「おお、わかった。道、覚えてっか」
黒い受話器を耳に当てて立つ銀さんの背中を見る。
電話の相手は冨喜さんだ。
話しの内容からして、今から此処に冨喜さんが来るのだろう。
「ああ待て待て、ちょっと時臣に代わってもいいか。さっきオメェに会いたいっつって泣いてよ」
そこまで言った銀さんが僕達のほうを向いて、『時臣、こっちこい』と手招きをした。ときおみ君は不思議そうに銀さんの足元に行くと、銀さんがその小さな耳に受話器を当ててあげている。
そして少し間を空いてからときおみ君が嬉しそうに母親を呼ぶ声が聞こえて、神楽ちゃんも僕も頬が緩む。人って此処まで嬉しいという感情を声に乗せることが可能なのだと知った。
***
昨日、冨喜さんから貰った桃を四人で食べていると、玄関が静かに開く音がした。
「ごめんください」
その声に一早く反応したのはときおみ君で、でも口の中に大きな桃が入っている為か母親を呼べないことに慌てている。そんな姿に『大丈夫だよ。此処にときおみ君が居ること、ちゃんと知ってるよ』と言ってあげれば、口を動かしながらほっとしている。
そんなときおみ君を見てか、銀さんが立ち上がり『オメェは食ってろ』と言って玄関に行ってしまった。
居間と玄関にはそこまで距離は無く。銀さんと冨喜さんの声が微かに聞こえる。
「迎えにくるのが遅くってしまってごめんなさい。その、ご迷惑を」
「んなこと気にすんじゃねェよ。時臣なら今、桃食ってっから、一旦上がってけ。お前も病院帰りだろーが……オヤジさんどうだ?」
「まだ痛むみたいだけど、それよりも時臣とお店が心配みたいで」
「そうか……あっ、オヤジで思い出したんだけど」
「はい?」
「なんか時臣の父親、女が出来て出て行ったってなってんだけど」
「え!?そっ、それ、時臣が!?」
「お前のオヤジに聞いたらしいぜ。俺は別に殺されていようがなんだってかまわねェけどよ。外で言わねぇようにしたほうがいいんじゃね」
「……なんてこと。ごめんなさい銀時さん」
一番玄関に近い位置にいる僕の耳に入ってくる小声の会話は自然で、銀さんから聞いた話に冨喜さんが申し訳なさそうに溜息を吐きながら謝っている。
冨喜さん……銀さんのこと、銀時さんって呼んでるんだ。なんか、聞いちゃいけないことを聞いてしまったみたいに頬が熱い。
「とにかく上がって、お前も休め。この後もまた病院行くんだろ?」
冨喜さんを気遣う声は優しくて、その言葉に『ありがとう』と返す冨喜さんの声もまた柔らかい。なんだってこの二人は夫婦にならないのだろう。なんだって銀さんは一回断られたくらいで身を引いちゃっているんだろう。いつもならウザイくらいにグイグイ行くのに……。なんで、遠慮してしまっているんだろう。
…………それが銀さんらしくなくて、でもどこか銀さんらしい気がして。
よくわからない気持ちを桃と一緒に飲み込んだ。
***
「時臣ママアルか?」
「貴方が神楽ちゃん、かな?はじめまして、冨喜っていいます。時臣がお世話になりました」
「……ごっさ美人ネ。時臣はマミーに似て良かったアルな!」
「………」
「銀さん、ときおみ君の前ですよ。抑えてくださいね。貧乏ゆすりも止めてください」
小声の内緒話を終えた銀さんと冨喜さんが居間に入って来て、まず反応したのは神楽ちゃんだった。そして、やっと口の中の桃を飲み込んだときおみ君が冨喜さんの片足に抱き着いて、『まま』と何とも寂しそうな声を出した。そんな声に冨喜さんがしゃがんでときおみ君を抱きしめれば、ときおみ君は冨喜さんの首筋に顔を埋めたまま頭を上げなくなってしまった。
今まで、僕達に心配かけないように頑張っていたのかもしれない。
冨喜さんが『遅くなってごめんね』と話し掛ければ首を振るだけのときおみ君に微笑ましくなる。なんだかんだ、此処で楽しそうにしていたように思うけど、やはり母親には敵わないな。
冨喜さんに抱っこされたままのときおみ君に『ママが来て良かったね』と言えば、また頷くだけだ。これは泣いているんだろうな。
「あっ、冨喜さん、朝ごはん食べましたか?あるんで食べていってください!すぐ用意しますね」
「え、いえ、私はすぐ帰りますので」
「いいですから!ほらほら座って待っていてください!銀さん!冨喜さんにお茶用意してくださいね!」
「へいへい。なんだアイツ、急にやる気出しやがって」
やはり冨喜さんは居心地が悪いのだろうか、なら居心地の良い場所に変えてしまいたい。銀さんで駄目なら僕が動いてやる!と台所に走る。
***
「へぇ、冨喜さんの御実家って家路だったんですね」
「イエジ?それってどこネ?銀ちゃん、私行ったことある?」
「四丁目にある定食屋」
「わかんないアル」
僕が用意した食事を食べている冨喜さんと軽い会話を楽しんでいると、神楽ちゃんが入ってきて、それに銀さんが返事をする。その繰り返しだ。
冨喜さんの膝に乗せられるように抱えられていたときおみ君も、冨喜さんが食事をはじめた頃に復活したらしく、今は定春と遊んでいる。いや、遊んでいるというか、定春の毛を撫でていて、定春もへにゃって顔をしている。
「今は父の調子が良くないからあれだけど、元気になったら食べに来てね。神楽ちゃんの席、用意しておくね」
「本当アルか!行くアル!何食べていいもアルか!?」
「うん、神楽ちゃんは何が好き?」
「すき焼き!」
「じゃあ、神楽ちゃんが来てくれた日はすき焼きにしようか」
「マジアルか!」
「あはは、まるで冨喜さんが作るみたいですね」
神楽ちゃんは僕が朝ごはんを用意している間に冨喜さんと話していたみたいで、二人の会話が先ほどより砕けていた。良い感じだ。これなら神楽ちゃんも僕の仲間になってもらうのもいいかもしれない。そんなことを思いながら、そう言った僕の言葉に冨喜さんが困ったように微笑む。
「お前、オヤジさんの店継ぐつもりなのか?」
「継ぐわけではないんだけど、今回のことがあったからお手伝いをしようかと」
「看護師免許持ってんのに、勿体ねぇ。オヤジも店継ぐより看護師しててほしんじゃね?向こうでも続けてんだろ?」
「え!冨喜さん看護師なんですか!?」
冨喜さん、看護師似合う!!と驚くも、銀さんと冨喜さんがどうやって出会ったのか簡単に想像がついてしまった。銀さん、よく怪我するからなぁ。普段からナースが、やれナースが、って言っていたけど、まさか本気でナースを捕まえて来るほど好きだったなんて。
僕が『凄いですね!』と言えば、『凄く、は、ないと思うけど、ありがとう新八君。そう言われると凄い気がしてきた』なんて言って少し照れ臭そうに笑う冨喜さんの表情はやはりどことなくときおみ君に似ている。いや、ときおみ君が冨喜さんに似ているのか。
冨喜さんは褒められたことに照れているのか耳が少し赤い。最初会った時は凄く大人のように見えたけど、なんだか可愛らしい人だ。これは病院でもモテるだろう。
「ご馳走様でした。お食事までいただいてしまってすみません。とても美味しかったです。新八君はお料理が上手だね」
「いえ、そんな!家路の人に褒めてもらえると、その、お粗末様でした」
次は逆に褒められて照れてしまった僕を見て、緩く微笑む冨喜さんはやはり大人のそれで、アセアセしていれば、冨喜さんが時計を見て『ご迷惑でないのなら洗い物はさせてください』と言ったそれを慌てて止める。
「い、いいです!僕がします!それより時間大丈夫ですか!?」
時計を見て立ち上がったのだから、これからどこか行く予定があるのだろう。そういう僕に銀さんが『新八君のお言葉に甘えれば?』と援護してくれたおかげで冨喜さんに洗い物をさせずに済んだ。
でも、そうなると、冨喜さんとときおみ君は帰ってしまうわけで……。
玄関で小さいリュックの肩ひもをときおみ君の腕に通している冨喜さんを見る。
どうやら、一度実家に行って、また病院に行くそうだ。
此処で行ってしまえば、もう、冨喜さんが此処に来ることも、ときおみ君が来る必要も無い。
もう来ないかもしれない。
そのことに気付いて胸がグッと苦しくなる。
ときおみ君の父親は銀さんなのに……銀さんだって本当は一緒に居たいですよね。そう言ってしまいたい。だって、冨喜さんのお父さんが入院する三日間はうちでときおみ君を見るつもりだって言っていたじゃないですか。
なんで……言わないんだ。
言ってしまいたくて、唇が震えて、隣でときおみ君達を見ている銀さんの横顔を見る。銀さんは相変わらず何も考えていなさそうな顔をしていたけれども、その表情が一瞬、ふっと優しい顔になったことに腹から何かが込み上げてきた。
「きょ!!!!今日!!!!夕飯作って待ってますから!!!!」
急に大声を出した僕を皆がポカンとした顔で見ている。
「待っていますから、病院の帰りに寄ってくださいね」
驚いた顔で僕を見る冨喜さんに笑顔でそう言う。二人が此処に来てくれるなら毎日ご飯だって作る。だから、頷いてほしい。そう思い片手に拳を作れば、隣に立っていた銀さんが『そういや、ババアが話しあるって言ってたわ。この時間はまだババアも寝てるし、今日夕飯食ったついでに行ってやってくんね?下のババア』と下を指差した。
「お登勢さんが?」
「そうそう。話の間、時臣見てっからよ」
そこまで話を聞くと、流石の冨喜さんもお登勢さんからと言われれば断れないようで頷いてくれた。
「じゃ、じゃあ夕飯作ってますから、何時になるかわかったら連絡ください!」
そのことが嬉しくて、声が弾んでしまった。そんな僕を見て、冨喜さんが『正直、夕飯まで手が回らなかったんです。助かりました。新八くん、ありがとう』と言ってくれた。でも、お礼を言いたいのは僕のほうだ。今日も来てくれてありがとうございます。できれば、これから毎日来てほしいです。
「その……また電話しますね」
「おう。迎えに行くからちゃんと言えよ。帰って来る途中に電話掛けんじゃねぇぞ」
「え、お迎えまでいいですよ」
「迎えに行くアル!私もお迎えに行きたいネ!銀ちゃんだけズルいアル!」
お迎えに遠慮する冨喜さんに何故か神楽ちゃんが必死に手を上げていて、そんな神楽ちゃんの姿に少し驚いていたけれども、すぐに『じゃあ、待ってるね』と冨喜さんが小さく笑った。
「いってらっしゃい!」
「気を付けて行ってくるアルよ〜」
「いってらっしゃい」
僕、神楽ちゃん、銀さんと見送りの言葉を言えば、冨喜さんに手を繋がれたときおみ君がそれはもう満面な笑顔で『いってきます!』と手を振ってくれて、そして冨喜さんも、少しぎこちない感じだったけど『い、いってきます』と手を振ってくれて、それに小さく手を振り返す銀さんをチラリと見る。
「お前らね、何企んでんの」
玄関が締まってすぐ、そう零した銀さんを無視して、神楽ちゃんと一緒に親指を立てた。
***
台所の隅から隅を行き来し、僕は大急ぎで夕飯を作っていた。
「食べないでねって言っておいたのに!なんで卵かけご飯食べちゃったの神楽ちゃん!」
「私から食べたんじゃなくて卵から来たアル。私くらいになると卵から来てしまうネ」
反省の色なんてものを一切感じない神楽ちゃんの発言に血管が一つ二つブチ切れた音がしたが、今はその時間さえ惜しいと手を動かす。
神楽ちゃんが夕飯で使おうと思っていた卵を使ってくれたおかげで、買い物に走るというタイムロス。こうしている間にも冨喜さん達は此方に向かっているわけで……。
「けぇたぞ〜」
「わぁぁぁ、帰ってきちゃった!おかえりなさい!」
「時臣―!冨喜―!おかえりアル!ついでに銀ちゃんもナ!」
玄関が開いたと同時に迎えに行っていた銀さんの声が台所にまで届いて、お迎えに行くと騒いでいたくせに、いざ行く時になると『遊び過ぎて足が痛いアル。一人で行ってこいヨ』なんて言っていた神楽ちゃんがすぐさま台所から出て行った。足はもういいんだ?と笑えてきた。神楽ちゃんなりに気を使っているらしい。
作業をしていた手を止めて、玄関に向かえば、行きとは違い少し荷物が増えていて、それを銀さんが神楽ちゃんに居間まで運べと渡している。
「おかえりなさい」
「ただいま!しんぱちさん!」
「はい、おかえり」
僕に気付いたときおみ君にそう言えば、可愛らしい笑顔と同時に返ってきて、それに続いて冨喜さんからも『ただいまかえりました』と返ってきた。なんだか、一気に家族が増えた気分だ。いや、増えたんだ、家族が。
「新八君、これ、少しですがいただいてもらえると」
「わぁ!ケーキですか!ありがとうございます!あ、冨喜さん、すみません。まだ夕飯ができていなくって……お腹空いていますよね」
冨喜さんから受け取ったケーキの箱に視線を落としながら、そう言えば、『お手伝いさんが此処に居ますよ』と自分を指差した冨喜さんに涙が出そうになる。なんというか、フォローが上手な人だ。
「なに、まだ夕飯出来てねぇの?」
「うっ、はい、すみません」
「じゃあ、先にババアのとこ行ってくれば?時臣は神楽と遊んでるだろうし、夕飯出来る頃には話も終わって丁度いいだろ」
そういう銀さんに、それもそうかという顔をした冨喜さんだったけど、すぐに『いや、でも』と言った。きっと、迷っている理由は僕の手伝いだろう。
「じゃあ、冨喜さんが帰ってくるまでに作っておきますから、ゆっくり話してきてくださいね!ゆっくりですよ!」
ゆっくり話してきてくれたらその分時間ができる、という意味で言ったのが通じたのか、冨喜さんがおかしそうに笑い『では、ゆっくり、話してきますね。すみませんが時臣のことよろしくお願いします』と言って、入って来たばかりの玄関を出て行った。
***
「ぱっつぁん、どうすんの?」
「どうしましょう」
食卓には夕飯が並べられており、時計を見れば冨喜さんが出て行って10分も経っていないように思える。もっと掛かるとばかり思っていた夕飯が意外に早くできてしまった。神楽ちゃんとときおみ君に視線を向ければ、まだお腹が空いたという感覚はないのか定春とじゃれ合っている。この感じならあと30分はご飯の存在には気付かなさそうだけど、ご飯はひんやりと冷たくなっているだろう。
銀さんをチラリと見れば、夕飯の中にあった出し巻き卵を一切れつまみ、ジャンプを読んでいる。
「銀さん、僕、夕飯が出来たことだけ伝えてきます。あの、それ以上つまみ食いしたら銀さんが隠している大人のアレやコレやの場所を偶然ときおみ君か冨喜さんが見つけてしまうかもしれないのでやめてくださいね」
すすっと出し巻き卵に伸びていた手を止めて、え?お前場所知ってんの?と言いたげに冷や汗を流しながら僕に視線をやる銀さん見てから草履を履いて階段を下りていく。
辺りは既に暗くなっていて、街灯が点いている。でもお登勢さんのお店はまだ開店時間ではないからか、看板に灯りが点いていない。
きっとお登勢さん達は込み入った話しをしているだろう。お店に入るタイミングに気を付けなければ、と戸に近づけば、中から冨喜さんの声が聞こえた。
「何故妊娠したのか不思議でした」
その言葉が聞こえて慌てて戸から離れて傍にしゃがみ込む。
ままままままずい、これ!?入っていいタイミングとか無いですよね!?あんの!?これ入っていいタイミングとかあんの!?!?
思わぬ冨喜さんの言葉に心臓が暴れているような気がして胸を抑える。聞いてしまった……と慌てるも、冨喜さんの言葉が何度も頭の中でリピートされる。
「そりゃアンタ、することしたからだろうさ」
「そ、そうなのですが、避妊はしっかりしていたはずなんです。いえ、避妊も完全なものではないとわかっているんですが」
「そりゃアンタ、アイツが意図的に避妊しなかっただけじゃないのかい?」
「それはないと思います。いつも、そんな無責任なことはしない、なんて言う人でしたから……だから、きっと避妊具に不備があったのだと思います」
いや、それ、多分ですけど、あの人、意図的にコンドーム着けなかった気がするんですけど。もう結婚する気満々できたし、ついでに子作りもしとくか、みたいなこと考えちゃうくらい、あの時の銀さんは頭ん中お花畑だったと思うんです。冨喜さんの中で銀さんってどれだけ誠実な男に見えているんだろう……あ!ほら、お登勢さんも同じこと思ってますよ!『いや、それは、いや、アンタ、それは』って何か言いたげだし!!
「まぁ……不備があろうとなかろうと妊娠したに違いはないさ。アンタはアイツが望んじゃいないと思ったわけだ。まぁ、アイツの普段の物言いからそう思うのは仕方がないとは思うがね」
「………いいえ、私が未熟だっただけです。言うべきでした。あの時に言っていたら、銀時さんにも選ぶ道があったと思います」
「でも、アンタは産みたかったんだろう。だからおろせと言われる前に逃げたんだね」
「今思えば、そんなことを言う人ではないと、話し合ってくれる人だとちゃんとわかっているのに、あの時の私は」
「母親ってのは、色々考えちまうもんさ。子がまだ豆粒みたいな姿でも、心の奥底で守ってやらないとって思ったんだろうね。そん時のアンタはもう母親だったのさ」
戸付近の壁に背を預けて、お登勢さんと冨喜さんの話を聞く。聞いていいものだとは思わないけど、何故か立ち去ろうとも思わなかった。
店の中で話されるソレは、僕にはあまりにも遠い世界の話のようで……、『もう一杯飲むかい?』『いえ、四年ぶりに飲んだので、この一杯だけで』という会話が聞こえてくる。
「で、今はどうなんだい?もう銀時にも知られてるんだ。アンタの心も十分に成長しているだろう?」
「……どうなのでしょう。自分で成長したと思っているだけのような気がします。銀時さんには本当に申し訳なくて。知らぬ間に自分の子どもが居たなんてこと……できれば、知りたくはなかったでしょう。里帰りの五日間程度ならあの人の行動範囲からも遠いから大丈夫だなんて。軽率でした」
「縁ってもんはどこまでも繋がってくるもんでね、遅かれ早かれ知ることさ」
「縁ですか。本当にその通りかもしれませんね」
「銀時から結婚を申し込んだって聞いたよ」
「………」
「断られたみたいだがね」
「時臣を想うならお受けするべきで……、でも、銀時さんがこの先歩いていくはずだった未来を奪っているような、そんな気になるんです。今は時臣という存在を知って、決断してしまっていますが、少しゆっくりと考えてもらいたくて、後から後悔してほしくないんです」
「アンタは後悔してんのかい?」
それはときおみ君を産んだことに後悔しているのかと、お登勢さんは聞いているのだろうか?その言葉に思わず膝を強く抱える。
瞼の裏に浮かぶのは可愛らしい笑顔のときおみ君で……、冨喜さんの口からそんな言葉、聞きたくない、と強く目を瞑る。
「いいえ、後悔はしていません。お登勢さんはもう時臣を見ましたか?私に似ていますが、時折銀時さんにそっくりで、可愛くて愛しくて、こんなに愛しいものが世界にあるんだと時臣が教えてくれたんです」
『だから、そこに後悔という感情を持ち込むくらいなら、私達を切り捨ててほしいんです。私にも時臣にも、そんな後悔は要りません……と言っても、私が言える立場ではないのですが、でも、銀時さんが自分のことを考えて、自分が幸せになれるほうに進んでくれればいいと思います。……時臣には私の勝手で寂しい思いをさせてしまっていますが』
そう、静かに、でも力強い言葉に、僕の目からぽろりと涙が零れて、眼鏡に水溜まりを作る。
銀さんも銀さんだけれども、冨喜さんも冨喜さんだ。
銀さんは一度断られたからと言って身を引いたわけじゃない。
冨喜さんの気持ちに気が付いたから、一歩引いたんだ。今の冨喜さんに伝えるのは早すぎると悟ったんだ。
そして、冨喜さんも銀さんのことを想って身を引いている。万事屋から早く帰ろうとしたのは銀さんの悩む時間に、責任という文字をなるべく考えさせないようにするためだろう。
互いが、互いを想って身を引き合っている。良くも悪くも似たもの同士なんだ。
鼻水が垂れる感覚に啜れば、ずずっと小さく鼻が鳴った。
お店からはお登勢さんの『これで切り捨てられても、アンタもまだ若いんだ。時臣の父親なんてすぐできるさね』なんて、思ってもいないことを言っている。銀さんが切り捨てるわけがないと、誰よりもわかっているというのに。
『此処でなら泣いてもいいんだよ。見ての通り誰もいやしない』と珍しく優しい声を出すお登勢さんと、『ありがとうございます。でも、泣いていいのは時臣と銀時さんだけと決めているので』と答えた冨喜さんの声を聞きながら、膝の間に顔を埋めていると、頭をぽんぽんと軽く叩かれた。
そっ、と顔を上げれば、銀さんが立っていて、座り込んでいる僕に手招きをして階段のほうへ歩いて行く姿に、僕も腰を上げて、黙ってその背中をついて行く。
銀さんはいつから此処にいたのだろう。そんなことを思いながら涙で濡れた目元を擦り、階段を上がっていると『聞いたことは墓まで持ってけ。男が聞いていい話じゃねぇからな』とぽつりと零した。
「は!?テンメっ!神楽!!何食ってんだ!!」
「だって時臣がお腹空いたって言っていたアル」
居間に入れば、既に食事に入っている神楽ちゃんと食事には手を付けずにちょこんと座っているときおみ君がいて、そんな二人の姿に溜息を零しながらソファーにどかりと腰を下ろした銀さんはいつも通りだ。
でも、ときおみ君を見て、何かを考えている目をしている。
そんな銀さんと目が合ったのかときおみ君が少し首を傾げて、自分の目の前にあったほうれん草のお浸しが入った小皿を手に取り、それを銀さんに差し出した。
「おいしいの、いっぱい食べるとげんきになるよ?」
その言葉にきょとんとしたのは銀さんで。
「言うことまで一緒かよ」
ほんとどこまで似てんだオメェは、とときおみ君から小皿を受け取って、その小さな頭を撫でながら笑った。
その顔を見て、ほっとしてしまって。
そして、神楽ちゃんも口いっぱいにおかずを頬張りながら、にこり、と笑っている。
そこに『遅くなってしまってすみません』と冨喜さんが帰ってきて、食事がはじまったのだけど。
「おら、オメェもいっぱい食え。疲れてんじゃねぇの?顔色、あんまよくねェぞ。美味しいもん……いっぱい食べたら元気になんだろ?」
と、銀さんから言われた冨喜さんが、ぽかんとした顔をした後『元気になりませんか?』と微笑んで、銀さんが『なるな』と静かに答えていた。
きっとそれは銀さんと冨喜さんの思い出の言葉なのだろう。
「ババアと何話したんだ?」
「明日、雪降りますね、って話をちょっと」
「明日晴れですけど」
銀さんなりに、冨喜さんなりに、いろんなことを考えていて、そして沢山の言葉を飲み込んでいるのだと知った夜だった。
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四話終わり