どうかその指をほどいて
――大勢の虚が街中で蠢いている。
それが、私が最初に見た光景だった。
穿界門を通り抜けた先、眼下に広がっていた戦場は予想通り逼迫していた。ちらり、と高い霊圧を感じる方へ目を向ければ、悔しそうに顔を歪めながら戦っている十番隊隊士の二人。救援要請をしてくるぐらいだから今にも死にそうなのかと思えば、そうでもなく。しっかり自分の足で立って戦っていた。よかった、間に合った。真っ先にそう思った。
斬魄刀を抜いて、始解して。彼らが相手をしきれていない別の虚の元へ。より霊力の高い魂魄を求め、街中で
整を襲う奴らをばったばったと斬り倒す。数が多いだけで強くもない虚たちを倒していると、急に違和感を覚えた。
ずっと感じていた、十番隊隊士たちの霊圧が妙なものに変わった。……例えるなら、分厚い膜のようなものに彼らの霊圧が閉じ込められて籠っているような、そんな感じだった。
――嫌な予感がする。そう思って彼らの方へ向かおうとした瞬間。少し離れた場所にいたはずの彼らが、ものすごい勢いでこちらに向かってくるのを感じた。え、なに、と驚いたのも束の間。明らかに私へ敵意が向いている攻撃がすぐそこまで迫っていて。反射的に振り下ろされた刃を受け止め、ガキン!! という強い衝撃音が深夜の街中に響き渡った。
「え、あの!? ど、どうしたんですか!!」
「……こ、ろす……おま、えの……チカラ、よこ、せ!」
「――!」
感情の宿らない刃。ただ力任せに振り下ろされるそれは、私の命を狙っているのだという。二人とも目は虚ろで覇気がなく、言葉もたどたどしい。――まるで誰かに操られているようで、彼らの身に異常が起きていることは明らかだった。
二人から向けられる容赦ない攻撃を、適切な距離を保ちながらいなしていく。理性を無くしているのか、傍若無人なその立ち回りは、見かけによらず分かりやすくて単調で。私に戦いを教えてくれた“師”と比べれば、たとえ人数不利だろうが一人でどうにか出来ていた。……でも、それも最初のうちだけ。
「――グォォオオ!!」
「なっ……!」
――ガンッ!!
……私へと刃を振り下ろす、彼らのその肩越しに。冷たい仮面の奥から、禍々しい眼が私ではなく彼らを捉えていた。
――考えるよりも先に体が動いていた。間一髪で彼らの間に入って虚の攻撃を止められた時、心臓はこれでもかというほどバックバクで、まるで生きた心地がしなかった。いくら稽古を積んだって実践になったらこのザマだ。は、はは、情けないな。彼に向かってあんなに啖呵を切ってここに来たのに。こんなんでよく「私一人で全部片付けてやる」なんて偉そうなこと言えたもんだ。……そう思いながら奥歯をグッと噛み締めて、しっかりしろ、とキツく刀を握りしめた。
――そう。私があの戦場で課せられていた使命は、彼ら二人を“助ける”こと。たとえ彼らが敵の傀儡となり私を襲ってこようとも、私は彼らを虚から守らなくてはいけない。……守りながら、全ての虚を倒して一刻も早く、彼らを元に戻さなくてはならなかった。
詳しい
絡繰など分からなくとも、彼らが虚に操られていることは様子を見れば明らかで。……でも、そんな彼らを傷付けないように戦っていたせいで、周囲に残った虚を倒すのには随分と時間がかかってしまった。その間に、彼らの虚ろだった目は完全に光を失い、僅かに残っていた知性も消えてしまっていた。――おそらく、徐々に精神を支配する攻撃を受けていたんだろう。幻覚でも見せられていたのか、時折苦しそうに叫び声を上げては、虚構に向かって刃を振るっていた。……ここままじゃ、命が助かっても精神が持たない。タイムリミットはすぐそこまで迫っていた。
考える暇も、策を試す時間の余裕もなかった。彼ら二人を“助ける”ためには、一刻も早く元凶である虚を倒さなきゃいけない。……でも、私の力量じゃ……今までのように彼らを虚から庇って守りながら戦っていたんじゃ、きっと間に合わない。
「――ウ、ぁあ、……ア?」
「……っ、ごめんなさい……!」
今の自分に出来る最良の策。――手足の腱を斬って戦う術を奪い、無力化すること。そして今すぐに、元凶となった虚を倒すこと。
縛道を試す余裕が本当に無かったのかとか、結果的に元凶の虚は倒しきれずに逃げられてしまったのだから、最初から全力の一太刀を浴びせていれば手足を斬らずに済んだんじゃないのかとか。……思い返して、自分の選択に自信が持てなくなる。牢屋で過ごした夜は「もっと出来ることがあったんじゃないか」とずっと考えてばかりいた。
彼らが「翡葉朝緋に襲われた」「殺されかけた」と言った時、心底私を恨めしそうに睨んでいたのをよく覚えている。だから、たぶん、私が「急に彼らが襲ってきた」と思っているのと同じように。彼らからしてみたら、私が急に襲ってきたと感じていたんじゃないだろうか。――もし、精神の奥底で自我が保たれていたまま、私に手足の腱を斬られたのなら。……そりゃあ、人殺しでも見るような目で私を睨むよなぁ、と思う。私の使命は、彼ら二人を助けること、だったというのに。
「“貴女だから信じている”んです。例え話せない事があったとしても、『朝緋サンはボク達を傷付けるような人じゃない』ってね」
「――朝緋サンはもう、ボク達の仲間じゃないっスか」
「…………」
暗くて冷たい牢屋の中。私だって所詮はただの人間だから、落ち込むこともあるし、弱気になることだってある。諦めない事は傷付かないこととイコールでは無いし、前に進むことと後悔しないことはイコールではない。だけど、そんな時に私を奮い立たせて励ましてくれるのは、いつだって心の中心にいる彼だった。彼にもらったいくつもの言葉と、共にこの世界で過ごした時間が、私に勇気と希望を与えてくれる。――これを言葉にして表すなら、きっと。チープな表現になるけれど、“愛の力”とでも呼ぶのだろう。
こんな私を仲間だと言ってくれる人がいる。居場所を与えてくれる人がいる。暖かく迎えてくれる人達が、きっと待っている。――だからこそ、十二番隊の名に傷をつけるわけにはいかない。“手柄を独り占めするために仲間を手に掛けた”だなんて、そんなありえない罪を着せられてたまるか!!
「(……うん。やっぱりそうだよね)」
生憎と私は諦めが悪くて、やられっぱなしは性に合わない。超がつくほどの頑固者で負けず嫌い、それが翡葉朝緋だ。一体どこの誰が私を恨んでるのか知らないけど、向こうが売ってきた喧嘩なんだからありがたく買わせてもらおう。相手がコソコソと準備を整える時間なんて、くれてやるもんか。
翌朝。手枷を嵌められた両手でぱちん、と頬を叩く。
――卯ノ花隊長が気を利かせてくれていたところを申し訳なく思ったが、私本人の進言で査問は今日の正午からになった。きっともうすぐ、私を移送するために迎えが来るだろう。頭が回らないと困るから、と念のため仮眠はしておいたのだが……座ったまま寝ていたせいで体のあちこちが痛い。でも、おかげで幾分頭はスッキリしたし、彼らの詭弁をひっくり返せる正論を組み立てられそうだ。うん、別に臆することは無い。そもそも間違っているのは相手なのだから、私は事実を伝えるだけ。
――キイィ、と牢屋に続く扉が開く音。ああ、さっそく迎えのお出ましだ。負けられない戦いが始まるぞ、と気を引き締めて立ち上がる。気合を入れるように拳に力を入れて、グッと前を見据えた。
「おーっす、朝緋。なんや、そんなところで突っ立って」
「え、」
「邪魔や。そこ退き」
「わ、ちょ、……え、ひ、ひよ里さん!? な、何勝手に牢屋の中入って来て――」
「帰るで」
「、は?」
「せやから、帰るで」
「…………は??」
「ああ!? なんやその腑抜けた顔は!! 何べんも言わすなや!! 一回で聞き取らんかいハゲ!!」
――ガシャン!!
ひよ里さんがひったくるようにして手枷を引っ掴み、あっという間に大きな音を立てて手枷が外れて床に落ちる。そして、驚いて動かない私の襟を掴んだかと思えば、そのままズルズルと私を引きずってどんどん歩いていく。……いや、ちょ、……え??
「え、なにこれ誘拐? またわけのわからない事件に巻き込まれるのはごめんなんですけど!」
「誰が誘拐犯や!! オマエみたいなやかましい奴攫うアホがこの世におるわけないやろが!!」
「聞き捨てならない! 百歩譲って私が騒がしい女だったとしてもひよ里さんにだけは言われたくない!!」
「じゃかァしィ!!」ドスッ!!
「っ痛ぁ〜〜〜〜〜!!」
「ウチのどこが騒がしいねん!! 言うてみィ!!」
「全部ですよ全部!! っ、たぁ〜〜〜! もう! そんなに殴らないで下さいよ馬鹿になる!!」
「知るかボケ!! 帰ったら覚えとけよ!!」
「な、なんなんですか急に! わ、もう隊舎牢から完全に出ちゃったよ〜〜! ちょっと、私には脱獄する趣味なんてないんですけど! 離して〜〜!!」
あっという間に隊舎牢の外へ。久々に感じる太陽が眩しい。ひよ里さんに引きずられたまま堂々と脱獄を果たしてしまい、離してくれとジタバタ暴れる。すると、なんと無慈悲なことだろうか。ぽいっと投げ捨てられるように襟を掴んでいた手が離れて、私の体は地面に転がった。ちょ、さっきから扱いがすごく雑……! これでも一応怪我人なんですけど……!
しかし目の前には、これでもかというほど眉間に皺を寄せ、眉を吊り上げたひよ里さんの顔。その顔を見上げるようにして、後ろには晴れ晴れとした青空が浮かんでいる。……が、そんな清々しさとは正反対の、鬼の形相を浮かべるひよ里さんに思わず唾を飲み込む。
「ハッ、『脱獄』て。オマエ、自分が捕まるようなことした心当たりでもあるんか? あ?」
「無いですよそんなもん」
「ほならもうあないなところおる理由なんてないやんけ」
「いや、でも、私にはこれから四十六室の査問が――」
「もう終わった」
「……え?」
「その話はもう終いや。分かったら黙って着いてき。……さっきから“帰る”言うてるやろ」
「……」
「……」
「……分かりません」
「あ?」
「意味が分かりません。ちゃんと話して下さい」
ひよ里さんに投げ捨てられた場所に立ち尽くしたまま、数歩先を歩いていた彼女の背をじっと見つめる。――そんな私をちらりと見て、ひよ里さんはガシガシと頭をかいたのち、「ハァ〜〜〜」と大きなため息を吐いてこちらを振り返った。
「……手柄を独り占めしようとしたのは、朝緋やなくてあの十番隊隊士の方やった」
「……え?」
「まあ、二人やったから正確には二人占め、か。……あいつら、わざと虚をおびき寄せて、自分らで全部倒しきったら実力を証明できるとでも思っとったみたいやで」
「……なんでそんなこと分かるんですか」
「見つけたんや。あいつらが虚をおびき寄せるために“撒き餌”を盗んで使っとった事と、虚を倒すための霊具を貴族から横領してた証拠を」
「……」
「せやけど、予想外に虚が集まってきてビビったんやろな。自力で倒しきられへんくて、怖気づいて救援要請を出した。ほんで、そこに向かってまんまとカモられて罪を擦り付けられたんがオマエや、朝緋」
「……どう考えたって私ただ巻き込まれただけじゃないですか。最悪」
十二番隊隊舎へと帰る道すがら。ひよ里さんはどこか拗ねたように、不貞腐れながら真相を語ってくれた。……多分、話すのが面倒なんだろう。それでも頑固者の私に付き合って、事の詳細をかいつまんで分かりやすく伝えてくれた。なので、私も今は大人しくそれを聞きながら、ひよ里さんの数歩後ろを着いて歩く。……暗い牢屋に居たせいで、白を基調とする瀞霊廷はとても眩しく感じた。
「……でも、彼らは虚に操られていたはず。罪を擦り付けようにも……あれはさすがに、演技とかそういうのには見えなかったけどなぁ」
「あー、虚から精神攻撃を受けたんはほんまやけど、自我はずっと残っとったんやと。せやから、お前が襲ってきたことにすれば全部言い逃れが出来る思って、『精神攻撃なんて受けていない』『翡葉朝緋に襲われた』って最初から二人で嘘ついとったらしいで」
「……そう、だったんだ」
「……ほんで、最悪なことにあいつらの上官っちゅう十番隊の四席? がなんでか朝緋のことめっちゃ嫌っとってなぁ。全部が上手くかみ合って、冤罪を着せられて投獄されたっちゅうわけや」
「……」
「……朝緋?」
「……つまり、私は。私に罪を擦り付けようと考えてた二人を、任務だからと虚から守りながら戦って。――で、その結果、向こうには私の事が大嫌いな上官が味方に付いていて、まんまと相手の思惑通りにはめられかけた、ってことですか」
「ま、そういうことやな」
「……」
「別に、そないに落ち込まんでええんちゃう。オマエも言うとったやろ、自分は巻き込まれただけや、って」
「……いえ、落ち込んでるわけじゃないですよ。ただ……」
「?」
頭の中には、私の取り調べに来た死神の顔が思い浮かぶ。……なぜそんなに嫌われていて、陥れられたのか見当もつかないけど……。……もし、その理由が『媚びてのし上がってきた女』だから、だったのなら。……少しだけ、いま目の前にいる十二番隊副隊長は、どんな風に生きてきたのかを聞きたくなってしまった。
「……でも、そんなのどうやって調べたんですか?」
「あ?」
「私が捕らえられたのって、確か一昨日の夕刻頃だったはずです。なのにこの短時間でそんな証拠、一体誰が、どうやって――」
「そんなん一人しかおらんやろ」
「――……」
「オマエが査問の日程を早めたって聞いた時、アイツ今まで見た事ないぐらい焦ってたで」
「ま、安心し。十二番隊の中では、オマエは任務で怪我して入院しとった事になっとるから」と言い残し、ひよ里さんは一足先に隊舎の中へと入って行ってしまった。……その言葉がもう、答え合わせにも等しいということを、彼女は分かってて言ったのだろうか。だとしたら、私を置いて行かないで欲しかった。
天地がひっくり返ったように、ぐわんぐわんと視界が揺らぐ。息が詰まって苦しくて、思わず誰にも見つからない暗がりに駆け込んで、崩れるように蹲った。
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