彼女は雨上がりの空が好きだった


「ほれ、着いたで。ここが流魂街や」
「――……」


 目の前に広がっていたのは、乾いた土が剥き出しになった大地。所々に大小様々な石が埋まったままで、とても整備されているとは思えない。並び立つ家屋は昔ながらの木造で、亀裂や傾きは放置されたまま、どれも頼りなさそうに佇んでいる。
 しかし、そんな荒廃した街並みからは想像も出来ないくらい、たくさんの人で賑わいとても活気に満ち溢れていた。彼らの外見からは、街並みに合った貧しさを感じてしまうけれど。そんなのも気ならないぐらい、行き交う人々の表情は朗らかだ。

(こんなにたくさんの人が――ここで暮らしてるんだ、)


「――ほな、ここで解散やな」
「……え?」


 道行く人々に夢中になっていると、突然そんな声が聞こえて驚いて振り返る。
 ……え、解散?


「オレは適当にぶらぶらしとくから、朝緋チャンも好きなように見て周り〜。この通りやったらどこおってもええから」
「……はあ、そうですか」
「なんや?それとも、俺と逢瀬でもして一緒におりたいか?」
「いえ、全然、全く。そんなわけないでしょう、私一人で結構です」
「そないムキにならんでええやん……って、ああそや、これ渡しとくわ」


 彼は懐から小さな巾着を取り出して、私の手の上に乗せた。見た目よりもずっしりと重たい巾着に、中身の想像がつかず眉間に皺が寄る。


「……?なんですか?」
「朝緋チャンのお給金、喜助から預かっとったで。これで好きなように買い物しィやって」
「……え、」
「安心せえ、そんだけあったらここにあるもんは大体買えるやろ。んま、朝緋チャンはそない金遣い荒そうには見えへんけど」
「……」
「せっかく来たんやから、遠慮せんと着替えとか日用品とか、好きなん買いや」


 ……なるほど。急に押し付けられた休暇は、それが目的だったのか。もしかすると、仕方なかったとはいえこの身一つで技局で暮らしていくことになった、私を案じてのことなんじゃないだろうか。
 まったく、喜助さんも真子さんも、いつも大事な事を言ってくれない。おかげで私は、どこまでもあの二人の世話になるしかないらしい。……不本意だけど、今の私はそうやって「生かされている」立場なのだから……素直に甘えるしかないか。


「真子さんは……私が一人で買い物してる間、何するんですか?」
「何や、やっぱ俺と一緒におりたいんか?最初から素直に言ったらええのに」
「断じて違います。やめてください。気持ち悪い」
「じょ、冗談やん……そんな怖い顔しなや……」
「……はぁ。それで?質問に答えてくださいよ」
「んーー、せやなぁ……」
「……」
「……『やる事がないのなら、付き合わせるのが申し訳ない』」
「……!」
「……とか思ってるんやろうけど。俺は仕事で来とるし、見たいモンもようさんあるから気にせんでええよ」
「……」
「朝緋チャンは、なんも気にせんでええ」
「……そうですか」


 私の返事に納得したのか、彼は少しだけ微笑んで「ほなな」と、そのままフラフラとどこかに行ってしまった。私はただ、その背中をぼんやりと見つめたまま。

 ――流魂街の喧騒に消えていく金と白は、どこまでも不釣り合いだと思った。






 たしか、この世界での通貨の単位は「環」だったかな。でも、そう呼ばれてる事を知っているだけで、もらった巾着に入っているお金がどれくらいの価値なのかは分からない。……既に先行きが不安である。大丈夫かな。
 私はてっきり、真子さんの付き添いで流魂街を見てまわるものと思っていたのに。自分の給金で買い物するなんて全くの予想外だ。巾着に目線を落としたまま、はぁと肩を落とした。


「ねえお母さん!あれ見て!」
「わあ、すごく素敵な髪飾りね」
「うん!絶対お母さんに似合うと思う!今度私が買ってあげる!」
「あら、いいの?優しいのねぇ。ありがとう」
「えへへ、お母さん大好き!」
「(……おかあさん、)」


 この場所は、私にとって一番馴染み深いかもしれないと――急に懐かしさが込み上げてくる。これまで過ごしてきた科学者達が集う研究室よりも、見慣れたページに描かれていた瀞霊廷よりも。老若男女様々な人達で賑わうこの場所が、あの世界で“普通の人”として暮らしていた私にとって一番馴染みがある……というわけだ。
 私はここに行き交う人々が持っているものを当たり前と呼んでいて、私も当然持っていた。……持っていた、はずだった。そんな事に、このありふれた光景を見て思い知らされる。


(……みんな、楽しそうだな)


 私が当たり前にあると思っていた日常は、もう返ってこない。同僚に、友人に、家族に、挨拶を交わすことはもうない。無機質な機械音で目を覚まして、ヒールをカツカツと鳴らして改札を通ることも、苦味の深い飲み物で眠気を堪えることも。……疲れきった体をベッドに沈ませて、お気に入りの漫画を読み耽ることも、もうないのだ。

 私の日常は、今この目の前にある、ページを捲った先に広がっていたこの景色。それが私の現実。元の世界に帰る方法が見つからないのなら、私はもうここで生きていくしかない。……少なくとも今は、そうするしかないのだ。
 ならばこれ以上、“運命”とやらに翻弄されるのはごめんだ。ここが現実。それが私の人生。それなら精一杯、卑屈でもがむしゃらに生きてやろうじゃないかと――自然と口角が上がった。私は頑固で、負けず嫌いだから。

 巾着をギュッと握りしめて、流魂街の街中へ足を踏み入れる。おろしたてのスーツに身を包み、肩で風を切って歩いたあの日のように。新しい世界への一歩に、胸が高鳴る。

 
「――そんじゃ、流魂街探索といきますか」


 比較的治安の良さそうなこの街は、きっと流魂街の中でもかなり数字の低い街なんだろう。生活に必要なものは、この一帯で全て揃えられそうだ。――久しぶりのショッピングに、私は確かに浮き足立っていた。

 
 
 
 日差しが真上から降り注ぎ、通りの賑わいも増してきた頃。必要最低限の生活必需品を揃え、フラフラと宛もなく歩いていた時。ふと惹き付けられるように、一件の雑貨屋が目に入った。


(きれい。かわいいな、あれ)
 
 
 現実世界でも、アクセサリーや雑貨の置いてあるお店にふらっと立ち寄るのは好きだった。この世界にあるものはどれも趣のある古風なものばかりだし、現代を生きていた私にとってはとても新鮮に映る。


「いらっしゃい、お嬢ちゃん。何か探し物かい?」
「いえ。とても素敵なお店だな、と思って立ち寄ってみました」
「おぉ、そうかい。そんじゃ、ゆっくり見ていってくれ」
 

 細部まで丁寧に作り込まれた簪や、漆の塗られた櫛、美しいガラス細工が散りばめられた手鏡など。どれも私の好みのものが置かれていて、自然と気分が上がる。ビー玉やおはじき、玩具の大きな宝石がついた指輪など。あんたは小さい頃からきらきら光るものが好きだったんだよ――と、いつだったか母に言われた覚えがある。買い物で気分がはしゃいだり、光り物が好きだったり。……私ってこんなに子供っぽかったっけ。でも、こうして見ているだけでもすごく楽しい。
 
 今日はなんだか、やけに昔の事を思い出すなぁ……と。そんな事を考えながら、一通り並んでいる商品を眺めていた時。――ふと、ある一箇所で目線が止まった。
 
 それは、ごくシンプルな髪紐だった。他に置いてあるような、何色も使って編まれたものや飾りが付いているわけでもない、ただ単一色の髪紐。けれど――それが彼にそっくりな亜麻色で、思わず目を奪われてしまった。手に取ってよく見てみようと、自然と髪紐に手を伸ばす。

(……どうせ私には、似合わないだろうな――)


「喜助にそっくりな色やなァ、それ」
「!!?」
「アイツの髪の色、こんなんやったやろ」
「……っ、はあ、いきなり現れてなんなんですか?私の事嫌いなんですか?奇遇ですね私もあなたが嫌いなんです。だからもう話しかけないで貰えますか?あと、気配消して背後に立たないでください。うざいので」
「きょ、今日の朝緋チャンはえらい毒舌やな……オレやなかったら胃に穴が開いとるで……」
「それはあなたが私の邪魔をするからでしょう。なんでここに居るんですか」
「……俺かて好きにぶらぶらする言うたやろ。見たい店が被っただけや」
「何故そうなる。それなら私が見終わるまで遠慮しといてくださいよ」
 

 いつの間にか背後に立っていた人物に、露骨に機嫌が悪くなり眉間に深い皺が寄る。この男、私を脅かすためにわざと気配消してただろ。ていうかいつからそこにいたんだ。場合によっちゃめちゃくちゃ恥ずかしいところ見られた気がするんだけど……!
 

「ええから、それ貸し」
「あ、……!」

 
 彼に向かって目を細めるばかりで、意識の薄れていた私の手元から髪紐がするりと消えた。あれ、と呆気に取られていたのも束の間、彼はそのまま慣れた手つきで髪紐を私の髪へと括り付けていく。
 ……その動作にどんな思惑が隠されているのか、分からないほど子供ではない。でも、気付きたくはなかった。だから――もしかしたら、まだ疑惑で収まってるかもしれない、とか。可能性として捉えられただけかもしれない、とか。頑なにそんな事ばかりを考えていた。

 
「ほーれ、よう似合うとる」
「……そうですかねぇ」

 
 最後に結び目をきゅっと締めると、彼は棚から売り物の小さな手鏡を取り、私の顔の前に掲げた。そうして鏡越しに見える髪紐は――ぽつりと浮いていて。ほらね、やっぱり。私の髪になんか括られて、可哀想に。私の葡萄色えびいろに彼の亜麻色は似合わないんだよ。

 
「おっちゃーん、これ、このまま着けてくわ」
「えっ」
「はい、毎度」

 
 はぁ、と溜め息を吐いて髪紐を解こうと手を動かした時――パシッ、と彼にその手を掴まれる。え?と呆気にとられていると、彼は私を無視して店主に声をかけ、そのまま代金を支払ってしまった。それも、私の巾着の中から勝手に。……いやいや、ちょっと待てい。何してくれてんのよ。

 
「私のお金勝手に使わないでくださいよ、泥棒」
「なんでやねん、朝緋チャンが使うんやから自分の金で買うんは当たり前やろ。奢らへんぞ」
「いや、だから、私は買うなんて一言も――」
「せやけどこっちは、俺からの贈り物」


 彼は懐から小さな包みを取り出して、私の目の前に差し出した。困惑と戸惑いで私がすぐに受け取れずにいると、彼は切なげに目を細め、ぶら下がったままの私の手を取り無理やり包みを押し付けてくる。「開けてみ、」と彼が言うので仕方なく言われた通りにすると――その中から現れたのは、光を受けてきらきらと輝く精巧なガラス細工が施された小さな手鏡だった。職人が丹精込めて手作りしたであろうそれは……どう見ても私が貰っていいような代物じゃない。

 
「こんな高そうな物、頂けないですよ」
「もう買うたもんやから遅いです〜、それに、俺がなんぼ稼いでるおもてんねん、五番隊の隊長やぞ」
「いや、そういうこと言ってるんじゃなくて、」
「ええから持っとき。鏡無かったらソレ付けられへんやろ?」


 「ま、オレが毎朝結ってあげてもええけどなァ〜」と彼は言い残し、私が何か言い返すよりも早く踵を返して歩き出してしまった。
 ――真子さんはいつもそうだ。見てほしく無いものを勝手に見つけて拾うくせに、何も言わない、言ってくれない。優しさで塗りつぶした棘を残していくだけ。
 
 はぁーーーー、と深いため息を吐く。まるで着いてこいとでも言いたげに、ゆっくり遠ざかる金と白。貰った鏡をそっと懐へしまい込み、追いかけるように一歩踏み出した。


「お嬢ちゃん」
「……はい?」
「その髪紐、よく似合ってるよ。お嬢ちゃんにぴったりだ」
「え……」
「あんなにうちの商品見て楽しそうにしたくれた客は久しぶりだったよ。また、いつでも来てくれ」
「……はい。また、お邪魔します」


 こんなに分かりやすいお世辞を言われたのはいつぶりだろうか。はは、似合ってるわけないのに。けれど、このお店にはまたいつか来たいと思った。その時は、今度こそ、一人でゆっくりと。

 開いたままの店の扉を抜けて外に出る。急に眩しくなる視界に目を細めて前を見据えれば、少し先にこちらを振り返って立ち止まっている真子さんがいた。流魂街に溶け込めないその姿は、さながら待ち合わせの目印のようだ。
 
 
「ほな、ぼちぼち休憩しよか」
「……はい」
「あっちに美味い餡蜜の店あるんやけど…朝緋チャンは甘いの好きやったっけ」
「……ええ、まあ、好きですよ」
「んじゃ決まりやな、行こか」

 
 行こか、って、一緒に行くのは決まりなんですか。全然嫌なんですけど。なんて抗議が届く訳もなく。私はただただ彼の後ろをついて歩いた。
 流魂街とはいえ――いや、流魂街だからこそ。“平子隊長”はよく目立つ。彼が通る度に稀に黄色い歓声が聞こえるのも気のせいじゃないし、その度に余所行きの貼り付けた笑顔を振りまいてるこの男も大概だ。距離をあけてただついて行くだけの私の気持ちなど、分かるはずもないだろう。……さっきからこの男に振り回されてばっかりだ。はぁ、と深くため息を吐いた。


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