その傷を目印に


 ――パタン

「…………」
「そんなに睨まないで下さいよ、ひよ里サン」


 朝緋サンが研究室を出ていったのを見届けてから、不服そうにこちらを睨む彼女へ、落ち着かせるように声をかける。……こういう時のひよ里サンは、少し厄介だ。


「ウチのせいで朝緋が怪我したって知っとるクセに、なんでわざわざ理由聞いたんや」
「…………」
「アンタ、朝緋がなんて答えるかって試したんちゃうやろな」


 やはり聞いてくるだろうと予想していた質問に、用意していた答えを淡々と口にする。


「違いますよぉ。……朝緋サンが自分の怪我をどう思ってるか分かれば、ひよ里サンの罪悪感も少しは薄れるかと思いまして」
「……オマエ、」


 誰かのため、だなんて狡い言い方だと心の中で苦笑いをする。自分の好奇心を満たすために用意する建前は、いつだって後付けされたものばかり。


「その左手、どうしたんスか?」
「――危険な薬品って知らなくて触れてしまって、ちょっと火傷しちゃって。全然大したことないんですけど、念の為に包帯を」


 
 ……彼女は、嘘をついた。本当はひよ里サンを庇った怪我だったのに。彼女はあたかも“自分の不注意が原因”だったかのように、ボクに怪我の理由を語った。……たとえそれがひよ里サンを傷付けない為だったとしても、彼女は顔へ出さずに嘘をつけるタイプだったわけだ。
 ならばやはり、彼女はボク達に話してないことがあるのだろう、と。様々な可能性を列挙し、仄暗い思考に絡め取られそうになった瞬間――


「いえいえ全然、もう平気ですよ。技局特製の塗り薬が効果抜群で!ほら、」
「ええ、わ、笑わないでくださいよ。何も面白い事してないですって」



 彼女の見せた素朴で素直な一面に、思わず拍子抜けしてしまった。彼女の手の動きを見ていれば、痛みを隠してることぐらい簡単に分かる。それでも“平気だ”と伝えようとしたのは、やっぱり……ひよ里サンを傷付けたくはなかったから、なんだろう。それにしたって、わざわざ手を握って開いてを繰り返して治っているアピールをする彼女が、見た目や雰囲気の割には随分子供っぽく見えてしまって。どこか張り詰めた空気を纏っていた彼女の、素の人間らしさが垣間見えたような気がした。

(……ボクは一体、何を確かめようとしてるんスかね)

 
「……さっきアナタが朝緋サンに持っていかせたこの書類。製薬の許可申請。ひよ里サンが作ろうとしてるの、火傷の治療薬っスよね?……彼女のための」
「…………」
「ボクが居ない間に起きた事故なら、ボクにも責任がある。だからこの薬は、ボクに作らせてください。ね?」

 
 そう言ってひよ里サンの返事も聞かずに、彼女が出した許可申請に「不承認」の判を押して突き返す。あぁこれでまた、彼女を怒らせてしまうんだろうな。――そう分かっていても、ボクにはこういう向き合い方しか出来ない。
 

 ――バシンッ!!

「痛――っ!!」
「勝手にしとけ!!!!」


 案の定、手加減無しの張り手が容赦なく頬へ飛んでくる。その衝撃は頬を通り越して脳内がクラクラと揺れるほどで。……流石、ボクの副官だ。
 
 でも、もしかしたら。他人の痛みを背負おうとしてしまう彼女たちは、少し似ているのかもしれないな、と思った。だとすれば、尚更――


 ――ガチャ

「お茶お持ちしました〜……って、あれ?ひよ里さんは?」

 
 湯気の立つ湯呑みを盆に乗せて戻ってきた彼女は、きょろきょろとひよ里サンを探しながら、室内にいる局員達へ丁寧にお茶を差し入れていく。その様子から、これだけの人数がいる局員達の事を、ある程度把握して接しているんだろうと感じた。その細やかな気配りから、より一層彼女の人柄が浮かんで見える。……断定するのはまだ早いが、きっとボクが疑っているような悪意を持つ人物ではないのだろう。


「はい、浦原隊長も。お疲れ様です」
「どうもっス。……ひよ里サンなら、他の用事があるみたいで隊舎に向かったっスよ」


 ボクの席まで回ってきた朝緋サンにそう答えると「……あら、そうだったんですね」とだけ返して、彼女は机の上にそっと湯呑みを置いた。

 だがその時、ほんの一瞬、彼女の視線がボクの頬へと移ったのを見逃さなかった。未だにジンジンと痛む頬には、くっきりと痕が残っているだろう。しかし、彼女は何も無かったようにくるりと踵を返して自席に戻っていく。
 ボクの前に残されたのは、湯気の立つ湯呑みと、何も言わず立ち去った彼女の背中だけ。


「…………」


 ……てっきり、彼女なら声を掛けてくると思ったのに。
 あれは、あえて見て見ぬふりをしてくれたんだろうか。

 

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