▼ ▼ ▼

初対面の印象は、良くも悪くもなかった。要は興味がなかったのだ。
出会い頭の恒例となっている孝浩へのハグをしている最中に帰宅した彼の妹は、状況が掴めないのか呆然とこちらを見つめていた。いくら親友とはいえ、距離が近すぎることくらいは自覚している。しかし至って健全な関係であるし、単なる俺の片思いだ。

異性の兄妹ということもあって、顔はあまり似ていないようだった。とりあえず頭のてっぺんから足元まで見やり、華奢で全体的に丸みを帯びた身体つきや感情が読み取りやすい大きな瞳、髪の長さ…… やはりどれをとってみても孝浩とは全く似ていない。素直に「似てないな」と口にすると、淡々と「性別が違いますから……」と返してきた。愛想が悪いところも似ていない。
それがむつみとの出会いだった。
もう縁はないだろうと思っていたのだが、後に孝浩から直々に家庭教師を頼まれた。そういえば、彼女が受験生であることを孝浩から聞いたを思い出す。孝浩の願いだ、断るなどという選択肢はない。
事前に彼女の学習の進み具合と習熟度を見るために、直近の模試の答案をくれるよう頼んだ。すぐに手元に届いたそれはほぼ満点に近いもので、頼まれて早々投げるのもアレだが、俺の出番はないのではないか。
しかし、孝浩が助けてやって欲しいと頭を下げてきたのだ。親友の俺が助けてやらなくてどうする。合格までは面倒を見てやろう。

―――リリリリリ。リビングに繋がっている固定電話が鳴った。
そういえば明日はボーイズラブ小説の原稿締切日であった。容赦ない真夜中の催促コールも、この仕事に就いてからは至極当たり前のもので、特に何の焦りもない。
つい先日久しぶりに孝浩を堪能したおかげで、筆を執る手は軽い。この感じならば相川が鬼のような形相で自宅に駆け込んでくるまでには仕上がりそうだ。構想が頭から抜け落ちないうちにと、足早に自室へと向かった。


徹夜で原稿を仕上げ、眠りについたのは日が昇りきった正午だった。こうなることはいつものことで予想がついていたため、今日から家庭教師をすることになっている孝浩の妹には事前に「返事がなければ勝手に入って良い」と伝えておいた。
泥のような眠りから目が覚めたとき、混乱し動揺を隠しきれない表情の彼女がそこにいた。寝起きの頭では全てがぼんやりしていて処理が追いついていないが、とにかく起きて彼女の相手をしなければならないことは分かっていた。
重い身体に鞭を打ち、のそりと起き上がる。その瞬間。

「あ、あの!!今日からお世話になります、高橋むつみと申します!よろしくお願いします!「ロマンスは生徒で」すごく好きです!ファンです!!感情が高ぶってしまい屋上で孝浩を抱いてしまった秋彦の心情描写がアツすぎて本当に良かったで、違、えっと、お邪魔してすみません!!!!」

女性特有の甲高い声が頭の奥にキーンと響く。単純にうるさいな、と思うと同時に、一気に覚醒した脳機能が彼女の言葉の意味を瞬時に読み取り、何故自分が秋川弥生だと知っているのか、というか愛読者なのか、偏見はないのか、兄を題材に使われて怒りは抱かないのか、など様々な疑問が脳裏を駆け抜けていく。



彼を思って泣くきみの涙はきっと甘い