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12:たいへんよくできました

ドアの傍にあるボタンを押せばポーンと高い音が鳴ったのが聞こえたのだが、なかなか開かないドアに首を傾げる。
生憎、腕時計や携帯というものなど持ち合わせていない為、時間を確認することはできないが、約束をしていた時間だとは思う。と、もう一度チャイムを押そうと腕を上げたところでドアが開いた。

「す、すみません。おはようございます」
「お〜、おはようございまーす」

急いでドアを開けたのだろう彼女は着物こそ着ているが、いつも綺麗に結い上げられている髪が下ろされているし……足袋も片方しか履いていない。

「わりぃ、もしかして早かった?」
「いえ、時間通りです。どうぞ、上がってください。こちらのスリッパお使いください」

ゆっくりとした動作で出されたスリッパに足を通す。
普段スリッパなんてものを使わないから、少し新鮮な感覚だ。そう思ったと同時に、女の部屋に上がんのも久々なことに気付く。
そう気づけば、その次に反応するのは鼻で……やべぇ、すげぇ良い匂いする。と脳が女の部屋に上がったことを理解する。

子守りを引き受けた昨日はアパートの前で今日のことを軽く決めた程度で、部屋に入る前に家に帰ったが……やはり、うちとは違う家具や部屋の雰囲気に足が思わず止まる。
一般的なアパートの作りだろう部屋の中、ピンクや花などはないが、さりげなく可愛いものがある。
男がほいほい入っていい場所ではなかったことに気付くが、この部屋の主である彼女は大して気にしていないのか、俺に背を向けて部屋に入っていく。
彼女が近づいたのはふっくらとした座布団で、その上には昨日見た愛らしい顔をした小さな体がちょこんと座っており、手に白い何かを握りしめている。

今日の仕事である子守りの対象だ。

「坂田さんが来ましたよ〜。足袋を離そうねぇ」
「片方しか履いてねぇと思ったら、取られてたのか」

優しく話しかけながらも、困ったように微笑んでいる鈴とガキを見下ろす。

「流石に足袋を口に含むのはと思うのですが、なかなか離してもらえなくてですね」
「俺が見ててやっから、鈴ちゃんは用意しろ」

そう言い、足袋を食べようとするガキの腕を掴めば、鈴があからさまに助かったといいたげな顔をして『ありがとうございます!』と立ち上がった。
どうやら、足袋は別の物を履くようだ。

『う!うー!』と何かを訴えているガキから視線を外し、掛け時計を見ればそろそろ出勤しなければいけない時間だろうことがわかる。

「おら、そんなもん食っても美味くねぇぞ」
「う!う!」
「え?美味いの?まじで?俺も試していい?ちょっと貸してみ」

俺の言葉を理解できているのかいないのかは知らないが、足袋を握る力が弱まったところでサっと足袋を取る。綺麗に洗濯されているのだろう、汚れなんてない真っ白な足袋を手の届かない場所に置く。
ぱたぱた、とスリッパを鳴らしていた鈴の足音が近くで止み、何気なしに見れば、俺に背を向けて鞄に財布やら何やらを入れて準備をしている。
先ほどとは違い髪こそ結い上げられているが、襟足に結い上げそこねた髪が少し残っている。ガキが居ることでいつものペースで準備ができず、慌てて結ったのだろう。こんなことが起きなかったら、見ることはなかった姿なのだろう。

「鈴ちゃん」
「どうされましたか?あっ、そうでした。たいしたものではないのですが、昼食を用意したので、良ければ」
「おお、まじか」
「冷蔵庫の物なのども好きに使っていただいで大丈夫なので」
「おお」

冷蔵庫を開けて説明する鈴に近づき、一緒に冷蔵庫内を覗けばラップされたオムライスが見えた。主に和菓子を作る為和食だろうと予想していたが、案外洋食も作るんだなと心の中で感心する。

「雨師様はご飯を食べませんし、お手洗いなどもないのですが、もし欲しがったらコレをあげてください」
「何入ってんのこのコップ、水?」
「朝露を溜めたものです」
「雫食うの?」
「はい、唯一口にするものらしいです」

葉っぱの雫を食べるなんて、妖精みたいですよね。と、嬉しそうに笑う鈴には申し訳ないが、そんなもんで腹なんて膨れねぇだろ、と夢もクソもないことを思っていると踵にゴチンと何かが当たった。
振り返り足元に視線を下げれば、背中を床に付けて此処まで滑ってきたのか、仰向けのままこちらを見るガキと目が合った。
俺の足に追突したのはガキの頭だったらしい。

「オメェ、ほんとお転婆娘な」
「昨日からこのスタイルでフローリングを移動するのですが、これがなかなか速くて」

仰向け状態で床に寝そべっているガキの脇に両手を差し込み、体を起こした鈴がガキの背中を軽くはらう。

「駄目ですよ雨師様、背中が汚れてしまいますから」
「丁度良いじゃねぇか。掃除機になりてーのかもしんねぇぞ」
「いえいえ、掃除機ではなく雨師様になっていただきたいので」
「オメェは掃除機になりてぇんだよな?」

鈴に支えられながら立つガキと少しでも目線を合わせるようにしゃがみ『ほら、頷いてんぞ』と言えば、鈴がおかしそうに笑い『それは困ります』と言う。
鈴が笑ったからだろう、釣られたようにガキも笑い始めた。
神楽と壮絶な朝食を迎えたとは思えないほど、柔らかい今に『笑ってらぁ』と俺の口許も緩む。
大人しく笑う鈴ときゃらきゃらと笑うガキを眺めながら、鈴の項をチラリと見る。

「そういや、髪、ちゃんと結えてねぇんだけど」
「え、本当ですか」
「ほんと、ほんと。直してやっから櫛貸して」

ガキの両手を掴んだまま座る鈴の後ろで崩れている髪を直していると、ガキが鈴の手から離れてハイハイで移動し胡坐をかく俺の膝に乗る。

「はいはい、次はおめぇの髪解いてやっから待ってろ。鈴ちゃんは今から仕事行かなきゃなんねーの」

別に、ガキが自分の髪も解けと言っているわけではないが、俺の膝を『う!』と叩くそれはそうしてくれと言っているように思える。

「誰かに髪を結ってもらうのなんて学生以来です。よく母や友人にしてもらって……坂田さん器用ですね」

なんて言う鈴は懐かしんでいるのか嬉しそうだ。

「万事屋なんてもん。器用じゃなきゃやってけねーよ」
「確かにそうですね」
「ほら、できたぞ。そろそろ家出んだろ。飯は?食ったか?」
「毎朝職場でいただいているので」

立ち上がった鈴に合わせて、ガキを抱き上げて俺も立ち上がる。
髪を綺麗に結い上げた鈴は、いつも見る姿だ。

「坂田さんに来ていただけて助かりました。私の家で申し訳ないのですが、好きに使ってください」

映画とかもあるので!とあそこに何がある、ここに何があると言い始めた鈴を見る。昨日、レンタルスペース、所謂一日だけ借りることができる部屋を用意すると言った鈴に『そんなもんに金払うなら、その分依頼料に足してくれ』と言った自分を思い出す。

「こっちこそワリィな、部屋に男が上がっちまって」
「いえ、いえいえ、気にしないでください。本当に助かりましたので。こちらこそ人の家ということで窮屈な思いをさせてしまうかもしれませんが、寛いでいただけると嬉しいです」
「おお、もう昼寝しちゃうほど寛ぐつもりだかんね、俺」
「それは良かったです」

やんわりと微笑んだ鈴が鞄を持つ。
もう家を出るのだろう。

「今日は新八が当番なんだけどよ。店に来ても俺が此処に居ることは内緒な。説明できねーし」
「はい」

依頼で家を出ることは話してあるが、依頼主が鈴であることまでは話していない。もし言えば、神楽も新八も手伝いたがるだろう。だが、人には見えない子どもの子守りなんて説明できるものではない。手伝えもしないだろう。
そのことについては昨日のうちに話し合っていた為、鈴がこくりと頷く。それを確認して玄関に立った鈴に『いってらっしゃーい』とガキとお見送りをすれば、きょとんとした鈴が少し照れ臭そうにへにゃりと頬を崩して笑う。

「いってきます」

先ほどと同じで何かを懐かしんでいるのだろう。一人暮らしのなかでいってらっしゃいと言われることが無いのは俺にも経験がある。
初めて見るその表情がおかしく、ガキにも『オメェも鈴ちゃんにいってらっしゃいしたか?』と聞けば、鈴が『雨師様、行ってまいります』と挨拶をする。
当たり前だが、何もわからないガキの手をやんわり掴み振りながら『鈴ちゃん、早く帰ってきてね〜』と俺が裏声を出してやれば、鈴があはは、と初めて声を出して笑った。
いつも見る大人を思わせる微笑みとは違い、少し幼さを感じる表情にこっちまで笑っちまいそうだ。

「気ぃ付けてな」
「はい。何かございましたらお店に連絡してください」
「こっちのことは気にすんな。好き勝手やってるからよ。鈴ちゃんこそ、何かあったら此処の電話に掛けてこい」
「よろしくお願いいたします」
「おう」

ぱたん、と閉じられた扉から視線を外し、腕の中にいるガキと目を合わせる。

「さて、と、何すんよ?」


***

昼飯も食って日も傾き始めた頃、俺はうんざりしていた。

「それで、あの人ったら酷いのよ」
「おーおー、そりゃあ酷いなぁ……そのまま口開けとけよ」
「みゃあ」
「眷属様、聞いてくださいまし!」
「おー、聞いてる聞いてる」

子守りが大変であることは万事屋をはじめてから身に沁みていたが、まさか子守りにこんなオマケが付いているとは誰が思っただろう。

鈴の部屋で髪を振り乱してぐすぐすと泣き崩れている女の話に適当に返事をしながら、目の前でお座りしている猫の口に手を突っ込む。

この泣き崩れている女は女神らしく、どうやら夫が浮気したらしい。俺とガキで昼寝でもしようかとうとうとしている時、急に『地主神様お聞きくださいまし〜!!』目の前に現れてからこの調子だ。

「あー、食い込んでんな、こりゃ」

そして、目の前に座る猫には尻尾が二本。
所謂猫又らしいが、神社に祀られている立派なお猫様らしい。そのお猫様もまた急に部屋に現れ『地主様〜!』と泣きついてきた一匹だ。
なんでも、川で獲った魚を食ったところ、身の中に釣り針があったらしく、口内に刺さってしまったらしい。

「ひょんにゃ〜」
「喋んじゃねぇよ。取れねぇだろうが」
「次浮気したら別れると言ったのに、酷いわ。眷属様もそう思いますよね」
「おー、ひでぇ話だな」
「みぎぁ」
「あ、取れた」
「うー!」
「おお、取れたぞ。馬鹿、触んな、刺さんぞ」

猫の口から出た釣り針をガキが触ろうと俺の膝に乗って来た為、針を持つ腕を上げる。

「眷属様、ありがとうございます」
「これに懲りたら何でもかんでも口に入れんじゃねぇぞ」
「もう川で魚は獲りませぬ!海にいたします!」
「俺の話聞いてた?猫語で話しゃわかんのか?あ?」
「眷属様、わたくしめのお話しも聞いてくださいまし!」
「おーおー、酷いよなぁ。まぁ、飲めよ」

ぼろぼろ泣きながら、こくこくと頷く女神とやらに熱い茶を注いでやれば、湯飲みを掴んでぐっと一気に飲み始めた。こうなった女には酒でも飲ませてさっさと寝かせるのが手なのだが、相手は神ということもあり茶にしてみた。だが、酒でも飲んでんのかと思うくらいいい飲みっぷりだ。

「とにかくだなぁ、いったん家に帰って旦那と話し合ってみるべきじゃね?話し合わなきゃ解決しねぇぞ?」

うっうっと泣きながら頷く女神の様子から、その旦那を愛していることはわかる。此処に逃げ込んだところで解決はしないと言えば、また頷いた。ほんと、疲れんだけど。

「もう一杯くださいな」
「飲み過ぎだぞ、オメェ」
「飲まねばやっていけません」

いや、これ酒じゃねぇんだけど、と思いつつ、まるで飲み屋で酒をせがむ客の如く湯飲みを差し出してきた女神に茶を注ぐ。
それを見てガキも飲みたくなったのか、俺の膝に乗って立ち上がり『う!う』と動きだした為、冷蔵庫から朝露のコップを取り出して口に付けてやれば、コップを持つ俺の手ごと掴みこくこくと飲み始める。

「オメェも飲みすぎんなよ。腹下すぞ」
「う?」
「ぽんぽん痛くなるつってんの。はい、もう終わりな」
「おや?眷属様、どうやらお客人のようですよ」
「ハァア!?」

もう勘弁してくんない!?と思わずキレそうになった俺の耳に、新たに聞こえた男の声。

「妻よ〜!」
「オイ!!旦那迎えに来たぞ酔っぱらい!!」
「これは、噂に聞く地主様の眷属様ではござらんか!聞いてくだされ〜、妻が別れると申すのです。もうかれこれ何千年と連れ添ったというのに、慰謝料として我の土地をもらうと。夫婦神として祀られておる我と離縁すると…、我には妻だけだと何度、言っ、うっ」
「テメェも泣くのかよ!!ここは離婚法律事務所じゃねぇ!!他所行け!!お願い三百円あげるから!!」

うわーん、うわーん、と泣く夫婦神にため息を零せば、一番子どもであるガキが俺の膝に大人しく座った。思わずその柔らかい髪を撫でる。

「鈴ちゃんって、いっつもこんなことしてんだな」
「う?」
「大変だなって話だよ。オメェにはわかんねぇよな」

いい大人の泣き声デュエットを聞きながら、再度ハァと重い溜息を零す。次から次へ現れるそれに面倒くせぇなと思っていれば、その泣き声デュエットに釣られたのかガキがぐずりはじめた。

「え、は!?おい、泣くな、泣くな。どうした、おーし抱っこしてやろうな」
「う、う」
「何も泣くことねぇだろ。よーしよし、あ、飛行機するか!?ガキはアレ好きだろ!?オイ馬鹿夫婦!オメェら泣くんじゃねぇ!!ガキがもらい泣きすんだろうが!!」

決してビービー泣くわけではないが、ぽろぽろ泣きだしたガキを慌てて抱き上げて体を揺らしてやったのだが、窓の外でぽつぽつと雨が降り出した。

「あ〜あ、降り出しちまったよ」

先ほどまで晴天だった空にじわじわと薄暗い雲が覆いはじめる。ガキをあやしながらそれを眺めていると部屋に電話の音が響いた。

「はーい、山田でーす」
『あっ、坂田さんですか』
「お、鈴ちゃん、どした?」
『急に雨が降りはじめたので、何かあったのかと思いまして』
「あー、それね。ちょっとぐずっただけだから心配いらねぇよ」

受話器から『そうでしたか』と、良かったと安心したのであろう声が聞こえ、何故だか俺も力が抜ける。
この何でもアリな部屋の中で鈴の声だけが癒しだと確信する。もう、早く帰ってきてほしいと切に願ってしまった。思わず『鈴ちゃんに会いてぇ』と言えば、受話器の向こうで鈴が小さく笑う。

『依頼とはいえ任せっきりですみません。もう少しで帰りますので』
「うん」

電話からも俺の疲労が伝わったのだろう。『何か甘い物買って帰りますね』と言ったその声にガキをあやしながら俺も泣きそうになる。もう甘いもん買わなくていいから早く帰ってきてくんねぇかな。いや、やっぱ甘いもん食いてぇな。

軽く話して受話器を下ろせば、先ほどまで大騒ぎであった部屋の中が静かなことに気付く。

「地主神様がお帰りになるので?」
「あ?そうだけど?オメェらも話聞いてもらうんなら、泣かずに話せよ。あんま鈴ちゃん困らせんな」
「大変!帰らないと!貴方!帰りますよ!」
「は?」
「地主様が居られないといのに家に上がったとあれば失礼に値いします!眷属様、どうかこのことはご内密に。お茶、ご馳走様でございました!」
「お、おい」

旦那の襟をひっ捕まえてしゅるんと消えてしまった女神にぽかんとしていれば、ズボンの裾をお猫様がくいくいと引っ張る。

「眷属様のお住まいをお教えいただけないですかにゃ。骨が刺さった時は眷属様のお住まいに行くよう仲間に伝えますにゃ。あっアヒル殿にも教えてもよろしいかにゃ?そういえば、狛犬殿も最近虫歯に悩まされていると聞きました」
「おい、俺はドクターでもドリトルでもねぇんだけど」


***

「次のページ捲んぞ」
「う?」
「次ィ〜、これが秋着物最先端。これさえ持っておけば秋を乗り切れる」
「う!」
「オメェも女なら読んどけ」

やっと静かになった部屋で目に付いた女性雑誌をガキと読んでいれば、玄関が開く音と共に『ただいま帰りました』という声がリビングに届く。その瞬間、ガキが『うー!う!』とハイハイでフローリングを移動しはじめた。

「おーおー、嬉しそうにしやがって」

声を頼りにハイハイしていくガキの尻を見ながら俺も立ち上がり玄関へ行けば、手に甘い物が入っているのだろう袋を持った鈴が居た。

「おけーり、あとお疲れさん。夕飯あっけど、食う?」

草履を脱ぐ鈴の手から鞄と袋を取りそう言えば、鈴が驚いたように俺を見た。いや、俺も夕飯まで作るつもりはなかった。依頼は子守りだけだったわけだし。でも、空が夕焼けに近づくにつれて鈴が帰ってくんなぁ、腹減ってんじゃねぇかな、とか考えてたら作ってたわけよ。

「手洗いうがいしてこい。用意しといてやっから」
「え、あの夕飯まで」
「今夜はカレーよ」
「え」
「お風呂にするご飯にする、それとも俺かガキにする?今ならカレーも付いてくるけど」

夕飯まで作ってもらったことに申し訳なく思っているのだろうそれに冗談を被せれば、やっと鈴が笑い『坂田さんと雨師様で』と言う。
真面目な性格にしてはこういう冗談を軽く返してくれるあたり一緒に居て楽しいとも思う。


手洗いうがいをした鈴にいい子かよ、と思いながらカレーをよそっていると、帰ってきた鈴にべったりだったガキが俺の片足に抱き着く。

「おーい、あぶねぇぞ。銀さん、今アッツアツのカレーよそってんの」

零す気はないが、もし零しでもしたら下に居るガキが危ない。そんなことを思い『鈴ちゃーん』と呼べば、机を拭いていた鈴が来てガキを抱き上げる。

「雨師様も食べたいんですか?」
「おこちゃまの口に合うようなカレーじゃねぇよ。甘口の時に出直せ」

そんな俺の言葉がわかったのか鈴に抱っこされたガキが俺の背中をぱしぱし叩く。痛くもかゆくもないその攻撃を無視していれば、ピンポーンと玄関のチャイムが鳴った。

「あ?誰か来た?」
「お客様でしょうか?」
「俺出っから、鈴ちゃんは先に食っとけ」
「いえ、でも」
「ほい、カレー」
「あ、ありがとうございます」

ここは私が、と言うつもりだったのだろう鈴の片手にカレーを渡せば、お礼を言うしかなくなった鈴。だんだん、鈴の扱い方をわかってきた。こうすれば、もう断れないだろう。
それにしても、今度はなんだ?と玄関へと進む。
この一日で大体訪問してくるのが何かは把握している。どうせまた面倒な神さん関係だろう。鈴も帰って来たばかりの今、更に疲れるようなことは避けれやりたい。
ここはいっちょ、追い返してやるか、と玄関の戸を開ける。

「ぎ、ギャアアアアアアア!!」
「え、人間!?」
「ギァアアアアアア!!」
「見えてます!?もしかして僕が見えてます!?」
「イヤアアアアア!!」

玄関の前に立っていた人物の風貌に思わず叫びながらリビングへ向かい、カレーを前に待てする犬のように座っていた鈴を抱き上げ、座布団の上に座っていたガキを抱えて今日一歩も踏み入らなかった寝室へと走る。

「やべぇ!!アレはヤバいって!!」
「坂田さん!?どうされ」
「見ちゃいけませーん!!鈴ちゃんもガキも目を合わせんじゃねぇぞ!!」

寝室の角に背を付けて、鈴とガキを守るように抱きしめる。
絶対アレはヤバい。特にガキと鈴には危険だろう。なんか神さんを殺しそうな面だった……面っていうか、アレはもうペスト医師!!!!
だって黒いコート着てたのもの、くちばしみたいなマスク付けてたもの、どう見たってやべぇ奴だよ!!

「あの、お邪魔します」
「ヒッ!」
「あ、この声」
「聞くな!魂持ってかれんぞ!」
「いえ、そんなことできないです。あの、もしもし人間さん」
「ギャアアアア!!」
「坂田さん、坂田さん、この方、郵便局員さんです」
「……ゆうびんきょくいん」

ぎゅうと力いっぱい抱きしめているからか、鈴が苦しそうに言ったその言葉を繰り返す。郵便局員ってなんだっけ?と思考が停止しかけたが、鈴の言葉にペスト医師が『はじめまして、郵便物を配達しています』と俺にペコリと頭を下げた。だが、その見た目は死の配達でもしてんのかと思うほど恐ろしい。
俺の暴走が落ち着いたのを感じた鈴が、俺の腕から離れようとしたその体をハシっと掴み、また腕の中に戻す。
無理、こえーよ。何かを抱きしめてないと泣きそうなんだけど。

「あの、大丈夫でしょうか」
「すみません。郵便局の方の制服は私達には刺激が、その少し強くて」
「そういえば、地主神様も最初驚かれていらっしゃいましたね。懐かしい」
「あの時は無言でドアを閉めてしまってすみませんでした」
「いえいえ、あっ、今日は雨師様よりお子さんをお届けするよう依頼されまして、受け取りに参りました」
「そうでしたか」

のほほんと喋るその声は青年で優しいように聞こえるが、なんたって見た目がアレだ。最近はこういった類に慣れてきたかと思っていたが、体はぴくりとも動かず鈴とガキを抱きしめることしかできない。というか、抱きしめさせてもらっていないと膝から崩れ落ちそうな感覚だ。


***

「このガキをあのペスト医師に預けんのか?」
「ぺす……確かに似ていますよね」
「似てるってレベルじゃねぇんだけど、ご本人様なんだけど」

腕の中から鈴は消えたが、ガキを抱えて玄関に向かう。
何かの紙にサインをしている鈴の耳元で小さく話せば、鈴がくすくすと笑う。預けて大丈夫なんだろうな、と言おうとした俺より先に『大丈夫ですよ。ちゃんと管理されている機関?らしいので』と言った。その言葉を性懲りもなく信じてしまうあたり俺は鈴を信用しきっているのだろう。

「主に新聞配達をするのがお仕事らしいのですが」
「は?あの見た目で?恐怖新聞とか?」
「時々、こういった運び屋的なお仕事もされるようで、たまに家に見えるんです」

俺が本気で震え上がっているとは思っていないらしい鈴が笑うと、俺の腕の中にいるガキも笑う。

「ほんと、鈴ちゃんに懐いてんな」
「一番は坂田さんですよ」
「いやいや、鈴ちゃんが手を差し出せば俺なんてどうでもいいみたいな感じで一直線だからね、この娘」
「あのー、そろそろいいでしょうか?」
「ヒッ!!きゅっ急に顔を近づけんじゃねぇよ!!」
「ヒェ!すみません!顔を近づけてもよろしいでしょうか!?」
「……………」
「その、坂田さんにはお声までは聞こえないので」
「そうでしたか、それは失礼いたしました。もうそろそろお時間なので、雨師様を預けていただけると」

くちばしをズイっと近づけてきたそれに思わず隣にした鈴に抱きつく。どうやら、神様界の配達も時間指定があるのだろう。黒いコートから懐中時計を出した医師に鈴が『すみません』と謝っている。

「雨師様、少しの間ではありましたがお会いできて嬉しかったです。どうか健やかに、大きくなってください」

俺が抱えているガキに顔を近づけて、そう言う鈴の言葉には優しさが含まれている。『もう迷子になんなよ』と言って、郵便局員にガキを渡そうとしたその時、俺の着物と鈴の着物がガキに掴まれる。

「う、う」

泣きはしないが、その顔は俺達にどこに行くの?と言っているような表情だ。俺達が行くんじゃなくて、テメェが行くんだろ、と言ってやりたい。
そんな俺達三人の姿を見た郵便局員が『僕、こういうの弱いんです』と泣いているのだろう、鼻を啜る音が聞こえる。

「では、必ず無事にお届けいたします」
「よろしくお願いいたします」


ガキを抱き、黒い煙を出しながら消えていく郵便局員を見守る。
何が起こっているのかわからないのだろうガキはきょとんとした顔をして俺らを見ていて、思わず笑ってしまった。
きっともう会うことはない。


鈴とカレーを食いながら『数年後の梅雨はあのガキが運んでくんじゃねぇの』という話をして、いつもより時間をかけて飯を食っていた気がする。
自分家に帰ってからも、腕にあったほどよい重みを恋しく思ったのはここだけの話だ。

「あ、銀さん帰ってたんですか?今日の依頼はどうでした?」
「ん?パパになってた」
「は?」
「はぁ、だる。抱きすぎて腕つーか腰いてぇ……新八〜、俺、将来良い父親になれる気がするわ」
「え、ちょ、それどういう……ちょ、本当に依頼に行ってたんですか?」

数年後の梅雨が楽しみだ。
きっと鈴もそう思っているのだろう。

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第十二話終わり