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別れたばかりの荒船くんから、鋼くんに連絡先を教えてもいいかと聞かれて、そういえば私も知らなかったと気付いた。むしろ私に鋼くんの連絡先を教えてくれと答えると、少ししたら鋼くんから直接メールが来て、本人から教えてもらえた。そのときに一緒に帰らないかと誘われ、私は二つ返事で返した。
以前に太一くんを含めた三人で帰ったとき、鋼くんと会った連絡口を待ち合わせ場所にした。向かうと既に鋼くんが待っている。走り寄ると、急がなくてもいいよ、と優しく言ってくれた。


「ごめんね、待たせちゃった?」

「待ってないから平気」


あ、なんか恋人みたいな会話だ。少しおかしく思えて、ふふふと笑ってしまった。首を傾げる鋼くんに、慌ててなんでもないと答える。すぐに調子に乗るのは悪い癖だ。こっそり深呼吸して自分を戒めた。


道中の会話は、意外と弾んだ。鋼くんは口数が多い人じゃない。小さい頃もそうだったな、と思いながら、私は彼に話し続けた。口数は多くないけど、無愛想というわけでない。面白い話をすればちゃんと笑うし、会話のキャッチボールも、この前会ったときよりスムーズだった。先日に感じたそっけなさも今日は見当たらない。
そんな調子で私の失敗談を笑って話すと、鋼くんは真剣な顔になった。来馬くんも荒船くんも、私の失敗談には決して笑わない。太一くんはたまに笑うけど、最後は自分なりのアドバイスをくれる。みんな優しいと思う。いい人たちに会えて幸せだな。そう思いながら、真面目な顔をして耳を傾けていた鋼くんにありがとうと言った。


「え?」

「そうやって真剣に聞いてくれて。笑うかと思ったけど、案外嬉しいものだね」

「笑わないよ」


そんなことするわけがない。鋼くんはそう続けた。心外だとでも言いたげな様子に、彼には悪いが、ますます嬉しくなった。子供の頃に鋼くんを褒めたときのことを思い出して、頭を撫でたくなる。けどそれは調子に乗り過ぎだ。グッと堪えながら、せめてこの気持ちだけでも伝われと、もう一度感謝の言葉を言った。
だけど笑ってくれるものだと思って話した内容が駄目だとなると、私からの話題が尽きてしまう。手持ちの笑い話のほとんどが私にまつわるものだからだ。それ以外の貴重な面白い話は真っ先に使ってしまった。さて、鋼くんを笑わせるにはどうしたらいいだろう。考えながら歩いていると、鋼くんがあのさ、と話しかけてきた。うん?と反射的に答えて鋼くんを見ると、立ち止まっていたみたいで、いつの間にか後ろにいた鋼くんを振り返った。
俯いている鋼くんにどうしたの?と言おうとして、開きかけた口を閉じた。黙っている鋼くんが、何か迷っているように感じたからだ。それなら私はしっかり待とう。背筋を伸ばして鋼くんに向き直った。


「ごめん」


唐突に謝られた。思い当たることがなくて首を傾げるけど、鋼くんはもう一度ごめんと言って、ようやく顔を上げる。いつだったか見覚えのある、今にも泣き出しそうな顔をしていた。


「ど、どうしたの、いきなり」

「小さい頃のことだよ。俺が、もう遊ばないって言って、そのあとも無視し続けたこと。覚えてないかもしれないけど」


ごめん。またそう言って、鋼くんは俯いてしまった。彼の言ったことには覚えがあった。だから、私は心底驚いた。


「……覚えてたんだ」


え、とでも言うように、今度は鋼くんが驚いていた。俯いていた顔を上げて、目を丸くしている。そんな鋼くんを見て、私はひどく情けない気持ちになった。
もう昔のことだよ。そう言えるほど、私は当時のことに関心がなかったわけじゃない。もうずいぶんと経つのに、ずっと気にしていた。それなのに追求することもしなかった。もう昔のことだと、目を背けて逃げていた。だけど鋼くんは真っ直ぐ謝った。昔のことをうやむやにして流そうとせずに、しっかり私と向き合った。本当に謝るべきは、私の方なのに。


「ごめん」


気付いたら、今度は私が謝っていた。鋼くんは戸惑っている。


「あの、本当にごめん。多分、それ、私のせいだと思う。私、鋼くんに嫉妬しちゃって……鋼くん、なんでもできたから。私その頃から全然駄目なやつだったし。鋼くんは理由もなく無視なんてしないし、嫌われたのかと思ってた」


それなのに謝ろうともせずに、そのうちまた一緒にいられるだろうと安易な考えでいた。ずるくて卑怯なやつだ。


「……あれは、八つ当たりだったんだよ。なまえちゃんが離れていくと思って、それに納得出来ずに馬鹿みたいな意地を張ったんだ」


だからなまえちゃんは悪くないよ。鋼くんはそう続ける。
お互いに私が悪い、いや俺が、という謎の張り合いが始まった。でも違う、私はそれだけじゃない。


「待って。それも駄目なんだけど、ほかにもあるんだよ。私、あのことちゃんと覚えてたのに、鋼くんみたいに向き合おうともしないで、なかったことにしようとしたの。謝ろうなんて考えなかった。本当にごめん。ホントに、もう……」


鋼くんと一緒にいる資格すらない。終いには声が震えて、その言葉を口にすることは出来なかった。
鋼くんは今までずっと覚えていて、謝ろうと思っていたのだろうか。それは私が想像するよりも遥かに苦しいはずだ。なのに私は、今の今まで平然と暮らしていた。どの口が幼馴染と言えるのか。私は何も知らずに、鋼くんを苦しめていた。
鋼くんは黙っていたけど、ポツリと、でも、と口を開いた。


「今日、言ってくれた」

「……それは、鋼くんが言ってくれたから」

「きっかけはそれでも、ちゃんと言ってくれた。俺のことを考えてくれた、それだけで十分だよ。そもそも俺が執着していただけの話だし」


鋼くんは頷きながら、一人で納得している。なまえちゃんは……。鋼くんは続けて力無く言った。続く言葉はなかったけど、言いたいことは分かった。許してくれるか、なんて。私はそれを受け取り、首を振る。けどこれは拒絶の意味じゃない。


「確かにちょっとショックだったけど、それって自業自得だと思うんだよ。だから鋼くんは何も悪くないよ」


私がそう言い切ると、鋼くんはそんなことない、と返してきた。それからまた自分の方が悪いという張り合いをして、ふと変な会話をしていることに気付く。その瞬間、本当にこれでいいんだ、という安堵感が訪れた。私たちはお互い許して欲しかったけど、肝心なところはとっくに許していて、それよりも後悔や罪悪感ばかりが残った。ようやく全てに理解して、安堵のため息を吐く。鋼くんも同じタイミングで、同じようにため息を吐いて、今度こそおかしくなって笑ってしまった。鋼くんも笑っていた。


「じゃあ、えっと……おあいこ、ということでいいかな?」


正直まだ納得出来ていないところもある。おあいこ、なんて言葉は軽すぎる気がして、口から出たその音は現実味がなかった。鋼くんはぎこちなく頷いて答える。きっと鋼くんも似たような心境なんだろう。私と同じにしてはいけないと思いつつ、仲直りにしてはなんとも不恰好だと思ってしまった。
ふと、幼少の頃の姿を思い出した。


「それじゃあ、はい」


そう言って、右手を差し出した。意図が読めないと、鋼くんは首を傾げて私を見る。


「仲直りの証」


ふふ。自分で言ってて、こそばゆく感じた。笑ってしまうと、明らかに戸惑っている鋼くんが目に映る。


「子供っぽいかもしれないけど、なんとなく分かりやすい気がしてさ。切り替えが出来るっていうか。今なら誰もいないし。……やっぱり駄目?」


私が聞くと、鋼くんは少し考えた素振りを見せたあと、分かったと頷いて右手を重ねた。
まるで私のわがままを聞いてくれたみたいだ。実際そうか。この歳になって仲直りの握手なんて。もしこの場を知り合いに見られたら、さすがに鋼くんは恥ずかしいだろう。それを無理に聞いてくれる彼は優しい。これじゃあどっちが歳上か分からないなと思った。けど、そういえば私は歳上らしいことをした覚えがない。そういう関係もあるだろう。それが悪いことじゃないといいな。
握った手は、いつかの頃のように暖かかった。