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鋼が目に見えて元気になった。来馬先輩から聞いた話はそれだけだったが、お互いみょうじ先輩関連のことを考えていたと思う。ともかく、無事に解決したようで何よりだ。そうした安堵と、分かりやすい鋼に少し呆れた。そんな矢先、みょうじ先輩の様子がおかしいことに気付く。どうやら鋼を避けているようだ。あんたら仲直りしたんじゃないのかよ。


「どうも」


意識したよりも声が低くなった。みょうじ先輩に呼びかけると、一瞬怯えた表情を見せる。大方、何か失敗してしまったと思ったんだろう。だが思い当たることがなかったらしく、その表情は困惑に変わっていく。恐る恐るといった様子でどうも、と返事をする呑気なみょうじ先輩に、ふつふつと腹の底が煮える感覚がする。


「鋼と何かありましたか」


ここまで来たら最後まで見届けよう。それは親切心からのお節介ではなく、ただ自分が心穏やかに過ごせるようにするためだった。煩わしいとまでは言わないが、身近な人が思い悩んでいるのというのはどうにも気が休まらない。
俺の言葉に、みょうじ先輩はあからさまに動揺した。まあみょうじ先輩から見れば、俺は二人が幼馴染なのを知っているだけだから無理もないだろう。その辺りの説明は先を急ぎたいため省く。
動揺から脱したみょうじ先輩は、俺の問いかけにぶんぶんと音が出るほど大きく首を振った。反応が大げさで分かりやす過ぎる。呆れからため息が出そうになったのを飲み込み、追い討ちをかけた。


「何から逃げてるんすか」


うっ。絵に描いたような息の詰まり方をしたみょうじ先輩は、落ち着きなく目線を彷徨わせたあと、やっぱりそうかな、と力無く言った。


「逃げてるのかな、私」

「端から見れば、そう映りますね」

「そう、だよね……でも、だって鋼くん、別人みたいだから」


まるで惚気を聞かされた気分だった。腹の底で沸騰している何かを無視して、話を続ける。嫌な役回りだ。


「そりゃあ、昔とは違いますから」

「そう、そうなんだよ」


それ鋼くんも言ってた、とかぶつぶつ続けながら頷いている。みょうじ先輩の反応に、幼馴染の問題とはこうも面倒なものだろうかと一瞬考えたが、これはみょうじ先輩の不器用さが相乗効果を発揮させた結果だなと納得した。今更要領の悪さをとやかく言うつもりはない。ただ、どこまでも付いてくるその厄介なものに、俺ならどう付き合うだろうかと少し考えてしまった。みょうじ先輩のように、能天気に、ありのままに受け入れることが出来るだろうか。


「先輩は、鋼とどうなりたいんですか?」

「どうって……一緒に笑ったり、楽しくなるような、そういう感じ、かな……?」


はっきりとした言葉ではない辺りに、今回の答えが隠れている気がした。


「なんで笑えないんですか」


笑えないわけじゃないよ。みょうじ先輩がぽつりと呟いたそれは、あまりにも弱々しいものだった。
よほど余裕がないのだろう。幼い頃とのギャップだけで、こうも深刻にはならないはずだ。もう答えは出たも同然だった。目の前の当人がそれに気付いているのかは分からないが、俺が出来るのはここまでだ。
視界の端に、もう一人の当事者が現れた。俺が呼びかけると、真っ直ぐこちらに歩いてくる。みょうじ先輩はおどおどと狼狽えていたが、目配せするとまるで蛇に睨まれた蛙のように固まった。反応が癪に障るが、今は逃げないだけ良しとする。
俺とみょうじ先輩の間に流れる微妙な空気に、鋼はどうかしたのかと聞いてくる。それはみょうじ先輩に直接聞いてくれ、と半ば押し付けるようにその場を後にした。
無駄に疲れた気がする。いくら友人といっても、これで何もなしは割に合わない。上手くいった暁には、二人に何か奢ってもらおう。そのときは来馬先輩と、ついでに太一も呼ぼうか。そこまで考えて、上手くいったあの二人も同席しているところを連想した。己の忍耐は果たして持つだろうか。目に浮かんだ情景は、どこか暖かかった。