が、其の傍らには白い髪を伸ばし大きな紅の瞳を眩かせる幼女が片腕に抱かれている。眼が合うと片腕を上げてぶんぶんと袖を振っているが、手を振っているのかと勘違いした太宰は繋がれている手を振る。だが実際は親指を下に向けていた。

「こりゃ最高の眺めだ。百億の名画にも優るぜ」
「最悪。うわっ最悪」
「良い反応してくれるじゃないか、嬉しくて縊り殺したくなる」

台詞めいた言葉を吐き出し乍ら中也は階段を降り、太宰の眼前まで近寄る。太宰は心底厭そうな顔をするが彼の興味は中也に抱かれている幼女に限定された。誰かに似ていると太宰は思考を巡らせるが。

「其の子は中也の子かい?」
「ちげぇっ……ってこともねえか。将来的にはそうなる」
「ということは……え、もしかしてこの子。色葉ちゃん?!うそぉー可愛い!中也に抱っこされて可哀想というか今すぐ下ろしてあげなよ。純真無垢な子が穢れちゃッぶ!?」

太宰の囀る口を黙らせたのは中也の腕から抜け出し蹴りを頬に炸裂させた、色葉だった。威力は前回を思い出せばわかるだろうから割愛する。落下する幼女を中也は受け止め、再び安定した抱っこを提供。息の合った態勢をみせるふたりは中々性が合うようだ。だが、内心中也は「いきなり蹴り入れたぞこいつ」と弥弥焦っている。

「……手前の存在は知らねぇようだな」
『ちっ……大抵は把握しているが此の姿で対面するのは初めてじゃったな』

舌打ちをした後唾でも吐きだす様な仕草までした、このやさぐれる愛らしい幼女に「かわいい」の一言で解決する中也。幼女は表情豊かに怒りを顕わにしていた。蹴られた太宰は「突然の奇襲ってことは本当に色葉ちゃんで間違いないようだね」と其処で確信を得たようだ。ピシっと袖を再び揺らしぶんぶんと熱が籠る怒りの頂点で幼女がまくしたてた。

『貴様に云いたい事がある年中発情期!あの時の事は感謝する面もあるが貴様が行った行為を赦せる程、儂は寛大ではない……乙女の純潔を暴き奪い貪った罪は貴様の生涯の魂を掛けて深淵の淵に突き落とし輪廻転生等させてたまるか呪いあれ!!』

幼女の口から難しい言語と聞いてはいけない背徳感溢れる言葉の羅列に中也は太宰へ憤怒轟く眼を向ける。太宰はうーんと考える振りをして其の口元はニヤリと妖しく笑っていた。

「随分とお気に召したって事なのかな?忘れられない程に好かったのなら私も暴挙に出た甲斐があったというものだね。安心してくれ給え。私は女性関係にだらしがないが片時も忘れた事はないよ。あの夜は特別だ」
「……手前ェ。遂には強姦紛いまでしたってか」
「おや? 中也どうしたんだい? 君には関係のない事柄だろ。だって君は―――只のお友達なんだから」

激昂し拳に力が籠る中也を諫めたのは中也の頬に、小さな手を添えた色葉だった。

『落ち着け過ぎた話だ。蒸し返してすまなかった。確かに瑕はついたが……乱暴はされておらん。あくまであれは救済処置。愛がない訳でもなかった……まあ貴様の愛は歪みすぎていて儂は恐ろしかったがの』
「君への愛は誰にも負ける気はないよ、私には色葉だけしか残っていないからね」
「云ってろ放浪者。手前に愛される女は可哀想だ、骨も残らねぇだろうな」
『しかし案ずるな中也!儂は主の方が好きじゃし好みじゃ。あの子も主と居る時の方が普通の女の子のように振る舞える。心を砕いている証拠じゃ』
「……なんか親に承諾を得た気分だな」
『親じゃし。間違っておらんぞ』
「えっ、うそ!? 私にお嬢さんをください!」
『貴様は地獄とお手てでも繋いで紐無しバンジーでもしておれ』
「よかったじゃねえか太宰。手前の愛しい娘の継母からの自殺許可が下りたぜ」
「うわっ中也の其の顔ムカつく。心底ムカつく。というか前々から疑問だったのだけどその恥ずかしい帽子どこで購うの?」
「言ってろよ放浪者。いい年こいてまだ自殺がどうとか云ってんだろどうせ」
「うん」
「否定する気配くらい見せろよ……だが今は手前は悲しき虜囚。泣けるなァ太宰…いやそれを通り越して少し――怪しいぜ」

中也は片腕で幼女を抱き、空いた片手で太宰の蓬髪を掴む。

「丁稚の芥川は騙せても俺は騙せねぇ。何しろ俺は手前の元相棒だからな……何をする積りだ」
『無理じゃと思うがな』

幼女の小さな囁きに太宰が嗤う。

「何って……見たままだよ。捕まって処刑待ち」
「あの太宰が不運と過怠で捕まる筈がねぇ。そんな愚図なら俺がとっくに殺してる」
「考え過ぎだよ……そもそも君、此処へ彼女まで連れて何しに来たの?」
「嫌がらせだよ。色葉は偶々だ…芥川に捕まったと聴いていたからな序に顔を見に行っただけだ」
「……ふぅーん。そんな面白い事になっていたんだ。其れは流石に予定外だね」
『なんじゃ、貴様に凄まれた処で儂が語るとでも思ったか』
「別に。大体予想は充てられる…けど。首領の処にも顔を出したんでしょ、其の幼児化は代償……色葉。君から血の臭いがする、出したんだねアレを」
『……人間らしいの。心配されるのは好きじゃ、うむ素直に応えてやろう。そうじゃ、暑中見舞いをくれてやっただけだ』
「無茶ばかりして」
『案ずるな。死ぬせる程閣下もあの子を見放さない。第一中也に止められたからのぉ』
「おっ、おい暴れるな」

幼女が中也の頸に腕を回して頬にちゅっと唇を当てる。相当気に入ったと窺えた其の行動に流石の太宰も表情が無へ変換されていく。

「中也…君もロリコンになりさがったの。いやこれはショタコンかな」
「うるせぇ!成り下がってねえ!!……手前も後で解る。紫の上だ」
「!……中也の癖に理解できてしまった」

ガクリと項垂れる太宰に身を翻し背を向け離れる中也。肩口から太宰を見ていた色葉も頭を支えられ向き尚されると眼前には階段しか映らない。『中也?』と声をかける幼女の問いかけに中也は自身が羽織っている外套を脱ぎ階段の上に敷き、その上に色葉を座らせた。

「手前は観客(ギャラリー)だ。大人しく其処に居ろ」
『……主を応援しておるぞ中也』

立ち上がると小さな手で両頬を掴むなりくちづけを贈っていない方の頬に、ちゅっと可愛らしい音をたてた。幼女の行為なのだが可愛いを通り越して破壊力抜群故に酒でもかっくらったかのように、ふらつき乍ら顔を真っ赤にする中也。それを見せつけられる太宰は「羨ましくはないよ、うん」と云っているが心の中では「阿鼻叫喚地獄に相当する嫌がらせを実行しよう」と決意していた。咳ばらいをしつつ頭を撫でつけてから再度太宰の元へ歩む。

「あの頃の手前の“嫌がらせ”は芸術的だった。敵味方問わずさんざ弄ばれたモンだ。だが――」

中也は片足を上げ天井から伸びる鎖を断ち切る。厚い壁には亀裂が生じた。

「そう云うのは大抵、後で十倍で返される」

繋がった鎖から解放された事を確認する太宰に、中也は指す。

「手前が何をたくらんでるか知らねぇが――これで計画は崩れたぜ。俺と闘え太宰。手前の腹の計画ごと…あいつを詰ったことさえ含めて叩き潰してやる」

挑発する様に言動する中也に太宰は手首にまだつけられた枷を、指を鳴らして解く。

「君が私の計画を阻止? 冗談だろ?」
「何時でも逃げられたって訳か」

既に枷は解かれていた事実を突きつける為に掌に隠し持っていたヘアピンを見せる。応戦する気のある太宰の態度に気を善くした中也は好戦的に、これに挑む。

「良い展開になって来たじゃねえか!」

このふたりのじゃれ合いに幼女は欠伸をひとつ設ける。

『人間っていうのは不毛が好きじゃな…のお色葉』




うん。そうです。はいはいそうです。まだ太宰とのアレに関しては引っ張ります。だがまあ無理矢理だけど意味のある行為で自発的というか自分的という行動ではないのだよ、って弁明いれただけ。中也と幼女って甘美な響きに勝てなかった。この幼女は主人公であって主人公ではないので、まあややこしいが積極的な行動をとる子です。卓越しているし達観している。ちなみに、儂って云ってるけどこれ鴎外閣下に対する嫌がらせです。まだ続く!