後悔すると知っていた
「——あれってもしかして、コレのことっスか?」
「!!」
マユリさんに採取を強制された天然結晶を届けるべく、今まさにベッドから降りようとしたその瞬間。突然耳に届いた聞き慣れた声に、私の全身の意識は一瞬でそっちに持っていかれてしまった。
首が取れるんじゃないかと思うぐらい、グイッと勢いよく声が聞こえた方を向けば——……
「心配しなくても、アナタが採取してきた天然結晶は必要な分だけ先に涅サンへ届けてありますよ」
「……う、浦原隊長……」
病室の入口。そこには、 人差し指と中指で天然結晶を挟み、壁に背を預けて寄りかかっている彼がいた。……な、何故ここに……。
「え、あ、……ほ、本当に届けてくれたんですか?」
「ええ。だからアナタは隊舎には戻らなくていいっスよ」
「そ、そうですか……あ、ありがとうございます」
「……なんだ、十二番隊ってのは仕事であんな場所まで行かされんのか?」
「い、いや……仕事というか、上席の嫌がらせというか……」
「……? まあ何にせよ、お前が通りかからなかったら俺の部下達はもっと危ない目にあってたかもしれねえのは事実だからな。改めて、礼を言わせてくれ」
「はは、そんな大袈裟な——」
「ありがとな、翡葉。助かった」
「……」
海燕さんはニッコリと笑った。それは陽だまりのように暖かい笑顔で、この人が多くの死神に慕われているのがそれだけで伝わってくる。
(いい人だなぁ……どこかの副局長とは大違いだ)
「じゃあ、浦原隊長。俺はあいつらの様子見てきますわ」
「ええ。浮竹隊長にも、どうぞよろしくお伝え下さい」
「はい。……んじゃ、またな、翡葉。ちゃんと休んで帰れよー……って、おお危ねえ。忘れてた」
「?」
「——これ、お前のだろ? 治療した四番隊から預かっておいたぜ」
「あ……! すみません、ありがとうございます」
そう言って海燕さんが手渡して来たのは、私が『白銀の牢獄』で見つけて摘んできた花だった。……懐に入れたままだったのを、四番隊の人が手荷物と一緒に預かってくれてたのかな。そういえばすっかり忘れてた。
私が花を受け取ってお礼を伝えると、海燕さんは今度こそ明るい笑顔で手を振って病室から立ち去って行った。……初めて会ったはずなのに、とても気さくで話しやすい人だったな。ああいう接し方——いつの間にかこちらの心にあっさりと踏み込んで来るところは、どことなく真子さんと似ているような気がする。そう思ってつい、花を見つめながらフッと口元が緩んだ。
「……なんスか? その花」
「……ああ。『白銀の牢獄』で見つけたんですよ。雪の中でも咲く花なんて珍しいなぁ、と思って」
「……へぇ。そりゃ確かに珍しいっスね」
「はい。なので、自分の研究にも生かせるかな〜と思って摘んで来ちゃいました。えへへ」
「!」
「いやぁーもうすぐ完成しそうなんですけどねー。あともう一捻りが足りないというか。まあでも、この冬が終わる頃には完成するかもな〜って感じです」
「……驚いた。ボクの知らない間にもうそこまで進んでたんスね」
「あはは、進捗の共有した方が良かったですか? 何も言わない方が面白いかなと思って黙ってました」
摘んできた花を眺めながら「まあでも、大したものじゃないんで期待しないで下さいね」と苦笑を浮かべる。『私一人で研究、開発する』という大雑把な彼の命令は、紆余曲折ありながらもなんとかあと一歩のところまで来ていた。進捗を共有しなかったのは、私なんぞの研究に対するこの人の反応をなるべく見たくなかったからだ。……稀代の天才科学者の前だ、このくらい気後れするのは許して欲しい。
……この花はきっと、その「あともう一捻り」を埋めるのに役に立てるかもしれない。直感的にそう思った。ああ、段々
そう思って花をサイドテーブルへ置こうとした瞬間。凍傷を起こした指先では感覚が鈍っているのか、花は私の手からするりと落ちてしまった。「……あ、」と自然に声が漏れて、床に落ちた花を拾おうと手を伸ばす。
——しかし。花に手が届くよりも先に。とん、と私の肩に何かが触れる。
……それは、すぐ傍に立っている彼の右手だった。
「!」
「……」
「……え、あ、……ありがとうございます、すみません」
まるで牽制でもするように、花を拾おうとした私の肩に彼の手が触れる。その手からはどこか有無を言わせない静かな圧が伝わってきて、咄嗟に体の動きが止まった。彼はその隙に床へ落ちた花へ手を伸ばし、何も言わずに拾い上げる。……その顔にはなんの感情も映っていない。無表情のまま、彼は無言で花をサイドテーブルへ置いた。
一連の動作を呆然と見つめることしか出来ない私をよそに、彼はなんの躊躇いもなく“花を拾おうと伸ばしたままの私の右手”を掬い取る。そこから、くい、と手を引かれ、意図を測りかねた私はただ彼に従うように右手を差し出した。
「……あ、あの。浦原隊長? どうしました?」
「……」
彼は私の問いかけに答えることはなく、私の手を支えるように左手を下から添えて、右手でするすると包帯を解いていく。
——一体何をしようとしているのか、何故黙ったままなのか。何も分からなくて、それを確かめたくて彼の顔をじっと見つめる。けれど、彼の目は私の右手に注視されたままで、その目にはなんの感情も宿っていない。……何も、気持ちを汲み取ることが出来ない。私には彼が何を考えているのかさっぱり分からなかった。
「……」
「(……何がしたいんだろう)」
やがて包帯は全て解かれる。初めて見る自分の指先は、思っていた以上に赤く腫れていた。血色が戻りきっていないのか、白っぽい斑点や水膨れのような膨らみもある。
「……」
「——!」
刹那。彼の節くれ立ったごつごつとした親指が、凍傷を起こしている私の指先にそっと触れた。手の甲に他の指先をとん、と添えて。するりするりと、労わるように。時折、指の角度を変えて違う場所へ触れながら……何度も撫でるように親指が往復する。
——でもそれは、壊れ物を扱うようでいて、まるで違う。
「……痛くないんスか?」
「いや、そりゃ痛いですけど」
「まあそうでしょうね」
無表情のままの彼と、ひたり、と目が合う。手を止めてやっと顔を上げた彼は、ただ無感情な声で、そんな分かりきったことを確認しただけだった。そうして、私の答えに顔色を変えることはなくまた、私の指先へ視線を落とす。
「……浦原隊長? あの、何してるんですか?」
「……」
「……」
「……」
——長い長い沈黙だった。
どんなきっかけがあったかは分からない。だが、彼の中で何かひとつ答えを得たのだろう。やがて切なそうに目を細めた彼は、酷く哀愁漂う声で一言呟いたのだ。「…………馬鹿な人だ、」と。
(……っ、なに、その顔)
「…………」
「……覚えておいて下さいね、朝緋サン」
「…………」
「……科学者にとって、自分の手先は商売道具みたいなものです。これから先、どんな小さな怪我でもきちんと治すように心掛けて下さいね」
しかし。そこに居たのはもう、いつも通りの“浦原隊長”だった。何事も無かったように私の右手へ包帯を巻きながら「ま、中度の凍傷ってとこスかね」と呆れたように笑う。「どうします? 今日はこのまま早退にしときますか?」と言って首を傾げる彼にはもう、先程感じた切なさも寂しさも、欠けらも感じなかった。
(……どうして、)
「……すみません、浦原隊長」
「ん? 何がっスか?」
「まさかあなたを呼び出してしまうようなことになるなんて思っちゃいなかったんですよ」
「……はい?」
「ほら、今日って確か論文発表がある日ですよね? 今ならまだ間に合うだろうし、こんなところに居ないで早く隊舎に戻ってあげて下さい」
「……」
「みんな今日のために徹夜続けて論文まとめてたし、浦原隊長がしっかり聞いてあげなきゃ。頑張り損ってやつですよ」
「……」
「……浦原隊長?」
「……アナタはどうするんスか」
「え? ああ、私は歩けるようになったら適当に帰るんで大丈夫ですよ」
「……」
「たかだか手足の凍傷のひとつやふたつ、マユリさんに人体解剖される危険と比べたらどうってことないですよ」
「……」
「ああでも凍傷って悪化すると壊死しちゃうんでしたっけ。やっべ、」
「……そうですよ。まァ、涅サンなら壊死した指の一本や二本、簡単に造ってくれると思いますけどね」
「……普通の指じゃなくなりそうだなー」
——はは、と乾いた笑みを浮かべたその時だった。ちょうどタイミングよく、私の病室にノック音が響く。
控えめな声で「浦原隊長、少しよろしいでしょうか……!」と、彼を尋ねてきた部下の声が聞こえた。
「ほら。みんなが待ってますよ、あなたのこと」
「……」
「……浦原隊長?」
「……そうっスね」
隊長羽織を翻して、ゆっくりと背を向ける。彼はそれ以上何も言うことなく、カン、カンと乾いた音を鳴らして病室の扉へ向かって歩いていく。
——その背が完全に視界から消える前。一度立ち止まった彼は振り返らずに「きちんと完治させてから帰ってきて下さいね。でないとボクが困るので」と言い残して立ち去って行った。
「…………」
……困るって、何が。
ふと脳裏に浮かんだのは、あの寒夜の下で聞いた真子さんの言葉。
「……しゃーから、それを立て直すために……朝緋の力を頼りにしとるんちゃうか」
「——はは、んなわけないでしょう」
窓の外。十二を背負った背中が遠ざかっていくのを視界の端に捉えて、膝を抱えるようにして蹲る。
——まるで上手くいかない現実から目を逸らすように。
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