銀さんが少し変だ。
「おい、新八。もっといい茶出せ」
「いや、出せるお茶これしかないんですけど」
お客さんに出すお茶を用意する為台所に居た僕に顔を寄せて、小声で話し掛けてくる銀さんはどうも落ち着きがない。いつもならお茶出しは僕に任せて銀さんはさくさくと依頼内容を聞いているというのに……。
「茶菓子あったっけ?」
「今まで出したことも無いのにあるわけないじゃないですか。そもそも、あったとしてもすぐ無くなるのがうちですよ」
「……さっき食べたプリン残しとくんだった」
「あ、そういえば昨日頂いたチョコレート、僕の分食べてないのでそれ出しましょうか?」
「………食べちゃった」
「アンタ本当いい加減にしろよ。僕一つも食べてないんですけど。何のために三等分したんだよ」
台所の棚を開けてお菓子を探すその背中を眺める。
ついさっきまでソファーでいちご牛乳片手に鼻をほじっていた人物とは思えないほど、あたふたとしている。
そうなった原因はお客さんが来てからなのだけど。
「銀さん、此処は僕がするので早く依頼の内容を聞いたほうがいいですよ。お客さん待ってもらっていますし」
僕がそう言うと、銀さんの動きがピタリと止まり、いつもなら煩いくらいに動く口をきゅっと閉じた。その表情はどこか緊張しているように見える。本当にどうしたというのだろう。依頼をお願いしたいと言う女性のお客さんには僕も挨拶をしたけれども、銀さんと知り合いという風ではなかった。でも、銀さんはあの女性を知っているように見える。
「そうだな。よし、ババアのところから良い茶と茶菓子持って来い新八。無かったらいちご牛乳を出そう」
「出せるかそんなもん。ちょっと銀さん、本当にどうしちゃったんですか?落ち着いてくださいよ」
「これが落ち着いてられるか、お客様が神様なんだよ」
「それを言うならお客様は神様でしょ。銀さんにそんな精神があったなんて僕驚きですよ。茶菓子は僕がどうにかするので、お茶を持って行ってください」
ほらほら、と銀さんにお茶の乗ったお盆を持たせて台所から出せば、銀さんもやっと応接室兼居間に行く決心がついたらしく、お盆を持って歩き出す。歩き方が少しぎこちないけど、本当に大丈夫なのかな。
いつもと様子が違う銀さんに少し不安を覚えながらも、茶菓子の代わりになりそうなものを探す。運よくお登勢さんからお裾分けで貰った林檎を見つけたと同時に、応接室から『お待たせしました』と仕事用の銀さんの声が聞こえてきた。『粗茶ですが』なんて言葉を使う銀さんに少しぞっとしながら林檎を剥いていく。
『はじめまして。ここの社長をしています坂田と言います。今日はどういったご用件で?』
『はじめまして、山田と申します。依頼をお願いしたく来たのですが、まずお詫びさせてください』
『お詫び?』
『数日前から神楽さんにお手伝いをしていただいておりまして、正式な依頼もせず従業員さんをお借りして申し訳ありませんでした。こちら、つまらないものですがお詫びの品として受け取っていただけると……』
なんとも礼儀正しい女性の言葉を耳に、こんなお客さんは珍しいなと感心してしまう。銀さんもそんな女性にいつもの調子が出ないのか、というか神楽ちゃんが何かお手伝いをしていたなんて話は初耳だった為『え?あ、お気遣いなく』なんて声が聞こえてくる。
どうやらこの女性は、今日万事屋に来ることを神楽ちゃんに伝えていたらしい。その神楽ちゃんは朝から遊びに行っているうえ、そんな話を聞いていない銀さんは『へぇ、そうだったんですか、申し訳ありません。後で注意しておきますんで』と何かを堪えているような声で謝っている。きっと心の中で『あの酢昆布娘エェ!!』と怒っているに違いない。
依頼内容は神楽ちゃんがお手伝いしていることをもう暫く継続してほしいというもので、そのお手伝いとは山の中にある社へ一日一回饅頭をお供えして、気が向いた時に掃除をするというものだった。
猫探しよりも断然楽な依頼だ。でも地味な仕事でもあるから、きっと銀さんは神楽ちゃんか僕に任せるだろうなと思いながら綺麗に剥けた林檎を持って僕も応接室に入る。
「林檎なんですが、よかったらどうぞ」
「ありがとうございます」
山田と名乗る女性の前に出すと柔らかくお礼を言われ、僕の頬が緩む。なんだか、和む雰囲気を持っている女性だ。銀さんがペースを崩されるのもわかる気がする、と僕も銀さんの隣に座る。僕が腰を落ち着かせたところでまた銀さんが話を進めた。
「依頼はお受けします。で、饅頭とかは此方で用意すればいいですか?指定のものとかは?」
「ありがとうございます。お饅頭は私が働いているお店に来ていただければお渡ししますので、そちらを持って向かっていただければ、お店は此処になります」
そう言ってバッグから働いているというお店のチラシを取り出したのを僕が受け取る。お店の名前は和遊、僕が生まれるより前からある甘味屋だった。どおりで銀さんがこの女性を知っているはずだ。きっと山田さんが勤めるお店にも食べに行っているんだろう。
「此処ですね、わかりました。神楽ちゃんが行けない日は僕が行くと思うのでよろしくお願いします。僕、志村新八といいます」
「新八さん、私は山田鈴といいます。こちらこそよろしくお願いします。社がある場所は地図でお伝えしても逆に迷われると思うので、神楽さんに一度ついて行かれたほうがいいかと思います」
「わかりました、そうします」
ゆっくりでも早くも無い、何とも言い難い心地よいトーンで話してくれる山田さんに元気良く返事をすれば、にっこりと笑ってくれた。なんだか、寺子屋時代の優しい先生を思い出す、いや、足を骨折して入院した時の優しい看護婦さんかも……。
綺麗な女性を見て顔が火照るのとは少し違う、心がほんわりと温かくなる感覚ににこにこしていると、銀さんの肘で脇腹を突かれた。
ちょっと、なんですかもう……と銀さんに視線を向ければ、僕の脇腹を突いたことなど無かったかのように山田さんに営業スマイルを送っている。
「従業員が行けない日は俺も行きますんで」
え!?銀さんも行くんですか!?と驚くもお客さんの前で声に出して言えるわけもなく、ただ、こういった依頼は面倒くさいと僕たちに任せっきりにするくせに……。
そう思い、ちらりと銀さんを見ればその横顔はえらく穏やかだ。一体銀さんの中で何が起こったのかは知らないが、だらけるわけでもない、ボケるわけでも、ツッコむわけでもない。ただただ、仕事の内容を話しているだけの銀さんの雰囲気がいつもと違い穏やかなことに気持ち悪く思いながらも嫌ではなかった。
***
「えー!!鈴来たアルか!?会いたかったネ!」
「会いたかったネ!じゃねぇよ!!大事なことは先に言え!オメェのせいで碌なもてなしもできなかったんだぞコッチは!茶菓子に林檎出した俺の身にもなれ!」
「鈴、林檎好きアル。果物が好物って言ってたヨ」
「え、まじで」
山田さんが帰り、というより玄関どころか階段の下までお見送りしたうえ『お気をつけて〜』と軽く手を振る銀さんに危うく吐きそうになったし、山田さんが座っていたソファーに二拍手して何かぶつぶつお祈りしている銀さんに塩を叩き投げようかとも思ったし、終始気持ち悪かった銀さんだけど神楽ちゃんが帰ってきたことでいつもの調子が戻ったようだ。
いつもシャキッとしてほしいなとは思っていたけど、いざその姿を見ると気持ち悪くてしかたがないことがわかり、何とも言えなくなった僕は夕飯の支度をした。
「んじゃ、明日から依頼がスタートすっから行く順番を決めまーす」
「はいはい!私が行くアル!」
「はい、却下。銀さんが行きまーす」
「今まで私が行ってたアル!これからも私でいいネ!」
「しょうがねェなぁ、じゃあ、こうしよう。月から土曜日か俺、日曜日が神楽な」
「一日しかないネ!嫌アル!」
「その前に僕が一日も無いんですけど」
「だって新八、眼鏡で忙しいだろ?」
「眼鏡で忙しいって何だよ」
チラシの裏に適当に書かれたシフトもどきを三人で囲み、ああでもないこうでもないとペンを取り合いする。
***
「鈴〜、来たアルよ〜」
朝9時、最終的に三人で行くこととなり、山田さんが勤めている甘味屋の入り口から神楽ちゃんが声を掛ければ、中から山田さんの声が返ってきた。そして暖簾を少し上げて『神楽ちゃん、おはよう』と出てきた山田さんに神楽ちゃんが嬉しそうに笑っている。
最近、神楽ちゃんが早起きだったのはこの為だったんだね、と納得する。『今日も時間ぴったりヨ』と胸を張って言う神楽ちゃんに山田さんが『本当にぴったり、記録更新』『昨日はごめんネ。約束してたのに』『いいの、いいの、気にしないで』と二人は楽しそうだ。
そんな二人を見ていたら、山田さんが神楽ちゃんから視線を上げて僕と銀さんを見る。
『おはようございます』と挨拶をしてくれたそれに僕も返事をすれば、隣に居た銀さんが『お、おはようございます』と何故かたじろいでいる。
またまたおかしくなっている銀さんも気になるが、山田さんが朝食替わりなのだろうサンドイッチを出してくれて、僕達がそれを食べている間にお饅頭の用意をしてくれるらしい。
「ちょっと銀さん、その貧乏ゆすり止めてください。神楽ちゃんも銀さんの真似しないの。というか、僕の裾を掴むのやめてください。着崩れるじゃないですか」
「ば、馬鹿っ、これが貧乏ゆすりに見えんのか。どう見ても震えてんだよ。俺の足、生まれたばっかの子バンビになってんだろぉが」
貧乏ゆすりだと思っていたそれはどうも違うらしいのだけど、隣に座り僕の着物を掴む銀さんにじゃあなんでそんなに震えてんだよ、と思ってしまう。まさか、昨日また飲みに出たのだろうか?二日酔いからくる震えならもう救いようがない。
僕の着物を掴み震える銀さんと銀さんを真似て貧乏ゆすりしながらサンドイッチを食べる神楽ちゃんの間に挟まれてハァと溜息を零す。
「唐揚げが好物なはずだわ、納得だわ。唐揚げで作られた筋肉だよアレ。あーくそ、なんで見えんの、まじで」
「もぉ、銀さんシャキッとしてくださいよ。銀さんのサンドイッチ神楽ちゃんに食べられちゃいましたよ?」
何を言っているのかはっきりとは聞こえないが、額を抑えて唸る銀さんを叱りながら店内を覗けば、山田さんが神棚の手入れをしている最中だった。
山田さんは神棚をちゃんとする女性なのだろう。父上もよく姉上に神棚をしっかり手入れするように言っていたなと思い出す。
天井近くにある神棚は山田さんの背では到底届くものではなく、脚立を使っている山田さんの背中を見て長椅子から腰を上げる。僕が席から立ったことで引っ付いていた銀さんが「あ、ちょ、新八くぅーん?」と情けない声を出しながら付いてきた。この人、何が何でも僕の着物から手を離す気は無いらしい。
「あの、良かったら僕手伝います」
声を掛けたことで少し高い位置に居た山田さんが振り返る。
脚立に上って作業をしている女性を見ると何故こんなにも心配になるのだろうか、と不思議に思う。きっと一人でも出来るのだろうけど、落ちでもしたら危ないし、男として手伝わなければという気持ちになるのはきっと生活の中で姉上という女性が近くに居るからだろうか。
「え、そんな、大丈夫ですよ。ありがとうございます」
山田さんにやんわりと断られたのだが、脚立に上がったまま神棚を拭きはじめたその姿を見上げていると、奥から店主であるお爺さんが顔を出し『してもらったらどうだい?』と言った。
鶴の一声とでも言えばいいのか。そのお爺さんの一言で山田さんが『じゃあ、お願いしていいですか?』と少し遠慮気味に脚立から下りて来た。
「はい!もちろんです!拭けばいいですか?」
「その前に手洗いうがいをしましょう。神棚に触れる時は必ず清めてから」
「は、はい!」
「あと、掃除を始める前に一言声をかけてから」
『これからお掃除させていただきます、と、急に触られると神様も驚いちゃうので』と神棚に手を合わせて、こうやってするんですよというように教えてくれる山田さんの言ったことを全てしてから綺麗なタオルを掴んで脚立を上がる。
神棚の手入れというのはただ拭けばいいとか、そんなものではないらしい。自身が無知であったことに少し恥ずかしく感じながらも、新しいことをまた一つ覚える、また一つ賢くなるということにわくわくしてしまう。
脚立の下から山田さんが教えてくれて、それを頭の中にメモするように手を動かしていく。山田さんがこまめに手入れをしているのだろう神棚はもともと綺麗で、でも手入れをしている自分の気持ちも綺麗に、さっぱりとする。不思議で楽しい。
「終わりました。次はどうしたらいいで……」
教えてもらっていたことを全て終えて振り返ったのだが、そこで言葉が詰まった。脚立の傍に立ちこちらを見上げながら驚いたように固まっている山田さん。そんな山田さんの着物というか腕を両手で掴み身を寄せながらこちらを怯えたような瞳で見上げている銀さん。
「ぎ、ぎんさん、あんた何してるんですか!?」
僕の着物ならまだしも、山田さんの腕にしがみ付くのは駄目だろ!!
僕の声に銀さんは一瞬不思議そうにしていたのだが、やっと自分が山田さんの腕を掴んでいたことに気づいたのだろう。ギョッとした顔をして山田さんの腕からそぅっと手を放している。
「す、すみません。そのぉ〜そこに腕があったからつい掴んじゃったといいますかァ……」
冷や汗をだらだら流しながら小さな声で謝る銀さん。山田さんは掴まれて驚いてはいたけど怒ってはいないらしい。『気にしないでください』と返ってきた。これがうちの姉上だったなら……急に二の腕を掴まれようものなら今頃銀さんは地面にめり込んでいただろう。山田さんの言葉に銀さんもほっとした顔をしていて、僕も僕で、銀さんのせいで稀に無いほど常識人な山田さんに嫌われずに済んだことにほっと胸を撫で下ろす。
「山田さん、終わりました」
「あっ、ありがとうございます。手伝っていただいて本当に助かりました。新八さんにお掃除をしていただけて、きっと神様も喜んでいます。では、最後にこれでお掃除を終わらせていただきますと伝えて下りてきていただけますか。あっ、下りる時は気を付けて……」
最後の最後まで作法があることに驚きながらも脚立を下りはじめた僕を見上げながら両手を伸ばしている山田さん。きっと僕が足を滑らせて落ちた時に受け止めようという意味での腕なのだろうことに微笑んでしまう。こういった心配をされるのはもう無いと思っていた。それがどこか照れ臭くも嬉しい。
僕の足がちゃんと地に着いたことを確認すると山田さんが『じゃあ、私はお饅頭の用意をしてきますね』と言って店の奥に入って行った。
「山田さんって素敵な人ですよね……ああいう女性がかぶき町に居たってことに驚きを隠せないんですけど」
しわを伸ばすように両手で袴を叩きながら銀さんを見れば、何故か銀さんが自分の両手をじっと見ている。
「銀さん?」
僕の声が聞こえていないのか、両手をじっと見ていた銀さんはその手を合わせてそのまま額に付けた。祈るようなポースだ。
そして合わせていた手を離し、両手で顔を覆ってしまった。
「ぎ、ぎん、さん?」
その一連の行動を見ていた僕の心臓が急に鳴り出した。
だって、まるで……まるで……いや、銀さんに限ってそれは……、え、え、ちょっ。
『ハァ』と小さく溜息を零した銀さんのそれは、もう僕がそうだと思っているからか嫌に甘酸っぱい。
童貞だし、恋愛も胸を張って言えるほどの経験が無い僕だけど。流石の僕にもわかる。
そういえば、山田さんがうちに初めて来た、昨日も様子がおかしかった、というか気持ち悪かった。そして今日もまた山田さんの腕を掴んだ両手をじっと見て、顔を覆って、甘い溜息を零すという気持ち悪さ。
銀さんの表情は見えないけれども、銀さんの心臓の音が僕にまで聞こえてくるような感覚に顔が徐々に熱くなる。
銀さん……あんた、もしかして。
僕よりもうんと年上で、いざという時は頼りになる。追い付こうにもなかなか追いつけないほど大人に感じていたそんな銀さん。――そんな銀さんでも恋をするのだと初めて知った。
「おかわりヨロシ?……新八、凄い顔してるアル。どうしたネ、腹でも下したアルか?」
サンドイッチが乗っていただろう空の皿を手に、店内に顔を覗かせた神楽ちゃんが視界に入ったが、僕は未だ両手で顔を覆う銀さんから視線を外せなかった。
人が恋をする、気持ちが大きく動いている瞬間を初めて見てしまった。
「新八、俺、ちょっとパチンコ行ってくるわ」
照れているのか、嬉しくてにやけているのを見られたくないのか両手で顔を覆いながら歩いて行く銀さん。いつもなら仕事中だろうが!!と怒るところだが、そのいつものツッコミも出ず『え、あ、はい』と頭が回らない状態の僕からはそんな返事しか出なかった。。
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四話終わり