「ただいまかえりまし……何してるんですか?」
「おお!新八!いいところに!ちょっとコイツ台所に入れないようにしてくれ!さっきから邪魔しかしねぇ」
「んだとォ!!私はただ手伝いたいだけ!アル!」
「いって!!足踏むんじゃねぇよ!」
お通ちゃんのライブへ行っていた今日。その帰り、僕は姉上が待つ家ではなく万事屋に帰ってきた。それは明日入っている依頼が早朝の為、万事屋へ泊りそのまま行く予定だったからだ。
そして、帰ってきたら珍しく銀さんが台所に立っていて。小鍋を片手に神楽ちゃんの頭を押さえていた。
***
「わ、本当だ……山田さん、大丈夫ですか?」
「鈴〜、新八が帰ってきたアルよ〜」
「オメェこれ見て大丈夫って思うか?思わねぇだろ?……それにしても、んっとに起きねぇな」
「ずっと汗かきっぱなし、寝っぱなしアル」
「おーい、鈴ちゃーん。流石に何か飲まねぇと水分無くなんぞ」
台所で騒がしくしていた二人の間に入り。もう、何やってんだと疲れた溜息を零しながら止めて喧嘩の理由を聞いたのだが、どうやら今、万事屋には僕を含めて四人居ることがわかった。
信じたくないが、僕が干して洗ってからそんなことは一切されていないだろう銀さんの布団で眠っている山田さんを見てぞっとした。こんなことになるなら昨日洗っておけばよかったと少し後悔もした。
それは別として、この眠り続けている山田さんはどうやら風邪か熱中症らしく、神楽ちゃんが山田さんの家から勝手に連れて来てしまったらしい。でも、こんな姿を見てしまえば神楽ちゃんが連れて来てしまったのもなんだかわかる。そして帰すというわけにもいかず、銀さんと神楽ちゃんで看病することにしたみたいだ。
それでお粥を作ろうとしていた訳だったのか、と先ほどの二人の姿を思い出す。
ただ、山田さんは先ほどから何度起こしても起きないらしく、神楽ちゃんが山田さんの名前を呼び続けている。
「神楽、でこのそれ替えてやれ」
「わかったアル。鈴〜おでこ冷たくなるヨ〜ひや〜」
銀さんに言われておでこの冷えピタを取り替える神楽ちゃんはえらく甲斐甲斐しく、『どうアルか?楽になったアルか?』と山田さんを心配そうに覗き返事をもらおうとしている。僕や銀さんが風邪を引いた時はもっとぞんざいだったというのに、神楽ちゃんにとって山田さんが大切にしたい存在なのが見てわかる。
傍から見れば、お姉ちゃんっ子な妹のようだ。はたまた母を心配する娘にも見えるが年齢的にも合っていないのを知っているから、やはり姉と妹だろう。
「僕、お粥作ります。水枕も替え用意しておかないと」
「おお。じゃ、俺は本格的に鈴ちゃんを起こすとしますか」
片手に小鍋を持ったままだった銀さんからそれを受け取れば、銀さんが山田さんの枕元に胡坐をかき『鈴〜起きろ〜飯にすっぞ〜』と呼びかけはじめた。銀さんの性格上、何度か呼びかけて起きなかったら、病人だろうと頭の一つや二つ軽く叩きそうだ……。もしかして山田さんを叩いたりしないよね、とハラハラしたのだが、それは心配ないようだ。
「神楽ちょっと退け」
「何するアルか?」
「体起こすわ」
山田さんを覗き込んでいた神楽ちゃんを退かして『よっこいせ』と山田さんの背中と布団の間に腕を差し込んだ銀さんが『うわ、あっち』と小さく言いながら山田さんの上半身を支えるように起こした。その動作は普段からは想像できないほど優しく、『鈴に触るな!』と怒る予定だったのだろう神楽ちゃんでさえ、開きかけた口を閉じてそんな銀さんを手伝おうと手を伸ばしている。
「おーい、鈴ちゃーん。起きる時間だぞ」
「鈴〜起きるネ」
山田さんの上半身を腕で支えながら少し揺する銀さんの声は、起こすにしては小さく。神楽ちゃんも大きな声を出していない。
二人とも山田さんに遠慮してか、いつもの元気を半分に抑えているようだ。
なんだか、そんな二人の姿が少しおかしくて笑ってしまった。
「駄目ですよ、二人共」
「いや、だって起きねーんだもんよ」
「そうネ。お水飲まないと鈴が干からびるアル」
「違いますよ。起こすならもっと、山田さーん!!起きてくださーい!!」
「あっ、このっ馬鹿!大きい声出すんじゃねーよ!!」
「しめんぞ眼鏡!!静かにお粥作ってればいいネ!!」
「いや、あんたら山田さんを起こしたかったんじゃないんですか」
二人は目を吊り上げて僕を叱ってきたが、水分は摂らせなきゃいけないのだから起こさなければ駄目だろう。神楽ちゃんといい、銀さんといい、山田さんのことになると少し弱気になるなこの二人と眺めていれば、山田さんの睫毛が揺れ、ほんの少しだが薄っすらと目を開いた。
「あっ起きた」
「歩狩汁!歩狩汁持ってくるネ!」
銀さんの言葉で神楽ちゃんが僕から視線を外し、嬉しそうにバタバタと台所へ走って行く。銀さんはまだ現状を理解できていない、まだ寝ぼけているのだろう山田さんに『おはようございまーす』と小さな声で挨拶をして、少しだけ口元を緩めていた。
『喉乾いたろ?』やら『神楽が勝手に連れてきちまったみてぇでさ、ワリィな』という落ち着いた声に、銀さんってこんな話し方もできるのかと驚きつつ、山田さんが起きたのなら僕もお粥作らなきゃと台所へ向かった。
***
「ちょっと銀さん落ち着いてくださいよ」
「いや、落ち着いてるけど?え?全然落ち着いてるよね?」
「いや、全然落ち着きないですよ」
先ほどからソファーに座ったと思ったら立ち上がり脱衣所の前に行き、トイレに行ってくると言って脱衣所の前に行ったり、とにかく脱衣所の前に何度も行く銀さんに僕は呆れている。
山田さんには万事屋で寝ていた経緯を話し、神楽ちゃんが謝っていたのだが、むしろ一人だったら危なかったと山田さんにお礼を言われていた。
起きた山田さんはやはり調子が悪そうで、銀さんに背中を支えてもらえてやっと座れるというくらいだったのだが、日が落ちて少ししたくらいに楽になってきたらしく、今は神楽ちゃんと共にお風呂に入っている。
風邪の時はやめておいたほうがいいと思うのだが、神楽ちゃんが『鈴、汗でびっちょりアル!私も一緒に入るネ、大丈夫ヨ!』とやる気満々で、それを見てしまった山田さんは止めておこうかな……なんて言うはずなく、『じゃあ、お風呂いただこうかな』とまだ熱も下がっていない体で脱衣所に消えて行ってしまった。
神楽ちゃんはとにかく山田さんの為に何かしたくて、山田さんは神楽ちゃんに甘い。
そんな二人がお風呂に入ってしまってから10分、銀さんはずっとうろうろしている。本人は気にしていないような素振りを見せるが、わかりやすすぎてツッコむのも嫌になる。
「熱でふらついてんだぞ。頭打っちまったらどーすんだよ。鈴ちゃんの頭が陥没したら此処も陥没すっからな!いや、これまじだから!……おい、まだ出てこねぇんだけど?新八ちょっと様子見てこい」
「いや、まだ10分しか経ってないですし、僕も男なんで無理です」
「もう10分の間違いだろうが、女ってやつは風呂がなげェから嫌なんだよ」
また脱衣所から戻ってきた銀さんがどかりとソファーに座りジャンプを開くが、またすぐ閉じて脱衣所に行ってしまった。
もう放っておこうと台所へ行ったところで、『神楽!テメェ長風呂すんじゃねぇぞ!』『煩いネ!』とひと蹴りされている声が聞こえてきた。
お粥も出来上がり、後は山田さんがお風呂から上がったら食べてもらうだけとなった。神楽ちゃんに怒られたことで、またソファーに座った銀さんは片足を揺らしていて、やはり落ち着かないようだ。
「それにしても、今日は暑かったですよね。会場でも熱中症で倒れた人が居るって聞きましたし。明日もこの暑さが続くんですかね」
「ぱっちぁんが女のケツ追っかけてる間、俺は屋根の修理してたかんね。こんな日に働いたからね。偉いはまじで」
「ああ、もう、すいませんでしたって」
「新八〜テレビ点けろ」
「はいはい」
自分は働いたから偉い、だから言うことを聞けというような言い草に呆れながらも、お通ちゃんのライブに行ったのは事実だし……と言われたままにテレビを点ければ『ニュース。明日の天気予報やってるところ映せ』とこれまた命令が下った。どこまでも図々しい人だな。
「あっ、明日の天気ありましたよ……あ〜明日も引き続き猛暑ですね」
「……」
天気予報なんて、朝の結野アナしか見ないのに珍しいなと銀さんにちらりと視線をやれば、ぼんやりとした目で、でもしっかりとニュースを見ていた。
明日、何か依頼でもあるのかな?と思ったが、明日の早朝に入っている依頼は僕が行くもので、それもイベントの会場設置という建物内の仕事だから天気はあまり関係ない。早朝ということもあって日差しも強くない時間に終わって帰ってくる予定だ。
「明日、他の依頼が入ったんですか?」
「……いんや……猛暑、明日までだってよ」
「あ、本当ですね。明後日雨マークになってますね。洗濯物干しておかないと」
天気が良すぎるのも嫌だけど雨も嫌だなぁと考えていれば、本当に天気が見たいだけだったのか、銀さんがテレビを消した。それと同時に脱衣所から『鈴出たアルよ〜』と神楽ちゃんの声が聞こえて、まるで小さい子がお風呂を上がったみたいな言い方だなと笑ってしまう。神楽ちゃんの声色からして、どうやら山田さんはお風呂に入っても具合は悪くなっていないらしいとほっとする。
「お〜、やっと出てきたか。新八」
「はい、お粥持ってきます。あっ、山田さん体調どうですか?」
「はい。だいぶ良くなりました。お湯いただいてしまってすみません」
「いいんですよ!それより、今夕飯持ってきますね」
「え、夕飯」
「鈴ちゃーん、いつまでつっ立ってんだ。早く座れ」
「え、は、はい。あの夕飯って」
元々着ていたパジャマではなく、銀さんの甚平とボクサーパンツを借りてしまった山田さんがおずおずと居間に入ってきた。きっとお風呂を借りたことと着る物、下着まで借りたことに申し訳なくなっているのだろう。むしろ申し訳ないのはこちらのほうだ。だって、銀さんの下着って……本当にもうなんて謝ればいいかわからない。
ただ救いなのは、買ったはいいけど使っていなかったボクサーパンツってことだろう。普段銀さんが使っているトランクスはゴムがゆるっゆるだから……いや、なんかやっぱり微妙な気分だ。僕達、嫁入り前の女性になんてことを……。
銀さんに早く座れと隣の席をポンポン叩かれた山田さんが、おどおどしながら近寄っていく姿を見る。
まだその肌は赤く、熱があるのだというのがわかる。決してお風呂上がりだから、だけではない。僕がわかるほどだ。きっと銀さんもわかってる。
「やっぱ俺のじゃおっきいな……神楽のだと小さいだろうし」
「借りてしまってすみません」
「そりゃいいんだけどよ」
銀さんと山田さんの話し声が台所にまで微かに聞こえる。確かに、銀さんの甚平は山田さんにはちょっと大きめだったけど、ちゃんとはだけた場合を予想して中に着るティーシャツまで渡した銀さんに少し尊敬もした。あの人、やればできるんだ。
「あの、すみませんが今日はこちらをお借りして行ってもいいですか?明日にでも返しにきますので」
「は?帰るの?なんで?」
「え?帰らないんですか?」
「帰らないけど?」
「え?」
その二人の会話にふっ、と吹き出してしまう。
きっと山田さんの顔は今、疑問符でいっぱいなんだろうな。
帰るつもりでいたらしいけど、それは僕も神楽ちゃんも、そして銀さんも許さないだろう。本人はわかっていないだろうが、弱りきってわりとへろへろしているし、このまま帰してもまた神楽ちゃんが連れて来てしまう。
「山田さん、お粥に添えるやつ梅干しでもいいですか?あ、味昆布もありますよ」
「卵がいい」
「誰も銀さんに聞いていないんですけど」
山田さんの前にお粥を運んだ僕に銀さんが『ちぇー、なんだよ。鈴ちゃんだって卵がいいよな?』と言いつつ、冷えピタを冷蔵庫から取り出してきて、山田さんのおでこにぺちんと貼った。
何も言わずに前髪を上げられ、早業で冷えピタを貼られた山田さんはビックリしたのか目をクリクリに開いている。そんなことなどお構いなしに銀さんが『じゃ、梅にすっか』と用意したお粥に梅干しを入れて、呆然とする山田さんの手に蓮華を持たせた。
マイペースにも程がありすぎて、山田さんが可哀そうになってくる。
「山田さん、ゆっくりでもいいんで、食べられるところまで食べてくださいね」
「また熱が上がるかもしんねぇんだから沢山食べとけ」
そう言う僕を前に山田さんが『いただきます。ありがとうございます』とへろへろの顔で緩く笑いお粥を食べ始めた。食欲がないのはわかっていたが、それでもゆっくり食べてくれる山田さんに安心していると、銀さんが無言で梅干しやら味昆布をお粥に乗せるものだから、山田さんが焦って食べはじめた。ほんっとにこの人は……。
「次、昆布な、はい、次梅、次も梅、はいはい、次々行くぞ。食ってけよ〜」
「ちょっと銀さん!!」
「はーい、次、昆布」
「銀さんが次々入れるからもう昆布と梅が混じってえらいお粥になっちゃってますよ!」
僕が怒っていると微かに山田さんが笑う……と言っても声は出ていない。急かされたせいで口にお粥をめいっぱい含んでいるからか肩をすくめて小さく、くすくす、と面白そうに。
なんだか、その姿を見て肩の力が抜けてしまった。銀さんもそんな山田さんを見て優しく目元を緩めるものだから、尚更。ただもう、山田さんが笑ってくれているのならいいやと思えてしまう。
「あー!何食べてるネ!私も欲しいアル!あっそうだ、銀ちゃん、髪乾かしてヨ〜」
「またかよ。自分の髪くらいテメェで乾かせよ。俺は鈴ちゃんの餌付けで手ェ離せねぇから新八にやってもらえ」
「あ、私が」
「はい、次梅いきまーす」
神楽ちゃんの髪を乾かす役を引き受けようと遠慮気味に手を上げた山田さんの手を銀さんが掴んで下げさせて、お粥に昆布と梅攻撃を続ける。
銀さんの昆布梅攻撃に山田さんがお粥をはぐはぐと慌てて食べる姿を神楽ちゃんと見ながら、僕は髪を乾かしはじめた。
***
虫も寝静まる深夜、ふと目が覚めて薄っすらと開いた視界の先で影が動いている。
誰だろう?そう思うのは、今、この場に四人眠っているからだ。
端から神楽ちゃん、山田さん、僕、銀さんと布団を川の字に並べて眠っている。元々は山田さんだけで寝室を使ってもらう予定だったのだが、そこに神楽ちゃんが加わり『何かあった時どうするネ、銀ちゃんも新八も一緒に寝るアル!』と腕を引かれ、こうなってしまった。
なんだかんだ言いながら神楽ちゃんが一番に頼れるのは銀さんで、その次に僕なのだろう。だから山田さんに何かあった時の為に銀さんと僕も傍に置いておきたい、そう感じ取った。
そんな神楽ちゃんに『風邪が移るかもしれないから、私は押し入れで』と何故か押し入れをチョイスする山田さんにはびっくりした。いや、流石に病人を押し入れには寝かせられない。でも、まぁ、風邪は移るから、山田さんが気にするのもわかる。これで神楽ちゃんが風邪を引いたら山田さんが悲しんでしまうだろう。さて、どうやって神楽ちゃんを説得するか、と悩む僕の隣で『この怪力娘にはそうそう移んねーよ。寝ようぜ、もうねみィよ』と、またまた銀さんが『はいはい、寝んぞ〜』とぱぱっと山田さんを布団に押し込め、ころんと一番端に寝転んでしまった。
抵抗するすきさえ与えてもらえなかった山田さんは布団に横になったまま、またぱちくりと目を見開いていた。
銀さん……山田さんの扱い方が上手いというか……山田さんが嫌とは言えない行動をわかっているというか、なんというか。
そして嬉々として布団に潜り込んだ神楽ちゃん。
こうしてお泊り会のような寝室になったわけだ。
まだ眠くてぼんやりする視界で動く影は大きく。でも月明りだけの寝室で視界が悪くてもそれが誰だかわかった。
銀さんが眠っている山田さんを覗き込み、冷えピタを剥がしている。そして額に手の平を乗せて、熱を確認してから新しい冷えピタを貼っていた。
銀さん、水枕も替えますか?そう言おうとしたというのに、僕の口は開かずそのまま眠気に負けて瞼を閉じてしまった。
***
「よし、忘れ物なし」
「んぇ……新八?」
「あれ?銀さん起きたんですか?早いですね?」
早朝5時、まだ眠っている人のほうが多い時間。
居間で仕事へ行く準備を終えた僕の視界にまだ眠そうな銀さんが入った。寝室からのっそりと出てくる様子はまだ眠そうで、欠伸を零しながらお腹を掻いている。
『まだ5時ですよ』と言えば『んー』と寝ぼけた声色で返事をした銀さん。トイレかな?と思ったのだが、その体が電話の前で止まった。
そして、次はぼりぼりとお尻を掻きながらどこかへ電話を掛けた。
「あーーーー、オヤジ?俺、俺……は?誰?俺だって……いや、いつ金を要求したよ?くれんなら貰うけど……万事屋だっつってんだろ。あれ?そういや言ってねぇな?ああ、おう、万事屋銀ちゃん、そうそう。鈴ちゃん、まだ熱下がってねぇから……おう、今日もうちで見るわ」
電話の相手は甘味屋の店主のようで、『おう』『ああ』と返事をする銀さんはこの為に起きて来たらしい。
山田さんがまだ仕事に行けるような様子ではないから、山田さんの代わりにお休みの電話をしたんだと理解した途端、何故か電話を掛ける銀さんの後ろ姿がやけに大人に感じた。
「大丈夫だっつうの。ちゃんと飯も食ったよ。母ちゃんかよ。んじゃあな」
面倒くさそうにガチャンと受話器を置いた銀さんが僕を見て『気を付けて行って来いよ』と言う。いつもなら、山田さんのこと、ほんとちゃんとお願いしますよ!と一言いうところなんだけど、そんな言葉は今の銀さんに必要ない気がして『いってきます』とだけ言った。
「おう、バッチリ働いて金貰って来い」
「はいはい、わかりました」
玄関で草履を履き振り返れば、その後ろ姿は相変わらずだらしがないけど……でも、その手に新しい冷えピタと水枕を持って寝室に戻って行く銀さんに口元が緩む。
いつもの銀さんのはずなのに、山田さんと出会って、銀さんの新たな一面がちらりと顔を出す。
それはなんだか温かい。
***
「うぅわ……暑い」
じわじわと肌を焼く太陽を何気なしに見上げる。
まだ昼前だというのに、猛暑というだけあって日差しは強く。労働によってただでさえ疲れている体が暑さで更に弱っていくのを感じる。
早朝の依頼を終えて、やっと万事屋近くまでたどり着いた僕の背中は汗で濡れていて、たらりと汗が背中を伝うのを感じる。
地面の下はマグマかな、と思えるほどだ。
「この暑さで人が倒れるのもわかる気がする」
なんて零しながら、ふと前を見れば、銀さんが水を地面に撒いている姿が目に入った。
「え?銀さん、何してるんですか」
「おお、新八、おけーり」
「あ、ただいま帰りました」
お登勢と印刷された水桶とひしゃくを使ってぱしゃ、ぱしゃと気怠い感じで水を撒く銀さんを不思議な目で見てしまう。
「え、本当に何してるんですか?」
「見てわかんねーの、打ち水してんだけど」
「打ち水って……」
「こうすると気温が下がんだとよ……昔はこうやって下げてたらしいぜ?」
「確かにお婆ちゃんとかよくしているのは見かけますけど」
だからってなんで銀さんが……と不思議に思う。
こういうことはしない人だと思っていた。と、いうか本当に似合わない。
「これでちったぁ涼しくなんだろ」
「もういっそのことクーラー買いませんか」
扇風機しかなくて暑いからって打ち水をしはじめたのだろう銀さんに呆れてしまう。
もう意地なのだろう、意地でもクーラーは買わないつもりなのだろう。
そんなことを言う僕に『は?なんでそこでクーラー?』と銀さんは不思議そうな顔をしたけど、僕の額に流れる汗が見えたのだろう『家ん中入っとけ。あ、水掛けてやろーか?』と言ってきた。
「結構です」
「遠慮すんなって、掛けてやっから頭こっちに向けろ」
「ちょ、掛けないでくださいよ!?それより!山田さんはどうなんですか?」
「鈴?鈴ちゃんなら寝てらぁ」
「え?ずっとですか?」
「おう、起きてこねぇ」
それ、大丈夫なんですか?と心配する僕を見てから銀さんが地面に水を撒く。
「明日には良くなんだろ」
ぱしゃり、ぱしゃり、とまた水を撒きはじめた銀さんに何を根拠にと思っていれば、万事屋の玄関が開く音が聞こえ見上げる。
「あ、山田さん」
「おー、起きたか」
神楽ちゃんは山田さんからの依頼を済ませるべく万事屋には居ない時間で、銀さんは此処に居る。つまり、万事屋には山田さんだけの状態だ。
起きて誰もいないと思っていたら、そこに僕達の声が聞こえて覗きにきたのだろう。
お登勢さんの店の前に立つ僕達を見下ろした山田さんに『おはようございます』と手を振れば、小さく手を振り返してくれた。
「打ち水……されていたんですね」
「おー、涼しくなんだとよ」
小さく、そう零した山田さんに銀さんが返す。
山田さんと話す銀さんはなんだか静かだ。決して何も喋らないわけではないけど、何て言うのだろう……空気が、緩やかな感じと言えばいいのか。ゆっくり流れているような、そんな静けさがある。
「さてと、戻んぞ、ぱっちぁん」
ひしゃくを空の水桶に入れ、お店の前に置いた銀さんが階段を上がっていく。
「打ち水って効果あんだな……昔の奴らが考えることってスゲェよな」
「え?」
「ところで新八くん。彼シャツって知ってる?」
「え、いきなりなんですか?」
「今の鈴ちゃんって所謂彼シャツじゃん?」
「いや、アンタ彼じゃないでしょ」
「プラス、彼パンまでしてんだぜ?」
「だから彼じゃねぇつってんだろ」
階段を上がりながら『昨日から銀さん気になってしゃーねぇわ』としょうもないことを言い始めた銀さんだが、階段を上がり、玄関に立つ山田さんを見て少し頬を上げる横顔が見えた。
こんな顔を見るようになったのも山田さんと出会ってから。
「あの、こんな時間まで寝てしまってすみません。仕事場にも連絡をしていないし、そろそろ帰ろうかと思いまして」
「あー、それ、連絡しといたから。鈴ちゃんの今日の仕事は寝ることだってよ」
「え?坂田さんが、その、連絡を?」
「そうそう、それより腹減らね?」
「え」
「俺、腹減ったわ。新八も減ったって言ってっし。うどん食う?なにうどん食いたい?俺冷てぇの食いたい気分なんだけど」
「あ、え、じゃあ、冷たいので」
「冷たいのな」
銀さんに押されてうどんを食べることになった山田さんについ苦笑いを零す。
これは熱が引くまで帰してもらえないだろうな。
「まだ顔あっけぇな。歩狩汗飲む?」
「いただきます」
冷蔵庫から歩狩汗を取り出してコップに注ぎ、それを山田さんに差し出す銀さんを眺めながら汗を拭く。
コップを受け取りゆっくり飲みはじめた山田さんとそれを眺める銀さんが居る台所に僕は入れなかった。
未だに信じられないが、銀さんの恋は静かで優しい。
「銀さん、僕、応援してます」
「は?何を?」
その日の夜、雨が地面に落ちる音を聞いた。
web拍手
第十話終わり。