目を瞑れば不幸なんて映らない(1)




「……あの。さっきから何してるんですか、真子さん」
「何って、コレ見てわからへんのか。髪の手入れや」


 あれから真子さんは飽きもせず、ずっと病室に入り浸り続けていた。用がないなら帰って欲しいのだが……コレ、と言って指示した病床机の上には、見慣れない整髪料の小瓶と櫛がいくつも置かれている。


「んなの見りゃ分かりますよ。どうしてあなたが私の髪の手入れをしているのかって聞いてるんです」
「別になんだってええやろ。暇つぶしや、暇つぶし」
「……暇なら帰ってくれませんかね。静かに寝たいんですけど。ねえ? ひよ里さん」
「……」
「そう言って『アレ取って』『コレやって』って俺を小間使いしてるんは誰やねん、ボケ」
「怪我人の世話をしてくれない見舞客なんてこっちから願い下げです」
「……ったく。ちょっと元気になったかと思ったらすぐこれや。こういう時ぐらい素直に甘えてくれたってええんやで? 朝緋チャン?」
「あー、お腹すいたな〜。時雨堂の幻の栗最中が食べたいな〜〜」
「おーおー、退院したらたんと食わしたるから。今はその怪我はよ治し」
「はは、そんなこと言われたって千切れた腕は元には戻りませんよ。虚じゃあるまいし」
「……」
「あれ。やだなぁ、冗談ですって」
「……別に俺は平気やけど。あんまし他の奴らにそういう事冗談でも言わんときや」
「うーん。私が冗談で片腕をいじるのはセーフだと思うけどな〜」


 そう言って肩を竦めてケタケタ笑えば、真子さんは眉を下げて切なそうに私を見つめた。……別に、私は失くした腕の事なんて気にしてないのに。片腕で生きていくことに関して心配をかけたくないから明るく振舞っているけど、それは無理してるわけでもない。至って普段通りの私なんだけど……でも、この男はきっと、そうは思ってないんだろうなぁ。私が目を覚ましてからずっと甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる姿に、こちらが気まずくてたまらない。……あなたにそこまで優しくしてもらえる理由、私にはないのに。


「……覚えとるか? お前が死神になる言うて、バッサリ髪切ってしもた時の事」
「ああ……そういえばそんな事もありましたね」
「あん時はほんま、肝が冷えたわ。綺麗な髪やったのに、なんでそない勿体無いことするんやって」
「ええ。なんかすごくムカつく事を言われた気がします」
「……やっぱし、俺は伸ばしとる方が好きやわ」
「え? 何?」
「……何でもあらへん。ホラ、こんだけ梳いたからサラッサラなったで」
「おお〜、ほんとだ。すご」
「せっかくやし、可愛く結ったろか?」
「ええ〜、いや、いいですよ。寝転がったら邪魔だし、崩れちゃうだろうし」
「しゃーけど、本読んだり飯食うたりで邪魔やろ? 寝ても崩れへんようにしたるわ」


 真子さんはニコリと笑って、手際よく私の髪を結い始める。ものの数分で「ホラ、」と手鏡を渡されて確認すれば——肩へ流れるようにして、緩い三つ編みが出来ていた。……私が片手で髪を結べないし、髪もろくに梳かせないから。それを分かった上で何も言わずここまでするこの男に、呆れと罪悪感が綯い交ぜになる。……はぁ。なんでこんなに世話焼きなんだろ。男のくせに手際よくて器用なのもちょっとムカつくし。なんて、そうは思っても想像以上の出来栄えで関心したのが顔に出てしまったのか、「可愛ええやろ?」とドヤ顔で声を掛けられてしまった。……癪なので「まぁまぁですかね」と返しておいた。


「……」


 そんなやり取りを繰り広げる最中、隣のベッドにいるひよ里さんはずっと黙ったままだった。具合が悪いだとか、怪我が酷いとかではない。むしろ、ひよ里さんの怪我は想定していたよりも軽傷で、数日後には退院出来るそうだ。……どうやら、技術開発局へ転移した時に応急処置してもらったのが功を奏しているらしい。それなら、『絶対に他人へ渡してはいけない』という彼との約束を破って転移装置を託したかいがあったというもの。きっと後ですごく怒られるだろうけど、それで済むなら安いものだ。……そう、だから、ひよ里さんは体調が理由で黙ったままなのではない。……理由は何となく、察しているけれど……私は目が覚めてから、一度も彼女と言葉を交わせていなかった。
 しかし、そんな空気をものともしない男が始終この場に居るから、状況は変わらないまま。真子さんは手鏡と櫛を手に持ったまま「せっかくやしひよ里もやったろか?」と声を掛け、見事に怒鳴り返されていた。……彼女は、真子さんと話す気は普通にあるみたいだから。

 そんな二人のやり取りに耳を傾けていたところで、病室にノック音が響く。軽く返事をすれば、白衣を纏った四番隊が入ってきた。……どうやら、怪我の処置をするため私は別室への移動が必要らしい。腕が千切れた左肩はとにかく切断面が酷いことになっていて、こまめな処置が必要なんだとか。まぁ、斬られたんじゃなくて千切れたからね。そりゃそうだろう。迎えに来た四番隊が用意してくれた車椅子に自力で乗り移り、二人を残して病室を後にした。



 ***



 私は痛いのは嫌いだ。辛いのも苦しいのも嫌い。だから、たとえ麻酔が効いているとはいえ傷口を縫うなんてすっごく嫌なのに。処置をしてくれたのは副隊長の山田さん……花太郎のお兄さんだったんだけど。腕は良いみたいだけどとにかく不愛想で、『どうしたらこんな怪我出来るの?』って終始軽蔑されてるような目で見られてめちゃくちゃ怖かった。あ、この人には逆らっちゃいけないなって一瞬で察した。だから、自分の傷口があまりにもグロテスクで卒倒しかけたけどなんとか耐えるしかなくて。


「(……なんか……一気に疲れた……)」


 まだ処置は続くみたいだし、私の主治医はあの人らしい。だからきっとすぐにまた、あの疲労を味わうことになるんだろう。……先のことを思うと憂鬱でたまらなくて、病室へ戻ったら寝ようと——そう思って、病室の中へ入った時だった。


「……失礼しまー……!」
「……」
「……」
「……ええと、お、お取込み中かな? すいません、出直しま、」
「別に何でもないわ。お前の病室なんやからビクビクせんと入ってきたらええやんけ」
「そ、そうですか。じゃあ、遠慮なく……」
「……」
「あ、どうぞ私には構わずにお二人でお話続けて下さい。私はもう寝るので」
「——朝緋サン」


 その声はいつもより静かで、とても落ち着いた声だった。
 ——そして、愛おしい声はもう一度、確かに私の名前を呼ぶ。


「……朝緋サン」
「……ご機嫌よう、浦原隊長。お疲れ様で——」

 ——バシン!!

「っ、!」


 その瞬間。激しい痛みと衝撃が、頬と顔全体に響く。
 ——何が起きたのか、すぐには理解出来なかった。


「……前に約束しましたよね。『自分なんてどうなってもいい』って顔をしたときは殴ってもいい、って」
「……」 
「ふざけるなよ。自分が何したか分かってるんスか」


 先ほどとは打って変わって、酷く冷たくて鋭い声だった。今まで彼からは聞いたことも無いような、明らかな怒気を孕んだ声が自分へ向けられている。——何か取り返しのつかない事をしてしまったような、そんな得体のしれない恐ろしさが瞬時に私を飲み込んだ。……この人が、面と向かって誰かに怒りをぶつけるなんて、あり得ない。あり得ないのに、今、それが目の前で起きている。彼に怒られていることよりもそのことの方が恐ろしくて、頬の痛みよりも、何故か胸の方がずっと苦しくて。息も忘れるほど、身動きが全く取れなかった。

(……ちゃんと、答えなきゃ、)


「……っ、分かって、ますよ」
「分かってない」
「分かってます」
「……」
「……無謀なことをした、って。……ああ、馬鹿なことしたな、怒られても仕方ないなって。ちゃんと分かってます」
「……それのどこが分かってるって言うんスか」
「え?」
「……アナタ今、自分の腕を失ったことを『仕方ない』って言いましたよね」
「……」
「ひよ里サンから全部聞きましたよ。虚が予想外の能力を持っていたことも、アナタが仲間の死に動揺して始解出来なくなったことも。——それなのに、撤退を促したひよ里サンの意に反して、挙句彼女を護るため虚へ立ち向かったことも」
「……」


 視界の端で、ひよ里さんが俯いたまま布団を握りしめているのが見える。……ああ、そういうことか。きっと私が病室から出ている間に彼が来て、あの時の事を話していたんだろう。彼は任務で現世に居たらしいから、ひよ里さんのことが心配でたまらなくて、無事を確かめるため一目散にここへ来たに違いない。普段の彼らはとても仲良しには見えないけれど、彼が副官であるひよ里さんをすごく頼りにして大切にしていることは——私だけじゃなくて十二番隊のみんなが知っている。
 ……そしてきっと、話を聞いたからこそ、彼はこんなにも感情を剥き出しにして怒っているんだろう。本当は誰よりも私に怒りたいはずの、ひよ里さんに代わって。

 ——頭では、そう、分かっているのに。


「……普段のアナタなら、部下が二名も殺されて不利な状況に陥った時点で、撤退の判断は出来ていたはずですよね」
「……」
「……何故、撤退を受け入れなかったんスか?」
「…………死なせたくなかったから」
「……」
「絶対にひよ里さんを死なせたくなかったから。何が何でも護りたかった。……自分だけが逃げて助かるなんて、死んでも嫌だった」
「……じゃあ、どうして虚を倒したのに自分が助かる為の行動を取らなかったんですか」
「……」
「通信端末で助けを呼ぶなり、止血剤を打つなり出来たはずでしょう」
「……虚を倒しただけじゃひよ里さんを助けられないと思ったので。そんな余裕はありませんでした」
「——だから、彼女を護れるなら自分が腕を失い、あまつさえ死ぬことになっても『仕方がない』と?」
「はい。……そもそも、あの事態に陥ったのは私の責任ですし。自分の命をどう扱おうと私の勝手でしょう。そこで死んだならそれまでだったってことじゃないですか」
「……はは、そんなこと本気で言ってるんスか?」
「ええ。私、腕を失ったことについては後悔してませんから」
「……」


 頭では分かってるつもりだった。これ以上はダメだ。言わなくていい、我慢しろ。何を言ったって、私とこの人では分かり合うことは出来ない。何度問答を繰り返したって無意味なんだ。……どうして私が死ぬ気でひよ里さんを護りたかったのか、その理由を全て話す事が出来ないから、という事じゃない。私と彼では命に対する価値観も、そして生まれも育ちも、立場も、何もかもが違いすぎるからだ。互いに違う世界で生きてきたのだから、私の言い分をこの人が理解するなんて不可能な話で。その逆もまた然り。——そう。私たちは所詮他人同士だから、たった数年、多少の絆を育んだ程度じゃ分かり合うなんて出来ないのだ。でもそれは仕方の無いこと。だからこれ以上意地を張って言葉を重ねても無意味な事なのに。
 ——なのに、天邪鬼な私の口は止まってくれない。


「私よりも生き残るべき人がいた。その為に必要なことをしただけです。部下が上官を護って何が悪いんですか」
「……」
「もしまた同じ状況になったら私は同じことをしますよ。誰に何を言われようとも、絶対に」


 ——その瞬間。
 ピシッ、と空間に亀裂が入ったように空気が変わった。


「自惚れるのもいい加減にしろよ、」
「……」
「自分一人の命で誰かが救えるなんて、戦いはそんな簡単な話じゃない」
「……私は、」
「——ボクは、そんなことをさせるためにアナタを四席に選んだんじゃない」
「っ、!」
「そこまでにしとき」


 ギシ、とベッドの軋む音がする。
 ……それまで沈黙を貫いていたひよ里さんが、静かにこちらへと近づいて来た。


「……ひよ里サン、」
「お前、自分がいま何言うたか分かってるか」
「……」
「何にも自分の立場を分かってへんやろ」
「……」
「——お前に言うてるんやぞ、朝緋」
「……、」


 ……何か、返事をしなくちゃいけないのに。頭の中では彼に言われた一言が何度も反芻していて、上手く言葉がまとまらない。俯いたまま何も言えなかった。
 けれど、ひよ里さんはそんな私に構うことなく「コイツ連れ出したるから頭冷やしとき。……何にも分かってへんのはお前の方や」と言って、そのまま彼を連れて病室から出て行った。

(……なんでそんな顔、するの)


「……私は、楽しかったですよ」
「……」
「最初は、自分には向いてないと思いました。いや、今でも向いてないとは思ってます。だけど、四席になって、色んな人と関わるようになって……十二番隊のことがもっと好きになったし、毎日すごく楽しかったです」
「……朝緋」
「こんな体になっちゃったから、今まで通りには仕事出来ないかもしれません。……だけど、それでもやっぱり私は後悔してないです。みんなを守れる立場に立てたこと、誇りに思います」
「……」
「……言うことを聞かない、どうしようも無い女でごめんね。自分のせいだなんて、思わないでね」


 そう言って、最後は笑って、私から病室の扉を閉めた。
 ……扉が閉まる最後の瞬間、何を言いたそうにしていた彼と目が合ったけれど、気付かぬフリをして目を逸らした。


 ——パタン、

「…………そんなことをさせるために四席に選んだんじゃない、かぁ」


 しんと静まり返った病室で独り言ちる。……本当は私以外にも、四席にしたかった人がいたんだろうか。なら、きっとその人が本来の十二番隊の四席だったんだろうな。……なんて、考えても仕方のないことを、ただ、呆然と思い続ける。


「……いない方がいいなんて、最初から分かってたはずなのにね」


 死んだ方が楽だったなんて、そんなことは思わないけど。生きることがこんなにも難しいだなんて、考えたこと無かった。

 ——同じ世界で生きていくことに必死で、たった一人を愛し続けることがどれほど難しいのかを、私は知らなかった。


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