「別の事を訊いているのに皆さん“虎”の事で持ち切りですね」
谷崎くんの言葉に頷く。別件の事を訊いているのに口を揃えて出てくる言葉は凡て巷を賑せる“人食い虎”のことだ。
『実際に人を食べたのでしょうか?』
「現に頭から食べられましたよね色葉さん」
『あれは甘噛みです。ですが、幾ら雑食の猫さんでも骨までは。狗ではないので処理できませんよね』
「確かに……だとすると“人食い虎”って云うのは色葉さんが噛まれた場面を目撃した人から発信され、口々に伝わってしまった事により尾ひれがついてしまった」
『人喰いと云うのは信憑性が低くなりましたね』
「そうですね……あのっ痛みますか?」
包帯が覆う手をそっと持ち上げられ谷崎くんは眉を寄せる。悩ましげな其の表情に私は笑みを返した。
『いいえ。痛みはありません。ご心配、ありがとうございます。谷崎くんは優しいですね』
「そんなこと普通ですよ。もし痛みが発生したら云ってください。聴取はボク一人でも出来ますから」
『……退場させないでくださいな』
「あ、いやッ!そんな心算は…」
『お仕事するの好きなのです。谷崎くんと一緒に出来て嬉しいです』
「……ア、はい…」
谷崎くんは俯いてしまう。工合が悪くなったのかと尋ねると頸を左右に振って「其れはない」と断言される。取り合えず気分を概していない事が解ったため私はこれまでの聴取内容をまとめていた。事務所に戻り次第文章に起き出さなければならない。其処までが聴取という仕事。
「じゃあそろそろ戻りますか」
谷崎くんの言葉を合図に立ち上がり歩き始めた時。とある看板を目にする。其れを見たら私は言葉を歯切れ悪く発する事しか出来なくなってしまった。
『あ』
「あ?」
『あれはナオミちゃんと一緒に食べたいとお話していたプリンのお店ですわ!』
「眼が輝いている……(かわいい)。其んな話をしていましたね。購っていきますか?」
『是非!乱歩さんへのお土産も購わなければ』
「(女の子みたいだ。年上の女性なのに…乱歩さんとは矢張り恋人同士なのかな)」
数歩先に進むが振り返っても谷崎くんはあの場所から一歩も動いて居ない。頸を傾げつつ再び戻り、彼の手を掴み走り出す。
『早く行きましょう!プリンは逃げ足が速いんですの。だから逃げられない内に捕まえてしまいましょう』
「ッ……もう。其の理屈はなンですか」
谷崎くんの笑顔に私もつられて笑む。昨晩から心配をかけてしまった乱歩さんへのお詫びも兼ねて私の足取りは実に軽快を物が立っていた。
プリンを購い終えると事務所に戻り冷蔵庫に保存した。谷崎くんはナオミちゃんに抱きつかれ喜ばれている光景に笑い声を漏らす。そのまま背景にし、私は自席に座り報告書をまとめ上げる。独歩くんに頼まれた資料も同時進行で作成していれば橙色が水平線に沈み。夜の帳が音を奏でる時刻となっていた。
「色葉さん。一緒に帰りましょう」
ナオミちゃんに誘われるが私は端末機へ視線を走らせ頸を横に振った。
『ごめんなさい。まだ仕事が残っているので此方だけ仕上げてから帰宅したいと思います』
「まあ。国木田さんの仕事なら明日でも大丈夫だと思いますわ。此の分だと帰って来ませんですもの」
『確かにそうですね。ですが明日は何が起こるか解りませんから』
「……尚更一人で残せませんわ。私も残ります」
『ナオミちゃんは谷崎くんと先に帰宅してください。折角の定時上がりですよ?兄妹でプリンを食べてくださいな。私は味の感想が知りたいです』
「酷いですわ、色葉さんは私のツボを抑え過ぎです!」
『ナオミちゃん。感想お待ちしてますね』
「…絶対に赤レンガのクレープ食べに行きましょうね」
『楽しみしています』
谷崎くんも心配そうに此方を見つつ「何かあれば連絡ください」と念を圧してからナオミちゃんと共に退社した。事務員の方も皆帰宅すると社内には私だけが影と共に残っていた。キーボードを叩きながら夕飯の献立を考えているといつの間にか書類は凡て作り終えていた。プリントアウトをしてから独歩くんの机の上に置き、メモを残す。帰り支度を整えてから私も社を後にした。端末機でも独歩くんに一報だけ残すと乱歩さんにも夕飯の献立とプリンの存在を送信した。
近所のお店で食材を購い帰宅路に着くと端末機が振動する。手提げ袋を持ち直し端末機を眼前に取り出し中身を確認すると独歩くんからで「書類は明日見る。別件で急に済まないが十五番街の西倉庫に虎が出るから来てくれ。道中には気をつけろ」とても簡潔的な内容に理解するのに時間は有しなかった。急ぎ返信を返すと自宅まで駆け足で進み玄関のドアを開けて荷物を冷蔵庫へとしまい仕事鞄の中からプリンを取り出し、それも一緒に納入した。玄関へ再び戻り鍵を閉める。再び端末機が震え着信に答えた。
{ プリンだって?!プリンを購ったんだね!何個?何個購ってきたの!! }
『5個ですよ。冷蔵庫にしまいましたので帰ったら食後に食べましょう』
{ うん!僕が3個で君は2個ね }
『はい。今から向いますが乱歩さんは何処にいらっしゃいますか?』
{ 賢治くんが連れて来てくれたからもう配置についているさ。君も早くおいで }
『わかりました。ただいま向いますね……』
道路を通話しながら歩いていた私はふと、視線が気に成り振り返った。其処には銃火器を振り上げた黒づくめの男性が持ち手の角で包帯が巻かれている側頭部へ一撃お見舞いされてしまった。その衝撃に通話中だった端末機は地面へと落ち画面に亀裂が走る。膝から崩れ前のめりにコンクリートに倒れ込んだ私に通り掛かった住民が悲鳴を上げる。殴った男は私の傍に落ちた端末機を取り其処から「色葉?」と男の肉声が聴こえ震える親指で通話を遮断させ懐にしまい、気絶した私を担ぎあげ近場に停車させていた車に放り込むと運転席へと乗り込み発進させた。
―――ああ、また拐われてしまいました
一方、敦くんは既にお茶漬けたんまり食べて太宰さんと共に倉庫におります。虎退治としゃれこんでいるのか。