気付かぬふりは子供、知らんぷりは大人
どんよりとした分厚い雲。吹き付ける風はあっという間に体温を攫っていき、ぶるりと体を震わせて肩を縮こませる。白い吐息がしんしんと降る雪の中へ吸い込まれていく様子をぼんやり見つめながら、堪らず襟巻きの中へ鼻を埋めた。
——今しがた、天気予報の通りに初雪が降り始めたところ。寒い。寒すぎる。なんだってこんな日に外回りをしなくちゃならないんだ……。己のスケジュール管理の甘さを惜しみながら、ギシギシと頼りない音を鳴らす荷台を引いて瀞霊廷を歩み進める。死神の女が一人で荷台を引く姿はそれなりに目立つのか、すれ違う死神たちは軽い会釈と共に物々しい視線を送ってくる。……そんな目で見なくても。これが仕事なんですよ。心の中でそう反論を浮かべながら、目的地へと向かった。
「(どこも大体同じ作りなのに……緊張するなぁ)」
早いところ要件を済ませてとっとと隊舎へ戻ろう。そう強く意を決して——初めて訪れる大きな門前で、大きく息を吸った。
「おはようございます! 十二番隊十七席、翡葉朝緋です! 義骸の回収に伺いました!」
しんしんと降る雪に負けぬよう、ハキハキと告げる。——程なくして『八』と書かれた大きな扉は、重厚感のある蝶番の音と共にゆっくりと開いた。中から出てきた門番らしい隊士に“担当を呼んでくるから待って居て欲しい”と告げられ、大きな門は再びゆっくり閉じていく。
——冷え切った指先へ、はあ、と息を吐く。右手と左手、隙間なく指を絡めて祈るように握って、僅かな温もりを閉じ込める。……この世界に来て数年経ったとはいえ、文明の利器が溢れた令和の日本で育った私には気温変化への順応性が著しく欠けている。暑さは嫌いなのも寒さが苦手なのも当然で、慣れるまではどうしようもない。せめてもの防寒具として身に付けて来た襟巻きも、吹きつける風が繊維を貫通してきて薄ら寒い。既にかじかんだ指先は段々と感覚が遠のいていて——もしこれが遠征任務とかだったら仕事にならないなと苦笑いが浮かんだ。……ちょうど、その時。
「おやぁ、どうしたんだいこんな寒い日に。ウチに何か用かな?」
「!」
間延びした、けれど落ち着いた柔らかい声。
振り返れば、桃色の派手な羽織を身に付けた人が、そこにいた。
「(京楽さん、だ……!)」
「? おーい、聞こえてる?」
「あ、は、はい! すみません、門番さんに要件は伝えてありますので、お構いなく……!」
「いやぁ、そう言われてもねぇ。こんな別嬪さんを雪が降る中外で待たせるわけにはいかないでしょ?」
「ええ!? い、いや、その、」
「ホラ、遠慮しないで。おいでおいで。あったかいお茶出してあげるから」
「わ、ちょ、あの——」
「何どさくさに紛れて腰撫でようとしてんねん!!」ドスッ
「う゛……!」
「!?」
刹那。視界から突然、京楽さんが消えた。
驚いて鈍い音がした方へ目線を動かすと——腕を組んで片足を蹴り上げているリサさんと……壁に手をついて腰をさする京楽さんが、そこに。
「ひ、ひどいじゃないのリサちゃん……何もいきなり蹴り飛ばさなくたっていいじゃない」
「アンタが他所のもんに下心丸出しのスケベなことしようとするからやろ」
「いやぁ、だって見るからにこの子寒そうだったし、見てて僕の方が寒くなるって言うか……」
「あ、あの……だ、だい、じょうぶ、ですか……?」
「あんなスケベオヤジの事なんて心配せんでええよ。放っておき」
「(そ、そう言われても……)」
「……ん? なんやアンタ、ひよ里んとこの」
「え、あ、はい……! お、お久しぶりです、矢胴丸副隊長……!」
「あれ。リサちゃん知り合いだったの?」
「いや、知らん」
「「ええ……?」」
「ダチのダチや。……なんやったっけ、名前」
「あっ……も、申し遅れました! 十二番隊十七席、翡葉朝緋です……!」
「……あぁ。……へえ、君が噂の朝緋ちゃん?」
「? 噂の……?」
「ホラ、二年で霊術院を卒業した才女が、最近虚討伐でも着実に名を上げてるって……リサちゃんも聞いたことあるでしょ?」
「ああ、それならウチでもしょっちゅう話題に——」
「ひ、人違いじゃないですかね」
「え?」
「人違いですよ、人違い。私が才女だなんてとんでもない! あっはっは、噂って怖いなー」
「「……」」
ものすごく何か言いたそうな視線がこちらを向いているが、あえて気にしない。
「そうだ。私、義骸を回収しにきたんですけどどちらに保管されてますか?」
「……それやったら向こうの——」
「ん? あっち? あ! あの倉庫ですね、分かりました! ありがとうございます!」
「「……」」
「じゃあ私はこれで失礼します! お二人も、今日は冷え込みますから暖かくして過ごしてくださいね。では!」
そう言い残して教えてもらった倉庫へと駆け足で向かった。
さっさと義骸を回収して帰ろう。何も聞かなかったことにしよう。無心で複数体の義骸を荷台へ運びながら——名前が広がるなんて面倒なことが起こってたまるかと、大きく息を吐いた。
「……」
「……」
「……絶対にアイツやろ」
「人違い、じゃないよねぇ……」
***
「ただいま戻りました〜……」
八番隊隊舎から技術開発局へ。荷台に乗せて義骸を持ち帰り、義骸点検用の保管室へ運び込む。魂の入っていない義骸の素体はどれも人体模型の人形のようで、標準的な大人一人分の大きさがある。それが入った木箱はさすがに一人じゃ一度にひとつしか運べない。……これらの義骸はほぼ全てが彼の創り出した作品でもあるから、より一層粗雑に扱う事は躊躇われる。慎重にひと箱ずつ運び入れていき、すべての作業を終える頃にはとっくにお昼を迎えていた。降り始めた初雪は積もることなく止んだようだが、相変わらず気温は低い。……今日の夜はお鍋にでもしようかなぁ、なんて。そんなことを考えながら、研究室へ続く扉を開けた。
「おー、おかえり。なんや、どこ行ってたん?」
「八番隊まで義骸の受け取りに。まさか本当に雪が降るなんて思わなくて、タイミング最悪でしたよ」
「さよか。そらご苦労さん」
「……ひよ里さん。隊舎が寒いからって暖かい研究室に仕事持ち込むのはいいですけど、朝から全然減ってないじゃないですか」
「ああ? これはさっき新しく出来た分や! 自分だけ寒い思いしたからってウチがサボってるみたいに言うなやハゲ!」
「……さいですか……」
「あーあ、デカい声出したら腹減ってきたわ。朝緋、昼飯いくで」
「あー、すいません。今日もちょっと……」
「……ああ? なんやまた調べもんか? 副隊長が飯行くで言うてんのによくそないに毎回断れるな、さすがやわ」
「だって忙しくてお昼しか時間取れないんですもん〜〜、また来週誘ってください! それまでには片づけておきますから!」
そうは言ったものの、ひよ里さんはフン、と目を逸らして一人で研究室から出て行ってしまった。……ここのところ、お昼はあることを調べたくて毎日書庫に通っているのだが……そのせいで何度もひよ里さんからの誘いを断ってしまっていた。……今のでもう三回連続断っている気がする。ああ、申し訳ないな〜……。別に一緒に食べたくない、とかではない。断じてそうじゃないのだけど……日中も、終業後も、通常業務を片付けるのに忙しくて調べものをする時間がお昼しか確保できないのだ。
——コンコン
「失礼します。副局長〜。東棟の書庫の鍵、借りていきますね〜」
「……またお前かネ」
「もう、睨まないで下さいよ。午後が始まる頃にはお返ししますから」
「そんなことはどうでもいい。私は君の行動が解せない、と言っているのだヨ」
「……私もそう思います。似合わないですよね、私が科学について調べものするなんて」
「……」
「でも命令なんで仕方ないんです。理由なら浦原隊長に聞いてください、私も知りたいし」
「……」
私が彼の名前を口にすると、マユリさんは途端に面倒そうな顔をして黙り込んでしまった。……まあ、そうなると思ってあえて言ったんだけど。「じゃあ、お借りしますね。失礼します」と言って壁に掛けられた書庫の鍵を手に取って、そそくさとマユリさんがいた室内から廊下へ出た。……あまり時間はないから、この状況を他人に説明する手間は惜しいのだ。——最も、私自身どうしてこうなったのか一切理解は出来ていないのだけど。
「どうです? ここらで何か一つ、朝緋サンひとりで研究とか開発してみません?」
「題材はなぁんでもいいっスよ! 朝緋サンの研究資金はたんまり余ってますからね!」
「——あ、そうだ朝緋サン。さっき言ってた“アナタにひとりで研究とか開発してほしい”って話。あれ、本気なんできちんと考えておいて下さいね。ヨロシクっス!」
——秋の初めにそんなことを命令されただけで、この件に関して彼からの説明は一切ない。「調子はどうっスか?」なんてたまに聞かれるけど、「いやぁ、急に言われても何をどう始めていけばいいのかさっぱりで」と答えるしかなかった。そのうち何も手を付けられない私を見かねてか、「朝緋サンが興味のあるものについて、まずは調べてみたらいいんじゃないっスか?」と素人向けにもほどがある助言を貰い、動き始めたのが先週のこと。そこからはこうして、書庫に通って様々な文献を漁ってみたりしているんだけど……これまで実戦任務ばかりだった私が急に科学者の真似事をするなんて、そりゃあマユリさんだって気に食わないだろう。ひとりで研究とか開発してくれ、って。せめてもっとこう、具体的な内容とかそっちで決めてくれたらよかったのに。
「……興味のある、もの……」
私が興味のあるものってなんだろう。技術開発局と十二番隊、それぞれの業務に忙殺される日々を過ごしていて、ここのところ自分の興味関心になんて思考を割いている余裕はほとんどなかった。——それは好きなもの? 苦手なもの? それとも憧れているもの? 様々なものを次々と頭に思い浮かべては、どれもパッとせずに沈んで消えていく。……うーん、困ったな。みんななんて事の無いように毎日研究してるけど、テーマを決めるのがこんなに難しいなんて思わなかった。
「…………みんな、か」
膝の上に置いていた本をぱたり、と閉じる。
——書庫の扉の先を、何とはなしに見つめた。
***
しんと静まり返った午後八時。まとめた報告書を読み返しながら、ふう、と机に頬杖を付く。……ああもう、今どこまで読んでたっけ。集中が途切れて目で追っていた先を見失い、一行上から読み直す。
——バタン!
「! び、びっくりしたぁ」
「朝緋。飯行くで」ガシッ
「え、うわっ、ちょ、」
「断ろうとしても無駄やで。もう店の席とってあるからな」
「いや、ちょっ、待っ……まだ報告書終わってな——!」
「んなもん明日でええやろ。ほな行くでー」
「わ、ちょっと、待っ——ひ、ひよ里さん……!?」
突然大きな音を立てて研究室の扉が開いたかと思えば、後ろからひよ里さんの腕が私の首に巻き付いて。抵抗する間もなくものすごい力で私は椅子から引きずり降ろされ、あっという間に研究室の外まで連れ出されてしまった。い、いや、あの、報告書まだ終わってないし戸締りとかも出来てないんですけど——! という抗議は虚しくも全て聞き流され、私はそのままひよ里さんに首根っこを掴まれてズルズルと引きずられていった。研究室の明かりがどんどん遠ざかって小さくなっていく。た、確かにお昼のお誘いは断り続けてたけど、こんな強引な誘い方ある……!? いや、ひよ里さんらしいと言えばらしいけど、誘拐じゃん……! 拉致られてるじゃん……!
「……おや。どうしたんスか二人とも——」
「邪魔や。退き」
「ぐふっ、ごほっ……お、お疲れ様です、浦原たいちょ……!」
「(……仲良しだなぁ……)」
ひよ里さんに襟首を掴まれて引きずられたまま、廊下で彼とすれ違う。首が絞まっている状態でなんとか退勤の挨拶を伝えるも、彼はとても微笑ましい視線をこちらへ向けて軽く会釈を返すだけだった。……ちょっと。私が引きずられたままなのはつっこんでくれないんですか。
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