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9:八月の君



「はぁ、暑っち……おーい、終わったぞ〜」
「ああ、ありがとうね銀さん。さぁさぁ、昼食を作ったから食べていってちょうだいね」
「おー」

朝から炎天のなか屋根の修理に追われ、やっと終わったのは13時となかなかにいい時間だ。依頼主が年寄りということもあり受けた仕事だが、夏に受ける仕事じゃねぇな、とこめかみからぽたり、ぽたりと落ちる汗を腕で拭う。

「あー、くそ、汗止まんねぇわ」
「悪いねぇ銀さん、熱中症になっていないといいんだけど、大丈夫かい?」
「婆さんこそ暑さで更に干からびてんぞ。ちゃんと水分摂っとけよ。顔がエイの干物みたいになってるからな」
「誰がエイの干物だい、失礼しちゃうよこの子は、ほんとに。それに、こりゃ干からびてんじゃなくて皺だよ」

俺を心配そうに見ながらも大声で笑いながら冷たいお茶を差し出してくれた婆さんからそれを受け取り、一気に飲み干す。だが、体の水分はまだ足りないらしく喉の渇きはおさまらず、流れる汗は止まらない。
まぁ、飯を食っている間に体の熱も引くだろう、と定食屋である婆さんが作ってくれたトンカツ定食に箸をつける。
カウンターで黙々と食べる俺の隣に座った婆さんがテレビを点ければ、丁度ニュースでこの異常な暑さをアナウンサーが報道していた。
観測史上最高の気温、猛暑だという。

「もう夏も終わるって時に猛暑とはなぁ」
「終わるから最後にとびきり暑いのを置いて行くつもりなのかねぇ」
「もう地面で目玉焼き作れそうじゃねぇか。ガス代浮くな」

もりもり、と口に詰めたトンカツを食べながらニュースを見ていれば、婆さんが立ち上がりバケツに水を汲んでいる。そして組み終わったそれを店先に持って行き、地面に水をまいた。

「少しでも冷えればいいんだけどねぇ」
「何やってんだ婆さん、あちーんだから店ん中入っとけ」

折角冷えている店内にむっとした空気が入ってきた。


***


「おーい、銀さんがけぇったぞ〜。うわ、パンツまで汗でびっちょじゃねぇかよ。あーまじやべぇな。汗引かねぇよ。水風呂入ろ」

もう風呂にでも入ったのかと思えるほど髪の毛は汗で濡れていて、作業着を脱ぎながら風呂へと進む。

「おーい、新八ぃ着替え持って来てくんねぇ?……はライブ行ってんだっけか。おーい神……楽は定春と遊びに行くっつってたな」

あいつら、銀さんだけを働かせて遊びに行ってるとか、マジねぇわ。俺が社長なんだけど。と思うが、今日二人を手伝わせなくて正解だったとも思う。あんな炎天下で屋根の修理なんてすれば、子どもの体はすぐに熱中症になるだろう。
はぁ、やれやれ、ともう汗を吸い過ぎて重い手ぬぐいを首にかける。

まぁ、誰もいねーんだから風呂上りに真っ裸でうろついてもいいだろう。
着替えは諦め、その前にいちご牛乳飲みてぇと進路を風呂から台所へと変更する。
台所へ足を一歩踏み入れた瞬間、びしゃと何かを踏んだ。

「なんだ?水?」

視線を下げれば、踏んだのは水溜まりのようなものだった。
新八はまず、何かを零した時は拭く。つまり神楽が水か氷を零したか落としたかしてそのままにしたのだろう。
まだその水溜まりはひんやりとしていて、そう時間は経っていない。

「おいおい、床が腐っちまう。おーい神楽、テメェ零したら拭けよ。女の子でしょーが、そんな子に育てた覚えはねぇぞー」

首に掛けていた手ぬぐいで水溜まりを拭き、まだ家にいるのだろう神楽に向かって注意をすれば『あ、銀ちゃんお帰りアル!』と玄関から神楽が入って来た。

「オメェ、どっか行ってたの?」
「下で氷貰って来たアル」
「氷?」

食料はあんまねぇが氷ならうちにもあんだろ、と冷蔵庫を開ければ、そこそこあった氷が無くなっている。

「何?お前氷食べてんの?虚しくなるからやめてくんない?何も食べさせてない子みたいに見えるからやめてくんない?」
「食べさせてもらえてないのは事実アル」
「朝から二合平らげる娘が何言ってんだ。とにかく、零したら今度から拭くように、わかったか?」
「はーい」

本当にわかってんのか、わかってねぇのか、神楽は下のスナックから貰ってきたという通常より大きめの氷を素手で砕き始めた。
何をやろうとしているのかは知らないが、神楽がいる以上流石に風呂上がりの真っ裸はできそうになく、せめてパンツだけ持ってくか〜と歩き始めたところで、ふと自身の寝室に目が行った。
いつも閉じているはずの戸が開いており、仕舞ったはずの俺の布団が出ている。

え、俺の布団、なんか膨らんでね?

「ね、ねぇ、ねぇねぇ、かぐらちゃーん」
「今忙しいネ、話し掛けないで」

ゴシャッ、と氷から出ていい音ではないそれを耳にしながら神楽に話し掛けたのだが、あしらわれた。父親って毎日こんな仕打ちを受けてんだろうな、それでも娘が可愛いと思えんだから世の父親はすげーよマジで、とそろりと寝室に足を踏み入れる。
俺の布団で誰か寝ている。これは確実である。
あのメス豚ストーカーかとも思ったが、気配が違うことにそうっと顔を覗き込み、そのまま足音を立てずに寝室から出た。

「…………………ね、ねぇ、神楽ちゃん」
「もう煩いネ!今忙しいのが見てわからないアルか!」
「いや!俺も忙しいことになってんの!今!心臓が!!」

割った氷を袋に詰めて縛った神楽がそれを持って寝室へ入って行く背中を追う。
そして、神楽は布団で眠っている人物の顔にドシッと氷袋を乗せ……たのをサっと俺が取る。

「銀ちゃん!!何するアルか!」
「何するってテメェが何してんだ!?こんなの顔に乗せたら窒息すんだろうが!」
「どうせすぐ溶けるアル!」

氷袋を持つ俺の腕を掴み『返すネ!』と騒ぐ神楽をそのままに、眠っている人物を覗き込む。この騒がしさでも起きないのは、この真っ赤な顔が原因だろう。神楽が氷を用意した訳もわかるが……、と眠っている人物の額に手の平を当てる。

「結構あちーな。神楽、体温計持ってこい」

俺がそう言えば、騒いでいた神楽がすぐに寝室から出て行った。
日中、屋根で作業をしていた俺の方が熱を持っていそうなものだが、それよりも熱いように思うその体。少しでも楽になるよう神楽が用意した氷袋をそっと額にだけ当ててやったが、首の後ろも冷やしたほうがいいと見てわかる。

「銀ちゃん、持ってきたアル!」
「おお、それ脇に挟んで、ぴぴっと音が鳴ったら数字見とけ。俺はまず風呂ササっと浴びてくらぁ」

布団のすぐそばに腰かけていた体を持ち上げ、ついでに氷袋を手に立ち上がれば、神楽が『わかったアル!』と自分の脇に体温計を挟んだのが見えた。
なんでこの子は体温計の意味もまだ理解できていないのだろう。地球何年目よ?

「馬鹿、テメェの脇じゃなくて鈴ちゃんの脇に挟むんだよ」

ぺちん、と軽く神楽の後頭部を叩けば、神楽が慌てて眠っている鈴に近づく。
流石に俺が体温計を挟むわけにも、見るわけにも触れるわけにも行かず、その間に風呂に入るつもりだ。神楽が布団を少し捲ったのを見て、ちゃんと出来そうだなと思ったのだが、そこでふ、と気になる点が出来た。

「神楽、ちょっと待て」
「何アルか?もしかして反対の脇だったアルか?」
「いや、そうじゃなくて。なんで鈴ちゃんパジャマ着てんの?」

神楽によって捲られた布団から鈴ちゃんの上半身が見えたのだが、私服とは言い難いパジャマ姿だったことに嫌な予感がした。そのパジャマは神楽の物でも、俺の物でもなさそうな……それこそ、彼女が普段眠る際に着ているのだろう。彼女の私物に見える。

「なんでって、鈴が寝てるからアル。何言ってるネ、さっさと風呂入って来いヨ」
「いや!待て待てなんかおかしいだろ!?お前、鈴ちゃんどこから連れて来た!?まさか寝てる間に連れて来たとかじゃねぇだろうな!?」

俺はてっきり、朝、依頼で鈴に元に行き、そこで体調が悪い鈴を知って甘味屋から連れて来たのだと勝手に思っていたのだが、どうも違う気がする。
だって彼女、パジャマっ子だもの!!
見渡す限り、部屋に彼女の着物は見えず、此処で着替えたとも思えない。つまりはじめから彼女がパジャマであったことが推測される。

「鈴、何度起こしても起きなかったネ。苦しそうだし、一人暮らしってやつらしいから連れて来たアル」
「おまっ!それ人攫い!」

神楽から出た言葉に思わず額を抑える。
つまりパジャマ姿の鈴を抱えて此処まで来たということだ。それも運ばれている鈴はピクリとも動かず眠っている。それは傍から見れば立派な人攫いだ。
自分の部屋で寝たはずが起きたら別の場所に居たとあっちゃ、鈴も驚くだろう。
困った顔をした俺に気付いたのか、神楽が肩を落として『でも、鈴一人だったアル。誰か居たほうがきっといいネ』と言った。

「……………まぁ、そうだな。じゃあ、俺は風呂入ってくっから、鈴ちゃんの体温ちゃんと測っとけ。オメェは俺が風呂から出て来るまでそこに座ってろよ。間違っても氷袋顔面に乗せんなよ」

鈴は吃驚するだろうが、神楽が鈴を思ってしたことだ。
らしくもなくしょんぼりしてしまった神楽の頭を軽く一撫でし、そう言えば元気よく返事をして鈴の看病を再開した神楽。
それを見て少し微笑ましく思いながら、風呂へと足を進めた。


***


「どうアルか?熱高いアルか?」
「病院連れてったほうがいいかもしんねぇな」

ササッと風呂を上がり寝室に行けば、鈴のそばを離れないという雰囲気の神楽から体温計に出た数字を聞いた。
出た数字は41度、高熱だ。

「鈴ちゃんの部屋ん中に薬っぽいものは無かったのか?病院で貰う紙袋あんだろ?あんなの」
「なかったと思うアル」
「じゃあ、病院には行ってねぇんだな……甘味屋のオヤジは鈴ちゃんが風邪引いてるって知ってんのか?知らないなら連絡したほうがいいな」
「それは大丈夫アル!鈴が体調悪そうだから見に行ってくれって鈴の家を教えてくれたのがオヤジだったネ!」
「そうか、一先ず病院に行くか否かは本人が起きてから確認するとして、冷やしたほうがいいな……。おし、神楽、ちょっとひとっ走りして薬局で冷えピタと歩狩汗買ってこい。その帰りに甘味屋のオヤジにうちに鈴ちゃんが居ること伝えてこい。ここまではわかったか?」
「了解であります軍曹!!」
「おし、オヤジに伝えた後は鈴ちゃんの部屋の鍵閉めて来い。どうせテメェ鍵閉めずに出て来てんだろ。鍵は大抵玄関付近か鞄の中にあっから探してだな……戸締りしねぇと鈴ちゃんが困るぞ」
「鈴が困るのは嫌アル!閉めてくるネ!」
「おし、行け」
「ラジャ!」

財布から札を出せば、それを掴みチワワの如く定春に乗って出て行った神楽に小さく息を吐き出す。視線を動かせば、顔を真っ赤にして息を繰り返しながらも眠る鈴。
たらり、と汗を流す姿は暑そうに見えるが実際は寒いだろう、と布団を肩が隠れるまで上げてやる。

「布団……かなり干してねぇんだけど……わりぃな」

いや、ほんと。と申し訳なく思う。神さんに寝かせていい布団じゃねぇよ。
まさか俺以外がこの布団を使うなんて想像もしていなかったんだよ、と心の中で言い訳をしてみる。匂いとか大丈夫?神楽が日頃臭いと言うから気になってしゃーねぇだろうが、いい加減にしろよ。
予備の布団に移動させようかとも思ったが、勝手に抱えるのも気が引ける。此処は臭くても我慢してもらうしかない。
とにかく、神楽が帰ってくるまでは冷や水に浸けたタオルで冷やすかと寝室を出て台所へ進めば、居間で鹿とすれ違った。

「おっ、鹿、鹿ァァ!?!?」

ええええええ!?!?と振り返ったが鹿がとてとてと素知らぬ顔して俺の寝室へ入って行った。鹿があまりにも自然過ぎてそのまま台所へ行きそうになった足を止める。

「は!?今の鹿だよな!?え?もしかして俺も熱出てる!?幻覚見てる!?なんか鹿が我が家の如く俺の寝室に入っていったんだけど!?」

慌てて寝室に戻れば、そこにはやはり鹿が居る。そして鈴をじっと見ていた。

「……………もしかして鈴ちゃんのお知り合いか何か?……あの〜申し訳ないんですけど、うち土足厳禁でして〜……見舞いはまた日を改めて来ていただいていいですかね」

あの頭から紅葉を生やしていた竜を見たことある以上、何が神さんかわからない為冷や汗をだらだら流しながらお帰り頂けるように話し掛けてみた。ぐりんと首を後ろに回し俺を見た鹿に思わず一歩下がる。だってリアル鹿だぞ!角生えてんだぞ!可愛いけどさ!

「やや、貴方様はもしや地主神様の眷属であらせられる人の子でございませんか」
「いや、すんません。何言ってるのかさっぱりわかんないんですけど」

鹿と会話しちゃったよ、と少し感動しつつ聞こえないフリをしたのだが、この鹿にはあまり関係ないらしく、ペコリと頭を下げられた。

「いやはや、貴方様のご自宅とは露知らず申し訳ございません」
「え、あ、どうも?」
「観測史上最高の猛暑とのことで地主神様のお体が心配になりまして、縁切り様より地主神様のご様子を見てくるよう申しつけられた、わたくし鹿です」

俺に聞こえていなくとも喋るらしい鹿に、あ、うん、鹿だねぇ……と思いつつ、聞き耳を立てる。ってことは、鈴がまいってるのはこの天気のせいってことか。
そういや、神社の時も地面関係で体がツラいとかなんとか言っていたなぁ、と思い出す。今回もきっとソレなのだろう。

「土地と地主神様は繋がっている為……と、言いましても多少なのですが、このような猛暑になりますと流石に地主神様のお体にも影響が出るのでございます。特に、地主神様は今人の子のお体……強くはございません」

まぁ、見るからにツラそうだもんな、と鹿と俺とで眠っている鈴を見る。
地面で目玉焼きが作れそうなほど土地はあっちっちなわけで、それが鈴の体に伝わっているわけで……。そこまで考えて病院へ行くという予定は消えた。
医者に診てもらっても薬を飲んでも意味がねぇことはわかる。

原因はわかった。で、ここからどうすんだ。鈴をその縁切り様んとこ連れてけばいいのか、でも関わるのは余りよくないだろう。貧乏神の爺の時、自身が地主神の代理をしていると言うタイミングは沢山あったというのに、何も言わなかったということは、やはり鈴はそのことを隠しておきたいのだろう。
なら、俺はこの鹿がすることをただ見ているしかない。

「去年はこれほどではなかったのですが……。地主神様も土地の熱が引くまでこの症状が治まらないことは知っておられるはず、きっと今は耐えておられるのでしょう。おいたわしい」

うっうっ、と泣いているのかどうなのか、そんな感じの声を出す鹿を慰めるわけにもいかず、ただ、鈴が去年も軽くだが経験済みということだけがわかった。だから病院へは行っていないのだろう。

じっと眠っているというのに、じわりと汗をかく鈴の頬を手ぬぐいで拭ってやる。このまま鹿に預けた方が鈴にはいいのだろうが、鈴がいないとなると神楽が騒ぐだろう。鹿が迎えに来たとは流石に言えねぇ、家族が迎えに来たとでも言うか?
そう、考えながら顔を拭いてやっていると、鹿が俺の肩を口で突く。

「ん?なんだよ」
「貴方様のお近くのほうが地主神様も落ち着きますでしょう。同じ波長というものは思った以上に心地良いのでございます」

それに人の子には人の子の傍が一番かと、とそう言う鹿の言葉は俺にはよくわからなかったが、鈴はこのまま此処に置いていくということだろう。

「去年は看病というものが初めてのことで地主神様に大変申し訳なかったのですが、今年は貴方様が居られます。ようございました。縁切り様にも安心してお伝えできます」

神様は食事をされなくとも大丈夫ですし、我々のご飯は草なので、と申し訳なさそうに言う鹿に納得しかない。風邪も引かないのだろう。そりゃ、急に人間の看病なんて言われても何をしたらいいのかもわからなかっただろう。

「地主神様をよろしくお願いいたします。地主様、どうか早く良くなってくださいませ。またわたくしめと鹿せんべい当てクイズをしてくださいませね」

ぺこりと畳に付くくらい頭を下げた鹿が寝室から出て行く。
俺の家に自然に入ってきて帰る鹿にも驚くが、動物と話ができるという異常事態に慣れはじめている自分にも驚く。

「なんか……お前って慕われてんのな」

一度も目を覚まさなかった鈴にポツリと呟いてみたが返事はない。
爺の時にそういう類に詳しい知り合いが居ると言っていたが、縁切り様という神様に相談しに行っていたのだろう。そして今回、その神さんがコイツを心配して鹿を送った。
地主神っつーのは、この土地に住む神さんや動物にとっては大事な神なのだろうが、ただそれだけではないようにも思える。
あの栗鼠も地主神っつーよりも鈴に懐いていた。何より神楽や新八がいい例だろう。

神楽が砕いた氷と水を洗面器に入れて手ぬぐいを浸けて、それを絞り鈴の額に乗せてやれば、ほんの少しだけ鈴の顔がふにゃりと緩んだように見えた。

「気持ちいいか?すげぇ熱いもんなお前」

風邪でもねぇのに41度もあんだぜ?と教えてやったが、やはり返事はない。今は体内の熱に耐えようと体が意識さえ奪い頑張っているのだろう。
すぐにぬるくなってしまうだろう手ぬぐいを取れば少し眉を下げ、そしてまた冷たい手ぬぐいを乗せてやれば緩む顔に小さく笑ってしまう。
わかりやすいと思いながらこまめに取り替え、もう一枚の手ぬぐいで頬や首を拭く。熱で涙腺もおかしくなるのだろう、頬を緩ませながらもぽろりと汗と一緒に流れた涙を手ぬぐいで拭ってやる。

「よく頑張ってるよ、お前」

頬を拭いながらもう片方で鈴の頭を撫でる。撫でずにいられない。こんなに頑張っていることを江戸の奴らもかぶき町の奴らも、誰も知らない。知ってんのは手に数えられるほどだろう。ならせめて俺は褒めて、礼を言うべきだ。
小さな頭を撫でる。一般的な女の頭なのだろうが、俺にすれば小さい。
腕も、肩も、足も、背中も全てか頼りなく、俺が突けば簡単に転びそうな体だ。そんな体が懸命に江戸を支えている。

「こんな体にいつまでも江戸なんて大きいもん背負わせんな、神さんよ」

鈴を代理にした本物の地主神に向かって言う。今は江戸に居らず留守なのだとホウイチが言っていたが、居場所さえ知っていれば早く帰って来いと引きずってでも連れ帰ってきてやるのに……こんなのが何年も続けば鈴の体が悲鳴を上げるだろう。

「冬は冬で、寒くなんのか?……手とかすげぇ冷たいんだろうな。鍋で温まったりすんの?食うか、鍋。うちには炬燵もあるからよ」

真っ赤な顔を覗きながら『ありがとうな』と小さく言ってみた。

それと同時に玄関の開く音と『買って来たネ!鈴―!!』と言う神楽の声が聞こえた。

「静かにしろっつーの馬鹿娘」

バタバタと音を立てて走るそれを聞きながら頭を掻く。

「一回起こして、水分摂らせっか」

神楽が買ってきているであろう歩狩汗を飲ませる為にコップを取りに立ち上がった。


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第九話終わり