繰り返す過ちの中で問おう



 「……ふぁ……ねむ、」


 欠伸をひとつ噛み殺しながら、棚の隅に積まれた箱を覗き込む。小さな小窓しかないこの倉庫は、真昼間だというのにやたら薄暗くて眠くなる。唯一の頼みである天井からぶら下がった電球は、既に切れていて役に立ちそうもない。仕方ないので代わりの電球を探しがてら、ついでに倉庫の整理もしてしまおうと思い立ったのが数十分前のこと。
 
 何に使うのか見当もつかない奇妙な器具から、普段よく使う実験道具の予備まで、ごちゃまぜに押し込まれた棚を片っ端から漁っていく。近くの棚をひとつずつ片づけながら、手を伸ばした次の木箱は、やや大きめのもの。箱の重さは大したものじゃなかったが、左手に力を入れるのは自然と避けてしまう。
 ほとんど治りかけてはいるけれど、うっかり動かせばまだピリリと痛む古傷。つい顔をしかめながらも、なんとか持ち上げた、そのとき――
 

「あれ、朝緋サン?」
「……! 浦原隊長、お疲れ様です」


 不意にかけられた声に肩が跳ねる。くるりと振り返ると、開け放した倉庫の入り口に喜助さんが立っていた。彼の顔には「こんなところで何してるんスか?」という疑問が浮かんでいて、思わず口元が緩む。
 「電球が切れてる部屋がいくつかあるみたいなので、替えを探しがてら、この倉庫の整理を」と答えると、彼は納得したように「朝緋サンは気が利くっスねぇ」と小さく笑った。


「浦原隊長は、何かお探しですか?手伝いますよ」
「ああ、いえ。……その箱、ボクが貰ってもいいっスか?」
「え、これですか?」
「はい。……何となく、そこにボクの探し物が入ってる気がするんスよねぇ」
「構いません、けど……わ、」


 彼は私が抱えていた木箱を一瞥すると、サッと近づいてそのまま軽やかに持ち上げた。……彼のその行動に何となく違和感を抱きつつも、愛想笑いを浮かべて頭を下げる。


「その箱、埃まみれなので開ける時気をつけてくださいね」
「ありゃ、本当っスね。これ、使い終わったらボクが戻しておきますんで、朝緋サンは気にせずそのまま続けてください」
「はい、分かりました」


 彼はそのまま「じゃあ、また」と私に小さく微笑んで、研究室の方へ向かっていく。その大きな背中が小さくなるまで、私は倉庫の入口から彼を見つめていた。

 
(――なんで箱ごと持っていったんだろ……?)


 ……まぁ、いっか。考えすぎだ。
 そう思い直して、私はまた棚の奥に手を伸ばした。



 ***


 
 倉庫を片付けていると、埃をかぶった数冊の本を見つけた。どうやら長らくこの場所に放置されていたらしい。せっかく綺麗にした倉庫に置きっぱなしにする訳にもいかず、元の場所へ戻そうと書庫へ足を運ぶ。やるべき仕事はひと通り終えたし、本を返したら少し休憩でもしよう。そんなことを考えていて――そう、完全に油断していたのだ。

 パチリ、と書庫の照明をつけた瞬間。室内の奥に人影が浮かび上がる。

 ――息が、止まった。


「おやおや、こんな所で君と会うとは、偶然だネ」
「……っこんにちは、涅副局長」


 胸の内がざわつく。思わず声が震えた。

 まるで、石膏で出来た肖像のように真白な肌。それに相対するように、真っ黒に塗りつぶされた目元。そこから向けられた下劣な視線は、まるで私の品定めでもしているかのようだった。
 ……よりによって、どうして彼がこんなところに。ていうか、なんで電気を消したままだったんだよ。怖すぎる。ここがお化け屋敷だったら絶対に叫んでたよ。
 
 背筋にヒヤリと冷たい汗が流れる。技局に身を置く以上、いつかは出会わなければならない時が来ると思っていたけれど。……避けたい。関わりたくない。そう思う相手に限って、こうして不意を突いて現れる。
 私の事を一通り“観察”したらしい彼が、これまた下劣な笑みを浮かべて声をかけてくる。しかし、その瞳は恐ろしいほど冷たくて、顔は笑っているはずなのに立ち竦んでしまいそうだった。

 ――そう、一瞬で空気が変わった。

 
「君のような“異物”が、一体こんな所で何をしているのかネ?」
「……書物を、返却しに来ただけです」
「そんな事を聞いているんじゃないヨ」
「と、申しますと?」


 ……あぁ、嫌だ、最悪だ。冗談では済まされないような、とてつもなく悪い予感がする。

 こちらの動揺を悟られないように落ち着いた言葉で返してみても、彼の目は私を“獲物”のように捉えており、とても逃げられるような空気ではない。いつものように平静を装って答えればいいと頭では分かっていても、どうしようもない恐怖と焦りがじわじわと余裕を蝕んでいった。
 
 
「君のためにあえて分かりやすく問うのであれば、“どんな目的があって瀞霊廷に侵入したのか”と聞いている」
「質問の意味が、よく分からないのですが」
「浮薄な嘘は辞め給えヨ」
「…………」


 骨まで透けて見える様だ、と。続かない先の台詞が頭を過る。

 
「君は、自分の働きが認められたからその白衣を着ていると、勘違いしていないかネ?」
「いえ。私の記憶喪失を心配して下さった隊長のご厚意で、居場所を提供して頂いていると存じています」
「フン、お前の記憶喪失が嘘である事を――あの男が気付いていないとでも思っているのかネ?」
「…………っ、」


 気にしちゃいけない、これはただの挑発。マユリなんかの言うことに惑わされて、私が挙動不審になったら彼の思うツボだ。……そう、分かってるのに。心臓は痛いくらいに激しく動き、異常を訴えている。

 
「君は瀞霊廷に侵入した“異物”であり“敵”だ。私は真っ先に君を処分するべきだと言ったんだがネ」
「違います、」
「今なお君がここにいられるのは、あの男が“研究対象”として君に興味を持ち、好奇心を満たすために“あえて生かしている”からだヨ」
「…………、」
「まぁ、仮に君が本当に敵だったとしても、君のような弱々しい生命体を殺すなど、あの男には造作もない事だがネ」

 
 ――あぁ、そうか。

 未来を語らないことは、果たして悪なんだろうか。己が知るその先を、誰にも明かさないままただ黙して見送るだけの在り方を、世界は“傍観”と呼ぶのか、“共犯”と呼ぶのか。
 私は、未来は決して語らないと決めている。私には正義を語る資格もなければ、救済を約束する力もない。ならば、語ることで生まれるはずの選択肢の重みに、運命をねじ曲げてしまった先にある、存在しえなかった可能性に、この身ひとつでどうして抗えるだろう。
 
 元の世界に帰れないのなら、この世界で生きるしかない。けれどその実、私はこの世界の理の外に立つ者だ。救いたくても救えず、知っていながら手を伸ばさない。そういう存在を、世界は――眼前の男は、“敵”と呼ぶのではないか?
 
 きっと、あの人なら。いずれ私の抱えているものに辿り着いてしまうんだろう。これは諦観ではなく、相手が浦原喜助である限り、どうしようもない事実。彼の前で隠し事を続けるなど、ほぼ不可能なのだから。
 ――ならば。私が選ばなかった道の数々を、彼は、どう受け止めるのだろう。それでもあの人は、私を“この世界の一人”として見てくれるだろうか。

 ……どうか、そうであってほしい、と。ただそれだけを信じて、思いの丈を紡いだ。

 
「……っ、ない、」
「何?聞こえなかったヨ。言いたいことがあるならもっと大きな声で、」
「私は、敵なんかじゃない!……まったく、さっきから何を訳の分からないことを仰っているんですか。私は、あなたたちを傷付けようだとか、利用しようだとか、そんなこと一切思ってません」
「ホウ。そこまで言うのなら、なぜ記憶喪失と“嘘”をついたのか聞かせてもらえるかネ?嘘をつくしかなかったんだろう?何故なら君は――」








「そこまでっスよ、涅サン」


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