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ウサギ兄から正式な告白をされてしまった。相変わらずこの人は神出鬼没極まりない。原稿に行き詰まっているアンド私に対して絶賛疑心暗鬼中なウサギさんの息抜きにと向かった水族館でバッタリ会うなんて漫画か。漫画だった。にしてもここはホモセクシャルが入り乱れるご都合主義世界ではなかったのだろうか。先輩に迫られたり、恋人の兄に告白されたり、まぁまぁな月9加減である。私が美咲と同じように男であったなら「しっかりしておくんなましワタクシは日本男子でございますのよ」と上手く避けられた(――― のかは微妙だが、断る理由は真っ当である)というのに、私は女だ。異性が愛し合うことに関しては何の問題もない。いや、同性同士の関係を決して否定しているわけではないのだが――― と話が逸れるから一旦これは保留にして。
自分でも相当動揺している。私はウサギさんが好きだし、これからも好きだ。これに関しては全く揺らぎようのない事実で、根拠はないものの自信だけはある。しかし、ウサギさんはそれを知らない。
ウサギさんは無駄にお金持ちで世間知らずで外国かぶれなため、スキンシップが激しくかける言葉も砂糖マシマシのゲロ甘だ。私のことが大好きであることは全力で伝わっている。一方の私は前世でも今世でも恋愛経験値マイナスであり、ウサギさんの行動力にたじたじで、未だに上手く好意を伝えられていない。今回の一件で一番悪いのは、タイミングの悪さランキング目下トップ爆走中であるウサギ兄ではなく、気持ちをきちんと伝えてこなかった私なのだ。そろそろ腹をくくらねばなない。

ウサギ兄を振り切って、ウサギさんと合流する。外は冷え切っていて、うっかりマフラーを忘れてきた首筋に寒さが沁みる。

「デートって真面目にやると結構大変だね…… あんまり遠出することもないから、楽しかったけどちょっと疲れちゃったなぁ」

と、つぶやくように話しかけた瞬間、首筋を駆け抜ける鋭く冷たい風。あまりの寒さに思わず「さ、さむっ」と声をあげると、背後からふわっと自分のマフラーをかけてくれるウサギさん。こういう優しいところが好きだな。心の中では何回も言っているのに。「いいって」「いいよ」と軽くマフラー攻防戦をしながら、デートのクライマックスである観覧車に乗り込んだ。「足下気をつけて」と肩を抱きながらエスコートをする様もさすがとしか言いようがないくらい、スマートでかっこいい。

私たちを乗せたゴンドラは、ゆっくりと地上を離れて行く。たわいのない会話をしながら、ウサギさんの向こう側に見える夜景に見入っていた。観覧車に乗るのはいつぶりだろうか。久しぶりに乗ったのが彼氏とだなんて、前世の私には想像もつかなかっただろうな。少しだけ浮かれながら、ウサギさんの顔を見た。ウサギさんはやはり告白の様子を聞いていたのだろうか、いつもより表情がぎこちない。私は少しでも空気を変えようと、にこやかに口を開く。

「今日の体験学習は役に立ちそう?」
「お陰様で。帰ったら原稿仕上げるよ。」
「ちゃんとやりなよ〜 さっき相川さんからメール入ってた。ウサギさんったらほんとに信用されてないね。」
「大丈夫だよ、むつみが色々教えてくれたからな」
「ならいいけど……」

不自然なほどに穏やかな表情だ。何もかもを諦めてしまったような、それでいて私を見る目は泣きたくなるほどに優しい。

「やっぱり普段遠出なんてしないから疲れちゃったな…… ちょっと眠いかも。英語の課題の締切が近いから徹夜しようと思ってたけど無理そうだし、ウサギさん責任とって手伝ってよね。」
「むつみならすぐにできるだろう」
「そんなこと…… あ、見てウサギさん、東京タワー!」

「お前は俺と関わらない方がいいのかもしれない」

空気が凍るとはこのことだ。何を言っているのか、頭が理解することを拒否する。言いたいことは山ほどあった。しかし、魚の小骨が喉に突っかかったかように、上手く言葉が出てこない。口を開きっぱなしのアホ面のまま、沈黙が続いた。

「孝浩のところに行くでもいいし、一人暮らしをするでもいい。一人暮らしに関しては孝浩が何か言ってくるだろうが俺がどうにかしておくし、費用は全て俺が出す。」

―――そんなものは、

「そんなものは、いらない」

ウサギさんは何も分かっていない。ウサギさんはいつも、「自分が我慢すればいい」と思っている節がある。相手が幸せであることが一番で、自分のことは二の次だ。それでいて誰よりも臆病で、失うことを怖れている。愛し方は知っているのに、愛され方を知らない。
私の一番の幸せは、ウサギさんが幸せなことだ。そもそもウサギさんが不安に思っていることは全部今更なのだ。世間知らずで振り回されたりするのはもう日常だし、やたらと束縛したがるけど私だって何かとおモテになるウサギさんを束縛したいし、無理矢理手を出したとかなんとか気にしているけど嫌だったら警察にでも駆け込んでいるし、とにかく私はもう何があろうともウサギさんが好きなのに。

「ウサギさん」

地上の喧騒から遠く離れた静かなゴンドラの中では、声がよく通った。ウサギさんは黙って私を見ている。

「ウサギさん、あのね、言いたいことはいっぱいある。だけどね、これだけは言わせて欲しいの。」

―――ウサギさんのこと、好きだよ。

ウサギさんは相当驚いたようで、目を見開いて固まっていた。私が言葉にするのが遅くなったあまり不安にさせてしまって、本当にごめんなさい。しかしウサギ、てめーも一人で突っ走って事態を混乱させているから反省しろ。

「ウサギさんが、私のことを大事にしてくれてるの、すごく分かるから。ウサギさんが何を心配してるのか知らないけど、私はウサギさんが好き。だから、何があっても大丈夫だよ。」
「―――うん」

ふにゃ、と力の抜けた笑みだった。心の底から安心した、というような。私の好きな顔だ。嬉しくなって、向かいに座るウサギさんに抱きつく。ゴンドラは少し揺れたが、ウサギさんは難なく私を受け止め、抱き返してくれた。お互いのぬくもりに、お互いが安心する。

「俺はお前を傷付けたくないんだ……」

ウサギさんは、耳元で囁くように口を開いた。少しこそばゆいが、「うん」と相槌をうって耳を傾けた。

「俺は全てのことに対して、それまでの関係性が崩れるくらいなら、自分が我慢すればいいと思って生きてきた。実際自分なりに上手くやってきたつもりで、それでいいと思っていた。」

―――だけど、

「お前に会ってから、それに耐えられなくなってきたんだ。」

よかった。素直にそう思った。愛情に恵まれず、人一倍愛に怯えて、それでも愛されることの期待を忘れられなくて。我慢して我慢して、ずっと自分だけに向けられる愛情を探していた。だけどようやく、報われるのだ。私によって。自惚れだと指を刺されても構わない。彼の中に、私という存在が確かに息づいていることが嬉しかった。

ウサギさんは、これからも家族と接触する機会は好き嫌いうんぬんは別としてありえること、家族が知っている自分を知られることによって私が離れてしまうのではないか、またそれによって自分が私を物理的に閉じ込めてしまうかもしれない、という旨を淡々と告げた。
彼は聡明だ。頭が良い、勉強ができるのもそうだが、自分が今どこにいて、何を望んでいるのかという、自分の置かれている現状を客観視する能力がある。ゴーイングマイウェイでマイペース、自分が思うがままに生きているように見えて、実際は周りに気を遣っているし繊細だ。自分が世間を知らないことは分かっているし、実際に行動してしまう自分がいることも知っている。

「お前を傷つけることはしたくない。でも現実はそうじゃない。うとまれて自分の元を去られるくらいなら、今の状態のまま離れた方がいいと思った。」

そんなのウサギさんの勝手だ、と反論しようと口を開こうとしたとき、顔が胸板に押し潰された。どうやら背中に回っている腕の力を強めたらしい。抵抗は諦めて、もう一度相槌を打った。

「俺が一番怖いことは、むつみを失うことだ―――「っ、バカ!!!!!!」

ブチッ、と確かに堪忍袋の尾が切れる音がした。
確かに私が好意を口にしなかったのは悪い。しかし、今までの話は私の気持ちを蔑ろにしすぎているというか、オール無視状態だ。何でも自分の中で完結しすぎだろう、この人。
腕を振りほどいて、勢いよく立ち上がる。またゴンドラが揺れたが、怒り故にふらつくこともなく、真っ直ぐにウサギさんを睨みつけた。

「黙って聞いてれば!!!そんなくだらないことで悩んで!!!!あなたが私を好き、私があなたを好き、だから一緒にいたい!!!それでいいじゃない!!!!!!」

だいたいねえ、と更に語気を強めて捲し立てる。

「本気で嫌だったら一緒にいるわけない!!!!確かに私が好きだって言わなかったのも、行動に示せなかったのも悪いけど!!!今まで一緒にいた私の顔や言葉を見て、本気で嫌がってるかどうかくらい分かるでしょ!!!!私のこと好きなんでしょ!!?!?」

ノンブレスで言い切った。再び静まり返ったゴンドラ内では、私のゼェゼェという息遣いが響く。ウサギさんの顔を見る勇気はなく、自分の足元を見つめた。

「―――うん、ごめん。好きだよ。」

腕を引っ張られ、抱き締められる。あ、と小さく声を漏らす。ウサギさんは、未だに息継ぎをする私の背中をゆるりと撫でた。そこからの言葉のやりとりは一切なく、いつの間にかてっぺんを通り過ぎて下降していくゴンドラの動きとウサギさんのぬくもりだけを感じていた。ちらりと上目遣いでウサギさんの顔を見ると、窓の外を見つめながら静かに口元を緩めている。はじめて本当の意味で、通じ合えたような気がした。

身体がぽかぽかして、気持ちがいい。その感覚に身を委ねまどろみながら、ゴンドラが地上に着くまでずっと抱き合っていた。