懐かしい歌が青春を連れ戻す



「翡葉十七席ー! こちらの書類の確認を――……」
「翡葉さん! 急ぎで実験の準備手伝える!?」
「あ、朝緋さん! 悪いんだけど倉庫から足りない部品取ってきてもらえない?」


 ――次から次へと溜まる仕事。書類の承認に報告書の作成、あらゆる実験の助手に駆り出され、倉庫整理などの雑用もこなさねばならない。そうして休みなく深夜まで働いて、綺麗に机の上を片付けても……翌朝にはもう山のように書類が溜まっている。毎朝研究室に顔を出す度にげんなりとして、屍のように労働する日々。……これじゃあまるで、トリップ前に逆戻りだよ。
 寝不足から来る倦怠感、眼精疲労から来る頭痛。それらに知らんぷりをして着実に目の前の仕事を片付けていき、気が付けばとっくに日が暮れている。……懐かしいと呼ぶには苦い記憶だが、労働へ対する不屈の精神を培った社畜時代の経験は、どうやら世界を跨いでも役に立つらしい。

 十二番隊十七席として、大した覚悟も決められないまま。多忙な日々を過ごしていくうちに、ただ月日だけが湯水のように流れていた。


「っはぁ〜〜〜、忙しすぎる……! なんでみんないっつもギリギリになって仕事頼んでくるんだ……」
「――言ってるそばから仕事持ってきちゃってスイマセン」
「わああ!? う、浦原隊長……! び、びっくりした……」


 背伸びをして愚痴と共にひと息吐いた午前十一時。突然背後から聞こえた声にビクリと肩が大きく跳ねた。驚いてバッと振り返れば、頭の後ろをかいて気まずそうにしながら、片手に書類を携えている彼がそこにいて。……やっべ、いまの聞かれてた?


「これ、実験で使った資料なんスけど……戻しといてもらっていいっスか?」
「……資料は溜め込まないでこまめに戻して下さいっていつも言ってますよね。それ何日分あるんですか?」
「仕方ないじゃないっスか、忙しくて論文までは書けなかったんスもん」
「――ああ、だから昨日はずっと部屋から出てこなかったのか」
「その通りっス!」
「開き直るんじゃあない! ああもう、それ持ち出し禁止のやつじゃないですか……! 窃盗ですよ、泥棒!」
「ボクはいいんスよ、隊長なんスから」
「んな横暴な……そんなんでよく檻理隊の部隊長が務まりましたね……」
「あれ、ボクが檻理隊の出身なんて話したことありましたっけ?」
「た、隊長の経歴を把握しておくのは部下として当然でしょう。それ、あとで戻しておくんでその辺に置いといて下さい」
「いつもスイマセン。じゃあ、ここ置いときますね」
「はーい」
「――それと、もうひとつお願いがあるんスけど……朝緋サン、午後から予定空いてます?」
「あーすいません。午後はちょっと先約があって」
「先約?」
「ええ。マユリさんの実験手伝うことになってるんですよねー」


 「私のせいで失敗したなんて言われたらたまったもんじゃないので、今必死に実験内容を調べてるところです」と苦笑いを浮かべて彼の方を見上げれば――なぜか彼の眦は次第にゆったりと垂れ下がっていった。……うん? なんだ? 私は彼の頼みを断ったはずなのに、彼の口元は緩やかに弧を描いていて。好奇心を映した灰緑の瞳はやがて私の手元へと落ちる。そして、横からすっと手が伸びてきたかと思えば、その手は私が広げていた資料を無言で掬い取った。


「あ、あの……浦原隊長?」
「……」
「(聞こえてないな、これ……)」


 彼が手にしているのは、これからマユリさんがやろうとしてる実験に関しての資料。……と言っても、マユリさん本人が用意したものではなく、私が下調べする為に勝手に集めて作った粗雑なものなんだけど。それでも内容に興味があるのか、こちらの問いかけには反応を示さず、じっ、と真剣に資料を読み耽っていた。……そんな彼の様子に思わず小さな笑みが込み上げる。
 好奇心を刺激されるものへと一瞬で集中してしまうのは、天才と呼ばれる所以ゆえんか、否か。しばらく資料は返ってこなさそうなので、仕方なく他の作業をすることにした。

(……あんな真剣に資料を読むほど面白い実験内容なのか……)
(さすがは浦原喜助に腕を買われた男。マユリさんも伊達じゃないなぁ)

 そんなことを考えながら書類に判を押す。もちろん内容はろくに頭には入っていない。
 ――出来上がった書類を束にして、トントンと端を整えてまとめた時。ちょうどよく「朝緋サン」と声が掛かった。


「はい、コレ」
「?」
「まずここ。多分難しく考えすぎてると思うんで、分かりやすく書いてあるところを引用しておきました」
「え、」
「この計算式も間違ってないんスけど、コッチの数字を代用した方が早い。多分、実際にやってみれば意味は分かると思います」
「……」
「あと、古い言い回しの言葉がいくつかあったんで書き換えておきました」
「……あの。なんでわざわざそんなことを」
「なんでだと思います?」
「分からないから聞いてるんですけど!」
「……まあ、アナタの言葉になぞらえるなら、部下の成長を導くのは隊長として当然だから、ってトコっスかね」
「……はい?」
「――せっかくそこまで調べたなら、少しでも理解してから実験する方が面白いでしょ?」


 にこり。そう言って今度は何かを企んだような、至極楽しそうな灰緑の瞳がこちらを向いた。


「……なんですかそれは。マユリさんの実験内容に興味があったんじゃないんですか? 私にアレが理解しきれると思ってます?」
「はは、理解出来なくても知っておきたいから下調べしていたんでしょうに」
「……そういうことを言ってるんじゃなくてですね、」
「じゃあどういう意味っスか?」
「いや、その、だから……」
「まぁまぁ、いいじゃないっスか。そこは素直に助言が貰えて助かったってことにしておけば」
「……なんかムカつく! 別に助言してもらわなくたって少しは理解出来てましたけど!」
「はいはい。分かってますって」
「嘘だ! 絶対分かってない顔してる……!」
「なんスかそれ。ボクは生まれつきこういう顔なんスけど」
「くっ、ああもう! 屁理屈ばっかり!」


 バシッと奪うように資料をふんだくって、楽しそうにニヤニヤと笑う彼から思い切り顔を逸らす。――聞きたかったことは聞くチャンスを逃し、すっかり上手く誤魔化されただけ。深く息を吸い込んで瞼を閉じ、はあぁ、と大きなため息をついた。
 ……あなたはそんなお節介を焼く人じゃないでしょうに。一体何が目的だったのやら。目線は手元にある彼の字が書き込まれた資料へ落としたまま、立ち去る気配のない隣人に向かって口を開いた。


「……それで。私に頼もうとしてたお願いって?」
「ああ、別に気にしないで下さい。大したことじゃなかったんで」
「大したことかどうかを決めるのは私です。いいから教えてください。気になって実験に集中出来ないです」
「……(頑固だなぁ)」
「何かの手伝いですか? それとも急ぎの要件?」
「……少し面白そうな案件が回ってきたので、朝緋サンにも調べものに付き合ってもらおうかなぁと思ったんスけど」
「ほーう……?」
「まあまだ時間はあるんで、もう少しボクの方で調べてからまたお伝えします。……ギリギリになっちゃうかもしれないんスけど、手伝ってくれます?」
「あっはっは、浦原隊長がギリギリなのはいつもの事じゃないですか。事前告知もないし。唐突千万とうとつせんばん、秘密主義! もう慣れてますよ」


 そうしてさっきの仕返しと言わんばかりにニッコリと笑ってやった。


「……朝緋サンって結構根に持つタイプっスよね」
「ええ。執念深いでしょう。敵に回したら厄介だってよく言われます」
「はは、それ脅しのつもりで言ってます?」
「さあ〜、どうでしょう?」
「参ったなぁ。ボク、アナタに根に持たれる心当たりしかないんスけど」
「あはは。冗談ですよ、冗談」


 作業机に向かって座っている私。一方で、彼は向かい合うようにして机に寄りかかって背を預けていた。私が座っているのも相まって、背が高い彼の顔はうんと高いところにある。……あんまり意識しないようにしてるけど、喜助さんって本当に整った顔立ちしてるよなぁ。イケメンはどこから見てもイケメンだわ。……それなのに、残念ながらあまり清潔感はなさそうなのが惜しいというかもったいないというか。この人、いつ部屋に帰って寝てるんだろう……。


「――涅サンのこと。もう平気なんスね」
「え?」
「ホラ、前に書庫で涅サンに問い詰められてたでしょ?」
「……ああ。だから今でも根に持ってるんじゃないかって、そういう話ですか? だったらもう平気ですよ。昔のことですし」


 なんともないと言うように肩を竦めれば、彼は「そうっスか」と小さく笑った。

 ――マユリさんに出されていた私への干渉禁止は、どうやら時効を迎えたらしかった。まあそりゃそうだ、同じ隊に所属する死神同士になったのだから。マユリさんに対して恐怖心が無くなったのかと言われれば、別にゼロではないけど。ただ、彼とは気まずいままではいたくなかった。
 原作キャラと仲良くしておこうとか、そういうんじゃないけれど。浦原喜助が一目置く存在なのであれば、実際に彼と関わって“目の前にいる”涅マユリを知りたかった。それと、彼の中にあるかもしれない私への“誤解”も、きちんと私の手で晴らしたかった。たったそれだけのこと。今回の実験の手伝いも、人手が足りないと困っているマユリさんに私から声をかけて進んだ話。……でも、私の魂胆を知らない彼はどうやら、私とマユリさんの不自然な距離感を気にかけてくれていたらしい。気が利くというかなんというか。研究にばっかり没頭しているかと思いきや、本当によく周囲を観察してるよなぁ。

 去り際。彼は「ああそうだ。これ、お詫びにおひとつどーぞ」と言って私の机の上に何かを置いて行った。お詫びって一体何に対しての? そう思ったけど、“それ”が置かれた場所が彼の持ってきた資料の上だったから、きっと数日分溜め込んだことへのお詫びという意味なんだろう。


「……まだ持ち歩いてたんだ、これ」


 包装用紙から取り出した、ころんと丸い飴玉。こんな小さな飴に“元気が出る”仕掛けなんてあるはずないのに。このチープな甘さを味わうたび、魔法にかかったように疲れも嫌なことも、全部吹き飛んでしまうのだ。


「……はぁ。頑張ろ、」


 ――どこにでも売っているただの飴なのに。忘れられない恋の味になりそうで困るなぁ。




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