目を瞑れば不幸なんて映らない(1)
それは突然だった。
「——報告します!」
現世に調査へ向かい、任務は順調に進んでいた。出立前に感じたあの胸騒ぎも、どうにか頭の隅へ追いやって目の前の作業に集中出来ていた。ただの杞憂に過ぎない、気のせいだったと思い込んで、ほとんど忘れていたのに。——突如現れた裏廷隊の霊圧を感じて、張り詰めた空気が綻ぶようにハッと顔を上げる。
「十二番隊副隊長、猿柿ひよ里様。及び同隊四席、翡葉朝緋様が虚との交戦で負傷、四番隊へ緊急搬送されました!」
「——!」
「現在治療中ですが、両名とも命に別状はないとの報告です。猿柿副隊長は既に目を覚まされているとも聞き及んでおります」
「……」
——虚との交戦で負傷。命に別状はない。
胸の奥でじんわりと何かが広がっていく。きっと昨日までの自分なら、驚きはすれど珍しいこともあるものだと、この報告を受け止めていただろう。あの二人の実力は誰よりも知っている。それに、隊舎には涅サンを置いてきているのだ。ボク自身が帰還するか否かの判断は、裏廷隊ではなく十二番隊の誰かが現世まで報告に来てくれるのを待ってからで構わない。——そう思えていた。否、それが最善だと、脳内では理論値として叩き出されている。ボクが急いで尸魂界に帰る必要は、まだないはずだ。
……それなのに。今の自分は、淡々と話す裏廷隊の報告内容に頭がビリビリと痺れるような違和感を抱く。この感覚は一体なんなのだろう。彼が誤報を伝えるはず無いと頭では分かっているのに、口をついて出た声は思ったよりも低いものだった。
「……本当に?」
「……はい?」
「——本当に、命に別状はないんスか?」
「……と、申しますと……」
「二人の状態について、詳しい報告は? ——ボクに何か、隠してることありませんか?」
「い、いえ。自分は先程の報告の通りにしか、伝え聞いておりませんが……」
「……では、彼女たちが交戦していた虚は」
「それなら、既に討伐済みだと報告されています」
「……そうですか。分かりました」
心臓が嫌な鳴り方をしている。全身で鼓動を感じ取るようにバクバクと大きく脈打ち、まだ何も確定していないのに悪寒が背筋を駆け抜ける。
——これはきっと、只事じゃない。
自分自身の勘がそう告げていた。
「浦原隊長、どうされますか」
「スイマセン。この調査は一旦打ち切りっス」
「!」
「撤収作業、任せてもいいっスかね。……ボクは今すぐ瀞霊廷へ戻ります」
同行していた数人の部下にそれだけ告げると、ろくに顔も見ず返事も聞かぬまま穿界門の中へ飛び込んだ。断崖を走りながら頭に思い浮かぶのは、先刻の研究室で起きたあの光景だった。無惨に砕け散った花瓶と、真っ二つに折れた名も無き花。——非科学的なことなんて信じちゃいない。ただの偶然だ、根拠も何も無い。昔の自分なら間違いなくそう思って切り捨てていた。なのに、いつの間にかそう思えなくなった。非科学的なことでも、ロマンチックなものを信じてみるのもいいかもしれないって、多少なりともそう思えるようになった。そう、思えるようになったきっかけは、間違いなく朝緋サンがいたからだ。元気が出る飴玉も、より幸せになれそうな四葉のクローバーも、線香花火の花言葉も。全部、朝緋サンが話していたから『本当にそのロマンが叶えばいいな』と思えるようになったんだ。あの花が壊れた瞬間、あんなにも不安でたまらなかったのは——あの子が、そうやってボクの価値観を変えてきたから。
濁流のように流れる思考の果て、辿り着いたその答えにより一層、彼女の無理して笑うあの顔が頭から離れない。額から冷や汗が流れ落ちて、指先は氷のように冷えていき、息がどんどん上がっていく。
あの胸騒ぎは、やっぱり、気のせいなんかじゃなかった。
——バン!
「——……!」
「……何だネ、いきなり。騒々しい奴だ」
真っ先に向かったのは四番隊ではなく、技術開発局。とにかく状況把握をしなくてはと——そう思って扉を勢いよく開けた瞬間、
「……なん、スか、それ」
「見てわからんのかネ?」
「……っ、」
扉を開けた先、真っ先に目に飛び込んできたのは——保護瓶に詰められた“死神の左腕”だった。
「——僕よりもっ、あの子を……あの子を、助けてくれ……っ!!」
「お願いだ……!! 君にしか頼めないんだよ……!!」
「僕の腕は、もう……っ、」
「いやぁ、逆だよ逆」
「“片腕だから”行くんだよ。——……今日は奥さんの命日だからね」
「……私が四席になったら、今よりも強くなって……もっと、格好いい女になれるかな」
「……仕方ないなぁ、」
「……どうして、」
……ごめん、ごめんね朝緋サン。
こんなにハッキリとした予感があったのに。
アナタの正体が何者でも、味方でいるって決めたのに。
「……っ、ボクのせいだ、」
……守ってあげられなくて、ごめん。
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