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第二話

「ときおみ君、疲れたでしょ?オレンジジュース貰ったから飲んでいいよ」
「ぁ、ありがとうございます。いただきます」
「はい、召し上がれ」

八百屋さんから歩いてお登勢さんのスナックに帰って来たのだけど、やはり体の違いなのか、スナックに着いた時にときおみ君はヘトヘトだった。そのことに途中で気付いて抱えて帰ろうかと思ったのだけど、僕より先に銀さんが手を伸ばそうとしていて。
でも、その手を途中で止めていた。
それは躊躇ったのではなく、ただ――、流れる汗を拭いながら泣きごとも言わず歩き続けるときおみ君を見て、此処で手を差し出すのは頑張っているときおみ君に失礼だとでも思ったのだろう。実際僕がそう思ってしまった。
そして、ときおみ君は自分の足でちゃんと此処まで来た。

スナックに着いた途端、ときおみ君の手を離した銀さんはお登勢さんに話し掛けていて、そしてすぐ、たまさんがオレンジジュースを持って来てくれた。わかりやすいんだか、わかりにくいんだか……。
僕にお礼を言って飲みはじめるときおみ君の横顔を見る。ぽたぽたと汗が落ちていて、相当頑張ったのだろう。流れる汗を拭いてやると、また『ありがとうございます』と小さくお礼を言われた。この年齢で敬語を使うのは、ときおみ君の一番近くにいた人が冨喜さんだったからだろう。僕が冨喜さんと話したのは数分だったけど、綺麗な言葉を使っていたように思う。きっとそれを見て育っているんだろうな。

「お前、凄い汗アルな」
「!?」
「わァ!!ときおみ君大丈夫!?か!神楽ちゃん顔が近いよ!!ときおみ君が驚いちゃったでしょ!」
「ご、ごめんなさい。零しちゃっ」
「おめっ、神楽!驚かせんな!大丈夫か時臣。あーあー、ただでさえ着替えどうすっか考えてたってーのに……こりゃパンツまで沁みてんなぁ」

余程喉が渇いていたのかコクコクと一気飲みする勢いで飲んでいたときおみ君の顔を神楽ちゃんが急に覗き込んだものだから、それに驚いたときおみ君がオレンジジュースを零してしまった。
ときおみ君が零してしまったことを謝っていると、すぐ銀さんがお登勢さんのところから布巾を持って来てくれた。驚かせた原因である神楽ちゃんの頭を軽くペシンと叩いた銀さんに顔やら服に付いたジュースを拭かれているときおみ君の眉は八の字で、ジュースを零してしまったことに申し訳なくなっているのか、はたまた残念がっているのか、きっとどっちもだろう。

「銀時、そのままじゃ風邪引いちまうよ」
「わーってるつの」
「たま、その子のサイズ測って、着るもん買ってきてやんな」
「了解しました、お登勢様」
「三日分くらい買ってくるんだよ」
「了解しました」

お登勢さんの一言でたまさんの瞳から機械的な音が出たかと思えば『では行ってまいります』とたまさんが店から出て行った。これで着替えの心配はしなくてすんだけど、それまで体を冷やさないようにしないと。

「神楽、お前家から毛布持ってこい」
「お前が行けヨ。私はこのガキ見てるアル」
「原因が何言ってやがる。オラ、行ってこいっつの」
「虐待アル!!」
「時臣の前で変なこと言うんじゃねェよ!!しばくぞ!!」
「いや、銀さんもですよ。ときおみ君の前でそういう言葉使うのやめてください」

銀さんによって二度目の頭ペシンを食らった神楽ちゃんが虐待だ!と叫びながら店を出て行くのをときおみ君がポカンとした顔で見ている。きっと冨喜さんとの生活でこれだけ騒がしいことはなかったのだろう。なんかもう、冨喜さんに謝りたくなってきた。だって教育にあまり良くない気がする。
銀さんも銀さんで自分の口から出た言葉があまり良くないことはわかっているのだろうが『言葉に汚いも綺麗もねぇだろォがよ……ババァと話しすっから時臣見とけよ』とそそくさと僕から離れて行った。口ではああ言っているけどアレは絶対自覚しているんだろうな。

お登勢さんに現状の説明でもするのだろう銀さんの背中を少しだけ見て、なるべくあの二人の会話がときおみ君に聞こえないように話しかける。八百屋さんの時はにこにこ話しかけてくれたというのに、今のときおみ君の表情は固い。やはり小さくても三歳だ。人見知りというか緊張しているのだろう。
此処には君の怖いものなんて一つも無いよ、と言ってやりたいけど、唯一安心できる存在の母親がいない。不安に思うのもしょうがないことなのかもしれない。僕にできるのは少しでも安心してもらえるように話しかけてあげることかな、と思っていると、ときおみ君が『しんぱちさん』と僕のことを小さく呼んでくれた。

「なっ!何!?」
「ううん、なんでもない」

ただ、僕を呼んだだけみたい、その小さな手が僕の袴を掴んだのがわかって胸がぎゅっと締め付けられる感覚がした。

「可愛いんですけど!!なにこれ!!可愛いんですけドォオオオ!!」
「新八うるせぇぞ!!」
「すっ、すみません!!あっ、そうだ!ときおみ君、乗り物好きでしょ?電車のお話ししている時も楽しそうだったもんね。お船の模型があるんだよ。見る?」

そう言って酒瓶に挟まれるようにして置かれている船の模型を指さしてあげれば、それを見て目を輝かせたときおみ君にやはり男の子だなぁと笑ってしまう。

船の模型をいろんな角度から見つめて「うわぁ、おふね!」と声を洩らしているときおみ君に少しだけ安心しながら、カウンターの奥で話している銀さんとお登勢さんの話し声に聞き耳を立てる。

内容はやはりときおみ君のことで、お登勢さんの『クズだクズだと思っていたけど、ここまでクズだったとはねぇ』から始まり、冨喜さんの話もしているみたいだ。お登勢さんは冨喜さん自体は知っていたようだけど、銀さんとの関係は知らなかったみたいで『父親、お前だったのかい。あそこのオヤジが見つけたら殺してやるってよく此処で愚痴ってたんだがね。殺されんのは構やしないけど家賃払ってからにしておくれ』と。銀さん、殺されるのかな。
まぁ、でも、自分の娘がある日突然知らない男との子を身ごもって、一人で産むって言い始めたのなら、僕だってきっとそう思うだろうな……僕には子ども自体まだまだ先の話しだけど。というか、僕ってそもそも結婚できるのかな。想像すらできないんですけど……。

「おふね!かっこいいね!」
「うん、そうだね。あっ、そうだ、あっちにも違うお船があるよ。見てみる?」
「うん!」

こっちはこっちで、船に夢中なときおみ君が調子を取り戻したようで、笑顔が戻ってきた。瞳の色こそ銀さんにそっくりだけれども、その表情は冨喜さんに似てか可愛らしい。きっと小さい時の冨喜さんに似ているに違いない。

新たな船の登場に瞳を輝かせているときおみ君に微笑ましく思っていると、僕の耳に『で、もちろん責任はとんだろうね?』というお登勢さんの厳しい声が届いた。それは責任を取って結婚するということなのだろう。
四年前、どうして銀さん達が別れを選んだのかは知らないけど、それが四年後にしてまた繋がるかもしれない。僕達の生活に変化が起こるということ。
嫌なわけではない、むしろあの時の銀さんを知っているから、どんな形であれ、そうなれば僕も嬉しい。
お登勢さんの問いに銀さんがどう答えるのかドキドキしていると、少し間を置いて『……結婚しよう、とは、言った』と何とも小さい声で答えた銀さんに、マジかーーーー!!と内心叫んでしまった。もしかして、八百屋さんで僕がときおみ君を見ている間に言ったんか!?言ったんか!?この銀さんが!?信じられない!?と頬が熱くなる。

「結構ですって言われたんですけど」
「は?なんだって?ハッキリ喋んな」
「だから!結婚はしませんって言われたって言ってんだろ!何度も言わせんな泣きそうになるから!!」

その言葉にお登勢さんも僕も言葉を失う。唯一声を出しているのはときおみ君で『おふね、すごい!』という、純粋な声だけがスナック内に響く。

「あ、あんた………それ」
「オイ、それ以上何も言うなよババア」
「子どもは大切だけどアンタは要らないって言われたわけかい?」
「言うなって言ってんの!!!!その耳は飾りかァ!?」

お登勢さんの容赦ない言葉に両耳を塞いでしゃがみ込んでしまった銀さんに流石の僕も言葉が出ない……。そんな僕の顔色は幼いときおみ君にもわかるくらい真っ青だったのだろう『だいじょうぶ?』と心配そうに聞いてくれた。優しくて本当に良い子だな、と涙がちょっと出た。

***


「おお……そうか。わかった。一旦帰んなら迎えにいくけど……そうか。こっちの心配よりそっち優先しろ。……飯食って寝てるよ。……オメェも無理すんじゃねぇぞ」

お店の黒電話で話す銀さんの声は落ち着いていて、その言葉からは相手を思いやる色が出ている。きっと電話の向こうに居るのは冨喜さんだろう。
あの後、毛布を取りに行ってくれていた神楽ちゃんが帰って来て、銀さんとお登勢さんの大人の会話は終わってしまった。それに続くように、煙草を買いに行っていたキャサリンさんが帰ってきて、着替えを買いに行ってくれたタマさんも帰って来た。
そして、お登勢さんがときおみ君をお風呂に入れてくれたのだけど、お登勢さんに連れられてお店の奥、生活スペースに入って行くときおみ君は、それはもう不安そうに僕達を見ていたのだけど、帰ってきたころには『おばあちゃん』とお登勢さんにニコニコだった。お登勢さんもお登勢さんで『あそこは子育てが上手だねぇ、可愛いったらないよ』とご機嫌だったから驚きだ。なんでも冨喜さんは男手一つで育てられたそうで、そしてときおみ君は今まで女手ひとつで育てられている。
上機嫌のお登勢さんによって夕飯まで作ってもらえた僕達もときおみ君と共に食事を済ませて、お腹が満たされたときおみ君は随分前から夢の中だ。
本当は二階に連れて行くつもりだったのだけど、『此処で寝かせておきな、何かあった時に動ける人間が多い方がいいだろう?』とお登勢さんがスナックをお休みにしてしまった。
ただ単にときおみ君が可愛くなってしまったのか、それとも銀さんの子どもだからか、それはわからないけれども、お登勢さんにとってもときおみ君が特別な存在になりつつあるのだろう。
お店のソファーで横になり、くぅーくぅー眠るときおみ君を見る。体はこの中で一番小さなはずなのに、その存在は何よりも大きい。

「冨喜かい?オヤジさん、どうだったって?救急車で運ばれたんだろう?」
「ぎっくり腰だと。んっとに驚かせやがって……三日くらい入院するらしいから、その間くらいはうちで時臣を見るつもりだ。今日のところはオヤジに付いてるみてぇだし、そろそろ家の布団で寝かせるわ」

そう言って、僕の近くで眠っているときおみ君に近づいてきた銀さんがときおみ君の寝顔を見て口許を緩ませたのがわかった。この人も、この数時間でかなり雰囲気が柔らかくなった気がする。

「おいおい、ほんっと、寝顔まで冨喜そっくりじゃねぇか。可愛すぎんだろチクショー……俺に似てんの目の色だけかよ」
「本当に銀ちゃんの子どもアルか?」
「ねぇちょっと、何言ってんの?ほんと何言ってんの?俺の子に決まってんだろ。俺の子以外認めませんー」
「でも、時臣くそ可愛いアルよ?銀ちゃんのDNAが混ざっているわけがないアル」
「やめてくんない?今それ言うのやめてくんない?銀さんも本気だせば可愛いんですぅ〜、俺の子で間違いないんですぅ〜」
「でも、天パじゃないネ」
「……その遺伝子を捻じ曲げてだな」
「か、神楽ちゃんやめてあげて」

ただでさえ冨喜さんに結婚を断られた銀さんから、自分の息子という事実まで取り上げてしまうのは残酷過ぎる。お登勢さんといい容赦のない女集から微力ながら銀さんを援護していると、銀さんがソファーとときおみ君の間に手を入れて少しだけ、その小さな体を持ち上げた。
ただ、銀さんなりにソッと持ち上げたつもりなのだろうけど、ときおみ君の目が薄っすらと開いてしまった。
ときおみ君が起きてしまったことにお登勢さんが『起こすんじゃないよ!』と小声で怒っていて、それに対して銀さんが『起こしたくて起こしたんじゃねェっつーの!ほーら、寝てていいぞ〜』と小声で返してすぐにときおみ君をあやしはじめて、神楽ちゃんが『ねんねんころりよ〜』と歌いはじめてしまった。

いくら仕事でそこそこ子守りに慣れているといっても、他所の子と自分の子では多少違いがあるのだろう。
だって、寝ぼけたときおみ君が銀さんの首に腕を回して、まるで抱っこして、というその行動に銀さんが少し嬉しそうだったから。いや、顔にはでていなかったけど……なんか雰囲気が。僕にはそう見えただけだけど。

銀さんの首に抱き着いてすぐ寝息を立ててしまったときおみ君を抱えて、いつもより静かに、カンカン、と音を立てて二階への階段を上がる。そんな銀さんの背中を見て、隣に居た神楽ちゃんと小さく笑った。

「おめェら、早くあがって来いっつの、冷えんだろーが。新八、今日はもう遅ェから泊ってけ」
「そうさせてもらいます!」
「銀ちゃん!私、チビ時と一緒に寝たいアル!」
「おい、新八。時臣に神楽近寄らせんじゃねぇぞ。あと、俺の名前にちなんで呼ぶんじゃねぇよ」
「なんでアルか?銀ちゃんのジュニアならチビ時でもおかしくないアル」
「あんなァ、時臣は俺が父親って知らねぇの。こういうのは母親からちゃんと説明したほうがいいんじゃねぇの?俺もよくわかんねェけどよ」

そんなことを神楽ちゃんと話しながら、銀さんが自然と足を向けたのは銀さんの寝室で。もしかして一緒に寝たいのかな、なんて、また笑えてきた。
今日の銀さんはなんだかいつも以上にわかりやすい。

「僕、予備の毛布出しますね!」


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第二話終わり