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ここだけの話をしよう。一度だけ、鋼くんの前で大泣きをしたことがある。きっかけは誰かの言葉だった。


「なまえちゃん下手だからつまんない」


ちょうどその頃から、自分の要領の悪さを自覚していた。誰よりも下手で、全く上達しない。でもそれはそれで楽しかったから、気にすることはなかった。むしろ私は怒った。つまらないのを人のせいにするな。これはこれで、中々横柄な話だけど。
ところが悲しいことに、私がいると楽しくないという意見は、当時の私の予想を上回るほどに多かった。ショックを隠しきれず、私はその場から逃げ出した。
逃げ出した先には鋼くんがいた。ボールを持ってポツンと一人で立っている。友達を待っているのかと思うと、今の自分の気持ちなんて鋼くんはきっと分からないだろうと、八つ当たりのような苛立ちが湧いた。なんでも出来てしまう鋼くんに、私は初めて嫉妬した。
私に気付いた鋼くんは走り寄ってきたけど、その時の私は話す気になれず無視した。それでもなまえちゃんと呼びながら追いかけてくる鋼くんに、私は苛立ちのままに怒鳴り付けた。


「ついてこないでよ!」

「でも……なまえちゃん、どこ行くの?」

「鋼くんには関係ないでしょ!一人になりたいの!」


多分、ドラマで聞いたセリフをそのまま言ったんだと思う。当時の私ですら、自分の身の丈に合わない言葉だと自覚していた。思い出すのは少し恥ずかしい。


「一人は寂しいよ」


寂しくなんかない!そう言おうとして振り返ると、鋼くんの泣きそうな顔があった。
それを見た途端に、私は後悔した。鋼くんになんてことを言ってしまったんだろう。八つ当たりの苛立ちは、自分に対する情けなさに変わった。当時の私はその感情が分からず、上手く処理出来ない気持ちに訳が分からなくなった。しかも目の前には今にも泣きそうな鋼くんがいる。私がしっかりしなければいけないのに、未知の感情に振り回されてそれどころではなかった。
行き場のない複雑な感情が小さかった私の中で渦巻いて、その結果、どうすることも出来ずに泣き喚いたのだ。
いきなり泣き叫んだ私に、鋼くんはひどく驚いていた。おろおろしたあと、私にごめんねと謝る。鋼くんは自分が泣かせたと思ったらしい。鋼くんに謝らなくちゃいけないのは私なのに、私はむせび泣いて声が出ず、首を振ることしか出来なかった。
そんな私の頭を、鋼くんは戸惑いがちに撫でた。そのときは私の方が背が高かったから、鋼くんは腕をピンと伸ばしていた。
よしよしと遠慮がちに撫でるつたない手に、胸がきゅう、と苦しくなる。それもまた当時は知らない感情だったけど、不思議と嫌じゃなかった。
私の頭を撫でていた手をとって、両手で握った。まだ涙は止まらなかったけど、とにかく今は鋼くんに自分の気持ちを伝えたかった。ただ、なんて伝えればいいのかは分からず、私は泣きながら鋼くんの手を握ったまま途方にくれた。
ごめんね。ありがとう。大好き。ずっと一緒にいてね。あとで遊ぼう。私もっと上手になるね。鋼くんみたいになりたい。手あったかいね。
言葉は次々と浮かんだけど、どれを言えばいいのだろうか。どれも頭の中で繋がらず、しかしそれだけを伝えても意味がない。焦って口を開いても、出てくるのは嗚咽だけだった。思い通りにならない身体や感情に苛立ってくる。


「大丈夫だよ」


鋼くんは私の心情を知ってか知らずか、そんなことを言って、私の両手を握り返してくれた。
それがとても嬉しかったのをよく覚えている。そしてこのとき誓ったのだ。鋼くんが同じように泣いていたら、私は今の鋼くんのようにそばに居ようと。一人が寂しいなんて二度と言わせない。
それまで複雑な感情をもて余していたのに、それらは霧が晴れていくように、さあっと消えてしまった。そして目の前に現れた秘密の誓いが力強く輝く。子供はなんて単純なんだろう。それでも強く思ったのは本当で、現に今もこうして覚えている。子供の誓いとて、侮れるものではない。
なんていうのは、ひとときも離れなかった正真正銘の幼馴染のセリフだ。私が鋼くんの前から消えたあとのことは、どうやっても分かるはずがなかった。