朝九時、店に可愛らしい少女の声が響く。
『おはようヨー』なんていう、ちょっと変わったおはようを言うのは一人しかおらず、一緒に下準備をしていたおじさんが『今日も来たねぇ』なんて笑う。
おじさん……この甘味屋の店主であるおじさんに『ちょっと失礼します』と言い、店内を覗けば、くりっとした瞳に可愛い髪色の神楽ちゃんと目が合った。その瞬間、にぱっと笑ってくれる。本当になんて可愛いのだろう。
この笑顔を見ないと一日が始まらないとさえ思っていたが、最近では神楽ちゃんの笑顔の他に新たに二つの顔が増えた。万事屋の新八さんと坂田さんだ。
どうやら三人でシフトのように順番を決めているらしく、その日にならないと誰が来るのかわからない。新八さんは丁寧に挨拶をしてくれて、偶に神棚や店のお掃除まで手伝ってくれる良くできた好青年だ。坂田さんはどうやらうちの常連だったらしく、おじさんと仲がいいらしいのだけど、一度来たきり見ていない。他の仕事が忙しいのだろう、社長さんだし。
「おはよう。今日は神楽ちゃんが当番の日?」
「そうアル。勝ち取ったネ!」
フンッ!と力こぶをする神楽ちゃんに勝ち取った?と首を傾げたが、可愛いから何でもいいやと『朝食は食べてきた?』と聞けば、『食べたけどもう一回食べるアル』と長椅子に座った。うん、いつも通りの返答だ。
神楽ちゃんが朝食を食べている間に持って行ってもらうお饅頭を用意して、長椅子に行けば、神楽ちゃんが口にサンドイッチを咥えたままこっくり、こっくりと頭を揺らしている。
「神楽ちゃん、寝ながら食べると危ないよ。今日はお山へ行くのはやめましょうか。神楽ちゃんは家に戻ってちゃんと寝ること」
「んえ!嫌アル!」
こくっと体を揺らした神楽ちゃんの肩を掴み支えれば、ハッと起きた神楽ちゃんが嫌々と首を振る。
よくよく神楽ちゃんの顔を見ると、その綺麗な目の下に薄っすらと隈がある。
「神楽ちゃん、ちゃんと寝ていないでしょう?隈があるよ」
えい、と隈がある部分に軽く触れれば、目を閉じる神楽ちゃん。
「神楽ちゃんに何かあったらと思うと心配なの、ね?今日は私が行くから」
「ンンン……私が寝不足なのも、鈴のお手伝いができないのも全部銀ちゃんのせいアル」
「坂田さん?」
「うん、昨日寝ようとしたら銀ちゃんが押し入れで寝るなって言って、銀ちゃんの隣で寝かされたネ。オヤジ臭いしいびきは煩いし、最悪だったアル」
「え?神楽ちゃん押し入れで眠ってるの?」
「寝心地最高アルよ!」
へぇ、と驚いたけど、にこにこと笑う神楽ちゃんを見る限り、本当に好きで押し入れで寝ているようだ。それに小さいうちでしか押し入れで眠れないだろう、成長すれば押し入れが狭く感じてくるはず。なら、今は好きなところで眠ってほしい。小さいうちにしかできないこともあるし……。
押し入れの素晴らしさを私に教えてくれている神楽ちゃんが『今度一緒に寝てみるネ。きっと鈴にも押し入れの良さがわかるアル!……それに好きな押し入れと大好きな鈴が居れば私が嬉しいネ』なんて最高に可愛いことを言ってくれる。
「じゃあ、今度一緒に寝かせてもらおうかな」
そう言えば『うん!』と満面な笑みで頷いてくれた。その笑顔は可愛らしく、そして輝いていて、きっと山神様も神楽ちゃんのこの明るさを愛おしく思っているだろう。
あの日、あの場で神楽ちゃんと出会ったのは偶然ではなかったのだろうと最近よく思う。
***
インターホンを押して暫くして、『へ〜い』と気の抜けるような声が聞こえたことに口元が緩む。二度目となるその声を誰が出しているのかわかるからだろう。
初めて会った時はしっかりしていそうな人だと思ったが、こういう返事を聞くとそうでもないのかも。
その人の新たな一面を見られるというのは嬉しいことだ。新たな一面を発見するということはそれだけの付き合いがあるということで、その人とはもう他人ではないという気がするからだろう。
からから、と戸が開き、まだ眠っていたのだろう。乱れた甚平に手を突っ込みボサボサの頭を掻きながら欠伸をする坂田さんが出てきた。
「坂田さん、おはようございます」
「ん、はよ…………おはようございます」
挨拶をすれば寝ぼけながらも短く返してくれたのだが、ふっと赤い瞳と目が合った瞬間、丁寧な挨拶が返ってきた。
「お休み中のところすみません。その、神楽ちゃ……神楽さんが眠ってしまったので」
「え、あ、ああ。すみません」
「いえいえ……えっと、このまま運びますか?」
あの後、私と一緒に寝るという約束を交わした神楽ちゃんが嬉しそうに抱き付いてきて、そのあまりの可愛さに抱きしめ返したのだが、神楽ちゃんがそのまま眠ってしまったのだ。
様子を見に出てきたおじさんが『おやおや』と笑い。私も笑ってしまった。
そして、神楽ちゃんをおんぶして万事屋さんに来た。
私の背中におぶられている神楽ちゃんを見て呆れた表情をした坂田さんが私の背中に回る。『なにやってんだお前は』と寝ている神楽ちゃんに言っている、その言葉遣いが素なのだろう。よくよく思えば、私に話し掛けてくる時の坂田さんはいつも言葉に詰まっていることが多い。
「えー、あの、このまま神楽持ち上げてもいい?ですか?ん、違うな?よろしいですか?」
今なんて特に寝起きということもあるのか、ちょっとおかしな敬語になっている。
「あの、坂田さん」
「はい」
「もし良かったらなのですが、坂田さんの話しやすい言葉を使っていただいて大丈夫です」
「……………やっぱり俺の敬語おかしいですか?」
「……………ちょっとだけ」
私の背中に回っている為、坂田さんの表情は見えない。大人である坂田さんに敬語がちょっとおかしいと言ってしまったことに気付く。私はなんて失礼なことを、私だってちゃんとした敬語を使えないのに。
どうやって謝ろうと考えていれば、ふと背中の神楽ちゃんが少しだけ軽くなる。
「あーー、その、じゃあ、そうさせてもらうわ」
「え?」
「敬語じゃなくてもいいんだろ?」
「あ、はい……大丈夫です」
「じゃ、神楽持ち上げるから」
神楽ちゃんの両脇に坂田さんの手がしっかりと差し込まれたのを背中に感じた。此処からは坂田さんが神楽ちゃんを抱えてくれるのだろう。
『よっ』という掛け声と共に背中に感じていた重みが軽くなった瞬間、首に回っていた神楽ちゃんの腕が私の首を絞める。つまり私が軽く海老反りになるということで……。
「ッ!?」
「は!?テメッ!神楽!ちょ、いったん戻すぞ!」
「はっ、はひ」
一度軽くなった背中にまた重みが返ってきた。
それでも神楽ちゃんはまだ夢の中らしく、むにゃむにゃと小さく零しながら私の肩に頬を乗せて気持ちよさそうだ。
「悪い、大丈夫だったか!?怪我は!?してねぇよな!?」
あたふたとしながら正面に来た坂田さんの過剰なまでの心配ように笑ってしまう。きっと神楽ちゃんのことも普段からこうやって心配しているのだろう。なんだかその姿は父親のようだ。もしかしたら見た目こそ似ていないが神楽ちゃんのお父さんなのだろうか?どちらにしても良いお父さんなのは変わりない。
「大丈夫です。ありがとうございます」
「はぁ、びっくりした。まずその首に巻き付いてる神楽の腕をどうにかするわ」
「良かったらこのまま神楽ちゃんの寝室まで運びましょうか?押し入れでしたっけ?」
「は!?いや!大丈夫!押し入れは今封鎖してるから!」
いやいやいや!と首を振る坂田さんに『そうですか、じゃあ、私が神楽ちゃんの腕を解きますね』と言えば、坂田さんが頷いてまた背中に回ってくれた。
首に回っている神楽ちゃんの腕をやんわり掴めば、神楽ちゃんが小さく笑う。一体どんな夢を見ているのだろう。さきほどの海老反りのこともあり、もっと力が入っているものと思っていたその腕は、案外すんなり外れ。坂田さんが『外れたか?おーし、持ち上げっからな』と再度神楽ちゃんの脇に手を差し込んだ。
背中の温もりが離れるだろうそれを待っていれば、ふと何かの気配を感じ、神楽ちゃん達の家の中に視線を動かす。
以前、依頼に来た際に通された部屋の戸からひょこっと顔を覗かせているご老人と目が合った。
耳に『ゆっくり〜ゆっくり〜』と謎の掛け声で神楽ちゃんをそっと持ち上げようとしている坂田さんの声を聞きながら、このご老人は人ではないと観察する。
あやかしの類にも似た気ではあるけれど、どこか違う。多分、神の類だろう。この一年沢山の神様に出会ったからこそ感じ取れるようになった神気、あやかしの気の類にも慣れてきた。いよいよ自分が普通の人間とは呼べなくなってきている虚しさを感じながらも、何故ここに居るのかを考える。
社などではなく、何故神楽ちゃんの家に居るのか。
家に憑くとすれば座敷童や付喪神の類が多いし、家系に憑くとすれば動物の類が多い、守護霊という可能性もあるが、そのような感じでもない。
神楽ちゃんに隈があるのも、坂田さんが昼前という時間になっても眠そうなのも、このご老人の影響だとしたら……。
「いででで、神楽!それ銀さんの髪だから!食べもんじゃねぇから!どんだけ食いしん坊なんだよテメェは!まじで放り出すぞ!痛い痛い!抜ける!」
悲鳴混じりの坂田さんの声に、ご老人から視線を外さないようにしていた気がパチンっと緩む。
「地主様じゃーーーー!!」
「ッっ!?」
「うおっ」
ドンっとお腹に突進するように抱き付いてきたご老人に倒れる!と思ったが、それはお腹に回された腕と背中に感じる熱によって支えられたらしい。
「あっぶね」
私が後ろへ倒れる。つまり、後ろにいた坂田さん達も巻き込むわけで……坂田さんは神楽ちゃんを抱えたまま、胸で私を受け止めてくれたようだ。
「地主様!お待ちしとりました!」
「す、すみません。その、足がもつれてしまって……支えていただいてありがとうございます。助かりました」
「地主様にお会いしとぉて!神気を辿って参ったのですが、何故かこの家に着いてしもうて、良かった、本物の地主様じゃ!」
「……いや、そりゃいいんだけどよ。いや、よくねぇな、足大丈夫?」
「先ほどの神気は見事でしたじゃ!このあんさんらを守らんと家一帯に結界をはられましたな!お見事でしたじゃ!儂は手も足も動かんかった。代理と言えど力は本物ですじゃ!」
「……はい。あの、神楽ちゃんは……」
「いやいや、名乗るのが遅くなりましたが、儂は貧乏神と申します!」
「……ぐーすか寝てらぁ」
地主様!地主様!と私のお腹に抱き付いたまま歓喜しているのだろうご老人を見下ろしながら、神楽ちゃんも無事であったことにほっとする。
でも、まずい状況なのは変わらない。
問題はこの貧乏神と名乗るご老人をどうやって外に連れて行くか。
当たり前のことながら、坂田さんにはご老人の姿も見えていないだろうし、声も聞こえていないだろう。はたから見れば、私が一人で転倒した、そんな感じになっている。
坂田さんとご老人に挟まれて動けない状態なのだけど、坂田さんからすれば私がなかなか離れてくれないように見えるだろう。
ご老人の肩を掴んで離すことも考えたが、それをすると私が宙を掴んで何かしているようにしか見えない……ど、どうしよう。
変に思われないような方法でと考えていると、支えるように私のお腹に回っていた坂田さんの腕に力が入り、ご老人ごと私の体が持ち上げられ、中途半端に倒れていた私の足がちゃんと地面に着いた。嘘……坂田さん力持ち。
「ほらよ」
「ありがとうございます」
「ん」
するっと坂田さんの腕が離れ、やっと自身の足で体を支えることには成功したが、お腹に引っ付くご老人は健在である。
ちょっと大変だろうけど、お腹に引っ付けたまま外に出よう。
「では私はこれで。神楽さんにはまた今度お願いしますと伝えていただけますか?」
「それさ、俺らの前で神楽のことさん付けで呼ぶように気を付けてんの?別に気にしなくていいんだけど」
「………一応、社長さんの前だったので。従業員さんを馴れ馴れしく呼ぶのもどうかなと」
「んな酢昆布娘にさんもちゃんも勿体ねぇと俺は思うけど。見てみ、この涎だらけの面、さんって面か?」
「そこも可愛いなと思います。じゃあ、神楽ちゃんにもよろしくと」
「おう」
少し素直とは言い難いそれに、坂田さんはちょっと不器用そうだなと小さく笑えば、そんなことを思われているとは知らない坂田さんが口角を少し上げた。
さて、じゃあ貧乏神様を連れて行きましょうかと玄関の戸に手を掛けた私のお腹からご老人が離れた。
「地主様、どちらに行かれるんかの?お出掛けじゃろか?では儂は此処で留守番をしとります」
「………」
「………」
「あんさん、何しとるんじゃ。地主様のお出掛けじゃ、はよ用意し……何黙っとるんじゃ?どうした?儂のこと忘れてしもうたんかの?人の子は百年やそこらのこともすぐ忘れるからの、ほれ、昨夜便所で尻を拭く紙が無いと騒いで、儂が持って行ってやりましたじゃろ?」
そう言って、ご老人が坂田さんの着物を掴み……、まるで坂田さんにご老人が見えているような風に言っている。そういえば、貧乏神様が好むのは押し入れと聞いたことがある。そして神楽ちゃんは昨夜、坂田さんが押し入れで寝かせてくれなかったと――……。
「坂田さん……あの」
「……はい」
「地主様、このあんさんは地主様の神使か何かですじゃろ?地主様の神気も纏っておやれるし、儂の姿も見えておるようですじゃ、そうじぁろうと思うとったんです。儂、大層世話になったですじゃ。あんさんのおかげで人の言葉も少し覚えましての。何か褒美をあげてくれんじゃろか?」
「もしかしてなのですが」
「……」
「見えてます?」
尋常ではないほどの汗を流す坂田さんが視線を彷徨わせたのだが、私の目を見て小さく、こくり、と頷いた。
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第六話終わり