外は、程なくして再び土砂降りとなった。轟々と鳴る風が窓をガタガタ揺らしている。それでもやっぱり二人きりの教室は静かで、私は突っ伏したままゆっくり目を閉じた。
このまま眠ってしまおうか。そう思った時、鉢屋は再び口を開いた。「まぁいいじゃないか。嵐が過ぎるまで、少しの間のんびり話すのも。」そう言った彼に、私はもう一度のろのろ顔を上げる。意外だ。彼は無口ではないけれど、こんなにお喋りがすきな人だったなんて、私は今日の今日まで知らなかった。
「鉢屋の顔は、この1ヶ月半でもう見飽きたよ」
「そう言うな。夏休みももう終わる。……そうしたらもう、こうして学校にきて、二人きりで掃除なんてしなくていい。俺達はまた、ただのクラスメイトだ」
そんな鉢屋の自嘲気味な言い方と笑顔に、私は僅かに目を見開いた。胸の奥が、きゅうと締め付けられる。心の中の誰も立ち入ったことのないような場所が、わずかにいたんだのだ。
─────さびしい人。それは、私も。貴方も私も、なんてさびしいんだろう。これだけ一緒にいたというのに、仲良くなろうという考えも、勇気もない。ただ自分で決めつけたお別れだけが、いつも自分の中にある。
「……名残惜しいの?」
「まさか。お前の言う通り飽きるほど一緒にいたさ」
嘘だ、と誰だって言いたくなるほどに、鉢屋は浮かない顔だった。さびしさだろうか。虚しさだろうか。こうして何度も、いくつもの別れを繰り返してきたのだろうか。一緒に過ごした誰かを、他人として見送ったのだろうか。それとも、全く別の苦しみを、連想して思い出したのだろうか。彼は一体、何に苦しめられていると言うんだろう。
「じゃあ、何を悩んでいるの」
「悩んでなんかない」
そう言いきった鉢屋は、疲れたような顔で私を見た。それから、ぽつりと弱々しく言った。
「……ただ、繰り返し夢を見るんだ」
「夢?」
「一瞬だけ、目が潰れるほどに眩しく光って、消えていく。そんな夢だ」
大切なものを見つけてしまってから、目を離すのが怖い。
鉢屋はそう言って、片手で目を抑えた。
大切なもの。それは一体、何をさしているのだろう。こうして思い悩むほどに大切なものを見つけたことがなかった私は、咄嗟になんと言えばいいのかわからなかった。けれど何か言わなきゃと思って、私にしてはうんと悩んだ結果、でたのは「夢でよかったじゃない」という馬鹿みたいに他人事でつまらない言葉だ。
言ってしまってから、気を悪くしてしまったかもしれないと思った。だけど彼は、指の隙間からまた私をじっと見つめて、こう尋ねてきた。
「お前は夢を見ないのか?」
「え?……うーん…楽しい夢なら、みるよ」
「雷は怖くないか?」
「雷?きれいだからすきだよ」
「……」
鉢屋は再び黙り込んだ後、本当かどうか疑わしい、というような顔で、私の瞳を覗き込む。
「……他に、繰り返し見る悪夢なんかは?魘されて目覚めたり、苦しい思いはしていないか? 」
「えー、ないかなあ。…………あ、でも、たまに見る不思議な夢はあるよ」
それは、今朝もあの見た夢だ。私が幼い頃から唯一繰り返し見る、私にとっては絵本のような夢。ひょっとしたら本当に絵本だったのかもしれない。幼い頃に読み聞かせてもらった大好きな絵本の思い出が、夢となって現れているのかもしれない。それくらいにはどこか現実離れしていて、なつかしくて暖かくて、優しくて美しいばかりの夢だ。
「山奥に、花畑があるの」
「…………」
「そこに、寝転んでるの。起き上がって隣を見るとね、隣でおんなじく寝転んでる人の顔に、お花の影ができてるの」
「すっごく、きれいなんだあ」
これが私の中にある、おそらく一番美しくて大好きな記憶だ。身に覚えはないのだけれど。
みんなそうだと思うけど、私、綺麗なものってすき。だいすき。だって私、それがあるだけで、なんだって出来るような気がするんだ。
こういう話をすると、たいていの人はよくわからないと言った顔をする。私を変わってると言う。鉢屋はどんな顔をしてるだろうか。私を変わっていると言うだろうか。自分の話に夢中で目の前の鉢屋を一瞬忘れた私は、改めて鉢屋に目を向けた。
鉢屋は、私の言葉にひどく打ちのめされたような顔をしていた。
驚いた私は彼に何か言おうとして、しかしそれは叶わなかった。突然外がピカッと明るくなったのだ。はっとして窓の外を見れば、稲光。ジグザグと雲を縫うように走る電光の美しさときたら。
「……きれい」
うっとりとした声は、光とほとんど同時に鳴り響いた雷鳴に掻き消された。バリバリ!という何かが割れるような大きな音が、耳を劈く。
それからまもなく、またしんと静かになって、私は耐えきれずガタッと立ち上がった。
「近くにおちた?」
「……おい?」
「柿の木かな!」
「おい、おい待て!待てって……白浜!!」
教室を飛び出し、廊下を、階段を駆け抜けている間ずっとがなるように追いかけてきた制止の声は聞こえていた。だけど私はもう夢中で、そんなのはまるで他人事のように思えた。確かめたいという思いは、あっという間に確かめなければに変わって、私の体は私の意思に反して外に飛び出して行った。柿の木は、もうすぐそこ。
「露子っ……!!!」
私の名前を呼ぶ、ひどくなつかしい声を認識し、それと同時に肩を掴まれようやく私は立ち止まった。そうして振り返ろうとしたそのときだ。
先ほどよりも大きな、地面を揺らすような轟音が鳴り響き、あたりが真昼のように明るくなった。上を見あげれば、雷光が私たちに向かって真っ直ぐに落ちてくるのが見えた気がした。
180326
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