何事も無かったフリをする

 乱れた制服を正しく戻す。
 シャツのボタンを一番上まで止めて、リボンを襟の中に通す。ボタンで留めるタイプのリボンは簡単に正しい位置に止まった。
 ズボンのベルトを留めてネクタイを結んでいる、さっきまで私を抱いていたこの男は、紅潮させていた頬をとっくに元に戻していつも通りの涼しい顔になっている。
 あつ、と呟いているが汗はかいていない。体の中心から放たれる熱は先ほどの行為によるものであることは明白だった。まだ教室ではエアコンが稼働していない時期であるし、冬よりは気温が高いと言ってもまだ春は始まったばかりだ。余程基礎体温が高い人でない限り、この気温で汗をかくはずがない。
「先戻ってるから」
「はぁい。またね」
「……うん、また」
 恋人でもないのに体を重ねる関係になったのは、高校一年生の夏前だった。もう一年もこんな意味のない関係を続けている理由なんてわからない。少なくとも角名が何を思って続けているのか聞いた事が無いからわかったものじゃないけれど、それが有難いので口にした事もなかった。
 恋人がいるとは噂でも、本人からも聞いていないからいないのだと思う。そもそもいたらこんな関係になっていないだろうし。こんな関係を続けていても、そこまで倫理観の終わっている人ではないと思う。
 競技のために兵庫まで来ている彼にとって恋人は鬱陶しいだけの存在なのかもしれない。他人である私には、彼の真意はわからないけれど。
 スポーツマンは性欲が強いらしい、というのは知っていた。実際がどうであるかまではわからなかったけれど、彼を見るに正しかったのかもしれない。
 最初は言葉を交わしていたけれど、次第に合図だけが送られてくるようになった。
 強豪だと呼ばれるバレー部に所属している彼は放課後に時間なんて存在しないし、県外からやってきた寮生なら特に放課後、しかも部活終わりに自由な時間なんて存在しない。
 だからこそ、時間の長い昼休みだった。
 この関係が始まった一年生の頃は同じクラスだったけれどそこまで仲が良かったわけではない。クラスが離れれば当然関わりがなくなるような関係でしかなかった。だから、他人から見れば私たちは一切関わりのない人間に見えるだろう。
 そうしようと提案したのは私だった。
 そうだねと言ったのは彼の方。
 連絡先だって交換していない。するような関係ではないし、気分の乗っている時はお互いが決めた合図があるからわざわざ連絡を取る事だってなかった。長期休みの時はそれぞれで処理をするから、余計に。
「おかえり〜」
「ただいま」
「相変わらず遅かったな」
「……まぁ、いろいろ?」
「なんやそれ〜」
 教室に戻れば既にお弁当を食し終わった友人が出迎えてくれる。間延びした語尾でケラケラと笑っているこの友人にも歪な関係の事は伝えていない。けれど妙なところで鋭いこの友人には気付かれているような気がしなくもなかった。
 それでも何も言わずに友人でいてくれる彼女には感謝しかないし、大事にしていこうと決めている。
 例え、あの男との関係を話す事になって引かれてしまっても、だ。
 呼ばれた日はいつも休み時間が終わるギリギリに戻るから、そこから友人と話している時間はなかった。自分の席について、五限目に必要な教科書を机の中から上に移動させる。
 適度な運動と満腹感、更に心地良い気温で瞼が重たくなる。次第に落ちていく瞼に抵抗しなくなるのも、いつもの事だった。