傲慢で怠惰なエゴイズム
私に客人が訪ねて来るなんて、一体どこの隊の人なのだろう。入隊してからは基本的に十二番隊での業務ばかりだったから、他の隊との関わりなんてほとんどないはずなのに……。
(……よし、)
ごほん、と咳払いをひとつ。
扉の向こうにいる人物の見当がつかないまま、少しだけ緊張しながら声を掛けて扉を開いた。
「――失礼します。十二番隊第十七席、翡葉朝緋です。お待たせして――」
「やぁ、翡葉さん! 久しぶり〜! 元気だった?」
「! あ、あなたは……!」
扉を開いた先。そこにいたのは――椅子に腰かけて本を読んでいる、丸眼鏡をかけた銀髪の男性。
「り、輪堂先生……!?」
「いや〜、急に呼びつけて悪かったね。大丈夫? 忙しくない?」
「わ、私は全然、手が空いてるので平気ですけど……ど、どうしてここに輪堂先生が……!?」
私はてっきり、客人はほかの隊の死神だと思い込んでいた。予想とはまったく違う結果を前に、驚きと衝撃が全身を駆け抜ける。ぽかーんと開いた口は塞がらないし、ぱちぱちと瞬きも止まらない。そんな私の様子に「はは、驚きすぎだよ」と、輪堂先生は乾いた笑い声とともに懐かしむような目線を投げかけてきた。
「実は彼と約束をしてて訪ねて来たんだけどさ。なんか急ぎの用事が入ったとかでまだ戻ってきてないみたいで」
「な、なるほど……そういえば、定期的に義手のメンテナンスがあるとか言ってましたね」
「そうそう。それで、彼を待っている間にせっかくだし、教え子の様子でも見ておこうかなぁと思って」
「――要するに、私を呼んだのは“ついで”ってことですね。……まあいいですけど。まったく、そんな大切な約束があるのにあの人はどこへ行ってるのやら」
「あれ。なんだ、彼がどこにいるか知らないの?」
「あの人が何してるかなんて逐一把握してませんよ。ただでさえ秘密主義な人なのに」
「ははっ、それはたしかに」
輪堂先生はそう言って読んでいた本をぱたりと閉じて机に置き、ずずっとお茶を啜って一息つくと――ニコニコと楽しそうな笑みを浮かべてこちらを向いた。
「……いやぁ、もうすっかり死覇装が板に付いてるね。顔つきも頼もしくなった気がするよ」
「そうですか?」
「うん。昔から真面目で凛々しい雰囲気だったけど、またさらに一皮剝けたような感じする」
「はは、買い被りすぎですって。私はただの新人隊士ですよ」
「え〜? でも入隊してすぐに席官へ抜擢されたんでしょ? 霊術院でも噂は聞いてるよ」
「それはたまたま、十二番隊が人手不足で十七席が空席だっただけです。勘弁してください」
「相変わらず謙虚だねぇ〜、もっと自信もってよ。僕は教え子が優秀で鼻が高いんだから」
「……優秀なのは私じゃなくて、私の能力を引き出してくれた“あなた方”でしょう」
じっ、と彼の目を見据える。……謙虚だと言われようが、卑屈だと思われようが。これだけはどうしても譲れないし、誤解されたくないから言っておきたかった。
私はただ、周囲の人に恵まれただけ。浦原喜助に基礎を教わり、それを最適な形で伸ばしてくれたのが輪堂先生。私の実力は伸びるべくして伸びたもの、私がすごいわけではないのだ。そう伝えると……輪堂先生はふっと息を吐いて目を伏せて「まぁ、それもそうかもしれないけどさ」と静かに呟いた。
「……僕から言わせてみれば、君の努力の天才だよ」
「え?」
「今まで何十年といろんな生徒を見て来たけどさ。そんな僕の眼で見て、君の卒業には三年かかると思ってたのに。君、本当に宣言通りに二年で卒業しちゃうんだもん。はっきり言ってそんなのあり得ないよ」
「……なんかすいません」
「いんやぁ、謝ることじゃないよ。それだけ彼を支えたい気持ちが強かったってことでしょ? さすが愛の力だね!」
「――ぶふっ!!」
「純愛だよねぇ。そんな素敵な恋してる子、今時なかなかいないよ?」
「ちょ、あの、」
「それでどうなの? 進展はあった? まさか、この期に及んでまだ告白しないとか言っ――」
「うるさーーい!!」バッ
「んんー!? んー!!」
「一旦黙って!!」
ダァン! と机に身を乗り出して、向かい合って座っている輪堂先生の口を咄嗟に手で覆って塞いだ。まったく、久しぶりに会ったかと思えばすぐにこれだ! この人は私をなんだと思ってんだ!?
「やめて下さいよ! 誰かに聞かれたらどうするんですか!」
「ぷはっ! ――だ、誰かにって。君が彼のことを好きだってこと、見る人が見ればすぐ分かると思うけど!?」
「は、!?」
「あぁ、心配しなくても本人は気が付いてないから大丈夫! 彼、昔から自分に向いてるそういうのだけは疎いから」
「……」
「だから、君はそのままで平気だよ」
「……周りにバレバレなら平気じゃないでしょう」
「えー、今更じゃない?」
「……」
……周りにバレバレだなんて絶対嘘だ、揶揄ってるだけだろう。そう思うのに……約二年、目の前の男とそれなりの信頼関係を築いてきた私の心は、彼の言葉が嘘でも揶揄いでもないと言っていて。…………え、本当に言ってる……? マジで……??
「心当たりないの? 君の周囲にいる人は気が付いてると思うけど」
「(……そういえば、この前の現地調査で会った女の子……!)」
「……」
「(それに、随分前に真子さんにもすぐバレた気が……!)」
「……あるみたいだね、心当たり」
「ぐっ……」
「まぁ大丈夫でしょ。君みたいな子は別に珍しくもないし」
「……」
「……」
「……」
「……そうだ。僕が贈った小説読んでくれた?」
「……え、あ、まあ。読みましたよ」
「おお、どうだった? 一冊くらいは気に入ってくれたのがあったんじゃない?」
「……あの、旅人と街の花屋が恋に落ちる話は切なくて面白かったですね」
「フフ。そうでしょうそうでしょう。君ならそれを気に入ってくれると思ったよ」
「――旅人が自分の立場に悩みながら、それでも花屋の娘を追いかける。あの健気な姿を見ると、やっぱり追われる恋っていいなぁって思いました」
「……ふぅん?」
「旅人が自分と居ても幸せにはなれないからって、娘を想って突き放そうとするでしょう? でも、結局はもうとっくに手離せないぐらいに大切で、最後はなりふり構わず追いかけるじゃないですか。そんな風に愛されるの、ロマンチックで素敵だなぁって。胸を打たれましたね」
「なるほどねぇ」
「……なんですかその顔は。乙女思考だとでも言いたいんですか」
「いや? ――君も、本当は追いかけて欲しいんだなぁって思って」
ピシッ、と。その瞬間、まるで空間に亀裂でも入ったかのような緊張感が生まれた。
――それは、私が核心を突かれたから……ではなく。目の前にいるこの男が、私を逃さないと澄み切った青い瞳の奥を光らせているからで。
「…………何が言いたいんですか」
「前々から気になってたんだけどさ。今、はっきりした」
「――君、彼に告白しないことを選んでるんじゃなくて……“そんなのを望んじゃいけない”と思ってるんでしょ」
数か月前の、桜がまばらに咲いていたあの日。餞別と称していくつもの恋愛小説を贈ってきたこの男は、再会をした日には感想を聞かせて欲しいと、確かにそう言っていた。私はそれを、ただ教え子を見送る為に用意した些細なものだと聞き流していた。しかし、本当は――単なる別れ際に交わした挨拶などではなく、最初からこうして私を揺さぶる為に仕組んだことだったんじゃないのか。……そんな都合のいい疑念が浮かび上がって、茨の蔓のように心に絡みついて離れない。鼓動は異常を訴えていて息が苦しく、指先はどんどん冷えていった。
――怖い。それは、心の奥底に触れられることへの明確な拒絶反応だった。
「な〜んでそんな風に考えてるのか、そこまでは聞かないけどさ。答えないだろうし」
「……そうですね」
「――君は、本当にそれでいいの?」
「……」
「愛されたい望みを抱えたまま、それを我慢して一方的に愛すことは……君が思ってるよりも、すごく難しいことだよ」
「……分かってます」
「本当に? 君がどれだけ理性で“望んじゃいけない”って自分を縛ったって、愛されたい感情は消えちゃいないじゃない」
「……それも、分かってます」
「君、自分が矛盾したことをしてるの分かって――」
「っ、分かってる!!!」
「!」
――ガシャン! と。それが、勢いよく立ち上がった拍子に倒れた湯呑が割れた音だったのか、私の心の中で崩れた何かだったのか。よく分からなかった。
「人はひとりじゃ生きていけないから。愛すことよりも愛されることの方が、きっと幸せに決まってる。……愛されなきゃ、愛し続けるなんて不可能なんでしょうね」
「……」
「だけど、それでも……それでも愛し続けたいって、私は自分に誓ったんです」
「!」
「……まあでも、望むとか望まないとか以前に、元々最初から叶わない恋なんですけどね。あの人が私を選ぶなんて、地球がひっくり返ったってありえないし」
「……そんなこと、」
「――だから、もう、放っておいて下さい」
「……」
「私は平気です。十二番隊の十七席、舐めないで下さい」
「じゃあ、急ぎの要件を思い出したので私はこれで失礼します」と。呆気にとられる輪堂先生に向かってニコリと笑みを貼り付け、矢継ぎ早にそう伝えて逃げるように応接室から外へ出た。
――バタン!
「……」
望んじゃいけない? ――当たり前だ。
許されちゃいけない。――これも当たり前だ。
どうせ叶わない恋だから、とか。迷惑をかけたくないから、だとか。彼に想いを伝えないことを選んだ理由は山ほどある。でもそれは、私の淡い恋を応援してくれようとする優しい人たちに向けた、あるいは“咎”を背負っていく自分を納得させるための、建前に過ぎなのだろう。
愛を伝えるというのは、伝える側のエゴなのだと思う。例えそれが友愛でも、家族愛でも、だ。
エゴイズム。すなわち、利己主義。人に想いを伝えるというのは自分勝手な行動であり、その想いをどう受け止めるのか、一方的に伝えられた側へ委ねてしまう行為だと思う。人はその身勝手な行動を、互いの間に築いた関係性を用いて許しあっている。
エゴイズム。すなわち、利己主義。
『あなたに死んでほしくないから、他人が傷つく未来を知りながら黙ってました』
――そんな身勝手な愛情を伝えることなど、許されるはずがない。望んでいいわけがない。私はあの人に『愛してる』と伝えることを、自分で許せないし、許しちゃいけない。そして、それを誰かに『許されていい』とも思っていない。
本当は、たとえその可能性が万に一つも無くとも、愛されたいと望むことすら罪なのだと思う。
けれどもう、私がその願いをどれだけ心の奥底に閉じ込めて蓋をしたって――一度生まれた想いを無かったことには出来ないのだと、たった今、輪堂先生に思い知らされた。
だから、尚更。望んじゃいけない、許されちゃいけないと自分を律して縛りつけないと、私にはこの世界を生きていく資格がないのだ。――彼らと関わらずに生きていく道もあったはずなのに、“こうなること”を選んだのは他ならぬ私なのだから。
「……?」
「……」
――ふと。後ろ手で閉じた扉のドアノブを掴んだまま立ち止まっていた視界の端に、吹き込んできた風と共に揺らぐ何かが映る。
ぱちり。目が合うと、その人物は大変気まずそうに、片手で頭の後ろをかきながら目を逸らした。
「……」
「……聞いてたんですか、今の」
「……い、いやァ……まあ、その……」
「乙女の恋話を盗み聞きするなんて、とても紳士のすることじゃないですよ」
「……そうっスよね。スイマセン」
「いえ。……あなたの客人なのに、人に聞かれたくない雑談していた私が悪いので。忘れて下さい」
「……」
図らずも、そこには客人が帰りを待っていた
浦原隊長が居た。……つまり、私がこの人を探しに行く手間が省けたというわけだ。薄らと口元を引き結んで小さな微笑みを残し、立ち去ろうと彼の前を横切る。
――しかしその瞬間。迷いのある戸惑った声が、私の足をその場に縫い止めた。
「…………朝緋サンは、」
「?」
「――悩ましい恋でも、してるんスか?」
「……っ、」
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