どうかこの指をほどいて
「……キショい集中力やな」
「……」
嫌味を吐き捨てたところで、当然反応はない。
空が白み始めるまで、もう何時間も資料を読んで“証拠”を探しているこの男は、一言も発することなく――ただじっと、目を動かして文字を追いかけているだけだった。その異常なまでの集中力が、普段の研究や戦闘にはほんのわずかしか現れていなかったんだろうと、この期に及んで少しだけ思い知る。……だが、その程度でこの男の評価が自分の中で変わることは無かった。――否。認めたくはないし、見たくもなかった。知りたくもなかった。……
浦原喜助の本気など。知れば、今までずっと保ってきた自分たちの何かが、少なからず変わってしまいそうだったから。……それも、すごく自分にとって都合の悪い方に。
だから、もう何度も。この男に背を向けて、任されていた自分の分の資料を読み進めては……果ての無い作業に苛立ちが募り、そんな自分に嫌気がさしていた。
四番隊の協力の元、隠密機動を巻き込んで極秘裏に行われた朝緋の冤罪に対する証拠集め。自分の古巣でもあり、総司令官とは旧知の仲だというこの男の采配により、疑わしいものはすぐに見つかった。本来は大掛かりな戦闘訓練などに使われる“虚の撒き餌”が、とある隊で使用の報告と在庫の数が異なったまま、有耶無耶にされていたこと。そして、きな臭いと噂になっている上級貴族と、事件に関わっている死神が秘かに取引をしていたこと。その裏を取るために何時間も資料を読み漁り、自分も、この男も徹夜で情報を集めた。
卯ノ花隊長に時間稼ぎをしてもらっている間に、なんとか証拠を入手することに成功。ひとまずはこれで、朝緋が一方的に不利になることはない。あの男もそう判断したのか、その晩は証拠探しの合間に牢に囚われた朝緋の様子を見に行くことになった。――もっとも、事前に示し合わせたわけでもなく、腹の立つ事に互いに同じことを同じタイミングで考えていただけだったが。
あの時、予想外に査問の日程が早まったと聞き――目の前にいた男は一切の躊躇いもなく、即座に現世に向かった。それもどうやら、通行記録が残らない貴族専用の穿界門まで使って。――理由はただ一つ。朝緋の無実を証明するための確たる証拠が、まだ揃っていなかったからだ。
隠密機動が丸一日探しても見つからなかったという、朝緋から逃げた「精神攻撃を行う虚」を、あの男は現世に向かってたった数時間で見つけたらしい。……それも、生け捕りにして実際にその精神攻撃の効果の検証まで行ったそうだ。
……だというのに。あの男はそこまでこの件に執着しておきながら、いざ冤罪を晴らして朝緋が解放された瞬間、「ひよ里サンが迎えに行ってあげて下さい」と、自分は行かないと
宣ったのだ。まだやることがあるから、と。
どうせやることがあるなんて嘘に決まっている。仮にあったとしても大したものじゃない。あの男はいつもそうだ。副官である自分にすら建前ばかり用意して、ちっとも自分の腹の内を見せようとしない。だから大嫌いだった。気に食わなかった。いつまで経ってもあのいけ好かないヘラヘラした顔で、なにも分かってないくせに全部知ってるような顔をするから。何度殴り飛ばそうとも、あの顔で誤魔化される度に余計腹が立つのだ。
――故に、心底理解出来なかった。あの男に恋愛感情を向けているだろう朝緋のことが。あんなヤツのどこが好きなのか、帰ったら絶対に問いただしたる! と、ただそれだけを意気込んで、ふざけたことを
宣った男を蹴り上げてから四番隊の隊舎牢へと向かった。
……が、結局、本人を前にしたらそんな事は聞けなかった。なんでいきなり査問の日程を早めたのかと、ウチらが助けようとしてるなんて少しも考えなかったのかと、ボコボコに殴ってやろうとも思っていたのに。そのどちらも、出来ないまま。
「……けったくそ悪いわ!!」ドスッ! ガシャーン!!
「さ、猿柿副隊長ー!? あ、暴れないで下さい!!」
きっと朝緋は今頃、自分が仲間に助けられたことに罪悪感でも感じているだろう。好きな人に迷惑をかけてしまったと苦しんでるに違いない。アイツはそういう女や。現にこうして、隊舎のどこにも朝緋の姿はない。
……でも、それでいい。せいぜい苦しめばいい。何度言葉をかけて行動で示そうとも、アイツが仲間を信じて頼らない限り。――否、頼ることを自分で許せないのなら。自分で苦しんで痛い目を見て、少しは頭を冷やせばいい。
(……オマエは自分が思っとるよりも、周りに大事にされとるんやぞ)
……翡葉朝緋は、自分が周囲に与えた影響の大きさをもう少し理解した方がいい。それが、浦原喜助と共に翡葉朝緋の成長を見守ってきた猿柿ひよ里の答えだった。
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