目を瞑れば不幸なんて映らない(2)





 永遠の愛が存在するならば、それはきっと、どんな自分になろうともその相手を愛し続けること。五回生まれ変わって、違う人生を歩もうとも、同じ人を愛すこと。それが永遠の愛なのだと思う。

 ——でもそれは、きっと誰にでも出来ることじゃない。親子だろうが、兄弟や親族、あるいは仲間や友人であったとしても。相手を愛し続けるにはきっと、愛されることも必要なんだと思う。自分がこれだけ愛しているのだからあなたも、だなんて見返りを求めるという意味じゃない。ただ自然に互いを大切にし合うこと。それが愛し愛され、幸せな生涯を送るということなんだ。愛は、愛されるから生まれるもの。自分一人だけじゃ、愛なんて生まれやしない。だから人はそれを、愛とは正反対の孤独と呼ぶ。

 たった一人を永遠に愛し続けることは、きっと。
 流れ星を掴むに等しく、難しい。



 ***



 あれからすぐにひよ里さんは退院した。卯ノ花隊長のお墨付きが出るほど元気になって、十二番隊へと戻ったそうだ。私も一緒に退院しようとしたが、山田副隊長に首根っこを掴まれて「僕から逃げようだなんていい度胸だ」と、有無を言わさず病室へ押し戻されてしまった。……曰く、花太郎の兄、山田清之介は「死にたがりの患者を無理矢理生かすのが趣味」という、とんでもサディストらしい。私の怪我が完治するまでは絶対に退院を許さないとのことで、自由奔放な私にとっては非常に耐え難い入院生活を強いられていた。


「……退屈だなぁ」


 ただ寝ることしか許されない日々。そんなものに私が耐えられるはずもなく、少し前までは人目を盗んで裏庭で復帰へ向けた筋トレをするのが日課になっていた。しかし、結局はそれが山田副隊長にバレてしまい、笑顔で麻酔薬の震点を使われ、その場で気絶。……以降、私が病室を抜け出そうものなら「そんなにまたうちの隊舎牢に入りたいの?」と言われてしまい、何も出来なくなってしまった。……私が冤罪事件で四番隊の隊舎牢のお世話になったあの苦しさを持ち出されてしまっては、さすがの私も何も言えない。あの人って本当に、本気に性根が悪いんだと学んだ。回道の腕前がとても高いことだけがせめてもの救いで、あまりにも人格が欠落しすぎている。本当に花太郎の兄なのか、原作を知る私ですら疑いたくなる程だ。

 ——しかし、その退屈で仕方ない入院生活にも『希望』はあった。見舞いに来てくれたニコちゃんから聞いた話だが、なんでもあのマユリさんが、あの日現場に赴いて私の左腕を回収してくれていたらしい。それで左腕の再生手術を受けないかと打診があったのだ。……まさか片腕が取り戻せるなんて思ってもなかったから、聞いた時はすごく驚いた。信じられなかったけど、腕が戻るならその方が良いに決まってる。突然訪れた転機に、私はもちろんと二つ返事で承諾した。
 雨水に曝されてかなり状態が悪く痛んでいたはずの私の左腕。それを、マユリさんが嬉々として切断面の細胞を再生させる研究をしているんだと。……それだけ聞くとあまりにも物騒で仕方ないのだけど……ニコちゃん曰く“ちゃんと人の腕の形を保ったまま”、徐々に移植完了な状態まで来ているらしい。……見てくれだけが普通の腕なだけで、中身がどうなっているのかは分からないらしいけど。

(マユリさんが弄った腕なんて、それは本当に元に戻していいんだろうか……)


「——お前なァ、俺がおるっちゅうのに退屈だなんてよォ言うわ」
「……ああ、なんだ居たんですか。存在感薄すぎて気が付きませんでした」
「……俺、これでも五番隊の隊長なんやけど?」
「へー、すごーい」
「棒読みやんけ……」


 ふと窓際から聞こえてきた声に自然と眉間に皺が寄る。……まったく。人の左腕を嬉々として検体にするマユリさんもアレだけど、性懲りも無く見舞いに訪れるこの男も随分とまぁ物好きだ。毎度、用がないなら帰れと言っても聞く耳を持たず、それどころか自分の部屋のように寛ぎ始める始末。ここに居るのか当たり前になりつつあって、ついにはもう弁当まで広げてここで昼食をとる有様だ。……いくらなんでも自由すぎないか。


「……」
「……なんや。そないじっと見つめられたら食いづらいんやけど」
「いいなぁ。美味しそう。いい匂いする」
「お前はさっき昼飯食ったばっかりやんけ」
「病院食なんて質素で味気ない! 物足りない! 何よりもう飽きた!」
「……ちょっと食うか?」
「嫌ですよ、真子さんの食べかけなんて」
「………………」
「あ〜〜〜、定食屋さんの牛丼が恋しい〜〜〜。お刺身定食が食べた〜〜〜い」
「……」
「ただでさえ片手でストレス溜まるっていうのに、美味しいものも食べに行けないなんて酷いと思いません?」
「……しゃーないやろ、怪我人なんやから」
「はあぁぁ。……もう、ほとんど治ってると思うけどなぁ。あの性悪副隊長め、いつになったら退院出来るんだろ」
「……」
「……真子さん?」
「気ィ付いとらんやろけど、お前、ずっと顔色悪いで」
「え」
「お前は元気や思うてるかもせんけど、誰がどう見ても救護詰所(ココ)がお似合いの顔や。大人しく寝とき」
「……もう寝るの飽きたよ」
「ガキみたいな我儘言うなや。我慢しとき」
「……」
「何やその顔は」
「……もしかして心配してくれてる?」
「……」
「……あはは。まぁ、そうじゃなきゃわざわざ隊長さんがこんな所来るわけないもんね。ごめん、ありがとう」
「……お前に謝られると虫唾が走る」
「なにそれ。ひっどーい」


 病室の窓からふわりと風が舞い込んでくる。……しばらく続いていた長雨も明けて、季節はもうすっかり初夏を迎えようとしていた。燦々と降り注ぐ陽射しが病室内にコントラストを作り、照り返しがとても眩しい。


「……朝緋」
「んー?」
「お前、これからどうするん?」
「……どう、とは」
「退院してからとか、これから何して生きていくかって話や」
「……どうもこうも、そりゃ今まで通りモリモリ働くつもりですけど」
「……」
「まさか、私が大人しく隠居するとでも思いました?」
「……俺はお前の体を心配して聞いとるんや」
「ああ。それなら問題ないですよ。なんか左腕復活出来るみたいなんで」
「……」
「技術開発局ってすごいですよね〜。これで四肢欠損が治せるようになるなら、また一段と瀞霊廷の医療も進歩するし、死神の未来も明るいってもんですよ」
「……」
「リハビリには時間かかっちゃうみたいですけど。まぁ、それで失った腕が元に戻るなら安いですよね。まだまだ頑張れます、私」
「……はぁ」
「……え、なに」
「……別に、頑張られへんのやったら頑張らんでええんちゃう?」
「——は?」
「たまには休んでもバチ当たらへんやろ。死神になるって決めてからずっと無茶苦茶に突っ走って来たんやし。腕失くしたってのに、お前は頑張ろうとしすぎや」
「意味分かんない。勝手に私の限界を決めないでよ」
「ほれ。限界まで走るんは頑張るとは言わへん、無理するっちゅうんや。お前は自分が休む練習をしろ、ボケ」
「そんなこと上司でもないあなたに言われたくないんですけど」
「しゃーから、お前の“友達”として言うてるんや。隊長としてお前にああだこうだ言うんは、俺の役目やないしな」
「……」


 さらりとそんな事を言ってくるこの男に、思わず目眩を覚える。……私を弱い女の子みたいに決めつけないでよ。頑張るのも無理をするのも、全部自分で決めたことなんだから。少なくともそれであなたに迷惑をかけたことなんてないじゃない。


「……はあ。じゃあ、仕事手伝ってよ。友達だって言うなら」
「……は?」
「この書類、宛名に書いてる人たちに届けといて。十人分くらいしかないから。いいでしょ?」
「……」
「私が受けてた依頼で達成出来そうにないものを、部下に引き継ぐけど構いませんか、っていう内容の確認書なんだけど。私はこの通り、入院を余儀なくされている身分ですのであなたに任せますね、これ全部」
「……なんでそない大事なん任すのが俺やねん。喜助に頼んだらええやん」
「ああん? 無理しないで休めって言ったのはどこの誰でしたっけ?」
「……」
「……それに、あの人は私の見舞いになんか来ませんよ。それくらい真子さんだって知ってるでしょ、ほぼ毎日来てるんだから」
「……」


 言って、笑った。悲しくはなかった。遥か昔、前に入院した時もそうだったから。……でも、そんなことを軽々しく言えてしまう自分を少し悔しくも思う。真子さんもハッとした顔で、どこなくバツが悪そうに目を逸した。


「……退院したら、」
「ん?」
「退院したら、また俺の部屋の蓄音機直してくれるか」
「そりゃもちろん」
「……約束やで」
「うん。タダで直してあげるよ、友達だから」


 そう言って散らばった書類をまとめて、彼へ手渡す。真子さんは「……ほな、届けてきたるからちゃんと寝ときや」と言って眉を下げ、まるで子供をあやす様に私の頭へポン、と手を置いてから病室を出ていった。


「…………」


「——そんな事をさせる為にアナタを四席に選んだんじゃない」



 ……ならば一体、彼は私に何をして欲しかったのだろう。
 たとえ分かり合えない他人同士でも、愛し愛されることの無い男女でも。何も分からないのは寂しいよ。



 ***



 とんでもないことになった。真子さんに届けてもらったあの書類のせいなのか、はたまたどこかの噂好きの耳にでも入ったのか。私が大怪我を負って入院していることが瀞霊廷中に広まってしまった。……まぁ、腐っても私には十二番隊四席という肩書きがあるから、「え、十二番隊の四席が……?」みたいな噂が広まるのは仕方なかろう。だからそれはまだいいのだ。
 ——問題は、私の想像を遥かに超える見舞客が連日わんさかと訪れることだった。あの瀞霊廷通信のせいなのか「なんでもお悩み受付係の不在」が瀞霊廷に影響を及ぼしてるだとか大袈裟なこと言う人達が後を絶たない。もちろん、普通に私のことを心配して来てくれる人もいる。それこそ、茶飲み友達になりつつある浮竹隊長と海燕さんは血相を変えて飛んできた。なんでもっと早く知らせてくれないんだと、怒涛の勢いで逆に怒られてしまったのは記憶に新しい。
 しかし、大抵の見舞客は早く元気になってまたうちに来てくれだの、この前直してもらったものが最近また調子が悪いだのと、心配してるのは私なのか自分なのかよく分からない人達ばかりで。


「じゃあ、お大事に。翡葉四席!」
「……はい。どうもご親切に、ありがとうございました」


 こうして今日も一人、見舞いへ訪れた人を詰所の入口まで見送る。立ち去る背中を見つめながら、こっそり小さく息を吐いた。……ありがたいとは思うけど、あまり面識のない人からの好意というのは得意ではない。正直言うと結構気疲れしていた。……仕事だったらなんとも思わないんだけどね。


「(……ふぅ。戻って少し寝るか)」
「(……ん?)」


 詰所の入口で踵を返し、自分の病室へ戻ろうとした時だった。——すぐ近くにある受付で、何やら人だかりが出来ている。


「……よかったら貴女も、どうですか?」
「え、」
「今日は七月七日、七夕です。せっかくですから、みんなで短冊を飾ろうと思って用意してみたんです」


 後ろから声を掛けられて振り返る。
 そこには、優しい微笑みを浮かべた卯ノ花隊長が立っていた。


「……なるほど。いいですね、みんなすごく楽しそう」
「ええ。筆と短冊は向こうにたくさん用意がありますから、貴女も好きなものを使って下さい」
「……じゃあ、遠慮なく」


 卯ノ花隊長に促され筆を取り、少しだけ懐かしむように瞼を落とす。
 技術開発局でも七夕は恒例行事として扱われていた。青々とした笹の葉も、揺れる短冊も、目に入れるのはおよそ一年ぶり。きっと今年も、研究室にはここと同じように準備してあるはずだ。……だけど、短冊を手に取って筆を持ち、はたと気が付く。そういえば、私は今までで一度も、自分で短冊を書いたことがなかったんじゃないだろうか。毎年みんなが書いた短冊を飾るだけで満足して、そこで七夕は終わっていたように思う。……別に、特別なにか理由があった訳じゃない。思い返しても楽しかったことばかり溢れてくる。
 だけど、いま、筆を取って固まる自分に気が付いて、ハッキリと理解した。
 ——楽しそうに短冊を書いて笑い合うみんなを見ていたら、私が何かを願うなんて欲張りなんじゃないかと思って書けなかったんだ。

 (私の、願い事……)


「——あれ、そこにいるの……もしかして翡葉さん?」
「!」


 思いつく願いは、ひとつだけ。
 短冊を書き終えて筆を置いたのと、声を掛けられたのはほぼ同時だった。


「……片手で文字を書くときは、紙がずれないように重しを用意しておくといいよ。……例えば文庫本とかね」
「……皆が皆、あなたみたいに常に本を持ち歩いてるわけじゃないんですよ。——輪堂先生」
「フフ。だから持ってきてあげたんじゃないか。退屈凌ぎにもなって文鎮代わりになるなんて一石二鳥だろう?」


 艶のある長い銀髪に、品のある着流しを身に纏った男。……目の前にいるのは、紛れもなく自分の恩師なのに。
 ——腕を失くしている今、私の目に映る彼は今までとは全く違う人のようだった。


「だけど、ごめんね。実は忙しくてもう出なくちゃならないんだ」
「気にしないで下さい。ここまで来て下さっただけで、十分嬉しいです」


 輪堂先生は私を見つけるなりまっすぐとこちらへ近づいて来た。その様子からして本当に忙しくて時間がないのだろう。彼は元々、面会はせず私宛の手土産だけを受付に渡すつもりだったらしい。……彼の手には確かに、重たそうな紙袋が携えられている。……一体何冊本を持ってきたんだ。


「お、重っ……!」
「ああ、ごめんね。君に持たせるつもりはなかったから重いもの持ってきちゃった」
「な、何冊入ってるんですか!? 図鑑でも入れてます!?」
「いやぁ、随分と美味しそうな甜瓜(まくわうり)があったからつい。本は少ししか入ってないよ」
「(まくわうりって何だ……メロンか……?)」
「……まだ、あまり顔色がよくないみたいだね」
「へ?」
「こんなところに出歩いていて大丈夫なのかい?」
「まあ、ただの貧血ですからこれくらい大丈夫ですよ。主治医の許可はもらってます」
「そう。……じゃあ、隻腕の先輩としてひとつだけ」
「?」


 そう言って輪堂先生は丸眼鏡の奥で目を細める。
 ……見舞いに来た人のこの表情を見るのは何度目だろう。


「無いはずの腕に痛みを感じて眠れない時は、無理せず神経薬を打ってもらうといいよ。……目の下の隈、徹夜で研究してた彼よりも酷いことになってる」
「……」
「じゃあ、お大事に。近いうちにまた来るよ」
「……なら、それまでに頂いた本は読んでおきますね」
「……」
「……輪堂先生?」
「ごめんね、翡葉さん」
「?」
「……じゃあ、また」


 彼はよく分からない表情を浮かべ、煮え切らない態度のまま踵を返して立ち去った。
 ……眠れてないなんて誰にも言ったことなかったのに。あの人、本当になんでもお見通しなんだなぁ。

 でも、最後の謝罪は何だったんだろう。


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