踏切の向こう側
 テスト期間中、部活動はどこも活動停止となっている。
 小耳に挟んだ強豪だと言われているらしい、木兎光太郎が所属しているバレー部ももちろん例外では無い。全部活動が活動停止となっている中、校舎の中も、校庭も、どこもかしこも静けさを保っている。
(ほんと、なんで、私? ……いらなくない?)
 唇を尖らせた上にシャープペンを載せて教科書と睨めっこをしているのは、私に勉強を教えて欲しいとお願いしてきた木兎光太郎その人で。その隣には険しい顔をしながら元から細い目を更に細めてこちらを睨む木葉秋紀がいた。
「……帰っていいか、」
「ダメ!!」
「……ああ、うん、そう……」
 なぜこの場に木葉秋紀がいるのか。
 答えは至って簡単。木兎光太郎が私に勉強を教えてもらうのだと木葉秋紀に零したからだった。だからってなぜいるのか。恐らく初対面の時――木兎光太郎の呪いを解いた時――が木葉秋紀の中で引っかかるものがあったのだろう。見るからに木葉秋紀は現実主義者リアリストだから。
 木兎光太郎に関しては教えてもらえる人が一人から二人に増えたところで、そして片方は友人であるからして、さほど気にする事でもないのだろう。木葉秋紀の警戒心も、私の気まずさも全て気付いていない。
「あまねさーん! ここわかんない!」
「……どこ」
「ここ!」
 トン、と太い指が教科書のある一点を指さした。覗き込めば中間テストの範囲にギリギリ入り込んできた単元で、木兎光太郎は本当に中間テストの時も勉強をしたのか不思議に思う。
 自分の復習のため。そう言い聞かせて伝わりやすいように解説をしていくが、木兎光太郎は首を傾げたまま、内容を理解できないようだった。
(木葉秋紀が匙を投げたのも頷ける)
 この勉強会とも呼べるか怪しい放課後の集まりに木葉秋紀がやって来た時、最初に「俺は教えねぇから、がんばれよ」と木兎光太郎に言っていた通り。素直に言うことを聞いている木兎光太郎は私にしか質問を寄越さないし、木葉秋紀も横から口を挟んでこない。
 ただ、私を警戒しているだけなのだろう。
 ただ、私が木兎光太郎に何もしないよう見張っているだけなのだろう。
 友人のためにそこまでするのか、と驚きはあるものの、最初に木兎光太郎を庇っていたのを思い出すに仲がいいのだろう。
(……羨ましい気持ちは、ないけど)
 なんとなく。木葉秋紀が木兎光太郎と一緒にいる理由を理解してしまうのは、嫌だった。
「俺トイレ!」
 元からなかったように思える集中力が切れたのか、突如立ち上がった木兎光太郎は宣言してこちらの返事を聞く前に教室から飛び出していく。すぐに見えなくなった背中に視線を投げかけて、ため息。
 木葉秋紀と二人で残される私の気持ちなんて、これっぽっちも想像出来ないのだろう。なんたって木葉秋紀は、木兎光太郎とっての友人であるから。
 自分の勉強をしようとノートに向き合うが、斜め前から感じる突き刺さるような視線にちっとも集中なんて出来ない。何か言いたいのなら言えばいいのに。
「……警戒してくるのはいいけど、何もしないよ」
「保証はどこにある?」
「ない、けど」
「じゃあ無理な話だな」
「一応、言わせてもらうけど。私はあの子みたいに呪ったりなんかしないよ。そもそもあれは強い思いが形となったもの。やろうと思って出来るものじゃない」
 顔を上げれば木葉秋紀と視線が交じり合う。険しい顔をしている木葉秋紀は、納得出来ていないのだろう。
「……ちょっと前に、梟谷学園うちの生徒が一人死んだって話、あっただろ」
「あったね……?」
 突然の話題変換に首を傾げた。なぜ今は忘れ去られたような話を、今木葉秋紀からされているのだろうか。この話の続きが、私を警戒している理由となるのだろうか。
 別に聞かなくても良かった。なぜなら木葉秋紀一人に警戒されたところで、クラスが違うので関わりなんてほとんど無い。精々今回のように木兎光太郎を通してだろう。だから、別に警戒され続けていたところで私の学校生活に支障はきたさない。
「ソイツ、――」
「――ただいま!」
「…………おかえり」
 木葉秋紀の言葉を遮るように戻ってきた木兎光太郎は、周囲の迷惑なんて考えていないようにドアを勢いよく開けた。最後まで開ききって尚勢いが殺せなかったドアが、少し戻って震えている。
「なになに? なんか話してた?」
「何でもねぇよ!」
「えー? そう?」
 正面に座る木兎光太郎はこちらを伺ってくるが、木葉秋紀が何もない≠ニ言うのならそれに合わせた方がいい。結局話していたことは、木葉秋紀が私を警戒している事への確認なので。
「特には」
 ふーん? どこか納得していない様子の木兎光太郎は、勉強の続きを促せばすぐに表情を変えた。

 ▽

 教室の中が赤く染まり始めた頃。部活動が活動停止となっている今、最終下校の時間も随分と早くなっている。そろそろ見回りの教師がやって来て帰れと注意される頃合だろう。
 木兎光太郎と木葉秋紀は時間に気が付いていないようだった。
「……そろそろ終わらないといけないんだけど」
「え? 早くない?」
「あーもうそんな時間か」
 異なる反応に、木兎光太郎はやっぱり最終下校の事を考えていなかったのだと知る。その点、木葉秋紀はきちんと把握しているようだから、普段から教師の言葉を聞いているのだろう。早くない? と言っている割に勉強が進んでいない木兎光太郎と、私と話していた時間以外は集中していた木葉秋紀ではテスト前に出された課題の進み具合が違っている。
 一番進んでいるのが木葉秋紀。次に、勉強を教えながら進めていた私。最後は言わずもがな全然内容を理解していない木兎光太郎だった。
 帰るために片付けを始めていると、突然教室のドアが開いて全員が視線を向けた。
「あれ、まだ残ってるの? 早く帰りな」
 私たちのクラスの担任がひょい、と顔を覗かせる。残っているメンバーを見て不思議そうな顔をした担任の優しい注意に、まだやる気を見せていた木兎光太郎も大人しく帰る準備を始めた。
 はーい、と返事をする声はあまり元気があるようには聞こえなかった。少なくとも、この勉強会を始めるまでは元気があったような気がするし、一度席を立った時も、その後も特におかしな様子はなかった。
(でもまぁ、関係ないか)
 一度思考を巡らせるとずっと続けてしまうのは昔からの悪癖だった。無理やり思考を遮断して、全てを詰め込んだ鞄を肩に背負う。担任は一度声をかけるだけかけて他の教室に見回りに行ってしまった。
「木葉はこのまま帰る?」
「帰るけど木兎は?」
「俺あまねさん送ってく!」
「……おっけー」
「え、」
 どこか納得していない顔をしている木葉秋紀を無視して、帰ろ、と口にする木兎光太郎は、私の声が聞こえていないのだろうか。
「ねえ、別にいいよ。明るいし」
「付き合わせてんの俺だから」
(それ、関係なくない?)
 外はまだ明るい。空は茜色に浸食され始めているが、明かりが必要なほど暗いわけではなかった。むしろ少し目を細めてしまうほど眩しい光が、沈む直前だった。
「じゃあな木兎、また明日。……普さんも」
「え、あ、うん、また……」
「また明日!」
 木葉秋紀は相変わらず鋭い視線を私に向けたまま、一足先に教室を出た。