後悔すると知っていた
「さ、さささ、寒い寒い寒い……!」
「な、なん、なんで私が、こ、こんな目に……!!」
白。灰。白。
ガッと勢いよく踏み出した足で、穴を穿つように膝元まで積もった雪を踏みつけて前へ進む。
視界を遮る大粒の雪。それらは縦横無尽にとまではいかずとも、横流れだったり正面からだったり。様々な方向から激しく強く吹きつける。
薄く開いた瞼で、鋭く前を睨みつけても数歩先すらよく見えない。凍ったまつ毛の不快感を振り払うように一度、ぎゅっと目を瞑る。——そうして、脳裏に一瞬思い浮かんだ不愉快な顔への憤慨だけを力に、また一歩、着実に前へ歩みを進めた。
——遡ること数時間前。
「おい」
「……私は『おい』じゃなくて翡葉朝緋です。で、なんですか、副局長」
「五一番の素材が足りないヨ。今日入荷する予定じゃなかったのかネ?」
「ああ。それなら確か、天候不良が続いてるみたいで今は入手困難だって欠品してましたよ」
「……なんだと?」
「あれ、納品書お渡ししませんでしたっけ? ……あー、もしかしてまた浦原隊長で納品書の確認止まって——」
「ふざけるのも大概にしたまえヨ! この実験に私が一体どれだけの時間を費やしていると思っているのかネ!?」
「いや、そう言われましても——」
「大体、アレの在庫管理は貴様の担当だろう! なぜ在庫を切らす前に他の入手方法を検討しないのかネ!? 五一番なら他にも仕入れ先はあるだろう!!」
「だから天候不良だって言ってるじゃないですか。どこに発注したって欠品してるのは変わらないと思いま——」
「だったら貴様が自分で取ってこい! 今すぐにだ!!」
「………………は?」
「何を愚図愚図しているんだねこのウスノロ。副局長の私が貴様に命令しているんだ、早くし給えヨ!」
「い、いや、ちょっと待って下さいよ。と、取りに行ってこいって、だって五一番って——」
「そうか。ならば仕方ない。命令に従えないというのなら、貴様の体組織から代用することにしよう。……ホラ、さっさと横になり給えヨ。私は女性には寛容でネ、部分麻酔くらいは使ってや——」
「わ、分かりました! 分かりましたから!! 取ってきます、取ってくればいいんでしょう!!」
「……何故貴様にそんな目で見られねばならないのか理解は出来ないが。まァ、自力で取って来るというのなら三時間だけ待ってやろう」
「む、無理ですよ! どんだけ移動時間かかると思ってるんですか!! せめて半日は下さいよ!!」
その後も絶え間なくネチネチと嫌味を言われながら、なんとか半日の猶予時間を勝ち取って今に至る。
——何せ、五一番の素材とはとある場所でしか取れない天然結晶で。
——それは北流魂街の果ての果て。冬は猛吹雪が吹き荒れ世界から隔絶されていることから『白銀の牢獄』と呼ばれている地域なのだ。
……そんな場所へ、吹雪の無い暖かい時期ならともかく。真冬の今、「半日で素材を取って帰ってこい」なんて。
「……涅マユリ! 外道! 悪魔の化身! 絶対許さない覚えとけよちくしょう……!!」
***
——数時間前。十三番隊舎。
「……浮竹隊長。ちょっといいすか」
「ああ、どうしたんだ海燕。何かあったか?」
「いやぁ、少し気になる報告がありまして」
「……気になる報告?」
「今朝、北流魂街で行っていた演習なんですけど……途中で虚が出て来たみたいで。現場にいた奴らで対処に当たってたらしいんすけど……」
「……?」
「虚は倒したみたいなんですが、現場にいた新人隊士が一人どっか行っちまったみたいで」
「……!」
「いやまあ、ただの迷子だとは思うんすけどね? ……ただ、それを探しに行った同じ班の奴もまだ戻ってきてないみたいで」
「そりゃあ大変だ! 現場にいる者たちとは連絡は取れないのか?」
「待機してる奴らとは連絡はついてるんすけど。ちと、面倒なことになってそうなんすよ」
「面倒……?」
「——新人が迷子になった場所、『白銀の牢獄』の近くみたいなんすよね」
「!」
浮竹はその言葉を聞いて、思い悩むように口を閉ざす。顎に手を添えてしばし何かを考え込んだ後、「隠密機動には連絡してあるのか?」と、副隊長である志波海燕に確認するよう問い掛ける。しかし海燕は困ったように肩を竦めて「それが、『対象地域での捜索は困難を極める』って取り合ってもくれなかったんすよね。一応捜索隊は派遣してくれるそうなんですが……正直、まったく期待しない方がいいでしょうね」と苦言を呈した。
「そうか……それは困ったな」
「ええ。なんで、ちょっくら俺が探してこようかと思って」
「なっ……! だ、大丈夫なのか? この時期の『白銀の牢獄』は——」
「大丈夫っすよ! 俺、寒さには自信あるんで」
「……まあ、海燕がそう言うなら俺は構わないが……」
——そう言って、浮竹は迷子の部下二名の無事を祈って海燕を見送った。
白銀の牢獄は、死神であれば遭難したとしてもすぐに命を落とすような危険地帯ではない。だが、それは十分な装備を整えた上での話だ。真冬の猛吹雪の中、防寒具もなく迷い込めば命の危険がないとは言い切れない。……その認識は浮竹も海燕も同じだった。
別れ際。浮竹の両腕には、彼が用意したありったけの防寒具のうち、海燕が受け取ってくれなかった半数が山のように積まれていた。
***
「……ふう。こんなもんでいいでしょう……」
ゴウゴウと低く唸るような吹雪の音が響く、薄暗い洞窟の中。採取した天然結晶を痛まないように布へ包んでから箱へしまって一息つく。入手方法こそ困難極まるものの、天然結晶自体は洞窟のそこら中で見つかるのがせめてもの救いだった。二度とこんな目にあってたまるかと業を煮やしながら、結果として必要量の倍ほどを採取してやった。絶対にもう来ないからな! ——そんな思いを込めて、荷物を背負って猛吹雪の中へと再び身を晒す。
技術開発局で創られた防寒具のいくつかを身に纏い、平衡感覚が崩れそうな猛吹雪の中を霊覚だけを頼りにして進んでいく。何せここは流魂街の果ての果て。近隣の集落などに集う霊圧に向かって真っすぐ進めば迷うことはないのだ。確かに猛吹雪と深い雪そのものが脅威ではあるが、この装備なら遭難することは無い。分厚い外套を纏い襟巻に顔を半分埋めて、僅かに露出した目元に突き刺さる冷たさを堪えて前へ進んだ。
……とはいえ、寒冷地用の外套は冷気を完全に遮断してくれているが、外套に覆われていない四肢の先はもうとっくにかじかんでいて感覚がない。何より私は極度の寒がりで寒さが苦手なんだ。涅マユリに人体解剖されるよりはマシというだけで、こんな場所一刻も早く抜け出したい。そんな思いでただひたすらに歩いていると……視界の端に、それまでずっと見て来た景色とは違うものが映り込む。
「……なんだ? あれ」
一刻も早く帰りたい。その思いは確かにあるものの、曲がりになりにも“技術開発局の一員”として過ごしてきたからか、進路上にある得体のしれない“それ”に自然と興味が湧いて近づいて行く。——そして、転倒しないようにゆっくりとしゃがんでみると……
「…………花?」
「……すごい。こんな雪の中で咲く花なんてあるんだ」
降り積もった雪の白さとはまた違う、白い花びら。真ん中にはまるでとんがり帽子のような形をした不思議な花びらがあり、まるで一輪で二種類の花が咲いているようだった。
花は好きな方だけど、詳しいわけじゃない。これがどんな花なのか、その知識は全く私にはないけれど……茎の半分は雪の中に埋もれてしまっているにも関わらず、手折れることなくまっすぐと伸びて咲いているその花は——……とても逞しく、美しかった。
「……寒くないのかね、こんな場所で」
けれど。その逞しさと美しさを持つ花は、周囲を分厚い雪に囲まれた中でぽつりと咲いている。
……厳しい寒さの中で花を咲かせている姿に、柄にもなく勇気を貰ってしまった。でも、だからこそ。
「ひとりぼっちじゃあ、寂しいでしょ」
指先の感覚が覚束ない中、手袋を外して花の根元まで雪をかき分ける。そして、慎重に根を切らさないように引き抜いて——不思議なその花を摘んだ。……持ち帰って、“自分の研究に生かせるか”調べて、こんな寒空の下ではなく自然豊かな隊舎の中庭に植えてあげよう。勇気を与えてくれる美しい花なのに、ひとりぼっちじゃあ可哀想だから。
花が潰れないように死覇装の内へそっとしまいこんで、再び猛吹雪の中の帰路へ着く。
感じている霊圧の塊はすぐ近く。きっともうすぐでこの猛吹雪ともおさらばだ。あと少し、頑張ろう。
——しかし。霊圧に近づくにつれ違和感を覚える。
「(……死神の霊圧?)」
自分が目印として向かっていた霊圧は、集落に集った流魂街の魂魄たちなどではなく……死神のそれだった。まじか。もしかしたら私と同じようにこんな極寒の地に派遣された可哀想な死神がいるのかな……そんなことを思いながら、ついでに帰り道でも訪ねようかとその霊圧に向かって進んでいると……
「え、」
「……」
「だ、ちょ、ええ!? 大丈夫ですか!?」
そこには、猛吹雪に合わせて揺らぐ樹木へ隠れるようにして、“死覇装のまま”凍えている死神がいた。真っ青な顔でガタガタと震えながら、朧気な目でこちらを見据えた男は——やがてその目に僅かな希望の光を宿して「た、助けてくれ……!」と、必死に私へしがみついてきた。
よく見れば彼の傍にはもう一人の死神の姿。だが、意識が無いのか死にそうなほど青白い顔で横たわっている。辛うじてではあるが胸が上下しているのを確認して、思わずごくりと唾を飲み込んだ。
……もしかして、もしかしなくても。私が“目印”として向かっていたこの人たちは……ただの遭難者なのでは……?
「……っ、立てますか……!」
「あ、ああ……!」
考えるよりも先に体が動いた。——とにかく、この人達を救助せねば。
助けを求めてきた男へ手を差し伸べ、力強く引っ張る。彼は多少フラつきながらも立ち上がり、まだ歩けるかどうかを問えば「ああ、ま、まだなんとか……」と震えたまま答えた。
そして、横たわっているもう一人の死神へ、顔を叩いたり声をかけたりしてみる。しかし、意識が戻る様子はなかった。……ああ、私が回道を使えればこの弱りきった霊圧を少しは回復させてあげれたのに……。残念ながら、私にはそこまでの力はないのだ。
やるせなさを飲み込んで、今自分に出来ることを考える。
「(……よし)」
「! な、あんた何して——」
背に腹は代えられない。ここは文字通り、私が一肌脱ぐしかないだろう。
——その場で全ての防寒具を脱ぎてた。技術開発局特製の冷気遮断外套は倒れた死神に被せて、そのまま彼を自分の背に乗せる。残りの防寒具はその様子を驚いた目で見ているもう一人の死神へ「脱ぎたてですいませんけど、どうぞ着てください」と譲渡した。
「お、おい……! そんな格好で、そいつまで背負って大丈夫なのか……?」
「なに?」
「い、いや、その。言っちゃ悪いが、助けようとしてくれてんのはありがてえが……お嬢ちゃんじゃとてもそいつを運んで集落まで歩くのは……」
「ああん!? この期に及んで人の心配!? 死にかけてんのはそっちでしょうが!!」
「ヒッ」
「いいから黙ってそれ着ろ! 文句あんなら置いてくぞ!」
「す、すいません!」
つい思ったことをそのまま言ってしまったけど、なんだか舐められてるような気もしたのでこれでいいだろう。語気を強めたことで男も自分が助かることに考えを切り替えたのか、私が手渡した防寒具を急いで身につけて「……悪いな、助かる」と礼を口にした。
「はは、お礼を言うのは助かってからでいいよ」
「……お前、道はわかるのか」
「んー、まあ何となくは」
「え、」
「つか、こんな雪だらけなのに道もくそもないでしょ」
「……」
「大丈夫大丈夫、向こうの方に薄いけど霊圧感じるから。集落はそこなんじゃない? よし、行ってみよう!」
「(こいつ、本当に頼ってよかったのか……?)」
よいしょ、と倒れていた死神を改めて背負い直して、先ほどよりも慎重に歩を進める。足元は今までよりもうんと深く沈んでいき、一歩一歩が鉛を引きずっているように重たい。……こんなこと、昔の私なら間違いなく出来なかっただろうな。これでも“人間”だった頃に比べたら随分と逞しくなったものだ。
疑われたくはないからと周囲を遠ざけていたあの頃。それでも、手を差し伸べてくれる彼らが居なければ、自分はこの世界で生きることすらままならないのだと思い知らされた。……いつしかそんな彼らに、何もしてあげられない自分が許せなくなった。雑用係として過ごしていたあの頃の自分は、きっとこんな風に誰かのために手を差し伸べられるだけの力が欲しかったんだろう。
「……はぁ、はぁ……っ」
天候は変わらず、数歩先も見えない猛吹雪。改めて、死覇装だけになった私の体には凍てつく風が容赦なく吹き付けてくる。小さな氷の刃が全身に突き刺さってくるみたいだ。冷たいを通り越して痛い。そんな極限の寒さの中では体温はどんどん奪われていき、体の芯から冷えて震えが止まらなかった。
……しかし。それでも、それでも。
こんな苦しい逆境でも、今なら乗り越えられる。不思議とそんな力が湧いてくるのだ。
「……っ、頑張れ、頑張れ……!」
「……あと少し、だから……!」
倒れた死神を背負い、隣を歩くもう一人に肩を貸しながら。一歩一歩集落へ向けて前へ進む私の胸元には。
雪の中でも逞しく美しく咲いていたあの花が、静かに私を勇気づけてくれていた。
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