「銀さーん、朝ですよ〜。もう神楽ちゃんもときおみ君も起きてるんですよ。朝ごはんだって出来ていますし」
仕事場兼居間から銀さんの寝室を開ければ、相変わらずまだ寝ているようで思わずため息を零す。
時間は既に七時半を過ぎている。
いつもならもっと寝かせておくのだけど、とときおみ君を見れば、その小さなお腹から、くぅ、と小さく鳴った。
今朝、僕が起きた頃に丁度寝室から出て来たときおみ君は、此処がどこだかわからない様子だったけど、隣で眠っていたのが銀さんであったことで少し落ち着いているようだった。そして、僕を見てその安心は更に大きくなったのだろう……いや、そうだったらいいな、と僕が思っているだけなんだけど。でも、僕を見て、ててて、と駆け寄って来てくれた時は本当に嬉しかった。
そんな早起きをしたときおみ君のお腹はもう限界で、神楽ちゃんと一緒に、くぅくぅ、とお腹を鳴らしている。
「もう!銀さん!いい加減に起きてくださいよ!」
「………さぶっ」
いつまでたっても布団から出てこない銀さんに痺れを切らして布団を剥げば、冷たい空気を感じてか体を丸めている。ただ、いつもなら布団のど真ん中で寝ているくせに、何故か今日は体の半分が畳に出ていて。
確かに昨日はこの寝室でときおみ君も寝たが、決して同じ布団で寝たわけではない。銀さんの布団から少し離してときおみ君用の布団を敷いていた。
そして、この銀さんはときおみ君が眠っていた布団側に半分体を出して眠っていた。
「全く、素直じゃないんですから」
「……は?何が?ってかさみィ」
「ほらもう、神楽ちゃんもときおみ君も待ってるんですから」
「………んー」
くあっ、と大きな欠伸をしたかと思えば、立ち上がるのではなく、ずりずりと畳を這いずりながら居間に上半身を出してきた銀さんに思わず呆れながら、白米を茶碗によそう。
神楽ちゃんとときおみ君は日曜日の早朝に必ず放送される戦隊ものを観ていて、神楽ちゃんもいつもは見ないのに、瞳を輝かせて見入っているときおみ君に付き合っているみたいだ。あの神楽ちゃんがちゃんとお姉さんをしていて正直涙が出そうになったのは此処だけの話だけど。
そんなテレビに齧り付いている二人の背中を、相変わらず寝室から上半身だけ出した銀さんが床に頬杖をついて眺めている。
「ガキってーのは朝はぇなァ」
「いや、銀さんが遅いだけですから。ほら、もう戦隊シリーズも終わりますから早く顔洗ってソファーに座ってくださいよ」
「へいへい」
『よっこらせ』なんて声を出しながら体を起こした銀さんが洗面台に向かい、そしてソファーに座ると同時に、戦隊シリーズが終わったのか、神楽ちゃんがクルっと僕達を見た。
「銀ちゃんやっと起きたアルか!遅いネ!もう私もチビ太もお腹ぺこぺこネ!」
「おお、悪かったな」
「アンタ、一ミリも悪いと思っていませんよね」
「うるせぇぞ〜新八〜」
「もう、私とチビ太のお腹と背中は爆発寸前ヨ!」
「いや、お腹と背中がくっつくね、神楽ちゃん」
神楽ちゃんの間違いを正しながら食卓におかずを並べていると、神楽ちゃんがトスン、と音を立てて銀さんの向かいのソファーに座り。ときおみ君はというと、神楽ちゃんの『お腹と背中が爆発』の言葉を理解できているのだろう。自分のお腹と背中をペタペタ触っている。ちょ、凄い不安がってる!もしかして爆発するんじゃって思ってるよ絶対!
しょうがない、ここは僕が行くか、と立ち上がったのだけど、その前に銀さんが『マジか、お腹と背中爆発しそうなのか?ちょっと見せてみ?』とときおみ君を抱えて膝に乗せた。
な、何、この人、親っぽいことしてるんですけど……いや、親だけどさ!!
膝に乗せられたときおみ君はというと、急に体が浮いたことに驚いたのかキョトンとしていて、そんな息子の表情なんてお構いなしに銀さんがときおみ君のお腹を確認して、ぽんぽんと軽く、本当に撫でるように軽く叩いた。
「おーし、お腹と背中異常なーし。大丈夫、大丈夫。ほら飯食うぞ」
大丈夫と言われた瞬間、ときおみ君が分かりやすくホッとしていて、思わず笑ってしまう。
何でも信じてしまうその姿は可愛らしくも危うい。間違えたことなんて一つも教えてはいけないし、見せてはいけない気がする。僕達の言葉を聞いてそれを吸収していることがよくわかる。
銀さんの膝の上から隣に座らされたときおみ君は大人しくしていて、でも、すぐ隣にいる銀さんを見上げた。
そして『お、はようございます』と、なんとも自信無さげだ。
よく考えれば、ときおみ君と銀さんって昨日、それほど話していなかったなと思い出す。僕と神楽ちゃんにはよく話すようになったけど、やはり体が一番大きい銀さんにはまだ緊張しているのだろう。
銀さんもそれに気づいているのか、いないのか、『おー、おはようございまーす』と軽く返すだけだ。
昨日のときおみ君の感じからして、ときおみ君が慣れるまで何度か会話のキャッチボールをしてほしいところなんだけど……、なんて思いながら大根のお味噌汁を人数分よそっていると、ときおみ君が何故か手をピースの形にして、そのピースをじっと見つめている。
ちょっ、また未知なことをしはじめてきましたけど銀さん!?
小さい子って何を考えているのか本当にわからない。
その行動に僕が気付くくらいだ。もちろん、そんな不思議な行動に銀さんも気付いていて。ピースをしている自分の手をじっと見ているときおみ君に『次はどうしたよ?』と銀さんが顔を近づけた瞬間、スポッと銀さんの鼻の穴にときおみ君の二本の指が入った。
「は?」
「え、ちょ、ときおみ君?」
「チビ太、それがうちで仲良くなる為の挨拶ヨ。なかなかの腕アルな」
「テッメェエ!!神楽!!何一つとして合ってねェんだよ!!名前さえも合ってねェんだよ!!時臣に何つーこと教えてんだ!!お願いほんとやめてくんない!!時臣が冨喜にこんなことしてみろ!?冨喜のあの笑顔が引きつったりでもしたら銀さんもう三年は立ち直れない自信あっからね!!」
「私はただチビ太と仲良くなりたかっただけアル」
「ああ、そうなの?じゃあ銀さんも仲良くなりたいからオメェの鼻の穴に指突っ込んでいいわけね」
ときおみ君の指を鼻に入れたまま、神楽ちゃんと口喧嘩しはじめた銀さんと、これは本当に合っているんだろうか?という顔をしたまま指を抜くこともできずに固まっているときおみ君に思わず額を抑える。
これは、なるべく早くときおみ君を元の生活に返したほうがいいかもしれない。
「ご、ごめんなさい」
「いい、時臣は悪くねぇからな。いいか?神楽に何か教えられたらまず俺に確認すること。確認、わかるか?えっと、まず俺に聞くこと、わかったか?」
「はい……お鼻、痛くない?」
「おお、痛くねぇ痛くねぇ」
銀さんの鼻に突っ込んでいた指を抜いたのはいいけれども、これが間違いだとわかったときおみ君は本当に子どもなのだろうか、と思うほど真っ青で、きっと銀さんが神楽ちゃんを怒ったから、これは怒られることなんだと自主的に反省してしまっている。もう、可哀想なほどしゃんぼりしている。
銀さんもそんなときおみ君を更に叱るようなことはせず、『もうすんなよ』と黒い髪を一撫ですると、小さな頭をこくりと頷かせたのだが、ぽつりと『なかよくなりたくて』と言った言葉に銀さんの動きが止まった。
つまり、半信半疑だったけれども銀さんと仲良くなりたくて、鼻に指を突っ込んだと。なるほど。いや、教えた相手が全面的に悪い。
でも、これは内心可愛いと思っているはずだ。
だって可愛い。
「ときおみ君、とにかく、もう一度手を洗いに行こうか」
***
朝ごはんで使った食器を洗い終わって、水道の蛇口を閉めれば、水の音でかき消されていた神楽ちゃんとときおみ君の声が微かに聞こえてきて、頬が緩む。
居間に行けば、銀さんは着替えていてソファーでジャンプを読んでいて。神楽ちゃんとときおみ君が定春の背中に乗ったまま何かを話している。
いつもと変わらない風景なのに、小さな子がいるというだけで、居間の空気はどこか柔らかい。
掛け時計を見れば八時半で。そういえば、冨喜さんって何時頃にときおみ君を迎えに来るんだろう。銀さんは何にも教えてくれないし……、とそんなことを考えながらソファーに座りお茶を飲んで一息入れている僕の耳に神楽ちゃんの声が届いた。
「時臣の目って飴みたいアルな」
「あめ?」
「きらきらしてるネ」
神楽ちゃんがときおみ君の顔を覗き込んでいて、どうしてそんな話になったのはわからないけど、確かにと思ってしまう。初めてときおみ君の瞳を見た時、銀さんと同じ色だとは思ったけれども、普段の銀さんじゃあそこまで綺麗な色を見ることはできない。死んだような目をしているし……。
その点、ときおみ君の目の形は銀さんと違い、赤色に光が入って本当に宝石のような瞳をしている。
「あめってはじめていわれた。ぼくの目、鬼さんみたいっていわれるんだよ。真っ赤だから!」
明るい声で話すときおみ君に言葉に部屋の空気がおかしくなったのを感じた。神楽ちゃんをチラリと見れば、その言葉に対して何も感じていないようで、銀さんを見ればジャンプを読んでいる。でも、部屋の空気が一瞬おかしかったんだけどな、と首を傾げて湯飲みをテーブルに置く。
「かぐらお姉ちゃんは鬼さん知ってる?つのがあるの!」
こんなの!と言って両人差し指を頭から生やして、鬼を表現しているのだろう姿は可愛らしい。確かに、漆黒の髪に赤い目はよく映えていて、映画や漫画でも鬼や死神によくある色合いだ。見る人から見たらそう思わなくもない。でも、小さな子の耳には入れてほしくなかったなと何とも言えない気持ちになる。
「つよくて、こわいんだって。だからぼく、つよくなれるから、大きくなったらパトカーかきゅうきゅうしゃになるの!」
そう言ったときおみ君が言い終わるや否や、ジャンプを読んでいた銀さんから『あはは』と吹き出すような笑いが零れて、銀さんを見れば、僕と目が合ってすぐ『今週のギンタマン超面白いんですけど〜』と言っている。ああ、ジャンプですか。
「ときおみ君はパトカーか救急車になりたいの?」
「せめて人間がなれるものにしたほうがいいアル」
「ぼく、なれないの?」
「パトカーになりてェって本人が言ってんだからいいじゃねェか。なぁ、時臣?その真っ赤な目をパトランにすんだろ?俺はわかるよ、うんうん」
「ちょ、適当なこと言わないでくださいよ、銀さん。まず体を改造することになるんですよ」
僕達の言っている意味がよく理解できないのか、首を傾げていたときおみ君に銀さんが適当なことを言っていて呆れていれば。『人を救う仕事がしたいってことだろうよ』と銀さんがポツリと零してまたジャンプに視線を落としてしまった。
なるほど、つまりパトカーは警察官、救急車は救急隊員ってことか、と僕も納得する。鬼と言われて、強くて怖い存在になるからその力を救う為に使いたいと考えているのだろう。なんというか、凄く前向きな性格をしているらしいときおみ君が微笑ましい。
「時臣の目はパトランになるアルか!?すげーアルな!私、時臣の目好きアル!いいなァ〜赤い目イイなァ〜」
「ままもぼくの目好きっていってくれるよ。ぼくもすき。鏡でみるとね、もっときれい」
ときおみ君の目を羨ましがる神楽ちゃんに、ときおみ君も照れながら頬を緩めていて……何より、銀さん似の目を冨喜さんが好きだと言ってくれていることに、何故か僕が嬉しくなる。
ときおみ君のその声は銀さんにも聞こえているはずなんだけど、ジャンプを読み進めている姿に少し笑えてくる。
正直、昨日の結婚お断りの話を聞いていろんなことを思ったけれど……ときおみ君はちゃんと二人が愛し合った結晶なのだと今やっと思えた。そして、その気持ちはまだお互いの中にちゃんとあるみたいに見える。それが嬉しい。
そんなことを思ってニコニコしている僕を見て、銀さんが『なんだその顔、気持ちわりィぞ新八』と言ってきたけど、しょうがないじゃないですか。
「新八―、大変ヨ。時臣が泣きそうアル」
「え!?なんで!?」
「マミーに会いたくなっちゃったらしいネ」
神楽ちゃんからのSOSに慌ててときおみ君に駆けよれば、もう既に泣いていて、どうやらお母さんの話をして、昨日から会っていないことに気付いてしまったようだ。ぼろぼろ、と大粒の涙を零すときおみ君に『クッキー食べる?』なんて子供騙しなことしか言えないのが何とも情けない。
「くっきー、いらない」
「なっ、何が食べたいのかな?あっ!アイスあるよ?ほら!」
「あれ?それ俺のアイスじゃね?待って待って」
「アンタは黙っててください」
「アイス……ままが五才になったら食べてもいいよって……とうにゅうになっちゃうから」
とうにゅう、と言われて僕も銀さん達も首を傾げると、そんな慌てる大人の姿に涙が止まったのかときおみ君が『びょうきになっちゃうから』と言った。
とうにゅう……、クッキーやアイスを食べるとなる病気。
「糖尿病のことですかね」
「………」
「あれ遺伝するらしいですし。銀さん……アンタ。こんな小さな子になんという重荷を」
「時臣ママ、警戒しまくってるアルな」
「ぼくのぱぱ、とうにゅうだからぼくもきをつけるの、ままは五才になったら食べていいよっていってくれるけど、ままが心配するから食べたくない」
そう言うときおみ君に、本当にしっかりしているなと思い、ふとあることに気付く。今、ときおみ君の口から【ぱぱ】という単語が聞こえた気がしたんだけど。もしかして冨喜さんはときおみ君に父親の存在を話しているんだろうか。
どこまで聞いていいものかわからなくて、聞かなかったけど……。この感じだと少しは話しているようだし、ちょっと聞いてみようかな、と考えていたら、僕より先に神楽ちゃんが『時臣はパピーに会ったことないアルか?』と聞いていた。
いや!!会ったことないでしょ!?だって銀さんなんだから!!
うわぁぁぁぁぁ、どうしよう。これで会ったことあるよ!なんて言われたら、それ誰だよ!?ってならない!?
ほら!!もう銀さんめっちゃ見てる!!
「ぱぴぃ?」
「パパのことアル」
「あったことないないよ!ぼくのぱぱ、ままじゃないおんなのひとと出ていっちゃったから」
…………とんでもねぇもん飛び出てきちゃったよ。
ときおみ君から明るく語られたそれに、部屋がしん、と静まり返る。
「いっそ殺しておいてくれたほうが数倍ましだわァァァァ!!」
「ぎっ銀ちゃん早まっちゃ駄目アル!!」
ウワァァァ!!とテーブルに頭を打ち付けはじめた銀さんを神楽ちゃんが止めていて、思わず頬が引き攣る。
「そ、それ、は、ママが教えてくれたの、かな?」
「ううん、おじいちゃん!」
「あんのクソジジイィィィイ!!!!」
「銀ちゃん落ち着くネ!!クソジジイを殺ったところで解決しないアル!!新八――!!銀ちゃんから木刀を奪うアル!」
「だからぱぱはいえに入れちゃダメなんだって。ぱぱがきたらけーさつにでんわするの」
「へぇ」
「なんなのあのジジイ!!子どもになんつーでろでろした嘘教えてんだよ!!もうこれ修復できねェよ!!これもう銀さんのこと大っ嫌いだよ!!」
木刀を握ったまま床に蹲って泣き出してしまった銀さんの背中を神楽ちゃんが撫でていて、その姿にときおみ君が駆け寄って『おじさんどうしたの、だいじょうぶ?』と心配している。まさかその人物こそが警察に電話しなきゃいけない人物だとは思いもよらないだろう。
思わぬ状況に引き攣ったままいると万事屋の黒電話が鳴った。
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第三話終わり