信用も信頼もあります
「先生、原稿の進捗はいかがですか?」
「ゼロ〜!!」
「ふざけてないで早く書いてください」
「はぁい……」
新しい担当が一方的であっても知っている人で良かったと、優しい人で良かったと安心した過去の自分を殴り飛ばしたい。パソコンに向き合う私の後ろから視線が突き刺さる。恐る恐る振り返れば睨みつけるような鋭い視線と交わって、身体を震わせながら画面と向き合った。
最初の大人しい態度はどこへ行ったのだろう。既に厳しい視線と言葉が私を突き刺している。編集者として締め切りギリギリになるような脱稿方法は辞めて欲しいからだと理解できるが――前回の担当さんも似たような感じだった――それにしたって、私が知っている赤葦くんとは違いすぎる。社会に荒波に揉まれた結果であるならば、なんて罪な事だろう。
「新作の構想はあるんですか?」
「あ、あります! 一応あります!」
「なら書いてください」
「ふぁい……」
赤葦くんってこんなに厳しい人だったろうか? ……確か一つ上の先輩には、こんな対応をしていた気がする。バレー部の、ボクト先輩だったっけ。凄い人なのだと赤葦くんから聞いた事があったような気がする。その先輩は今何をしているんだろう。直接的な関わりはなかったけれど、存在感のある人だったからなぁ。
「集中してください」
「あい」
なんで考え事してるってバレたんだ……?
赤葦くんが担当になってから早一週間。ちょうど新刊を発行した後に担当が変わったものだから、新しい原稿は真っ白な状態だった。次の締め切りはまだ決まっていないけれど、早めに手を付けた方がいいのは自分がよくわかっている。だから進捗管理をお願いしますと最初に渡していた合鍵は間違ってはいなかったようだった。
――これ合鍵です!
――……いや、そんな簡単に合鍵なんか渡さないでください。
――でもこうでもしないと進まないから……。前の担当さんにも渡してたし……。
――危機管理能力どうなってるんですか?
――悪用します?
――しませんけど……。
――ならはい、お願いします。
――はぁ……、わかりました。
……、うん、今思い返しても少々無理やりだった気はするけれど、どうせこれから何度も家にやってくる事になるのだし、毎回エントランスや玄関の鍵を開けるのも面倒なのでこれで良い。それに集中しているとインターホンの音を聞き逃してしまうから、待ち惚けさせるわけにもいかないし。
今回初めて使われた合鍵は、事前に連絡があっての使用だったけれど、別にアポ無しでも私は問題ないのだけれどもなぁ。
一方的に覚えているせいで赤葦くんの他人行儀な言動が少しそわそわする。昔は同級生な事もあって敬語ではなかったしもっと素に近しいような態度だったのに。あの頃の態度も作っていたのだとしたら私にはわからないけれど。
「あ、赤葦さん、好きに寛いでてくださいね」
「お構いなく」
「アッはい」
なんか、態度、冷たくない……? 私がのんびりしているからだろうか。赤葦くんからこんな風に扱われた事がなかったせいでどんな反応をすればいいのかわからない。でも昔から真面目な人ではあったし、物事は出来るだけ早くに片付けたい性分なのだろうな。……集中しよ。
キーボードの叩く音だけが部屋の中に響いている。途切れる事なく続けていた音は、トントン、と肩を叩かれた事で終わりを告げた。
「……ど、どうしました? ちゃんと書いてますよ?」
「それは見ればわかります。相変わらず集中し始めると凄いですよね」
「そうですか? ……ん?」
「集中を途切れさせて申し訳ないですが、一度休憩を挟まれてはどうですか。もう四時間ぶっ通しですよ」
「え、よじかん?」
「四時間です」
今何か聞き逃さない方が良かったような事を言われた気がするけれど、もう四時間も経っていた事実が衝撃で頭の中から吹っ飛んでしまった。こんなにも集中するのなんて締切に追われている時ぐらいなのに、やれば出来るということか。
「勝手ながら台所を借りました」
「どうぞどうぞご自由に〜」
「何もありませんね」
「作家の台所なんてそんなものでは?」
「……食事管理も必要ですか?」
ちょっとお願いしたい提案するのやめない?
「大丈夫ですぅ!」
流石にそこまで管理されるのはプライドというか、ダメ人間になってしまいそうで――既に近しいものではあるかもしれないが――一応断っておく。彼は「そうですか」なんてちょっと納得してないような反応をするけれど、普通は食事管理なんてやらない。少なくとも前の担当はそんな事をしなかったし提案すらなかった。
赤葦くん、ボクト先輩の世話をしてたせいで基準がおかしくなってない?
関わりがなかったとしても噂は流れてくるもので。それが若い学生の時なら尚更、赤葦くんが先輩の世話を焼いている話は何度か聞いた事があった。なんならボクト先輩がクラスにやってきた事も両手では収まらないぐらいだったから、先輩の世話を焼いている赤葦くんの姿は見た事がある。
それが今も健在であるのだとしたら、ボクトさんの影響恐るべし。元々の素質も、当然あるのだろうけれど。
「コンビニに行ってきます」
「はぁい」
それならば帰ってくるまでもう少し集中して作業でも進めようか。今ならもう少し集中して書けるような気がする。
赤葦くんの方を見ないまま手をヒラヒラと振って、後ろで扉の閉まる音を聞いた。