言葉なく愛を伝える手段
――それは、薄い三日月が天高く登った深夜のこと。今日中に終えねばならない作業を、若干の遅れもありながら無事に終わらせ、床に就くため部屋を出た時だった。廊下へ月明かりを落とす窓の向こうに、人影が揺らいだように見えたのだ。
……こんな時間に、村人だろうか。――いや、まさか。ただの見間違い、気のせいかもしれない。そう思って通り過ぎようとした瞬間、僅かに感じ取れた霊圧に――くっ、と少しだけ眉間に力が入る。
窓へ近寄って、覗き込むように人影の正体を追う。……暗がりにぼんやりと浮かぶその姿は上手く視認出来ない。けれど、先程よりもしっかり感じ取れる霊圧と人影の姿形、雰囲気が――はっきりと、彼女であることを示していた。
「……まったく。何時だと思ってるんスか」
夜更けに女が一人で出歩くなんて。――と、まず初めに頭に浮かんだその理屈を、もう一人の自分が即座にかき消していく。……いや、彼女は曲がりなりにも自分が実力を認めた死神だ。悪漢如きにどうにか出来るような相手じゃあない。むしろ、悪漢の方が返り討ちにされてボロボロになるだろう。――余計なお世話だったな、と窓辺に背を向けた。
……しかし、胸の中の
蟠りは、未だ「ここにあるぞ」と主張を続けてくる。部屋へ向かおうとした足を踏みとどまらせている。何故だかは分からないが、村はずれの方へ向かっているあの背を追いかけて、何をしているのか突き止めたい衝動に駆られる。
「……」
――何も無いなら、それでいい。どうせまた、誰かのために何かに首を突っ込んでいるだけだろう。
いつもの下駄ではなく草履へ履き替えて、診療所から外へ出た。
彼女は、ボクの気配に気がつくのが妙に上手かった。……恐らく、彼女を死神へと鍛える際、最も成長していた時期に傍へ居たのが自分だったから。彼女にとって最も馴染みがあり、最も警戒を続けた霊圧として、感覚に刻まれてしまったんだろう。
――しかし、そんな彼女でも。ボクが意図的に霊圧も気配も消してしまえば、気が付くことは決してなかった。当たり前だ、もしそれでも察知することが出来るというのなら、彼女の探知能力や勘の鋭さは夜一サンに匹敵するレベル。さすがにまだまだ、その程度には至っていない。
完全に気配を消し、一定距離を取りながら。隠密機動だった頃を懐かしみ楽しむように尾行を続ける。彼女が何のためにこんな時間に外出して、村はずれに向かおうとしているのか。それを勝手に伺い知ることへは、罪悪感はあまりない。バレないように後を着けて、是非は問わずに、何も無かったようにまた明日顔を合わせればいい。今までだって散々、そうして都合よく人の裏を暴いてきたから。――まぁ最も、今の彼女の行動は、昼間のような職務怠慢でもなんでもない。既に就寝の挨拶を交わし、業務は終えた後である。彼女は今、何をしたって自由なわけで。
(…………)
彼女が向かった先、歩みを止めたのは――村のはずれにある花畑だった。僅かな月明かりを頼りに、辺り一面に広がる鮮やかな花たちを嬉々とした表情で摘んでいる。……わざわざ花を摘みにここまで来たんだろうか? そう思ってしばらく観察を続けていると――彼女は適当な場所へ腰を下ろし、摘んだ花をなにやらいじくり始めた。
……昼間は暖かったとはいえ、夜はまだ冷える。寒さが苦手だと言っていたはずの彼女は、羽織も何も着ておらず死覇装だけだ。あんな格好のままでいて果たして平気なんだろうか。今のところ肩を縮こませたり、寒さを気にする様子はない。むしろ、ただ楽しそうに……子供のように夢中になって手元を動かしている。
「……何してるんスか?」
「わ!? び、びっっっくりしたぁぁ〜……」
彼女は大きく肩をビクリと跳ねさせて、勢いよく振り返った。大きな目を丸めてこちらを見上げるその様子に、相も変わらず期待通りの反応を返してくれるところへ気分が良くなる。どうしてこの人がここに居るんだろう、と。誰かが尋ねてくるなど夢にも思わなかったという顔をしている彼女に「寝ようと思ったら、アナタが外へ向かうのが見えたので」と、ぼかした言い方をすれば「別に仕事が嫌になったからって抜け出そうなんて思ってないですよ」と、妙にズレた答えが返ってきた。……別にボクも、アナタを脱走犯だと思って追いかけに来たわけじゃないんだけどな。
「……花冠?」
「ええ。可愛い恋をしてる子達を応援したくって、ね」
「死神の次は恋の神様にでもなるつもりっスか?」
「あはは、いいですねそれ。まあ、そんなところです」
彼女はそう答えながらも、指先は動かしたまま。「花冠なんていつぶりに作るだろう。もう思い出せないくらい昔なのに、案外手が動きを覚えてるものですね」と笑っていた。確かに、彼女の言う通り、指先は慣れ親しんだように迷いなく動いている。
……意外だな、と思った。彼女の性格からして、幼い頃はどちらかと言えば、男児に混ざって遊ぶような活発な子だと……あの負けず嫌いと頑固さを遺憾無く発揮した、勝負事に果敢に望む姿が思い浮かぶのに。遠い過去の出来事でも手先が覚えているほど、花冠を何度も作るような……そんな女の子らしさがあったとは。口に出したらきっと、「私の事なんだと思ってるんですか」なんて小言を言い返されるだろうけど。
「……両想いの子達がいるんですよ。こんな環境でも、お互いを大切に思う素敵な子達が。だけど、男の子の方が最近なんだか恥ずかしくなっちゃって、女の子に意地悪ばっかりしちゃうんですって」
「……」
「女の子はそれが寂しくて、本当はもっと遊びたいし優しくして欲しいのに、上手く言えなくて。もどかしいけど我慢するしかないみたいで。……本当はお互い大切に想い合ってるのに、そんなの寂しいじゃないですか」
「……だから、花冠?」
「ええ。この花冠を男の子から貰えば、女の子はすごく喜ぶでしょうから。――花を贈る、それだけで気持ちは十分伝わるはずですし」
「……そんなに上手く行くもんスかねぇ?」
素朴な疑問だった。花を贈るだけで、恋愛のいざこざが――ましてや、子供同士だというのに。その行為の裏に隠された想いなど伝わるんだろうか。大人ですら、言葉を用いても気持ちを伝え合うことが難しいというのに。
「――花を貰って嬉しくない女の子なんていませんよ。それがましてや、好きな人や大切にしている人が相手なら、尚更」
「!」
「女性へ花を贈るのは、何も告白だけの行為じゃありません。相手の幸せを祝ったり願ったり、祝福の意味もあります。もちろん、日頃の感謝を伝えることだって出来る」
「……ええ」
「あなたも、贈ってみたらいいんじゃないですか? 案外、喜んでもらえるかもしれませんよ」
「?」
「……って、大貴族の姫君相手じゃ、お花なんて贈れないか」
「――……」
――どくん、と。心臓が嫌な音を立てて、強く動いた。
彼女は笑っている。いつもみたいに、少しだけあどけなさの残る綺麗な笑顔を浮かべている。……それなのに、得体の知れないこの感覚は何なのだろう。喉元へ込み上げてくるこれは、一体、なんなんだ。
「……アナタも、」
「?」
「朝緋サンも……花を貰ったら嬉しいんスか?」
「そりゃもちろん、当たり前でしょう。自分が貰っても嬉しくないものを人へ渡そうだなんて思いませんよ」
「……はは。そりゃそうっスよね」
「――辺り一面の花畑の中で、花と一緒に愛も贈られる。……最高に素敵じゃないですか。私はそういうベタで王道なの、結構好きですけどね」
――どくん、と。今度は正確に、ハッキリとした原因を持って心臓が動いた。
……まただ。また、あの時と一緒だ。直観的にそう思った。だって、口では実に女の子らしい憧れを話して、確かに笑っているのに。――そう、彼女は笑っているのに、それが“少しの期待も希望も抱いていない眼”をしていたから。……あの時の、線香花火の夜に見た、全てを諦めたような眼に重なって見えた、から。
例えようのない漠然とした何かに、この心臓は大きく強く動かされていた。言い知れぬ何かに支配されたように、喉の奥はぎゅっと詰まり、背筋にぞわりと何かが這う。……おかしい、これは一体、なんなんだ。どれだけ思考を巡らせても正体にはたどり着けない。
きっと、この女がいつもみたいに、自信に満ちた顔で笑ってくれていたら。こんなことにはならなかっただろう。それだけは、この場で唯一ハッキリと確信を持てた。
「ふふ。きっとすごい喜んでくれるだろうなぁ。今から楽しみで寝れないや」
「……」
「……」
「……」
「……浦原隊長?」
「…………それ、もう明日も子供たちと遊ぶ前提になってるじゃないっスか」
「あ、」
「……」
「……ちょ、ちょっとだけ……す、少しだけ様子見しに行っちゃダメ、ですか……?」
「ダメって言ったら?」
「い、言わないで……下さい……」
「……ハァ。まったく、仕方ないなぁ」
彼女は恋をしているのだと、いつだったか独り言を耳にしてしまった時から知っていた。きっと彼女の恋い慕う想い人は、彼女に似た素敵な人物なのだろうと。勝手に、彼女の恋を純粋で幸せなものだと思っていた。どこかでそう思い込んでいた。
しかし、たった今、その思い込みは呆気なく粉々に打ち砕かれた。ガラガラと大きな音を立てて、何かがどんどん崩れていく。
――女というのは、あんなにも幸せを手離したような顔で恋をするんだろうか。
- 108 -
戻る | 次へ
表紙
TOP