子どもっぽいのは仕様です
そろそろつくよ。簡潔なメッセージが届いたのを確認してからソファに転がっていた鞄を手にする。スタンプ一つだけ送って歩きやすいよう慣れたスニーカーを履いた。
日焼け止めは塗ったし、普段しないなりに顔も整えた。暖かくなってきて虫が増えてきたと予想して長ズボンを元に、おかしくはないコーディネートをしたつもりだ。服の事なんて詳しくはないからよくわからないけれど、余所行きの恰好は出来ていると信じたい。普段オシャレなんてしないから服の名称なんて知らないし、仕事で必要な時はその都度調べているから記憶になんてこれっぽっちも残っていない。
エレベーターに乗って、下へ降りていく。
赤葦くんは今どこら辺にいるんだろう。そろそろと連絡が来ていたから数分程度で到着するとは思うけれど、もう道路に出ていても問題はないだろうか。少し悩んですぐに出発できるようにとエントランスから少し距離のある道路の方へ足を進める。
ちょうどそのタイミングで震えたスマホを鞄から取り出して通知を確認すると、赤葦くんからついたよ≠ニひとつ。目の前に停まった車の助手席から中を覗き込めば運転席に座る赤葦くんもこちらを見ていた。
彼の動きから鍵を開けているのがわかる。かち、と重ための音がしてから扉を引いた。
「おはよ〜」
「おはよう。乗って」
「おじゃましまぁす」
体を滑り込ますように入って座ると、薄いクッションが敷かれていた。恐らく長時間座っていても腰が痛くならないためだとは思うが、彼は常にクッションを助手席に置いているのだろうか。常に誰かを助手席に乗せているという事なんだろうか。私が座っても、問題は無い……?
きっと赤葦くんの事だからダメだったら車でなんて提案はしないだろうから、問題は無いと思うけれど。……これが彼女さんとかだったら、申し訳ないなぁ。
車の種類にも興味がないから車種なんてわからないけれど、そこそこの広さがあるこの車は中々にいい値段がしそうだった。相場も何も知らないから口にする事はないけれど。
私がシートベルトを装着したのを目視で確認した赤葦くんは、出発するよと一言呟いてから振動を感じさせない程ゆっくりと前へ進みだした。
「なんか赤葦くんが車買ってるのとこ想像できないかも」
「なにそれ。まぁ俺が買ったやつじゃないからね」
「え、そうなの?」
「うん。大学の時によく一緒にいたやつが買い替えるけどまだ乗れるからいらない? って聞いてきて。ちょうど良かったから譲ってもらった」
「あ〜、なんかその方がぽいかも」
「ぽいって何?」
どこか楽しそうな赤葦くんも実は文学館に行ってみたかったのだろうか。横から見て鼻歌の幻聴が聞こえてきそうだった。
小さな音で流れているラジオが今日の天気をお知らせいている。全国的に晴れ。東京は春にしては少し肌寒いかもしれないと言っているのを聞いて、今日の服装を間違えたかもしれないと後悔した。
せ、せめて上に羽織れるものを持ってくるべきだったか……。準備をしている時に少し悩んでいたけれど荷物になるからと置いてきてしまった。せっかく赤葦くんが車を出してくれているのだから、持ってきて必要なければ車内に置く選択肢もあったのに。
「冷える前に帰ればいいよ」
「おーぅ、バレてる」
「わかりやすいから」
「えー? そんなにわかりやすい? てか赤葦くん今こっち見てないよね!?」
「ふふ」
「なにその意味深な笑い方……っ!」
安全運転を心がけてくれているのか、こちらをちらりとも見ていないはずの赤葦くんはぴたりと私の不安を言い当ててしまう。彼曰くわかりやすいらしいけれど、今まで人にわかりやすいね、なんて言われた事がなかったから、きっと赤葦くんが凄いんだと思う。
途中パーキングエリアに寄って軽食を済ませる。どうやら赤葦くんも朝食を抜いていたようで、少し遅いけれどお昼をずらせばいいと意見が一致した。
片手には眠気を遠ざけるためのブラックコーヒーが握られている。ここで運転変わろうか?≠ニ提案出来たらいいのだけど、あいにく免許を持っていない。この日までに激務を終わらせてきた――編集者の仕事は担当作家の締め切りをつつくだけではないので――らしい赤葦くんは迎えに来てくれた時からほんの少しだけ眠そうにしていた。
「免許取ろうかなぁ」
「なんで?」
車内のエアコンの音とエンジン音で搔き消されそうな程小さく呟いたはずの言葉は正しく赤葦くんに拾われる。なんで聞こえたんだろう。もしかして地獄耳なのかな。……これ言ったら怒られそう。
「運転任せっぱなしも悪いなぁって。いくら近いとは言ってもさ? 疲れるんでしょ? あと身分証にもなるし、レンタカーも借りれる」
「俺がいるのに」
「任せっぱはやだ〜」
「……そういうところ、あるよね。昔から」
「そうかな」
そうだよ、と言った赤葦くんを最後に会話が途切れたまま、車は目的地へと到着する。残念ながら駐車場が無いらしいので一番近い時間貸しを探す。車に設置されているナビを骨のある指が操作していくのを眺める。手慣れた動きにもう長い間この車を運転しているのだなぁ、と思う。
ナビが表示する場所は運良く場所が開いていて、バックで駐車をする赤葦くんは一度で綺麗に停めていた。私は運転をする人間ではないのでどんなものか分からないが、一度で終わらせてしまう赤葦くんの運転が上手い事だけはわかった。うちの父なんかは何度か切り返しをしているから。
比較対象が父で申し訳ないけれど、人の車に乗る事も稀だから仕方がないよね……。
「わぁ……! え、すご!!」
「虫がすごそう」
「情緒が無いよ赤葦くん」
「虫よけスプレーしてこればよかったな……」
「聞いてる? 私より女子力高めなのやめて?」
「これって女子力なの?」
「わかんない」
数分歩いて辿り着いた鎌倉文学館は敷地の中に入るとまず綺麗に咲く薔薇たちが迎え入れてくれた。特に狙ったわけでもないけれど、綺麗に咲く時期に来れて良かった。
スマホを取り出してぱしゃり。写真を数枚撮ったところで、後ろから赤葦くんに見守られている事に気が付いた。
「赤葦くんも映る?」
「いや、俺はいいよ。むしろ撮ろうか?」
「ううん、あんまり写真に写るの好きじゃないからいいや〜」
外の写真を数枚撮って、お待たせとスマホを一度ポケットにしまった。
白い壁に青い壁。和と洋が混ざったような不思議な見た目をしているけれど、心が躍る。ワクワクしながら軽い足取りで階段を上って、扉をくぐる。安い入場料は、運転してもらってるからと財布を取り出す赤葦くんを押し切って私が出した。二人合わせても千円にならないのだから、これぐらいは出させてほしい。駐車料金は経費で落とすかもしれないけど。
「う、わぁ……!! なにこれすごい……!!」
少し古びたようにみ感じるけれど、それがまた雰囲気があって良い。丁寧に管理されている事が一目でわかる。気分が上がって、隣にいる赤葦くんの腕を掴む。
「ね、ね、行こ!」
「……とりあえず落ち着きな?」
「む、むりかも」
目が輝いている自覚はあった。ガラスケースの中に丁寧に並べられた資料とその説明を一言一句逃す事のないよう、食い入るように見つめる。ケースには触れず、腰を曲げる。直筆原稿なんかは思わず声を上げてしまいそうになった。
建物自体はそこまで広くないように思える。それは展示数が多いからなのか、元々小さめに建てられていたのかは定かではない。しかし誰もが名前を知っているであろう――国語の教科書に載っているような――文豪の資料は、他では見られないだろう。
読むのに夢中になっている私を、人とぶつからないように誘導してくれる赤葦くんは私に触れる度に謝っていたけれど、先に触れたのは私の方だって事に気が付いているんだろうか。
鎌倉という観光地ではあるけれど、人はとても少なかった。周りが木に囲まれていて一見分かりにくいからだろうか。それとも他の理由があるのかは分からないけれど、その分ゆっくりと見て回る事が出来るからありがたい。
お昼前に到着して、近場でご飯。その後帰宅の予定を立てていたけれど、私がどうしてもとお願いしてお昼ご飯の後ももう一度だけ文学館の中へ足を踏み入れた。
どうしても、たった数時間で満足出来なくなってしまったのだ。付き合わせた赤葦くんには悪いと思っているけれど、我に返って赤葦くんを見ると楽しそうに口角を上げて資料を見ていたから、きっと楽しんではくれていた。
二度目は比較的落ち着いた心持ちで回る事が出来た。受付の人に「また……?」みたいな顔をされたけど気にしない。
ものすごく近い距離にあるわけでは無いけれど、一時間と少し移動するだけでこんなに素敵な場所に来れるのはいい収穫だった。今後も定期的に来ようと心に決める。
「原稿は進みそう?」
「うん! こーれはめちゃくちゃ捗ります」
「なら良かった」
今まで来なかった事を少し後悔するぐらいには、鎌倉文学館を気に入ってしまった。あんな場所何度行ったって飽きないだろう。近場に住んでいる人が羨ましい。
帰りも当然赤葦くんの運転だ。私が免許を持っていないから当然だった。
だけど普段はしない遠出に、落ちた体力のまま全力で楽しんだからか、静かに進んでいく車の揺れが心地よくて瞼が重たくなってきた。
朝のラジオで言っていた気温の事だって、はしゃいでいたし室内だったから全然気にならなかった。帰ったらすぐにでも筆を執りたいのに、ジリジリと忍び寄ってくる眠気に勝てるか不安でしかない。せめて車内では眠らないように、と頭を背凭れから離す。隣からふ、と息の抜けるような笑い声が聞こえて、ゆっくりと首を回した。
「すごい眠そう」
「そ、そんな子どもみたいな……」
「寝てていいよ」
「大丈夫だよ、流石にね、私も大人だからね」
「どんな意地?」
「赤葦くんに悪いから寝ないよ……」
「別にいいのに。その代わり起きたら原稿してもらうけど」
「あ〜! 書きたい気持ちはあるよ! いっぱい! でも帰ったら寝そう!!」
「やっぱり眠いんじゃん」
「あ、」
騙された! と比較的大きな声を出すけれど、眠気からか言葉がゆっくりになってしまった。これじゃ完全に眠たいですと言っているようなものだ。
「後ろ、一応ブランケット置いてるけど使う?」
「……準備よすぎ〜」
「まぁ想像出来る範囲だし」
「もしかして私ってわかりやすすぎ……!?」
「うん」
一瞬の考える時間すら無く肯定されてしまった。
そうか、そうなのか。そんなにわかりやすいのか。言うてそこまでだと思っていたけれど、どうやらただ自覚していなかっただけらしい。
「不貞寝してやるぅ」
「最初から寝ていいって言ってるのに」
「それはやっぱり申し訳ないじゃんかぁ」
何がおかしいのかクスクスと笑う赤葦くんは、やっぱり運転をしているので前を向いたままだった。
赤信号でゆっくり車を停止させた赤葦くんは、体をこちらに向けて腕を後部座席に伸ばす。少し漁ったかと思えばすぐに引かれるその手には、紺色のブランケットが握られている。
「……ほんとに寝ていいの?」
「いいよ、おやすみ」
「……………………おやすみ」
起きていようと思う頑張りは眠気に負けてしまった。膝の上にブランケットをかけて、頭を背凭れに預ける。小さく揺れて静かな車内は、体勢さえ気にしなければ眠ってしまうのに最適で。
さっきまでの頑張りを嘲笑うかのようにすとん、と意識が落ちた。