あなたの声で聴かせて





 技術開発局の中央研究室に『名も無き花』が飾られてから、しばらくのこと。尸魂界には春が訪れ、中庭は桜や菜の花といった色鮮やかな植物たちで彩られている。普段は純白を保ち稀に色付くこの花も、今はすっかりインテリアとして研究室に馴染んでいた。立派な一輪挿しの花瓶に生けられて、今日も窓辺から忙しない研究室を見守っている。
 しかし、構造そのものは『霊圧計測器』であるその花は、当然日光も水も必要としない。日頃の世話は不要であり、なにより花びらから茎の先端に至るまで、植物としてはありえない純白の輝きを持っているこの花は、どこからどう見ても『ただのお洒落な造花』でしかなかった。
 故に、この花が『周囲の心を映して纏う色を変える』事を知っているのは、私と彼の他に、興味を持って尋ねてきた数人の女性局員のみ。この研究室に立ち入るほとんどの局員はあの花に興味を示すことはなく、稀に色が変わっても、それは十二番隊の日常の中ではほんの些細な変化に過ぎなかった。

 ——そう。あの花がもたらしたのは、些細な変化に過ぎなかったはずなのに。私が十二番隊へ入隊してから一年が経った今日。……一体こんなこと、誰が予想出来ただろう。


「はあ!? わ、私が四席!?」
「ハイ。アナタが開発した『名も無き花』も、正式な研究成果として十分評価出来るものでしたし。何か困ることでもあります?」
「ありますよ、ありまくりですよ何言ってんですか! ついに徹夜のしすぎで頭おかしくなったんでしょう、私が四席だなんて冗談じゃない。寝言は寝てから言ってもらえます?」
「……もはやここまで来ると想定通りの反応すぎて何も驚くところがないな……」
「何だって?」
「……はぁ、ボクは昨日も一昨日もちゃんと寝てますし冗談でもなんでもないですよ。ホラこれ、委任状」


 ヒラリ。彼が差し出した委任状には確かに、私の名前が刻まれている。
 ……が、しかし。こんなもの簡単には受け取れない。受け取れるわけがない。


「……まだ一年ですよ。私が入隊してから一年しか経ってないんです、それなのに急に四席って。いくらなんでも突拍子もなさすぎません?」
「そうっスかねぇ?」
「そうですよ」
「——アナタと同じく霊術院を二年で卒業した志波副隊長は、入隊から五年で副隊長に。……五番隊にいる霊術院を一年で卒業した子は、入隊と同時に三席へ就いたとか」
「……それがなんだっていうんですか。私は人の上に立つのなんて向いてないんです。私とその人たちを同列視してもらっちゃ困りますよ」
「……この一年、アナタは部下を連れての討伐任務で毎回、必ず全員生存で帰って来てたじゃないですか。それは的確な指揮が出来ていたからでしょう? ボクは向いてないとは思わないっスけどね」
「……」
「虚討伐任務の生存確率も成功率も、アナタは十七席とは思えないほど優秀です。……これはボクだけの評価じゃない」
「……もしかして、」
「十二番隊の外へも行くようになったアナタなら、他隊でそれがどれだけ評価されてるか……知らないはずはないでしょう?」
「……前は隊務処理ばかりだったのに。急に実戦任務ばかり任せるようになったのはこの為ですか」
「それが朝緋サンに必要なことだとボクが判断したからです」
「……」


 彼の落ち着いた声とは対照的に、私の視線はどんどん下がって落ちていく。
 ……分からない。どうしてこの人は私の立ち位置をそんなに気にするんだろう。今のままじゃダメなの? あなたは確かに一年前、私を平隊士のままにするのは過小評価になると言っていたけど。今回もまた同じ理屈で、私を四席に押し上げようとしてるよね。それもわざわざ、私の逃げ場を無くすように実績まで作らせて。……ねえ、今のままじゃダメなんですか。過小評価ってそんなにいけないこと? 過大評価されて期待に応えられず、責任を負えない方がよっぽど問題なんじゃない?
 
 ——私は、本来存在しない死神なんだ。名も知れずひっそりと、ただ縁の下の力持ちになり彼の背負うものを支えられたらそれでよかったのに。


(……きっともう、ここら辺が潮時なんだろうな、)


「……朝緋サン?」
「……はあ。ずるいですよ、そうやって外堀から埋めてくるの」
「あはは……スイマセン」
「……ひとつだけ、教えて欲しいことがあるんですけど、」
「ええ。なんでしょう」
「……私を四席にしたいのは、席官が抜けてしまった十二番隊の戦力を取り戻す為ですか」
「……いえ。それだけじゃあないっスよ」
「じゃあ、冤罪で罰せられそうになったあの時、私がもっと強くなりたいと言ったからですか」
「——教えて欲しいのはひとつだけ、じゃなかったっスか?」
「…………」
「……ボクはただ、アナタを鍛え始めたあの頃から、朝緋サンには戦いの才能があると気がついていただけっスよ。その才能を伸ばすことが、結果的に実力を証明することにも十二番隊の戦力を取り戻すことにも繋がった。——ただそれだけのことです」
「……だったら、」


 首筋にだらりと汗が流れていく。それが妙に鮮明で気持ち悪い。
 ……きっと、こんなこと言ってもあなたを困らせるだけなんでしょうね。でも、私は頑固だから自分の信念を曲げて黙って従えるほどいい子じゃない。そこまで都合よくは生きられないの。ごめんね。


「……だったら別に、私は十二番隊じゃなくてもいいですよね」
「——!」
「確かに私は戦いが一番得意です。あなたが斬拳走鬼を基礎からしっかり鍛えてくれたから、そんじょそこらの人達よりも戦える自信はあります」
「……」
「でも、だからこそ、その才能を伸ばして生かすなら、このまま十二番隊にいるのは合理的とは言えない。私はマユリさんのように賢くも器用でもないし、ひよ里さんのように十二番隊に長く携わってきたわけでもない。ただの新人ですから」
「……」
「私の居場所は、別にここじゃなくても平気です。——でも、他のみんなはそうじゃない。四席には、蛆虫の巣からあなたに着いてきた人を選んであげて下さい」
「……」


 そう言って、笑った。本心だった。

 ずっと……ずっと、今までそうだった。私が彼を守ろうとすればするほど、この世界は正しい歴史から逸脱していく。彼に危険が近づいていく。常に表裏一体、紙一重なのだ。私はその境界線を、今日まで自分を誤魔化してウロウロしていただけ。私というイレギュラーのせいで歴史が変わるかもしれない。その可能性が怖いなら、最初から彼らと関わるべきじゃなかった。そんな分かりきった答えを自分の中で出しておきながら、私はそれでも選んでしまったんだ。自分の目で見て、聞いて、触れられるようになった愛おしい人を放っておくことが出来なかったから。あの寂しそうな背中を見て支えてあげたいと、自分の出した答えと矛盾した願いを抱いてしまったから。——だから、その道を自分の意志で選んだのだ。

 ……でもそれも、きっと限界がある。引き際というものがある。だからこれは本心だ。彼を愛しているからこそ、隣で支えたいなんて我儘よりも、命そのものを護ることの方がずっと大切で、必要なこと。


「……」
「……」


 私の答えに驚いて口を閉ざした彼は、その後も黙って私の言葉を聞いていた。ピシッと張り詰めた空気が続く中で、やがて彼は小さく息を吐く。……何も答える気はないのだろう。それはそうだ。呆れられただろうし、下手したら怒らせたかもしれない。今までの恩を仇で返すような、それだけのことを言った自覚はある。この胸の痛みはきっとその報いだ。さっきまでの私は今まで通りを望んだはずなのに、きっともう二度と元には戻らない。そんな予感を振り切るように、彼の前から立ち去ろうと踵を返す。

 隊首室の入口まで、あと少し。扉を開こうと手を伸ばしたところで「……言いたい事はそれだけっスか」と、彼の射抜くような低い声が背中に届く。私の足はその場でピタリと止まった。


「……はい」
「……」
「……」
「……」
「……じゃあ、失礼しま——」
「朝緋サンって嘘をつくとき、『別に』って口癖が出ますよね」
「…………」
「今、二回言ってましたよ。別に、って」
「…………それは知らなかったな」


 あともう少しでこの空間から出られるのに。その一歩が何かに引きずられているかのように途端に重くなり、その場から動くことが出来ない。このまま一言二言、適当に別れを告げて部屋から出る。たったそれだけのことなのに。既に背を向けてしまっているせいで彼がどんな顔をしているか、何を考えているのか私には読み取ることが出来ない。なんとか言葉を紡ごうと頭の中で絞り出してみるけど、どれも上手く形を成さずに焦りばかりが募っていく。——振り返って彼の顔を見てしまったら、きっと私の足は動かなくなるから。早く何かを言わなきゃ、ただそれだけに必死だった。


「……」
「——!」


 ガタッと、何かが床にぶつかる音がする。
 そこから次第に足音が近づいて、動けずにいる私の隣を——彼は立ち止まることなくするりと通り抜ける。


「ねえ、朝緋サン。あれ、見えます?」


 私の横を通り過ぎた彼は、扉の前で足を止めて振り返った。
 そのまま、隊首室の扉へ背を預けるようにして寄りかかり……私たちは再び向かい合う形になる。


「ほら、窓の外。向こうの建物」
「……それがなにか?」
「あそこには中央研究室があるんですよ。——だから、ほら。あの窓辺。見えるでしょ?」
「!」
「あの窓辺に飾っておくと、隊首室からでも結構はっきり見えるんスよねぇ。……ホラ、今は『緑』に変わってる」
「……本当だ」
「ええと……たしか『名も無き花』の緑は、楽しみや喜びの色。でしたよね」
「……そう、ですね」
「きっと皆さん、今日の花見を楽しみにしてるんでしょう。噂によると、今回は今までと違って夜桜をするみたいっスよ?」
「……」
「……アナタがここに居たから。あの花も、あの花を『緑』に染める感情も生まれたんじゃないですか」
「……」


 ……結局、何もかもを見抜かれている。胸が苦しくてたまらなかった。私が顔を見たくなくて振り返れなかったことも。それでも必死に、ここから出ようとしていたことも。とっくにお見通しで、だから、そんな風に逃げようとする私をこの人は許さない。

 ——そのどちらの選択も私から取り上げるように。わざと扉を塞ぐようにして向かい合った彼は、もう逃さないと言わんばかりに私の双眸を捉えて再び名前を呼ぶ。


「……本気で、十二番隊から移動したいと考えてるんスか」
「……昇格するなら、その方が都合はいいかなと」
「——その“都合”というのは、ご自身の為じゃなくてボクたちにとっての都合でしょう?」
「…………私は別に、」
「——“別に”、なんスか?」
「…………」
「……ねえ、朝緋サン」
「…………」
「あの時、屋上でボクに言ったじゃないですか。『見てて下さいよ、浦原隊長。もっと強くなって、絶対に誰よりも強くて格好いい女になって見せますから』って」
「……っ、」
「——なのに、『私の居場所はここじゃなくても平気』だなんて、」


 ——そんな寂しいこと言わないで下さい。

 問い質されているのは私のはずなのに。私を咎める立場にいるはずの彼は、見たこともないほど苦しそうだった。嘘を見抜かれ、逃げ道を塞がれ、どうする事も出来ずに追い詰められた私なんかよりも、ずっと。……ずっと、彼の方が苦しそうで、必死な顔だった。

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