運命の赤い糸
 新しい学校にも慣れてきた。まだクラスメイトの名前と顔が一致しないこともあるけれど、入学して二ヶ月なんてそんなもんだ。
 名前は覚えていても、顔に結び付けるのはまだ難しい。元々、人の顔を覚えるのが苦手な自覚はあった。
 そんな私でも、入学初日、は流石に言い過ぎかもしれないが、一週間もすれば顔を覚えたクラスメイトが、ただ一人いた。
 ――木兎光太郎! バレーが好き! よろしく!!
 廊下にまで響きそうな大きな声で、なんとも簡潔に自己紹介を終わらせたクラスメイト。大きな目をキラキラと輝かせて、新しく始まる環境にわかりやすく期待しているその顔は、ひどく眩しかったことを覚えている。
 だからこそ、私の記憶に深く残ったのだろう。
 関わることのない人だろうな、と思った。最初から眩しいその人はクラスの中心人物になるだろうし、関わったとしても些細なものだろうな、と。現に彼は持ち前の明るさで既に友人と呼べる仲を築いているようだった。
 だから、元気よく「おはよー!!」と教室に入ってきた木兎光太郎の小指に巻き付いた赤い糸が、彩度の低いものだったとしても、私には関係ないのだ。
 出席番号がいつも最初になる私と、前半ではあるけれど真ん中寄りの彼では指定されている席が違う。絶妙に距離の離れている私と彼では挨拶のひとつもすることがないだろう。
 ――そう思っていたのは、今朝までだった。
「席替えをしまぁす!」
 朝から妙にテンションを高くした担任は、いつもと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべてそう宣言した。
 教室の中が騒めいて期待に膨らませる声が聞こえる。どうやら一番最初に設置された席から移動するときがやってきたようだ。
 まだ仲が良いと呼べるような友人は作れていなかった。かろうじて仲良くしましょうという雰囲気のおかげでひとりぼっちになるのは避けられているが、それだけだった。これからは自力でなんとかしないといけなくなってくるだろう。
 くじ引きで次の席を決めると言った担任は既に準備万端で、真っ白な箱を教卓の上に乗せる。
「じゃあ出席番号順に、一番から引いてね」
 担任と目が合って、にこりと笑われた。
 特に希望する席はない。しいて言うなら後ろの方がいいだとか、これからは暑くなるから窓際は嫌だとか、そのぐらいだった。
 心を無にしてくじを引く。もう見ていいのか目線だけで問いかけると、いいよと返ってきたので開くと、そこに書かれていたのは十二≠フ数字。
(……これは、いいのか?)
 後ろの席の子と入れ違いになりながら自分の席に腰を下ろす。この数字がどの場所を示しているのかはまだわからないが、小さな数字であるからまた前の方になっているかもしれない。
「木兎お前どこだった?」
「おれぇ? 十七!」
 順にくじを引いていき、全員が終わった。
 担任が抜けていないことを確認したあと、黒板に席順を描いていく。最初の席替えだからだろうか、順当に窓際の一番前――今の私の席を一≠ニし、後ろに二∞三≠ニ続いていく。どうやら私の番号は今の場所からさほど変わらない席になるらしかった。
「おっ! 俺木兎光太郎! よろしく! えーっと、……ごめんなんて読む?」
「……あまね」
「あまねさんな〜!」
 きらきらと眩しい笑顔だった。目を細めて歯を見せながら笑う顔は輝いていた。純粋に、真っ直ぐ素直に名前を聞ける彼が、少し羨ましいと思った。
 辺りをふよふよと漂う赤い糸の先が教室の外に伸びているのが見える。今まで見てきた中で一番暗い色をしたその糸は、誰にも見えていない。
 少し相手が気になるような気もするけれど、私が聞いたところで誰かなんてわからないし、こういうことに自分から関わるのは愚かなのだと知っている。
(あんま関わりたくないなぁ)
 ひっそりと、息を潜めるように暮らしたいのに。
 どうやら隣の男は許してくれないようだった。
「なぁなぁ」
「……なに?」
「教科書見せてくんない……?」
「……忘れたの?」
「そう! お願いあまねさん!」
「………………いいけど」
 パチン! 両手を合わせて、恐る恐るこちらを見てくる木兎光太郎は、彼の方が身長が高いのになぜか上目遣いだった。
 関わりたくないなぁと思ってたはずなのに、木兎光太郎はしょっちゅう教科書やら課題やらを忘れてくる。その度に木兎光太郎が頼るのは私だった。
 なぜ友達じゃないんだろう、と思いながら、これが隣の席になった人の運命か……と諦め半分。
 机を動かして引っつけて、真ん中に教科書を置く。担当の先生も最早慣れたのか特に言うことはなかった。
 ふよふよと漂っている赤い糸は、私に触れないよう反対側に伸びている。時折体に巻き付くように動いて、でも締めることなく広がっていく。
(まだ二ヶ月だよね?)
 いろんな意味で馴染みすぎている木兎光太郎に、誰もなにも言わない。そうであるように、誰もが受け入れている。
 こういうタイプの人間は時折見かけるから疑問ではないけれど、それが隣の席にいると考えると少し不思議な気持ちだった。