懐かしい歌が青春を連れ戻す


「あーーもう無理疲れた! これ以上動けない、死ぬ……!!」

 ――ドサッ!


 鉛のように重たい体を引きずって、やけになって足で扉をドカッと強引に押し開けて。周囲の目など気にも留めず、自分の席にたどり着くなり崩れるようにして椅子に倒れ込んだ。


「(つ、つ、疲れた……!! すんんんごく疲れた……!!)」


 マユリさんの実験が終わったのはとっくに日が暮れた頃だった。それはそれはもう、奴隷のように散々こき使われて、危ないこととかもいっぱいやらされて。少しでも遅れたり手順を間違えたらすぐに罵詈雑言が飛んでくるし、マユリさんの機嫌を優先するか自分を犠牲にするかの二択のような状況。失敗したら爆発して吹き飛ぶ……! と、精神をすり減らし続けて手伝って、なんとか実験そのものは無事成功で終えることが出来た。しかし、長時間の実験の果てにやっと終わったかと思えば「何故もう終わったような顔をしているのかネ」「後片付けと掃除は愚図のお前の役目だろう」とか言われて。埃がひとつでも残っていたら殺す! みたいな圧を感じながらなんとか片づけを終わらせて……解放された頃にはとっくに終業時間なんて過ぎていた。いやまぁ、技術開発局に労働時間を守るなんて概念は存在しないけど。しないけども……


「(こんなに時間かかるなんて聞いてないよぉ……!)」


 机に突っ伏して、脱力。重たい瞼はかろうじてまだ持ち上がっているけれど、視線はどこでもない場所をぼーっと見つめるのみ。本当は実験データをまとめたり報告書を書かないといけないんだけど……今はそんな気力は皆無だ。慣れないことをするというのは思った以上に集中力を使うらしい。肉体労働をしたわけじゃないのに全身を襲う疲労感は実務の比ではなく、しんどい疲れた以外の言葉が出てこない。
 ……いやはや本当に。これじゃあ完全にトリップ前の社畜時代に逆戻りだ。もはやこの気だるさが懐かしくて愛おしくすら感じるよ。ははは……はぁ。


「(それでも次にやらなきゃいけないことを考えてるんだから……本当にもう病気だな)」


 今の私なら、仕事と一緒に生きて仕事と結婚出来そう。バリバリ働いて富と権力を手にして、スーパーキャリアウーマンになるのもありかもしれない。仕事が出来る女性ってかっこよくて憧れるし。うんうん、それもいいかもしれない。

 ……なんて自分を慰めていたところへ、急にふと視線を感じた。気のせいかと思ってチラっと目を向ければ、不思議なものでも見るような視線とバチリと目が合う。


「……なんやえらいお疲れやな。どないしたん」
「…………マユリさんの……実験のお手伝いを……」
「……そらご苦労さん」


 頭は動かさず机に突っ伏したまま、声を掛けて来たひよ里さんにそう答えれば……哀れだと言わんばかりの同情の視線を向けられる。……ひどい。他になんかもっとあったでしょう。
 しかし、そこでふと「あれ、今日は外で用事があるって言ってませんでしたっけ」と、本来隊舎にはいないはずの彼女へ問い掛ければ「せやから今帰ってきたところや」と言って、彼女は背負っている荷物をドカッと下ろした。それを見て、私もゆっくり頭を起こして「おかえりなさい」とへにゃりと笑えば、「……おう」と一言、ぶっきらぼうな返事が返ってくる。


「ほれ、土産買うてきてやったからこれで元気出し!」
「え、なんですかこれ」
「前に朝緋が行きたい言うてた和菓子屋のどら焼き。たまたま近いトコおったからな」
「ひ、ひよ里さん……っ! 好き……!!」
「分かったからその暑苦しい顔辞めや! うっとおしいねんボケ!!」


 差し出された包みをまるで宝物でも抱くように大切に受け取って、「いただきます!」と封を開ける。
途端に鼻腔を擽る甘い香りと、ふわふわと柔らかい生地に心が躍った。まん丸く膨れたこの形、きっと中にはぎっしりと餡が詰まっているんだろう。――ひと口食べて、期待を裏切らない上品な甘さが口いっぱいに広がり「ん〜〜〜!」と歓喜の声が漏れ出た。先ほどまで感じていた疲労感はどこへやら、大好きな甘いものを食べて一瞬で心が癒されていく。


「んふふ、おいし〜〜。これならあと十個は食べれる……!」
「……」
「はあ、なんで今まで買いに行かなかったんだろう。もっと早くこの味に出会いたかった〜〜!」
「……」
「……? なんですか、さっきからそんな風にじっと見つめて。私の顔になんかついてます?」


 いつの間に来ていたのか、ひよ里さんの隣には彼もいて。隊長副隊長が揃って無言で私をじっと見ていた。食べカスでも口の周りについているのかと手で拭ってみるけど、別になんともない。……え、な、なに……?


「……朝緋サンって甘いもの食べてる時が一番幸せそうっスよねぇ」
「奇遇やな。ウチも同じこと思っとったわ」
「そりゃあ大好物ですからね。好きなものを食べて幸せを感じないなんてありえないでしょう」
「(そういう事言ってるんじゃないんだけどな……)」
「(意味わかってへんやんコイツ……)」
「甘いものは正義ですよ。疲れを癒してくれるし、寂しい時は励ましてくれるし、裏切らないし!」
「…………さよか。ほな、もう一個あげるわ」
「えー!! いいんですかやった〜〜!! いただきまーす!」ガブッ
「「……」」


 二人からの呆れたような視線を感じるが、気にしない。今はただ、先ほどまでの苦行を忘れてこの至高のどら焼きに癒されて幸せを嚙みしめるのみ。私の至福は誰にも邪魔できないのだ……!

 ――次の休暇は和菓子屋巡りでもしよう。もぐもぐと口を動かしながら、そんなことを心に決めた。





「んあ、そうだ」ゴックン
「?」
「――浦原隊長、さっき言ってた調べもの? ってもう終わりました? 今からで良ければ手伝いますよ」


 どら焼きを頬張りながらふと、マユリさんの実験へ向かう前の彼との会話を思い出した。口の中を空っぽにしてから、疲れなどは見せないようにニッコリ笑って問い掛けてみる。すると彼は「ええ。ちょうどその件でアナタにお話しがあったんスよ、」と言って、待ってましたと言わんばかりに私の元へと近づいてきた。そして……


「朝緋サンにお願いしたいお仕事があるんスけど」
「え、ああ、はい。なんでしょう?」


 ――明日から数日間、ボクと一緒にとある事件の現地調査行きませんか?

 彼はそう言って、意味ありげに微笑んだ。



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