気付かぬふりは子供、知らんぷりは大人





「ひ、ひよ里さん!」
「なんや」
「そ、そろそろ離してください……! 自分で歩きますから……!」
「ん」ドサッ
「へぶっ!」
「はっ、なっさけない声やなァ! カエルか」
「な、何もそのまま手を離さなくても……!」
「……」
「……?」
「朝緋」
「はい?」
「オマエ、おでん好きか」
「え、あ、はい。好きですよ」


 すると、「ん、」と言ってひよ里さんはピッと親指で前方を指示した。——そこには、提灯の暖かい色に包まれたとても昔懐かしい雰囲気の漂う屋台が一件。年季の感じる暖簾には「おでん」と刻まれていて、人の良さそうな優しい表情を浮かべた店主がカウンターの中で腰かけていた。……たったそれだけで、身に染みた真冬の寒さが和らぐ暖かい空間だった。
 初雪のちらついた今日。夜ご飯は暖かいものにしようと、定番のお鍋を思い浮かべていたけど……屋台のおでんなんて、あまりにも最高すぎやしませんか。その雰囲気だけで食欲が刺激され、自然と空腹に意識が向く。何を頼もうかな、なんてメニューを考えながら一歩踏み出したその時——屋台の座席に座っていた人物がこちらを振り向いて、ばちりと目が合う。


(……え、)


「おーっす、お疲れさん〜。先始めてんで」
「真子が腹減ってもう我慢出来ひん言うたからやろ」
「リサ、おまっ……余計な事言うなや」
「(な、なぜこの二人がここに——!)」
「待てが出来ひんて、オマエは犬か。……いや、犬の方が可愛げあるからちゃうか……」
「やかましいのォ! オレの奢りなんやから何でもええやんけ!」
「こないな大衆向け屋台で奢りやって威張られてもなぁ?」
「ああ? ほならひよ里の分は奢りませーん! ……ほら、朝緋。突っ立ってないではよこっち座り」
「ハァ!? なんでやねん! この前ウチが財布忘れたハゲの分払ってやったん忘れたんか!? ああ!?」
「え、あ……ええと、あの、お、お邪魔します……(小声)」


 横並びになった座席の奥にはリサさん、そしてその隣に真子さんが並んで座っていて。そこにひよ里さんが加わって、なんともまぁ賑や……騒がしい関西弁トリオが揃ってしまった。店主のおじいさんは穏やかに笑っているけれど、既に結構な音圧だ。本人たちにその気は全くないのだろうが、この完成された身内の空気感に立ち入るのは……とても、すごく……かなり勇気がいる。言い争う彼らを前に、ハハ……と適当な愛想笑いを浮かべて、なるほど、ひよ里さんが有無を言わせずに私を拉致した理由に少しだけ納得がいく。リサさんと真子さんも一緒だということを事前に伝えれば、私が難色を示すと分かってたから。その反応が面倒で、強引に連れて来たんだろう。

 ——彼らは三人とも、揃いも揃って“遠慮されること”が嫌いなタイプだ。私が変に委縮したり顔色を窺っていれば、きっとこの人たちは私に対して余計に気を使うんだろう。……その読み通りに、真子さんはやいのやいの言いながらも、たじろいでいる私をゆっくりと見つめてちょいちょい、と手招きをしている。


「朝緋、何頼む?」


 さも当然、と言わんばかりの自然な流れで、私はひよ里さんと真子さんの間の席に。……騒がしい関西弁トリオと同列視されたくなかったのにな。そう思いながらこの先の色々を諦めて席につき、温かい湯呑をぎゅっと両手で包み込んで冷えた指先を温めた。
 カウンター越しの平たい大きな鍋から出汁の香りがぶわりと立ち込める。何にしようかな、と目線より少し高いところに置かれたお鍋の中を覗き込もうとして——ひよ里さんが私に見やすいようにと、私たちの間に小さなお品書きをひらり、と置いてくれた。視線をお品書きへと移し二人でそれを覗き込みながら、一体隊長格三人が揃ったこの場で何を頼むのが無難なんだろうと、並んだ文字を上から順になぞって考える。


「……うーん、どうしよう。大根とこんぶと……あとちくわぶにしようかな」
「少な! もっと遠慮せんと頼み、俺の奢りや」
「じゃあ牛すじも追加で」
「「(いっちゃん高いやつ行くやん……)」」
「……ああ、すごくいい匂い。お腹減ったなー」
「もうちょい待ち。すぐ出してくれるから」


 注文を終えてから、両手の中にある湯呑を持ち上げてずずっとお茶を啜る。ほうじ茶だろうか、独特な香ばしさが鼻腔を抜けて、熱の塊が喉を通って空きっ腹の胃の中へ落ちていく感覚がはっきりと伝わってくる。そんな私を横目で見て、私が相当お腹を空かしていると思ったのか真子さんはケタケタと笑って「なんや自分、昼飯食うてないんか?」と尋ねて来た。……数秒、頭の中で今日の出来事を振り返りながら「食べましたよ」と答えると、すかさずひよ里さんが「は〜、ウチの誘いを調べもんがある言うて断っとったくせに、何食うたん」と突っ込んでくる。私は湯呑の中をじっと見つめたまま「……賞味期限が切れそうで余っていたお茶請けの、苺大福と草餅をいただきました」と小さな声で答えた。すると右隣からボソっと「……太るで」と余計な一言が聞こえて来たので、反射的に白い隊長羽織の上から腕をギュッと摘まんでおいた。ええい、うるさい。食べ物を粗末にしちゃあいかんでしょうよ。


「真子、アンタもう噂の女と仲良くなっとったんか。相変わらず手が早くて引くわ」
「噂の女?」
「最近虚の討伐で活躍しとるっちゅう、霊術院を二年で卒業した才女ってその子なんやろ?」
「だから人違いですってば」
「ああ、そういや聞いたで。一人で虚の大群に突っ込んで全滅させたとか、毎回死傷者出さずに帰ってくるとか。やるやん、朝緋」
「違いますって人違いですって」
「十二番隊は戦闘力が〜ってどうのこうの言われとったけど、それももう心配なさそうやな。お前の噂が出回ってからあんまし陰気なこと聞かへんくなったわ。なァ、ひよ里」
「え」


 ピシッと固まった視界の端で、ひよ里さんが黙ったまま怪訝な顔でふい、と顔を反らしたのが見える。……え、な、なに、それ。


「ちゅうか、俺はコイツとは元々知り合いや。コイツが霊術院に入る前から知っとるよ」
「なんや。その子と仲良うないんはウチだけか」
「いや、リサは朝緋に会うたことあるやろ。昔にラブとかローズとかも一緒におった時飯食ったやん」
「知らん。覚えてへん」
「あ、あの——!」
「ん? なんや?」


 ——十二番隊は戦闘力がどうのこうのって、なんの話ですか。
 右隣の真子さんへそう問い掛ければ、彼は僅かに目を細めてから「ああ……そうか。朝緋は知らへんのか」と独り言のように呟いた。その声色は普段とは変わらず、ただ何かを思い出したような口ぶりだった。
 なんて説明しようか。そんな風に思案しているだろう沈黙が僅かに続く。そうして、真子さんがゆっくりと口を開いた時——彼よりも先に言葉を発したのはひよ里さんだった。


「ちょっと考えたら分かるやろ」
「……でも、」
「喜助が十二番隊に来てから、方針が合わない言うて席官たちも含めて何人も抜けてったんや。その状態で非戦闘員のやつらばっかしが集まってきたら、そりゃ十二番隊は弱くなったって言われて当然やろ」
「……」
「……言っとくけど隠しとったんちゃうからな。お前が他の隊のやつらと関り持たへんから聞いたことなかっただけやぞ」


 ……そう、だったのか。
 詳細を聞く前に、なんとなくそんな事なんだろうなと予想はしていたけど……。……私は今まで、外から見た十二番隊を……周囲が十二番隊をどういう目で見てどんな評価をしているかなんてちっとも考えたことなかった。言われてみれば、霊術院に在学している間に技術開発局の根も葉もない噂はたくさん聞いたけど……そうか、それもこの類の噂話だったのか。

 口を閉ざした私の目の前に、ちょうど「へい、お待ちどうさま」と言っておでんが差し出された。どんぶりの中には黄金色のお出汁に、染みに染みた大根がふたつ。提灯の明かり受けてつやつやに輝くこんぶと、ふっくらしたちくわぶ。牛すじの串はおまけしてくれたのか、三本も入っていた。うん、すごくおいしそうだ。……シリアス、とまではいかずとも、しかし和気藹々と呼ぶには少し重い空気。私にはこの空気を変える術がないので、黙って両手を合わせて「いただきます」と箸を手に取った。





「……これは俺の憶測やけど、」
「?」


 しばらくそのまま沈黙が続き、私が大根の三口目を食べようと箸で掴んだ時。私とは反対に箸を置いた真子さんが何かを思い立ったようにふいに口を開いた。


「もちろん世間体を守る為でもある。せやけどアイツは……喜助は、技術開発局を創っただけで十二番隊を変えようとは思ってへんのちゃう」
「……」
「戦力が欠けてることなんて隊長のアイツが一番わかっとるはずや。研究出来れば十二番隊が弱いままでええとは思ってないやろ」
「まあ、それは……そうだと思いますけど」
「……しゃーから、それを立て直すために……朝緋の力を頼りにしとるんちゃうか」
「!」
「実力あるやつに任せるんは隊長としても当然の判断やしな」
「な、なん……なんでそこで私が出て来るんですか。十二番隊の戦力を補うなら、元から在籍してる隊士達を強化するべきなんじゃ……」
「さぁな。……ま、それは建前でほんまは別の理由があるんやろ、」
「え?」


 真子さんはそう言って、私から視線をずらして奥にいるひよ里さんをじっと見つめた。——その意味ありげな視線を受けたひよ里さんは、ただ黙ってどこでもない場所をじっと見ているだけ。……なんだ、一体。その沈黙はどういう意味なんだ。


「……まあ、でも」
「よく頑張りましたね。……本当に、アナタは強くなった」
「誇らしいですよ」


(…………)


 ……欠けた十二番隊の戦力を立て直す為に、私の力を頼りにしてる。はは、いくら私が直接教えを受けた弟子だからといってそんなのは買い被りすぎだ。少なくとも私にその自信はない。……でも、あの人の事だ。最近実戦任務ばっかりだったのも、ただの適材適所だと思ってたけど……言われてみればそういうことだったのかもしれない。だから翡芲が上手く使えなくて倒れた時、わざわざ稽古つけたりしてあそこまで気にかけていたのか……。

 ……いやいや。それならなんで、今度はひとりで研究開発してくれなんて急に言い出したんだ。辻褄が合わないじゃないか。私には実験の補助をする程度の知識があるだけで、主体的に何かを成せるほどの頭脳がないことはあの人が一番よく分かっているはずだ。


「——ボクら技術開発局は、何千年もの歴史を持つ尸魂界の中じゃ無名も同然の組織っスから。『結果』を出し続けなきゃ、価値を認められないのは当然でしょう」



 ……世間体。護廷十三隊の隊長は、私の想像もつかないような、とびきりややこしくて重苦しい何かを背負っているんだろう。矢面に立って隊を率いている真子さんだからこそ、彼と同じものが見えているのかもれない。私にはそれを推し量ることも出来ない、けれど。


「……でも、私は、」
「?」


 ……私は、本来存在しない死神なんだ。名も知れずひっそりと、ただ縁の下の力持ちになり彼の背負うものを支えられたらそれでよかったのに。

(……もう今更、なのかな)


「……いえ。なんでもないです」
「? さよか」
「……それにしても、意外ですね」
「ん?」
「いや、真子さんが妙に浦原隊長の肩を持つなぁと思って」
「……あぁ。まァ、せやなぁ」
「?」


 真子さんは椅子の背もたれにすっと寄りかかり、ぼんやりと頭上の暖簾を見上げた。そしてどこか懐かしむような柔らかい表情で「アイツは欲張りやからな。自分の好きなようにやりつつ、なんだかんだ曳舟隊長がおった頃の十二番隊も残そうとしとるんやろ。知らんけどな」と言って笑った。

 ——……ひよ里さんは何も言わなかった。けれど、膝の上でぎゅっと手を握っていたのが隣の私には見えてしまって。
 それきりこの話題に誰も触れることは無かった。寒夜の下で美味しいおでんを食べ続け、他愛もない会話を山ほど交わして。……穏やかで、暖かくて。またひとつ、私に忘れたくない思い出が増えた。


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