彼女は雨上がりの空が好きだった
――しかし、そんな心の靄も、あまりにも美味しい餡蜜を食べて吹き飛んでしまうのだった。美味しいもので機嫌が直るなど、私という人間は実に単純である。けれどそれくらい、甘いものは魅力的で人に幸福を与えてくれるものなのだ。ソースは私。慣れない環境に少し疲れて口数が減っていたが、餡蜜を食べた途端に幸せな気持ちに包まれた。……あぁ、美味しい。これなら毎日食べても飽きない。
普段は技局で出される簡素な食事しかしていなかったから、およそ現実世界ぶりとなる甘いものにどうしても気持ちが緩んでしまう。私は甘いものが大好きだ。こんなに美味しい甘味が食べられるのなら、振り回されてばかりいるこの男との外出も悪くはない。今後も年に一回くらいなら付き合ってやってもいいだろう。
「朝緋チャンも、甘いもん食べたらそういう反応するんやなァ」
「……そういう反応?」
「幸せそうな空気がダダ漏れや」
ふん、この世に美味しいものを食べて幸せを感じない人なんているはずないだろう。それともなんだ、死神はそうじゃないとでも言いたいのか。
「ははっ。真子さん、やっぱり私のこと鉄の人形だと思ってるでしょ」
「そりゃ、あないにトゲトゲされとったらな」
「トゲトゲって。私はサボテンか」
「ふっ……んなわけあるかい、朝緋チャンはタンポポやろ」
「はい……?タンポポ?」
「そ。ひたむきにこつこつ頑張っとるところとか、ふわふわ綿毛みたァに掴み所が無いところとか。そっくりや」
「………」
そう語る彼はどこか遠くを見つめていて。何言ってるんだ、それなら貴方の方がよっぽどタンポポみたいじゃないか。黄色い花はその髪によく合っているし、掴みどころがないのは貴方もそうでしょ、と。そんな軽口も言い返せなくなってしまう。
「せやけど、今日でよぉ分かったわ」
「なにがです?」
「朝緋チャンはふつーの女の子やった、って事が」
「………」
カラン、と彼の前に置かれたグラスの氷が崩れる。
……ねえ、なんでそんな事を言うの。それは、私が何も守れないか弱い女の子って意味?――という問いが喉まで出かかる。
「餡蜜を幸せそうに食べるところも、キラキラしとる小物に目を輝かせてるところも――惚れた男によく似た色の髪紐を見つめる顔も。……朝緋チャンは、普通の恋する女の子やったわ」
――ほらみろ。だから……だから嫌だったんだ。この人と流魂街に来ることが、この人の近くにいることが。私がどれだけ必死に隠して守ったって、全て見透かしてしまうこの男が、私は嫌いだった。
「違いますよ、」
「ん?」
「ぜんっぜん、違います。なーんにも、あってない」
「……」
「……」
「……」
「……普通の女の子に、なれたらよかった」
「――!」
「普通に恋する女の子のままが、よかった」
笑わせないでくれ。私の一体どこが、何が、普通だと言うのだこの男は。餡蜜を食べてるのが幸せそうだったから?きらきら光る小物が好きだから?――浦原喜助に、恋をしてるから?はは、そんなもので覆って普通になれるほど、私が抱えているものは軽くない。軽くていいわけない。
私が隠してきた素の一面を見て、それを肯定してくれようとその言葉を使った事は分かっている。だけど、なんでよりによって、この男に。――私が普通の女の子じゃないなんて、あの夜私を見下ろしていた貴方が、一番よく分かっているでしょうに。
「いいんです。きっと全部、私が望んだ事だから」
「…………」
「普通の女の子じゃ、あの人は遠すぎる」
そう言って髪紐に触れて、精一杯笑った。
……だって、きっとこの想いは、普通の恋とは違うから。どうしても届けたい想いがあったから、世界を飛び越えられたんじゃないかと今では思う。例えそれで、私の普通が全部無くなっても。それでもいいと思える、特別な想い。
(……まぁ、叶わないと分かってますけど)
「――そないに綺麗な顔して言われたら、応援せん訳にはいかへんなァ」
「……とか言って、本当は揶揄いたいだけのくせに」
「そんなんせえへんよ」
「……どうだか」
「俺は朝緋チャンの味方や。もう、間違えたりせえへん」
「………」
「……何や、お前」
「……」
「……何者や、聞いてんねん」
――それが、あの夜私を見下ろしていた事に対する精一杯の謝罪なのだと、そう気がつくのに時間はかからなかった。……気にしなくていいのに。貴方の行動は正しかったし、気にして謝るべきところは他にもいっぱいあるじゃないか。……いつもならそう、言えたのに。私のせいで重苦しくしてしまった空気がそれを邪魔する。
――カラン。気がつけば私たちしかいない店内に、グラスの氷が崩れる音が再び響く。すると、それが合図だったかのように彼はふっと短く笑った。そして、お冷の入ったグラスを持ち上げ、いつもの悪戯っぽい視線を私に向ける。
「ほんで?喜助のどこが好きなん?」
「……そういうの聞くんですか。悪趣味ですね」
「ええやん、応援してる身からしたら、こういうん聞くのがいっちゃん楽しいんやから」
「応援して欲しいなんて頼んでないですよ」
「そない冷たいこといいなや、俺と朝緋チャンの仲やんか」
「どんな仲ですか。私たちいつから友達になったんです?」
「友達やないのに二人で甘味処なんて来るかいな」
「……」
「朝緋チャンは俺の部下やないしな。友達じゃあかん?」
「顔見知りくらいにしといてください」
「……ほんま、ナンギなやっちゃなァ」
先程まで私たちの間にあった重たい空気はどこへやら、彼はいつものヘラヘラした顔で笑ってくれている。こうして、あくまで自然に空気を変えてくれる彼の気の使い方は、もはや才能と言っていいだろう。そうやって他人だったはずの私たち……いや、そう思いたかった私を、すっかり自分の手の届く範囲まで引きずり込んでしまうのだ。
いくら警戒をしていても、気がつけばあっという間に距離を縮められてしまう。そういう所が私は苦手で、だけど憎むことも出来なくて、遠ざけるしか無かったのだと。こんなところでようやっと、彼と距離を取りたかった理由に納得がいく。
(……だって私は、部外者なんだから)
「私、まだ見たいものあるのでお先に失礼しますね」
「ん、そーか。ほなごゆっくり〜。あんまし遠く行ったらあかんで」
「はいはい」
「ご馳走様でした、」と真子さんに一礼して、私は甘味処の暖簾をくぐって外に出た。
「……あ、タンポポだ」
視界の端に映った一際目立つ黄色に、自然と目がいく。店先の日陰にぽつんと咲いたそれは――確かに、私にそっくりだと思った。
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