永遠の夜を泳ぐ
夜一さんには屋敷の門構えから見送ってもらい、日中受け取ってもらえなかった差し入れの銘菓を両手に抱えながら、月明かりが照らす貴族街を歩く。警戒をしておいた方がいいと助言を貰っておきながら、両手が塞がったまま歩くのはどうかと思ったが……まあその時はその時だと、先ほど食べた名も知れぬ高級料理たちを思い浮かべながら帰路についた。
「(はあ、……疲れた)」
終業時間なんてとっくに過ぎたこの時間帯。しんと静まり返った瀞霊廷を、翡芲からの霊力吸収で疲れ切った体を引きずりながら歩く。このまま直帰して寝たいのが本音だけど、そんなことも言ってられないのが“四席”で。……無事に技術開発局へ到着し、そのまま研究室を通り過ぎて向かったのは——『資材調達管理部』とプレートに書かれている部屋。
……そう。ここが、四席昇進に伴い任されることとなった新しい部署なのだ。
「(……あれ、電気ついてる)」
——ガチャ、
「!」
「あっ……お、お疲れ様です、翡葉四席!」
「……お疲れ様、ニコちゃん」
扉を開けると同時に、目の前にいた人物はビクッと肩を震わせた。慌てて勢いよくこちらを振り向いたのは、丸眼鏡がチャームポイントの女の子。……久南ニコちゃん。彼女はこの部署に配属された正式な私の部下だ。
「堅苦しいよ、女同士なんだから名前で呼んでいいのに」
「い、いえ、でも、……」
「……まあ、無理にとは言わないけど。……でも、こんな遅くまでどうしたの? あ、もしかして私の事待ってた……!?」
「い、いえ! 浦原隊長から翡葉四席は今夜戻りが遅いと聞いていたので、そうではないんですけど、」
「(……ん? なんであの人が出て来るんだ?)」
「……今はただ、自分の研究の調べものに夢中になってしまっていて、その、」
「あはは、そっかそっか。邪魔しちゃったかな、ごめんね」
「わ、私の方こそすみません……! うわ、もうこんな時間……!」
ニコちゃんは慌ただしく散らばっていた書類を片付けて、帰り支度を始める。けれどその両手は突然ピタリと止まって「あ、すみません! 何かお手伝いする事ありますか……?」と恐る恐る尋ねて来た。……ああ、なんて気配りが出来る部下なんだろう。どこぞのつっけんどんな黒髪のガキんちょとは違うなぁと心温まる。「ううん、今日は平気だよ。いつもありがとうね」とお礼を伝えてニコリと笑った。
「——あ、そうだニコちゃん」
「はい?」
「これ、余ったやつなんだけど……よかったら貰ってくれる?」
「少し重いから荷物になっちゃうけど、」と言いながら、持ち帰ってきたうちの差し入れのひとつを紙袋ごと彼女へ差し出す。……いくら甘党の私といえど、この量をひとりで消費仕切るのは中々難しい。
「えっ、で、でも……いいんですか?」
「うん、いいよいいよ。——お姉さん、おはぎ好きでしょ?」
「! は、はい、そうなんです! ……ありがとうございます、翡葉四席!」
姉の
ニコちゃんは嬉しそうな笑顔を浮かべてから、私へ深々と一礼をして帰って行った。その後ろ姿には、こんな遅い時間まで働いているのに疲れなんてものは微塵も感じられなくて。……見た目が年齢とは関係ないと分かっていても、若いっていいなぁなんてふと思ってしまった。
「…………」
——途端に静かになる室内。普段のこの部屋には、ニコちゃんと他数名の部下が居て。研究室ほどの騒がしさはないけれど、元来私がおしゃべりな性格なのもあって程よく賑やかだった。部下になった人たちはみんな面識の無い人たちだったけど、真面目で仕事熱心で、温かくて優しい人たち。……『人の上に立つのは苦手だ』と言った私が苦労しないように、彼が優秀な人たちを選んでくれたんだろうと思う。
「…………はぁ。それが余計なお世話で私を甘やかしてるってことに、あの人は何年経ったら気が付くんだろうなぁ」
——気が付けば、私が彼と出会ってからもう四年という月日が経とうとしている。
死神からすれば、四年という時間は大した長さじゃないかもしれない。それでも、四年もあれば相手の見えなかった部分は少しぐらい見えるようになってくるものだ。
私は浦原喜助というキャラクターについて、ある程度は理解しているつもりだった。飄々としていて胡散臭くて、何を考えているか分からない。なのに、何かを誤魔化す為の軽口の中には本音が混ざる時もあって、決して冷徹な天才科学者というだけではない。あの帽子の鍔と扇子の下には、人間らしい情を隠し持っている人物であると。
——そうだ。この時代の彼は特に、情に厚くて他人を放ってはおけない青臭いところがあるのだ。私が良く知っている『駄菓子屋の店主』よりも、今の彼は友や部下、仲間を大切に想う気持ちを素直に行動へ表している。私はそれを、この四年の中で見て、聞いて、触れることで少しずつ理解し受け止めて来た。
「……なんで、」
だけど。
なんで。あの二人が殺されてしまったこと、すぐに教えてくれなかったの。
……いいや、答えは簡単だ。私が傷つくと思ったから。もうあの冤罪事件は終わった話で、それをわざわざ伝える必要はない。どうせそんなことを考えてたはずだ。
何とも言えない
悔しいわけじゃない。悲しいわけじゃない。——でも、嬉しくは無いしありがたいとも思わない。
……だけど、きっと。
「…………っ、ごめん、なさい」
事実として、彼ら二人が殺されたことを聞いて割り切れない私がここに居る。これは自惚れでも傲慢でもなく、私がこの世界に居なかったら失われることはなかった命だったはずだ。その重みが今、しっかりと私を蝕んでいる。彼らを殺したのは私。あの二人が死んだのは自業自得だったなんて都合よく切り替えることの出来ない自分が、一番情けなくて許せない。
——だって、まるで『甘やかさないで』なんてただの強がりだったんだと。結局私は、伝えない事で守られていた。……あの人は私以上に、翡葉朝緋を理解していたんだ。
「……ダメだなぁ、わたし」
もっと頑張りたい。もっともっと、強くなりたい。
こんなことで一々動揺していたら、きっといつか、今度は私の目の前で人が死ぬ。
へなへなと椅子へ座り込んで、おもむろに引き出しを漁る。
——カサ、と触れた指先から紙の音が鳴って、掴んだそれを手のひらの上に乗せじっと見つめた。
「……」
やがて包装紙から中身を取り出して、口の中へ放り込む。
そうすれば、途端に甘さが溶け出して、じんわりと体に染みていった。
「——……負けない。頑張るって決めたんだ、私は」
……これは私が、あの人を支えたくて伝えたおまじないだったのになぁ。
あの時、これを私の手に握らせてきた、愛し続けると誓った男を思い浮かべながら。舌の上で転がして小さくなった飴玉を、ガリッと奥歯で嚙み砕いた。
***
「だから、興味無いって何度も言ってるでしょ?」
「いえいえ。そこをまずは、お話だけでも聞いてみませんか。我ら技術開発局は日々、技術革新のために——」
「あーはいはい。ご苦労様〜」
——バタン! と問答無用で門を閉じられてしまう。
……今日も惨敗、まともに資金援助の話は取り合って貰えず。肩を落としてとぼとぼ貴族街を歩く。
私にやらせてくれ、と啖呵をきったのだから本当はもっとあっさり契約を結びたかったのに。ぜんっぜんダメ、何も上手くいかない。地位と権力に胡座をかいてるだけの老人どもめ……こんなに何回もお願いしてるんだから話くらい聞いてくれたっていいだろ……! はぁ。せめて一件くらいは勝ち取りたいなぁ。
「……やぁやぁ、随分と辛気臭い顔してるじゃないか。君がそんな顔してるなんて珍しいじゃない」
「(…………デジャヴ?)」
午後から予定が入っているから、今日のところは撤退だ。と、またしても無駄になってしまった菓子折を持って技局へ向かって歩いていると……聞き覚えのある声がふと耳に届く。……しかも、妙に昨日と同じような言葉を掛けられたような気がする。……なんだ、そんなに私は辛気臭い顔が似合わないのか……? まぁ寝不足なのは自覚してるけど……。
「な、なんで輪堂先生がここに……」
「ああ、今日は休みだからね。最近面白い噂を聞くからそれを確かめたくて、散歩をしていたところさ」
「散歩……?
「ん? 別に散歩で家の周りを歩くのは普通じゃない?」
「…………(そうだった、この人も貴族の生まれなんだった……!)」
「フフ、僕が名家の出身だって忘れてたでしょ」
「だって相変わらず、未だに、言動が伴ってないからそんな風に見えなくて……」
「はは。君も相変わらず失礼だよね、そういうところ」
「あははは。すみません、つい」
品のある着流しを身に纏い、長い銀色の髪は丁寧に纏め上げられている。肩に流れた毛先が太陽を反射してキラキラと輝いていて、しっかりと手入れされていることが伺えた。……丸眼鏡の奥にある青い瞳は、好奇心で満ちて細められており、とてつもなく胡散臭い。傍から見れば、面倒事を押し付けられそうになっているのは私の方だろう。
「——君、技術開発局への資金援助を募ってここへ来てるんだって? 僕の家にも話は届いてるよ」
「……ええ。まぁ、今のところ惨敗も惨敗ですけどね」
「まぁ中々難しいだろうねぇ〜。僕らはそういうの、あまり表立ってやるのは好まないからさ」
「強かなくせにそういうところは繊細ですよね〜(小声)」
「ん? なに?」
「いえ、なんでも」
「……? まぁいいけど。……それで僕、その話に乗ってみようかなと思って今日は君を探してたんだよね」
「…………。……え?」
「だから。
「…………えええ!?」
ここが貴族街という趣のある場所だなんてすっかり忘れて、驚きのあまりに素っ頓狂な叫び声が出てしまい慌てて両手で口を塞ぐ。彼はそんな私の無作法を気にするでもなく、ただ楽しそうな笑みを浮かべていた。
「な、なん……え、ど、どうしてそんな話になるんですか? ……あ、いや、もちろんありがたいんですけど、ちょっと話が突飛すぎてついていけないというか、」
「なんでって……世界の平和と安寧のために死神を育成している僕が、技術革新に取り組んでる組織を援助するのに理由が必要?」
「……いや、ま、まぁ……そういう意味じゃあないんですけど……でも、あの。ありがとうございます」
「フフ。それに、ほら。僕は彼に借りがあるからさ」
そう言って輪堂先生は、己の右腕を左手でポンポン、と叩く。……叩かれた右腕は、しなやかな動きで指先まで揺らいだ。それだけで、彼が作った義手はとても緻密で精巧なものだというのが伝わってくる。
「……ていうか、その。あの、もしかして、」
「ん?」
「輪堂先生って、名家の出身ってだけじゃなくて……ご、ご当主様だったりします?」
「うん、そうだけど?」
「…………」
「あれ、言ってなかったっけ」
「聞いてません!?」
な、なんだそれ……! 胡散臭いだけの女好き教師だと思ってたのにめちゃくちゃハイスペックじゃねえか……!!
(貴族の当主で霊術院の元首席……? な、何者なんだこの人……)
「まぁそれが分かったところで、態度が変わる君でもないでしょう?」
「……まぁ、ウキウキした顔で人の恋愛事情を根掘り葉掘り聞いてくる人に尊敬なんて今更出来ないっすね、ぶっちゃけ」
「あはは! いやぁ、君の純愛物語はつい応援したくなっちゃうのさ。悪気はないんだよ」
「あー、はいはい……そうですか……」
「……まぁ、そういう訳だから。詳しい話はまた後日でいかな? 僕、これでも一応かなり忙しいんだよね」
「……いつも本ばっかり読んでるくせに」
「うわ、ひっどーい。読書は僕の生き甲斐なの、仕事よりも大切なんだから」
「ええ……?」
「……っと、忘れてた。だから、はい! これ、僕のおすすめ第二弾!」ドサッ!
「わ、ちょ……!? お、重……!?」
「まぁ時間がある時にでも読んでみてよ。君が前に気に入ったって話してくれたやつ、あれと同じ作者の小説選んどいたから」
「い、いらな……! ま、また恋愛小説ですか? よ、余計なお世話なんですけど……!」
「まぁまぁそう言わずに。読んだら絶対気に入ると思うから、よろしくね〜!」
——そう言って、何冊も本が積まれた紙袋を強引に押し付けられ、輪堂先生はにこやかに笑って帰ってしまった。
……資金援助の当てが見つかったのはとても嬉しい。嬉しいのだけど、これは私が自力で勝ち取った契約ではないから素直に喜べなくて。別に達成感を求めていたわけじゃないけど……なんだかなぁ。
「……はぁ。まぁ、いいか……」
(…………っていうか、)
「うわ、ひっどーい。読書は僕の生き甲斐なの、仕事よりも大切なんだから」
「……仕事よりも読書が大切、って」
……なんか、知れば知るほど変な人だなぁ……。
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