「地主神が旅立ってどのくらいだい?」
「丁度この季節だったので、一年経ったくらいですかね」
私が住むかぶき町から少し外れた小さな神社、縁を切ることを得意とするそこの神様であるお姉さんから受け取ったお茶を飲む。
毎日毎日、誰かの縁を切る此処の神様はたまにこうして誰かと会話をしたがる。いや、神様というのは少し寂しがり屋なのだろう。この一年で知ったことの一つだ。
お菓子を持ってこさせようと傍に居た神使に手で合図をしている神様に「お構いなく」と言えば、少ししょんぼりされてしまった。その様子に笑ってしまう。
きっと長居させようと考えているのだろう。
「もう季節が巡ったか、早いものだ。神使に地主神を呼んで来いと言ってそなたが来た時は、腰が抜けるかと思ったが、そうか、もう一年か」
やれやれ、と笑いながらお茶を啜る神様に私も笑みを零す。だがあの日、部屋に鹿が入って来て、腰が抜けるほど驚いたのは私のほうだ、というのは黙っておこうと静かにお茶を飲む。
今頃楽しんでいるのだろうか、と言う縁切り神様の言葉を耳に、丁度一年前に出会った地主神様を思い出し「ええ、きっと楽しんでいますよ」と返す。
今でこそ、江戸の地主神なんて位置に立っているが、私は人間だ。
母から生まれ、友人達と寺子屋で学び、成長した。平凡で穏やかな人の道を歩んでいた。
そんな日々がガラリと変わったのは丁度一年前。
夕飯の買い物を済ませ、家に帰っている途中のことだった。
江戸で一番大きな神社の石段にお爺さんが座っていた。それだけなら、声を掛けることもなかったのだが……そのお爺さんが泣いていたのでつい声を掛けてしまったのだ。
人生の先輩とも呼べるいい大人が、いや、ご老人が、まるでお母さんに怒られた小学生の如く身を縮こませて泣いていたら誰だって気になってしまうだろう。
そのご老人こそ、江戸の地主神様だったのだが。
「前々から江戸の外が見たいと、宇宙に行きたいと世迷言を言ってはおったが、よもや本心であったとは」
土地の神であるお爺さんは江戸から出ることは出来ず、でも外の世界が見てみたいと思っていたそうだ。そこで、地主神としての力を入れても大丈夫な器をずっと探していたらしい。江戸一帯に網を張り、自身の力を一時的に保管できる、いわば貸倉庫を探していた。でも、この網に掛かる神様も動物も見つからず、泣いていたところで引っかかったのがこの私だった。
「それも、まさか、人の子が器になるとは思いもよらなかった」
「それ、地主神様にも言われました」
「だろうな。だが、よく馴染んでおる。そもそも別の神の力を己に取り込むなど我々でさえ不可能に近い。合う器を探すなんぞ、余程の阿呆でなきゃやらぬ」
「まぁ、こうして合う器が見つかってしまったんですけどね。生き別れの兄妹かもしれない兄妹いないけど、とお爺さんに言われました」
「一緒にするなと言うてやれ。もうそなたが地主神でよいのではないか?あの者より、そなたのほうが余程江戸の為に動いてくれておる。代理などやめて己のモノにしてしまえばよい」
「いやいや、私は人間ですから。神様達みたいに何千年も生きられませんし。やはりこの江戸には元気なお爺さんが合っていますよ」
その返しに、縁切り神様が口角を上げて「元気過ぎるのも困りものよ」と言う。私が会ったことのある神様達は、代理などやめて本当の地主神になれと言うが、何だかんだ言いながら子どものように純粋で元気な、あの地主神様のことを大事に思っている。
「早く会いたいですね」
この江戸から離れない、それだけでいいと言われ受けた話だったが、呼ばれること、やることが多い気がするのは気のせいか?と帰ってきた地主神様に言うのを待ち遠しく思いながら、会話を楽しむ縁切り神様の顔を見た。
キリっとした狐目で、きつめの美女である神様が向日葵のようにほんわりと笑っている姿に私の頬も緩む。
私との何気ない会話でこれほど喜んでくれる存在など、そういないだろう。人の幸せを願い縁を切り、でも誰よりも縁を大切にしたい神様。
本当に優しくて、かわいい神様だと思う。
「聞いておるのか鈴?」
「え、はい……すみません、聞いていませんでした。なんでしたか?」
「ぼうっとしておるな、暑いか?人の子は暑くても寒くても弱ると聞いたからな。誰かうちわを持ってこい。鈴に風を送ってやれ。……そろそろ扇風機なるものを置くべきか」
「いやいや、大丈夫ですから」
奥で控えているのだろう神使を呼ぶそれを慌てて止めたのだが、仕事が早い神使さんがうちわを持って現れてしまった。さすがに扇いでもらうのは申し訳ないのでうちわだけを受けとると、別の神使さんが冷えた麦茶を持って来てくれ、それにもお礼を言って受け取る。
そして私と神様の邪魔にならないように距離を取ったかと思えば、4、5名の神使さん達がうちわを扇ぎだし、私の髪がそよ風で揺れる。いや、あの、ほんとうに申し訳ない。
「あ、ありがとうございます。自分で扇ぎますので、あの、ほんとうに」
「うむ、よい風だ。では、話しに戻るが、公園裏の山神がおっただろう?先日うちの神獣が姿を見たと言っておった……徐々に力を取り戻しつつあるようだ」
「あの、あの、本当に大丈夫なので、神様、止めてください。申し訳なくて会話どことじゃないです」
ああ、あの山神様と思うも、扇いでもらうなんて贅沢をしたことがない私はそれどころではなく。そんな私の姿を見て神様が下がれと手で合図をしてくれた。すすす、と奥へ消えていく神使さん達に再度お礼と頭を下げてから、神様にもうちわのお礼を言えば、嬉しそうに微笑んでくれたそれを見て話しに戻る。
「神獣様にもお姿が見えましたか、良かったです」
「ああ、本当に喜ばしいことだ……また一つ神を失うところであった、私からも礼を言う」
「お礼なら江戸の子ども達に。私の代わりに毎日山を登ってお掃除してくれる女の子がいるんです」
「ほう、子か……それは山神も大層喜んでいるであろう。此処にも子が来んものか」
神様の羨ましがる声を聞きながら、山神様を思い浮かべる。
かぶき町に公園があるのだが、その裏手の大きな山の中に山神様はいる。私の顔くらいの小さな鳥居、小さな社。来る者がいないのだろうと一目でわかるほどに生い茂った草木。
人に忘れ去られた神様は消える。人で言えば亡くなると言えばいいのか。神様にも永遠はないのだと、この時にはじめて知った。
同じ神様達にさえ見えないほど弱りきった山神様を見つけたのは奇跡に近い。
眠っている時、無性に悲しくなり泣き出してしまったのがきっかけだった。そして深夜にも関わらず体が山へと向かい、小さな鳥居を見つけたのだ。
江戸から神様が消える。それを私の中の神様が感じ取ったことがわかり、その日から毎日小さな社へ足を運び、消えないでと願いながら手入れをした。最初こそ声さえ消えていた山神様に声が戻ったのは山通いをはじめて一週間ほどしたころだ。
丁度その日、猪を肩に担いだ少女と出会ったのは。
気絶している神獣である猪様を担いだ少女が山神様の社の後ろから出てきた時は、神殺しが現れたかと思い卒倒しそうになったのだが、その少女は私が山神様の社に供えたお饅頭の甘い匂いにつられて来ただけだった。
そして自分用にと買ったお饅頭を、その少女にあげたのだが、もっとくれと言われてしまい。それならば……と、一日に一回私が働くお店に来たらお饅頭をあげるから、この社にお饅頭を届けてくれないかと聞いてしまった。
私も人間ではあるけれど、残念ながら今は神寄りで、山神様の力を早く戻す為にも人の手のほうがいいと考えた末の交渉だった。
結果、『マジアルか!』と猪様を肩から落として喜んだ、ちょっと語尾に特徴のある少女はあの日から毎朝、お饅頭を持って山を駆け上ってくれている。
本当に毎朝。ちゃんと来てくれるものだから、山を登るのもつらいでしょうから無理はしないでね、と言ったのだが、頬いっぱいにお饅頭を詰め込んだ少女からは『あの山は私の庭ネ』と何とも頼もしい返事だったことに笑ったのは、つい最近のことだ。
そして、少女――神楽ちゃんが何でも屋さんの従業員であることを知ったのはつい二日前のことである。
『手伝いが必要な時はここに電話するアル』と言って渡された名刺には、万事屋銀ちゃんとあり、あの年齢で働いていることにも驚いたが、何より、お饅頭を報酬に従業員さんを勝手に借りてしまったことに申し訳なく思った。
それに、あの年齢で働いているのには何か事情があるはずだ。もしその職場がインセンティブ制度だったのなら、神楽ちゃんの給料にも影響する。
「あ、もうそろそろ行きますね」
「もう行くのか?もう少しおればよいものお」
「私ももう少しお話ししたいのですが、これから行く場所があるので」
「そうか、また来るとよい」
「はい、次は西瓜を持って来ますね。皆さんで食べましょう」
そう言い立ち上がった。
向かう場所は、万事屋銀ちゃんだ。
神楽ちゃんに手伝ってもらいたい、そう正式に依頼する為に。
***
「……あ、ここだ」
神楽ちゃんから受け取った名刺にはお店の地図はなく住所だけだった為、道に迷うかもしれないという覚悟をしていたのだが、意外にあっさり着いてしまった。
どうやら、この万事屋銀ちゃんはこのかぶき町では有名らしい。
道を聞いてみたら一発で「ああ、銀さんか!」と教えてもらえた。
スナックお登勢さんの横の階段を上がり、玄関前に立つ。
訪問することはあらかじめ神楽ちゃんに伝えてはある。ただ、伝えた時間より30分早いが、いいだろうか?
そう、思いながらもインターホンを押す。
「はいはーい」
えらく怠そうな、伸びた返事と共に玄関を開けてもらえて視線を上げる。
お店の名前からしてこの男性がオーナーさんだろう、そう思うのは綺麗な銀色の前髪から覗く赤い瞳を見たからだ。
「あの、え!?あの!落としましたよ!?」
神楽さんから紹介を受けまして、と言う為に口を開けたのだが、目の前の男性が持っていたいちご牛乳のパックをストンと足元に落としたことで違う言葉が飛び出す。
落ちたパックから、とくとく、と薄ピンクの飲み物が玄関を染めていく。
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三話終わり