君の涙が忘れられない
「……ま、今日のところはこれくらいにしときましょうか」
「(し、死ぬ……! え、私生きてる……!?)」
「まだまだ動き方は拙いですけど、それなりに形にはなったんじゃないっスか?」
「(体が1ミリも動かない! 声も出ない! 死にそうかも!)」
「いやァ、それにしても随分と腕を上げましたね、朝緋サン! まさかここまでボクと始解で渡り合えるとは思いませんでしたよ」
「(そりゃ死ぬ一歩手前まで追い込まれたら死ぬ気で戦うしかないじゃん! 馬鹿なの!?)」
「これじゃあ益々、十七席なんかに置いておくのは勿体ないなぁ」
「(よく言うよ!)」
「どうです? ここらで何か一つ、朝緋サンひとりで研究とか開発してみません?」
「(いやあの、その前に、はやく助けてくれませんか? 私たぶん、あなたの目の前に転げ落ちて倒れてると思うんですけど!!)」
「題材はなぁんでもいいっスよ! 朝緋サンの研究資金はたんまり余ってますからね!」
「(え、無視? 無視なの? 結構瀕死なんですけど! 真面目に死にそうなんですけど!)」
「ああでもそうなると、この先の予定は少し調整しないといけないっスね。まあその辺はボクが上手いこと何とかしておくんで、朝緋サンは——」
「いつまでひとりで喋ってんだこの野郎っ! 死ぬわ!!」
「……おや。でもそう言う割には元気そうじゃないっスか」
「どこが……!?」
「ハァ、仕方ないっスね。あっちに傷も霊圧も回復する温泉あるんスけど、ボクが運んでいきましょうか?」
「……はやく連れてってください。もうしんじゃいそうです」
「……やれやれ。死にそうなぐらい痛くてしんどい思いしなきゃ、アナタはいくら教えても納得しないでしょうに」
「……(……ムカッ!)」
あの浦原喜助と、互いに始解しての手合わせ。かつての霊術院入学前の稽古なんかお遊びレベルで、今回ばかりは事情も事情だから本当に死ぬかと思った。殺されると思った。そういう極限状態でいかに
目は霞んでよく見えないし、身体は少しも動かない。ので、大変不本意だけど彼に身を委ねるしか助かる術もなく。体が地面から離れたのち、胸やらお腹やらに温かみを感じたので何度か瞬きをして目を懲らす。すると、普段より少し高いところから地面が見えて、すぐ近くにはふわふわと癖のある亜麻色の髪。規則的に上下に揺れることからして、おそらく今わたしは彼の背におぶられているんだと悟った。……ここできっと、乙女なら重いから下ろしてください、なんて健気なこと言うんだろうけど、全然無理だ。私ってつくづくこの人の前で女捨ててるよなぁ。恋心が泣いてるよ。まあそれももう今更だから、何とも思わないんだけど……。とにかく本当に死にそうなぐらい痛くてしんどいので、早くあの魔法の温泉まで連れて行ってほしい。今は自分の体重なんかよりそっちの方が大事だ。
「……うらはら、隊長」
「なんスか?」
「…………いや、やっぱり、なんでもないです」
「……先に言っておきますけど、ボクは何度も本気でアナタを斬ろうとしましたからね」
「!」
「アナタの手足が今もまだ残っているのは、紛れもなくアナタがそれだけの実力を持ってるってことなんですから。ボクが手加減してたとか言わないで下さいよ」
「……手足がなくなったら、強くなっても戦えなくなっちゃうよ」
「……今のは例えで言っただけです」
「……ならよかった」
「……」
「……あ〜、もうあちこち痛くて前もよく見えないし、頭も割れそう。死にそうです。死ぬかも」
「はは、大丈夫っスよ。痛覚があるならまだ死にやしませんから」
「(……暗殺と拷問のプロに言われると怖いよ〜)」
「……」
「……」
「……まあ、でも」
「?」
「よく頑張りましたね。……本当に、アナタは強くなった」
「……」
「誇らしいですよ」
「……」
「……」
「……ぅ、」
「? 朝緋サン?」
「……っ、く」
「え?」
「……は、吐く……! きもちわるい……!」
「わー! ちょ、た、たんま! 後ちょっとですから!」
「(む、むり……!!)」
迫り上がる吐瀉感を気力だけで堪える。わ、私だって、よもや好きな人の背中でなんか吐きたくないですよ!! さすがにそこまで乙女心は廃れてないよ!! と、意地を張ってもはや息を止める勢いでなんとか堪えていた——その瞬間。
——ガツン!!
「「あ」」
突然強い衝撃が脳天に加わり、私の意識はそこでぶつりと途絶えた。
……間際に見えたあのきらめきは、湯面の揺らぎではなくて三途の川だったらしい。
「……って、死んでたまるか!!」
「おお、目が覚めたかの」
「……っえ?」
ぱちり。死の淵からなんとか戻ってきたかと思えば——目の前には、大変麗しい美女の顔。
そして。……ちゃぽん、という水音。
「う、うわああああ!!」
「なんじゃ、そんな化け物でも見るような目で。あんまり暴れると溺れてしまうぞ?」
「! うっ、ごふっ、げほ!」
「ほうら、言わんこっちゃない。それ、じっとして儂に身を委ねておれ」
「だっ、ばっ、む、無理ですよ!! ていうかなんで夜一さんがここに!? どうしてそんな当たり前のように一緒に温泉に浸かってるんですか!?」
「なんじゃ、美女と湯に浸かれて興奮しておるのか? のう?」
「だあああ! ちょ、み、見える……! 見えちゃいますから!!」
「なに、そこまで恥ずかしがらんでもよい! 儂とお主の仲ではないか!」
「な、何この状況……!? 何があったら夜一さんに抱っこされたまま湯に浸かることになるんです……!?」
目が覚めて真っ先に飛び込んできた光景。それは、何故か私を抱っこしたまま例の温泉に浸かっている夜一さんだった。……ダメだ。無理無理。ぜんっっぜん意味がわからない。何これ?? 完全に混乱している私を余所に、まるで赤子の世話でもするように私を抱き抱えて笑う夜一さん。——あやうく彼女の豊満な膨らみが水面からこんにちわしてしまいそうになるので、たまらず視線を上へと逃がす。
「何ってそりゃあ……満身創痍で失神したお主を喜助が湯に浸けるわけにもいかぬじゃろ? それともあの状態のまま放っておいたほうが良かったかの?」
「!? て、ていうか、あれ、私どうして気を失って……?」
「——それは夜一サンが、ボクの背中に朝緋サンがいるのに気が付かないで襲ってきたからっス」
「わああああああああ!?」
「襲ってなどおらん、人聞きの悪いこと言うな。ただの挨拶じゃろ」
「そんなこと言って、夜一サンが加減もせずに宙から蹴り落とすから朝緋サンが失神しちゃったんじゃないっスか」
「ちょ、う、浦原隊長!? どこにいるんですか!? ふざけないでくださいどう考えても今ここは女湯なんですけど! いくらあなた達が仲良いからって超えちゃならんモンがあるでしょうが!!」
「ヒドいなぁ、さすがのボクも覗きの趣味はないっスよ。……ほら、ココです。見えますか?」
ただでさえ訳の分からぬこの状況でさらに、この場にいちゃいけない人の声が聞こえてもう洒落にならない。ゼェハァ、と息を切らしながら声のした方へ目を向けた。——そこには、大きな岩の向こうからヒラヒラと動く手が見える。……見えてるのは手の甲だから、たぶん、背を向けて岩の向こうにいるんだろう。……だとしても、そんな風に女湯の傍に控えたままなのはどうなのよ。
「……はぁ。なんかもう疲れた」
「大人しく湯に浸かっておれ。あやつ調子に付き合っておるとキリがないぞ」
「……まあ、そんだけ騒げるならもう平気そうっスね」
「(一体誰のせいだと……?)」
「それじゃあ、ボクはそろそろ隊舎に戻るので。夜一サン、あとは頼みましたよ」
「うむ。任せておけ」
「……ん? あとは頼みましたよ?」
「あ、そうだ朝緋サン。さっき言ってた“アナタにひとりで研究とか開発してほしい”って話。あれ、本気なんできちんと考えておいて下さいね。ヨロシクっス!」
……そう言うやいなや、彼はもう用事は済んだと言わんばかりにカッカッと乾いた足音を響かせて、颯爽とこの場から立ち去って行った。
「……」
「……お主も喜助の無茶ぶりには辟易してるようじゃの」
「あんなの誰が付き合いきれるんですか。体も命もいくつあっても足りませんよ」
「ははっ! そうじゃな。儂も、あやつにはもう少し自分を省みる癖をつけてほしいと思うておったところじゃ」
「(散々実戦任務を回してきたあげくに、今度は一人で科学者っぽいことしろって、急になんなのーー……)」
「……さて。そろそろお主の傷も霊圧も癒えたじゃろ?」
「え、ああ……はい。そういえばもうすっかり元通りです」
「よし、では……」
夜一さんはそう言ってニッコリと笑った。
——ああ、これデジャヴだ。
「続きは儂と始めようかの!」
「ふっ、服を着て下さい!! 服ー!!!」
***
「……にしてもあれじゃの」
「?」
「お主は戦い方が喜助にそっくりじゃな」
「……え、」
白打が苦手だというこの少女に軽い手解きを終え、互いに休息を取っていたところで。ふと思ったことを口にすれば、彼女はその瞬間面白いほどにピシッと固まった。
「立ち回り方も太刀筋もよく似ておる。おかげで随分と戦いやすかったぞ」
「え……ええ?」
「刀の振り方から身のこなし方まで、一から奴に教わったのが手に取るように分かる! さすが師弟じゃな!」
あっはっはっは! と大きく笑って彼女の背を大袈裟に叩く。しかし当の本人は「い、いやぁ、」だの「そ、そんなことは」だのと釈然としない様子だった。
「……なんじゃ? 嬉しくないのか?」
「ど、どうなんでしょう……」
「あやつの教えがしっかり身についておると褒めてるんじゃぞ」
「……本当にそうでしょうか」
「ん?」
「い、いやぁ、その。私のような若輩者にはまだまだ、あの人の教えは全然身に付いないと思うって言うか」
「……」
「確かに基礎基本は一から教えてもらいましたけど……戦いに対する矜持とか覚悟とか、そういう一番大切なものはまだ受け取り切れてないから」
「……」
「だ、だから、その……ただ立ち回りとか太刀筋が似てるだけで、ほ、褒められるようなものじゃないっていうか」
「……お主はあれじゃな、ちと馬鹿正直すぎるな」
「は、はい?」
困惑した顔で首を傾げるこの少女には心当たりがあまりないのだろう。眉を寄せながらも続きを聞き取ろうとこちらを見据える真っ直ぐな目に、自然と口元が緩んでいく。
「(なるほど。そういうことか、喜助)」
「……?」
「すまんすまん、気にしなくて良いぞ」
彼女が気を失っている間に交わした会話を思い出す。……教え子をわざわざ儂に『頼んで』来たのは、自分の教えに思うことがあったからなんだろう。あわよくば儂に一枚噛ませようという魂胆があけすけで、やれやれと肩を竦める。
——お主が心配せんでも、こやつはちゃんと学んでおるではないか。
戻る | 次へ
表紙
TOP