悪魔が運ぶ福音
――それきり私の牢屋には誰も尋ねてこなかった。しんと静まり返った牢の中で、じっと俯いて時間が過ぎるのを待つ。音も色も温度も、何も無いこの空間はまるで世界から切り取られたようだと思った。おそらく殺気石で作られているのだろう。分厚い石の壁は、見た目以上に私をあらゆるものから切り離していた。
「(…………さむ、)」
ここが四番隊の隊舎牢だからだろうか。牢屋の中には簡素なベッドが備え付けられていた。硬いマットレスには、この空間に似合わない真っ白なシーツが敷いてある。……けれど、そこへ横になって休む気にはなれなかった。ましてや、眠ってしまったらもう――抗う気力が湧いてこない気がして。瞼を閉じるなんて出来るわけがなかった。ただただ、一晩中ベッドに浅く腰掛けて、どこでもない場所へと視線を漂わせる。……いろんなことを、考えた夜だった。
「――おはようございます、翡葉朝緋さん」
「……!」
そうしているうちに、ふと名前を呼ばれる。……どうやら夜が明けていたらしい。気が付けば、牢屋の中には空気口から陽の光が僅かに差し込んでいた。
顔上げると――とても優しい笑顔を浮かべているヒトが、そこにいた。
「卯ノ花、隊長……?」
「おや……顔色があまりよくありませんね。昨晩は眠れませんでしたか?」
「……はは、こんな状況で寝れるほど能天気じゃないですよ」
「……そうですか。でも、ここは四番隊。怪我の治療する場所です。眠ろうとする努力くらいは、して頂かないと困ります」
卯ノ花隊長はそう言って困ったように微笑んだ。そして「回診です。入ってもよろしいですか?」と、罪人であるはずの私に、牢の中へ入ってもいいかを丁寧に尋ねてくる。……別にここはあなたの隊の中なんだから、好きにしたらいいのに。
「……」
「……」
「……彼らの怪我は、」
「?」
「私が運んで来た十番隊の二人は、どうなりましたか」
卯ノ花隊長が手際よく怪我の処置をしてくれる中、無言の空気に耐えかねてずっと気になっていたことを口にした。彼らが目を覚ました時、私もその場に居たのだけど……「この女に襲われたんだ! 助けてくれ!!」と、彼らが異様に騒ぐものだから……。私は怪我の処置もそこそこに、がちゃんと手枷を嵌められて、ズルズルと牢屋へ。以降ずっとここにいるから、外の状況が分からないままだった。
……すると、私のその問いかけが意外だったのだろう。卯ノ花隊長は手を止めて、驚いたようにこちらを見た。
「心配しているのですか? 彼らのことを」
「ええ、まぁそりゃ。私が斬った人たちですし」
「……あなたは随分とお人好しな方なのですね」
「え?」
「“真実”が何なのか、私には分かりませんが……少なくとも、あなたの立場からすれば、あなたは助けたはずの彼らに裏切られたも同然ではありませんか」
「……」
「そんな相手を心配出来るなんて、よほどのお人好しか、あるいは……」
「別に。それはそれ、これはこれ、ですよ」
「……?」
「そりゃ腹立ってますよ。助けたのになんでそんな事言われなきゃならないんだ、って。ふざけんなこの野郎って、文句のひとつやふたつ、いやもう百個くらいありますけど」
「……」
「……だからって、自分が傷付けた人を放っておくなんて私には出来ない」
「……」
「まぁそれに、もし万が一私のせいで死なれでもしたら、それこそ後味悪いですしね」
「……」
「……卯ノ花隊長?」
「彼らの傷ならもう、ほぼ全て完治しています。昨日のうちに二人とも帰りましたよ」
「……そうですか。そりゃ良かった」
不可抗力とはいえ、私は彼らから戦う術を奪うために手足の腱を斬ったのだ。つまりその怪我が治らなければ、彼らは二度と死神として戻れなかったということ。……そうなってしまった時のことを考えれば、今の私の処遇も妥当かもしれない、と。弱気になっているのか、ついそんなことを考えてしまった。……まあ、でも、ちゃんと治ってるなら良かった。
「私もひとつ、あなたに聞いてもよろしいでしょうか?」
「はい?」
「あなたの身体……全身の至る所に傷があるのは、彼らを虚から庇ったからじゃないのですか?」
「……」
「あなたは知らないかもしれませんが……五番隊に続いて十二番隊にも、霊術院を飛び級で卒業した優秀な死神がいると噂になっていますから。そんなあなたが、ただの虚相手にここまで手こずるとは、中々考えられません」
「……はは、恐縮です」
「私も長くこの道に携わってきましたから。……怪我の場所や深さから、どんな風に負った傷なのか、ある程度は想像がつきます」
「……」
「……あなたは、本当は――自分の身を投げ打ってでも、彼らを虚から守ろうとしていたのではないですか?」
「……」
「……」
「……はは、そんな、違いますよ」
「……」
「これは私が未熟だったから、上手く戦えなかったから傷を負っただけです」
「……」
「私は……自分が思っているよりも、無力だっただけです」
「必要なんでしょ、四十六室を黙らせる“技術開発局の功績”が」
「他の隊になんか譲らなくていいですよ。私が一人で全部片付けてやる」
――これが現実だと、叩きつけられたような気がした。たった一人の男の為に生きている私では、何も出来ないし、誰も護れないのだと。今までの全ては無意味だったのだと、そう言われている気がした。
***
卯ノ花隊長曰く、今の私は中央四十六室の査問に掛けられることは確定しているのだと言う。
四十六室に技術開発局を認めさせるため動いた私が、まさか逆に彼らに現実を叩きつけられることになるとは。とんだ笑い話である。はは、あはは。……いや、嘘。全然笑えない。
随分と大事になってしまったなぁと戸惑っていると、瀞霊廷では死神が起こした問題は大なり小なり関係なく、全て四十六室が調停するのだと卯ノ花隊長が教えてくれた。ふぅん、なるほどね。彼らはそうやって、都合の悪いことは全て闇に葬って来たわけだ。
けれど、私が怪我を負っているから、査問の日程はまだ数日先になっているらしい。……そこには配慮してくれるんだ。なんでだよ。と、不思議に思っていたが「あらあら、こんな所にも傷があるじゃありませんか」「こんなにたくさん怪我をしていたら、とてもすぐには治りませんね」と、卯ノ花隊長がしつこく何度も、そう言ってくるので……なんとなく、私が重症だと言うことにして時間を稼いでくれてるんだと思った。――それが一体、誰の、何のための時間稼ぎかは分からなかったけど。
「…………あーあ。なんでこんな事になっちゃったんだろう、」
再びしんと静まり返った牢の中。日が沈む頃には見張りの人が食事を持ってきてくれたけど……正直、まったく食べる気にはならなかった。そんな私を見透かしてか、見張りの人が申し訳なさそうに「内服薬を飲んでいただきたいので……少しでもいいので食べていただけませんか?」と言うので、なんとかして全部食べ切った。おかげで胃がぐるぐると余計に気持ち悪くなったけど、完食してある食器を見た見張りの人が心底ほっとしたような顔を浮かべたので、まあ良しとする。……食事か薬か、騙されて毒でも入ってたらもう笑うしかないな。そう思いながら、久しぶりにベッドへと横になった。
――こんな状況になったって、私の頭に思い浮かぶのはたった一人。
「――なら、ハッキリお伝えしときましょう」
「“貴女だから信じている”んです。例え話せない事があったとしても、『朝緋サンはボク達を傷付けるような人じゃない』ってね」
「だから……もう、脇役になろうとしなくていいんです。一歩引いて、外に立とうとしなくていいんです」
「――朝緋サンはもう、ボク達の仲間じゃないっスか」
あの夜の線香花火を、私はずっと覚えている。暖かな色に照らされた彼の横顔も、ちりりと鼓膜を震わせる小さな音も。弾け飛んだ火花が細やかな線を描いては、すぐに消えていく様を。――あの時心に灯った“
火花”を、私はずっと覚えている。
「(……うん。やっぱりそうだよね)」
ガシャン。
ベッドから降りて、牢の鉄格子を両手でつかむ。冷たく響いた音に気が付いた見張りの人へ、にこやかに笑いかけた。
「卯ノ花隊長に伝えて下さい。私の怪我はもう平気です。だから――……」
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