ぶち壊して、迷路



「お疲れさ〜ん、朝緋チャン。……白衣、よお似合うとるやん」
「ああ、お疲れ様です。そうでしょう?私もそう思います。真子さんも、今日も腑抜けた顔がお似合いですね」
「ぜんっぜん、褒められてる気せんのやけど」
「気のせいじゃないですか?」


 ふらりと現れた真子さんは、さも当然といった顔で研究室に入ってきて、定位置に腰掛けて窓辺に頬杖をつく。何度見ても慣れない彼の厚かましさは、もはや尊敬に値する。……ここはあんたの家か。


「なんや、喜助おらんやんけ」
「浦原隊長なら局長室にいらっしゃると思いますよ」
「人の事呼んどいて自分は篭もりっぱなしかい」
「お呼びしてきましょうか?」
「いや、ええよ。その代わり朝緋チャンが話付き合うてや」
「え、嫌です」
「…………」


 何故私が他所の隊長の話に付き合わにゃならんのだ。しかも、よりによって胡散臭いことばかり言ってくる真子さんの。断固拒否に決まっている。すっきりきっぱり嫌だと答えると、彼は露骨にぐっと眉間に皺を寄せた。
 怪訝な顔の彼を放って真横を通り過ぎ、スタスタと給湯室へ向かう。仕方ない、代わりに彼が好きと言っていた銘柄のお茶を淹れてあげよう。

 ここに来て、雑用係としてお茶を淹れるようになってから。すっかり個人の好みまで把握するようになってしまった。たった二、三週間の事なのに、手慣れるまでお茶汲みが染み付いてることに苦笑する。現実世界での社畜だった頃を振り返れば、ここは嘘のように平和な職場で……嘘のように、現実離れした世界だ。


「はい、どうぞ。淹れたて熱々のお茶です」
「ちょっとくらい冷ましてくれたってええやん」
「どうせ長居するんだからいいじゃないですか」
「……朝緋チャンて俺の事なんやと思ってるん?」
「野暮なこと聞きますね」


 じとり。彼は不貞腐れたように頬杖をつきながら、視線だけを私に投げかける。何、って。そんなこと聞いてくる真子さんの方こそ、私の事を何だと思ってるんだ。


「ええやん、ちょっとくらい。ほんまは、髪が綺麗やな〜とか、実はオレの事見直してるとか、あるやろ?」
「……まぁ確かに、髪は綺麗だなぁと思ってますよ。羨ましいです」
「せやろ?めちゃくちゃ大事にしてんねん」
「……いつも言ってる事は適当だし、ひよ里さんと子供みたいな喧嘩してるし。隊長らしくない隊長さんだなぁと思ってます」
「一言も二言も余計なことばっかやな」
「それでもあの日、私を拾ってくれた事はきちんと感謝してます」
「…………」
「ありがとうございました。お陰様で、命拾いしました」


 感謝と同時にぺこりと一礼をする。拾ってくれた、なんて都合のいい言い方だ。私に敵意を向けてきた相手に使う言葉じゃない。だからなのか、彼の表情が一瞬だけ曇ったのを私は見逃さなかった。……黙るなよ、なんか言ってくれ。気まずい。
 真子さんは一瞬の沈黙の後に、はぁーー、と大きく息を吐いた。そうして、何も無かったようにいつもの仏頂面を向けてくる。


「……そーか。ま、ほんまに感謝してるんやったら、もうちょいオレに優しくしてくれてもええんやけどなァ」
「はいはい、考えておきますね」
「絶対考えへんやつやろ、ソレ」
「はいはい」


 今でも十分優しく接してるでしょう、と。ムスっとした顔で熱々の湯呑みに向かって手をパタパタ動かし、お茶を冷ましている彼に向かって心の中で呟いた。


 ――ガチャ、

「……おや、平子サン。もう来てたんスね、お待たせしちゃってスイマセン」
「お疲れ様です、浦原隊長」
「かまへんよ、全然待っとらんし」


 「ほれ見てみィ、この熱々のお茶」といって、真子さんは得意げに湯呑みを指さし、ちらりとこちらに視線を送る。……やめなさい、私がわざと熱々にしたのがバレちゃうでしょうが。


「浦原隊長の分も今お出ししますね、少しぬるめで」
「ああいえ、ボクの分は大丈夫っスよ、お気遣いどうもっス」
「?そうですか、じゃあ私はこれで――」
「それより、朝緋サンにもお話があるので、ここに残ってくれませんか?」
「……はい?」


 私に話?一体なんの話だろうと不思議に思った矢先。――先日の、書庫での出来事を思い出して思わず全身が強ばる。このタイミングで改まって話だなんて、嫌な予感しかしない。冷たい汗が、ヒヤリと背筋を伝った。
 けれど、そんな私の気持ちを読んでか、彼はいつもの調子で「大丈夫っスよ、そんな怖い顔しなくても」と笑ってくれた。……はぁ、どうしてこの人はこいう時だけ鋭いんだろう。彼の気遣いに返すように、へにゃり、とぎこちない笑みを貼り付けて、空いている椅子へ腰を下ろした。


「えーっと、結論から言うと――朝緋サンに休暇をとってもらうことになりました」
「……え、休暇…ですか?」


 はい? きゅうか……休暇?


「ハイ。朝緋サン、ここに来てから毎日休み無しでお手伝いしてくれてたでしょう?……皆さんが、そろそろ朝緋サンにも休んで欲しいって言ってくれてるんスよ」


 言いながら、喜助さんがふいと横を向く。その視線に釣られるように先を見ると……室内にいる局員達がいて。皆が皆が、私の方を見ていた。そして、彼の話に賛同するように、頷いたり、親指を立てて笑ってくれてたり。中には「翡葉さん、働きすぎですよ。たまには休んでください」と声をかけてくれる人もいた。
 ……みんなの暖かい雰囲気が、なんだか急に気恥しくなって、居心地が悪い。こんな風に誰かに笑いかけてもらえることに慣れなくて、愛想笑いしか返せない自分に苦笑いする。


「本当によく働いてくれて助かってる、って、みんな朝緋サンに感謝してるんスよ」
「そんな、私ももう局員なんですし。当たり前ですよ」
「アホか。毎朝誰よりも早よ来て準備して、毎晩遅くまで片付けとるんは当たり前ちゃうわボケ」
「……何故それを」
「当たり前や、朝緋チャンがここで何しとるんか、俺が知らんわけないやろ?なぁ、喜助」
「まぁまぁ、その話は今はいいじゃないっスか。とにかくそういうわけなんで、朝緋サンは明日お休みしてください」


 なんか今すごくサラッと大事なことを言われてはぐらかされた気がするんですが……まあ、いいか。


「……浦原隊長はお休み取らないんですか?それこそ休み無しでずっとここにいる気がするんですけど……」
「あぁ、ボクはいいんスよ。研究も開発も、どっちも趣味みたいなもんスから」


 彼だって、私の知る限りは休みなく隊舎と技局を行ったり来たりしているのに。隊主室で寝泊まりとかしないで、ちゃんと部屋で休んで欲しいという私の願いは届かない。……それもそうだ、彼の興味関心はちっぽけな私の言葉よりも、さらに先に向いてるんだから。
 余計な言葉をごくりと飲み込んで、興味無さそうに窓の外を眺めている真子さんへ視線を向けた。


「……分かりました。でも、じゃあなんで真子さんがここに?私の休暇と何か関係あるんですか?」
「おお。そこに気がつくとはさすがっスねぇ、朝緋サン」
「……いえ、その。関係ないって言って欲しくて聞いただけで……」
「今、サラッとひどいこと言うたな」
「――せっかくの機会ですし、朝緋サン。流魂街に行ってみませんか?」
「……流魂街?」


 彼の口から出た思いもよらぬ言葉に、思わずそのまま聞き返してしまった。せっかくだから流魂街……?


「朝緋サン、まだ一度も技術開発局の外に出たことないでしょう?」
「ああ……そういえばそうでしたね」


 私は普段、技局に併設されている宿舎を借りてそこで寝泊まりをしている。職場直通の社宅という訳だ、ありがたいことこの上ない。だから、私の生活は全てこの技局がある十二番隊の敷地の中で完結していて、外に出る必要がなかった。……まぁそもそも、私のような正体不明の怪しい人間が瀞霊廷をうろつくなんて出来るわけないと分かってるから、『外に行きたい』なんて思ったことすらなかったけど。


「流魂街なら死神の姿もほとんどありませんし、朝緋サンも気楽に過ごせると思います。ただ、」
「……?」
「本当ならボクが同行するべきなんスけど……ちょっと、色々立て込んでまして。ボクとひよ里さん、今は手が離せないんスよ」
「そら、二週間もずっと現世おったら仕事は溜まるやろなァ」
「……だから真子さんが私のお守役、って事ですか」
「せや。分かっとるんやったら、そない露骨に嫌な顔せんといてや。寂しいやんけ」
「そんな顔してます?」
「おん、そりゃもう、思いっきし顔に出とるで」


 ……そりゃそうでしょう。気がついてないのなら吃驚だけど、私は貴方が苦手なんです。しかめっ面にもなりますよ。


「……分かりました。せっかく頂いた機会ですし、楽しんできます」 
「ええ。ゆっくり楽しんできて下さい。その間に、朝緋サンのこれからのお休みの予定も考えておきますんで」
「はは、いいんですよ。私も、お手伝いが趣味みたいなものですから」


 しかし、実際は断ることなど出来ないのが現実。……はぁ、仕方ない。彼が意味もなくこんな事を提案してくるとも思えないし、きっと何か訳があるんだろう。これも仕事だ、と思うことにして、できるかぎり穏やかに喜助さんへ笑いかける。

 (上手く笑えてるかな)


「ほな、明日の朝ここに迎えくるわ。可愛ええ格好してくるんやで〜」
「絶対に嫌です」


 真子さんはそういって、いつものようにニィと悪戯な笑みを残してヒラヒラ手を振って帰っていった。……ああいう、余計な一言さえ無ければこんなに苦手に感じることないんだけどなぁ。





 給湯室に戻って来客用の湯呑みを洗い、ふぅ、と小さく息を吐く。蛇口から絶え間なく流れる水を眺めながら、私のこの気持ちも洗い流してくれたらいいのに、とぼんやり思った。


「……どんなに立派な理屈を並べたって、心が潰れそうになる瞬間は必ずあるんスよ。そこで逃げずにちゃんと立っているなんて、誰にでも出来る事じゃない」
「そんな強さと優しさを持った人が“部下”になってくれて、心強いっスね」



 ――分からない。何もかもが分からない。彼はどこまで私のことを知り、どんな理由があって私を庇い、あんな言葉を掛けてくれたのか。この疑問を解消する術を持たない私は、あの時から前にも後ろにも進めないでいる。今この瞬間にも居場所が無くなるかもしれないという恐怖と、ただ彼に守られるだけという悔しさを、ずっと抱え続けたままだ。

 きゅっ、と蛇口の栓を閉める。流れ出た水がするすると排水溝に消えていくのを、ぼやけた視界のまま眺める。しかし、ぐっと下唇を噛むのは少し遅くて、目元から零れ落ちた生暖かい雫がシンクの中に消えていった。

 ……私は、彼がこの先どんな道を歩むのか知ってしまっている。救えなかったのは自分のせいだと独りで背負い、贖罪に人生を捧げる孤独な生き方を、あの寂しい背中を知ってしまっているから。本当は、そんな背中に寄り添いたかった。彼には救われて欲しいと、かつて何度も涙して強く願っていた。――だからこそ、何も出来ない無力さが悔しくてたまらないのだ。

 世界の理はいつだって無情で、望みと現実は交わらず、善意と結果は裏腹にすれ違う。どれだけ願い足掻いても、“救えなかった”という事実は、未来永劫消えはしない。疑われるから関わりたくないなんて我儘は、いつの間にか、見て見ぬふりをする事への罪悪感に塗り潰されていた。


「……私はこれから、どうすればいいんだろう、」


 誰にも届かない小さな嘆きが、静かな給湯室に消えていった。


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