夢は青薔薇と共に眠る
一体どれほどの屈辱を味わったのだろう。どれほど自分を責めたのだろう。
私の目に映るその背中は、頼もしさなんかよりも、寂しさばかりを映し出していた。愛おしさよりも、切なさばかりが溢れ出していた。
“――これは『虚化』だ”
“……スイマセン、鉄斎サン。失敗っス”
“ちょっと待って下さい! 誰がそんなことを……”
“……藍染副隊長ですか……?”
“それは全部彼のした事だ! ボク達は平子サン達を助けるためにそこに向かったんス!”
……苦しくて、切なくて。
「十二」を背負う寂しい背中へ、ほぼ無意識に右手を伸ばしていた。けれど、私の伸ばした右手は空を切るばかりで、何も掴めやしない。数歩前を歩く彼になんて、届きやしない。――届いてはいけないとすら、思う。
私は傍観者だ。部外者だ。そう思えば思うほど、手を伸ばせば届きそうなあの寂しい背中へ、両手を伸ばして思い切り抱きしめたくなる。自責の念を手放せない彼を、私の大きな愛で包み込んでしまえたら、と思ってしまう。
……恋心は捨てたはずなのに。愛情だけはとめどなく溢れ出てきて、どうしようもなかった。決して言葉に出来ないこの想いの行き場は、私の中にしかないと言うのに。ぎゅうぎゅうと痛みを訴える胸に息を詰まらせながら、嗚咽と一緒に愛を飲み下して。必死に前を向くことだけが、今の私に出来る精一杯の生き方だった。
「……何してるんスか?」
――カラン、コロン。一定のリズムで鳴り響いていた心地よい足音が、カン、と止まった。それが合図だったかのように、私の意識はすっと現実へ引き戻されていく。
ぼやけたカメラのピントを正すように。視線をゆっくりと自分の指先から動かしていけば……数歩前に居る彼がこちらを振り返り、右腕を宙に伸ばしている私を見て不思議そうに首を傾げているのが見えた。
「……花びら。掴めないかなぁ、と思って」
「…………それに何の意味があるんスか?」
「いやあの。冷静なツッコミしないでもらえます? どう考えたってそういう空気じゃなかったでしょ、今」
「朝緋サンは時々、ボクの予想をはるかに越える行動を取るんですもん。きちんと確認して記録しておかなくちゃ」
「誰が未確認生物だ、こら」
ざぁ、っと風が吹く。宙に舞った桜の花びらたちが、私たちの間をぶわっと通り抜けていく。
ひらひらと不規則にたゆたう、無数の花弁。試しに目の前で揺れる一枚へ、手を伸ばして本当に掴もうとしてみる。――けれど、そうして握った手のひらを広げても、そこには何も残っていなかった。
「……子供の頃。ひらひら落ちてくる桜の花びらを、どうしても捕まえてみたくて。やっと掴んだ一枚を、大事に手帳へ挟んだりしてたんですよ」
「……どうして?」
「さあ? 子供特有のただの好奇心じゃないですか?」
昔懐かしい、子供の頃の記憶。ただ、無意識に彼へと伸ばしていた手を誤魔化すための、都合よく引っ張り出された記憶だったはずなのに。……おぼろげにしか浮かんでこないその“思い出”に、ひゅっと喉が詰まるような感覚。
……いずれ、死神として長い年月を過ごすうちに。こうして過去のことを思い出せなくなってしまうんだろうか。翡葉朝緋として生を受けて、両親と家族に見守られて育った日々のことを――向こうの世界で生きていた頃のことを、思い出せなくなる日が来るんだろうか。
視線の先を、頭上を塞ぐ桜の木へ移す。所狭しと並んで色づく薄桃色の花弁の隙間に、透き通った青空がちらほらと顔を覗かせていた。……きっと、元の世界に生きていた私も、こうして満開の桜を眺めたことは一度くらいあったはずだ。だからどう、というわけじゃない。もう戻れない元の世界で、あちらにいた時と同じことを今ここでしたって、何かあるわけじゃない。それなのに、この気持ちは何なのだろう。胸をすく息苦しさの正体は、なんなのだろう。……このまま、桜の木を見上げて、昔のことを何かひとつでも思い出せたら。この胸に痞えるものは晴れるだろうか。そんなことを考えながら、暖かな日差しに包まれ咲き誇る桜の木を見上げていた。……鼻腔を擽る仄かな香りは、きっと、足元に咲いた菜の花の匂い。そう認識出来るのは間違いなく、私が向こうにいた頃同じ経験をしたことがあるから、で。
「――様になってるじゃないっスか」
「え?」
「死覇装。お似合いっスよ」
「……そりゃどうも」
視界いっぱいに広がる淡い薄桃色。それは甘酸っぱい恋の色。満開の桜並木を背負って、桜吹雪に包まれて。「十二」を背負う彼はまっすぐにこちらを見つめて「楽しみにしてますよ、翡葉十七席」と言って微笑んだ。
「……やめてください、その呼び方。名前だけでいいです」
この世界に来て三度目の春。
私は正式に十二番隊へ入隊して、十七席を任されることになった。
――本来この世界には、私は存在していないのに。
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