感動とは程遠い

「とりあえずお弁当買ってきましたので休憩にしましょう」
「あぇ?」
 カサリとビニール袋の音が聞こえて世界が閉じた。椅子をくるりと回して背後を見れば、茶色の袋を掲げる赤葦くんがそこに立っていた。
「おべんとう?」
「そう。本当は栄養を考えたご飯をとも考えたんですが、時間がかかるので今回はこれで我慢してください」
「え!? 赤葦くん・・がご飯作ってくれるって!?」
「……誰もそんな事言ってない」
 少し不貞腐れたような声に口角が上がる。きっとこれはお願いしたら作ってくれるやつだ。すでに似たうな経験があるので知っている。
 パソコンの右下に表示されている時間を確認すれば、とっくに夕方は終わって月が顔を出している時間だった。そりゃご飯だと言われるわけだ。
 赤葦くんが家に来たのはお昼過ぎ。一番暑い時間帯を少しずらした時間だったから、四時間集中していたらしいし、この時間になっているのは当然かもしれない。
「適当に食べられそうなのを買ってきました。一旦ご飯の時間です」
「はぁい」
 立ち上がると革でできたデスクチェアが軋む音を立てた。作業部屋から出て後を追うようにリビングへ行くと、既にお弁当は机の上に並べられ、丁寧にコップまで準備がされていた。
 二種類のお弁当が並ぶ机に、私のはどちらなんだろうと交互に見る。
「どっちでもいいよ」
「あ、ほんと? なら私こっち〜」
「どうぞ」
 お言葉に甘えて好きな方に座る。赤葦くんが向かい側に移動して腰を下ろすのを目にしてから手を合わせて「いただきます」と言えば、追って同じ言葉が聞こえてきた。
 正しいとされる持ち方で、箸を運ぶ赤葦くんを見て、そういえば昔から綺麗だったよなぁ、と記憶を掘り起こす。
 基本的にバレー部の先輩たちとお昼を過ごしていたらしいけれど、時折クラスの子と一緒に教室でご飯を食べていたのを目撃している。その時から綺麗な食べ方をする人だなぁ、と観察していたのだ。姿勢が綺麗な人も、食べ方が綺麗な人も、見ていて気持ちが良い。大人になれば大体の人間が矯正されて綺麗にしているけれど、高校生の頃なんてまだ子ども。家庭によっては注意したくなるほど汚い人間だっている中で、とても綺麗な赤葦くんに視線が行くのは仕方がない事だと思う。
 過去の私を正当化しながら温められた、硬めのご飯を口に運ぶ。視線の先はお弁当よりも赤葦くんに向いてしまう事については、申し訳ないと思うけれど。
「……何かついてます?」
「ば、ばれてーら……。食べ方綺麗だな〜って見てました。それだけです」
「昔も?」
「は?」
「高校生の頃もちょくちょく見てたよね。さっき赤葦くん≠チて俺の事呼んでたから、覚えてると思うけど」
「お、覚えていらっしゃる感じ……?」
「うん」
「えッ!? でも初めましてって言ってた!!」
「そっちが覚えてるか分からないのに久しぶりとは言えないだろ。ぎこちなかったから覚えてるかもしれないとは思ったけど確証はないし、君の事だから覚えてたらいつかボロが出るだろうなって待ってた」
「こ、こわ……」
 まさかそこまで考えられていたとは思わず後ろに背を反らす。残念ながら床に座っているので後退れない私の抵抗だった。
「あ、待って。今日赤葦くん確かに集中し始めると凄いって言ってたな!?」
「今? 覚えてないからスルーしてるのかどうかわからなかったんだよね」
「四時間の衝撃で……」
「四時間で衝撃受けるの? 普段の集中時間どれぐらいなの」
「一人だとせいぜい二時間とかかな〜。前の担当さんの時はそれぐらいだったよ」
「ふぅん」
「なんだろ、赤葦くんだからかなぁ。知ってる人だし、私の昔の文章を知ってるし、落ち着くのかも」
「……それなら今後は余裕を持って原稿ができるって事で良いかな、良いよね」
「よ、よくない〜!!」
 冗談、と笑う赤葦くんだけれど、本当に冗談なのかわかりづらいから困る。
「前に担当してた人が交代する時に言ってたよ。原稿が早い時と遅い時があるって。困るって」
「あ〜……それは申し訳ない……自覚はあるんだよねぇ……」
 昔――それこそ私が文章を書き始めた時や、高校生の頃は今よりもたくさんの物語を生み出していた時期があった。でもそれは外の世界に触れる機会がたくさんあったからこそで、ほとんど家に引き籠ってただ日々を消費している今は受ける刺激も少なくて、筆の進みが遅くなっていた。
 だからと言って外に出るかと聞かれれば、そんな事は無いのだけれど。……だって一人で外に出たところで、ねぇ?
「大丈夫、任せてよ。絶対に締め切りは守らせるから」
「こわぁ……」
「有難いでしょ」
「それは、そう……」
「それに俺にできる事ならなんでも協力するよ」
「ありがてぇ……!」
 いろいろとお世話になった記憶しかないけれど、これからは作家と担当という関係でもっとお世話になってもいいのだろうか。きっと私よりも見てきた世界は広いだろう赤葦くんに期待する。
 彼は、どんな世界を見て、生きてきたのだろうか。
 今後の参考にもぜひ話してほしいと願えば「普通だけど」と前置きをして、私の知らない世界を話始めた。
 一度温められたお弁当は、次に口にする頃にはとっくに熱を持っていなかった。