以上、忌憚無い人生でした




「……こういう雨の事を、『卯の花腐し(うのはなくたし)』って言うんスかねぇ」
「あぁ、うん、そうなんじゃない? いや〜、こうも長雨が続くと気が滅入っちゃうなぁ」
「なぁに言ってんスか。気が滅入るようなタチじゃないでしょう」
「えー? ほら、雨が降ると古傷が痛むって言うでしょ?」
「……まだ痛むんスか?」
「まぁね〜。今でも寝起きは特につらいかなぁ」
「……ふむ。でもま、それは仕方ないっスね! 特別に鎮痛剤でもお渡ししましょっか?」
「いや、いらない。遠慮しとくよ」
「そんな即答で断らなくてもいいじゃないっスか……別に怪しい薬とかじゃないっスよ?」
「どこからどう見ても顔が胡散臭いんだけど」
「えぇ〜、信用ないなぁ。……——よし。それじゃあ、神経接続外しますよ」
「はーい」


 ——降り続く雨がボツボツと屋根を打つ中、カチャカチャという小さな金属音が室内に混ざる。数日前から降ったり止んだりを繰り返している雨は……今日も止みそうにはない。

 義手の定期メンテナンスに訪れた輪堂を応接室へ通し、挨拶もそこそこに作業へと取り掛かる。もう何十回目ともなる作業だ、互いに雑談を挟めるほど慣れていた。


「——翡葉さんは元気にしてる?」
「ええ。ちょうど昨日から、副隊長のひよ里サンと一緒に調査任務へ出て行きましたよ」
「へえ〜、こんな長雨の中大変だね」
「……なんでも、雨の日にしか姿を現さない厄介な虚がいるとかで。『面白そう!』って張り切ってましたよ、彼女」
「うわぁ……それを聞いただけでも翡葉さんの顔が手に取るように思い浮かぶよ。相変わらずだねぇ、そういうところ」
「ええ、本当に。好奇心旺盛といえば聞こえはいいですけど……実際は猪突猛進もいいところっスよ」
「あはは、確かに! 翡葉さんのじゃじゃ馬っぷりにはボクも手を焼いたよ。懐かしいなぁ」
「……そういえば、まだお礼を伝えてなかったですね」
「ん? 何が?」
「輪堂サン、技術開発局に資金援助を申し出てくれたんでしょ? 朝緋サンから聞いてますよ。その節はどうもありがとうございました」
「あぁ、なんだそんなことか。気にしないでいいよ。無駄に資産を増やしていくよりも、君たちが有効活用してくれた方がボクも嬉しいから」
「流石は輪堂家の当主、懐が深いっスねぇ〜」
「はは、やだなぁ。煽(おだ)てたってもう何も出ないよ?」
「違いますよォ、本心で感謝してるんですって」


 そうして世間話を繰り返し、無事に肩の装具から義手を取り外すことに成功。ずっしりと重たい義手を机の上へ置いたところで——輪堂サンは「じゃあ、 僕はこれから行くところがあるから。用が済んだら受け取りに戻って来るよ」と言って、残された左手のみを使って淡々と帰り支度を始めた。


「え……こんな雨の中、片腕で出掛けて大丈夫なんスか?」


 普段ならば、片腕となった彼の身を案じて、数時間かかるメンテナンスが済むまでは応接室で待つように伝えてある。彼もそれに従って、暇を凌ぐため何冊も本を持ち込んでは随分と寛いでいたように思う。
 ……だというのに、今日はどうしたのだろう。傘を差すだけで手が塞がってしまう状況で出かけるというのは……彼の立場や身分を思うと少し気がかりだった。だが、彼はそんな心配はお見通しだと言わんばかりに、いつも通りの明るく飄々とした声で——しかし思いもよらない返答を口にする。


「いやぁ、逆だよ逆」
「……え?」
「『片腕だから』行くんだよ。——……今日は奥さんの命日だからね」
「——!」
「……義手を作ってくれた君の前で言うのも難だけどさ。命を落としたあの子の前に、僕だけ腕を取り戻したまま会いに行くのは……どうも気が進まないんだ」
「……そう、でしたか」
「ああ〜、ほら、そんな暗い顔しないで! 確かに雨なのは残念だけど、今日は付き人も来てくれてるから心配いらないよ」
「そっスか。……余計なお世話でしたね」
「……君も、仕事が落ち着いたら墓前に“小説の感想”でも伝えに行ってあげてよ。きっとあの子、喜ぶからさ」
「…………ええ」


 ——そう言って優しく微笑む彼の瞳には……とても他人では伺い知れないほどの、深い深い愛情が籠められていて。……別に、いま初めて見る表情でもないのに。不思議と胸がギュッと痛む。


「——というわけで、じゃん! 今日も持ってきたよ〜! 流石にこの雨だから二冊しか持って来れなかったけど……こっちは翡葉さんに渡しておいてくれる?」
「分かりました。……でも、」
「ん?」
「……朝緋サンは知ってるんスか? 輪堂サンの奥さんのこと」
「いやぁ、どうだろう? まだ僕からは伝えてないし、知らないんじゃないかな」
「……」
「……だから、まだ黙っといてくれる? あの子、こういう話聞いたら……たぶん、態度には出さなくてもすごく僕のこと心配するだろうし」
「……そうでしょうね、」
「まぁ、そのうち僕から話すよ。隠し続けるつもりも無いしね。……とりあえず、君はこの小説を渡してくれるだけでいいから」
「ええ。……それじゃあ、どうぞお気をつけて」
「うん。君も、これから現世に向かうんだろ? 頑張ってね、浦原隊長!」


 彼は普段と変わらない爽やかな笑顔を浮かべて、明るく応接室から出て行った。……その背中を目で追いかけて、隊舎の外で控えていた付き人と合流し歩いていく後ろ姿を遠目からぼんやりと見続ける。

 ——一生を添い遂げると誓った妻を亡くした彼は、その痛みと孤独にどう向き合ってきたのだろう。
 彼は今でもずっと、彼女を大切に想っている。それは、残された左手の薬指に輝く指輪と——生前、小説作家として多くの作品を生み出してきた彼女の遺作を、周囲に煙たがられようとも懲りずに配っている姿を見れば明白だ。……それほどの深い愛情を故人へ注ぎ続けている彼は、果たして。数十年の時を重ねた今、あの日の出来事から立ち直れているのだろうか。


 (……他人(ボク)がとやかく言って気にすることじゃない、か)


 雨の中、残った左手で傘を差し、付き人と共に歩いて遠ざかっていく彼の背中。かつては霊術院の同期として、互いに切磋琢磨しあえる仲だった。怠けがちだった自分とは違い、首席を務めていた彼の背中はいつだって逞しかったはずなのに。この時ばかりはどうしてか、その背がとても頼りなさげに目に映り——その瞬間、妙な胸騒ぎが体の中を駆け巡った。


 ……なんだろう。嫌な予感がする。
 だが、今はそんなことに気を取られている暇はない。この後に控えている現世出張任務の準備を進めなくちゃならないのだ。彼の義手のメンテナンスは部下たちへ引き継いで、淡々と必要なものを用意していく。そして、準備の最中に立ち寄った研究室で、ふと『名も無き花』が視界へ入った。いつもと変わらない光景なのに、妙に気を引かれて吸い込まれるように窓辺へと足を運ぶ。
 ……外はどんよりとした灰色の分厚い雲に覆われて、止まない雨が降っているのに。この花はそんなのお構いなしに、基本色である純白に輝いていた。静かな美しさを放つ輝きは、近くで見ればより魅力を増す。だが、作った本人がもうこの研究室へあまり立ち入らなくなったからか、手入れされることがなく所々埃をかぶってしまっていた。遠目から見たら分からないが、これじゃあせっかくの美しさも損なわれるというもの。埃を取り払おうと、『名も無き花』へ手を伸ばした時——……


 ——ガシャン!!

「……!」


 ——手が触れた瞬間、『名も無き花』は窓辺から落下してしまい、花瓶が激しく砕け散る。ま、まずい……! 即座に手を伸ばすも、間に合わない。衝撃で花も花弁と茎の部分でぽっきりと折れてしまい、見るも無残な状態に。


「(……っ、何してんだ、)」


 粗雑に扱ったつもりは微塵もないのに。むしろ気を使ってすごく優しく触れたはずだったのに。
 羽織の袖が当たって落下してしまったのか、花弁と茎で真っ二つになった名も無き花は、先ほどまで見ていた美しい花の面影を失くし、なんとも悲惨な姿に変わってしまっていた。……おかしい。この花を最初に見た時は、もっと頑丈な作りをしていたはずだったのに。こんな壊れ方、とてもじゃないが縁起がいいとは言えない。

 ——その時。ぶわりと背筋に嫌な悪寒が走る。
 先ほどの胸騒ぎが、より明確な嫌な予感となってもう一度全身に駆け巡った。


「……っ、」


 必死に打ち消そうとするのに、消えてくれない。
 朝緋サンの無理して笑うあの顔が、まるで目の前にいるように思い浮かんで離れなかった。

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