目を瞑れば不幸なんて映らない(2)







 雲ひとつない星空。風も弱く穏やかで、静かで美しい夜。
 病室の窓を開けて、向かったのは病棟の屋上。自分で淹れたお茶と、切り分けてもらったメロンと、愛用しているひざ掛け。それらをなんとか片手で持ち運び、屋上で膝を抱えるように座って星空を見上げた。——空気が澄んでいるから、とても綺麗な天の川が見えた。


「すっごーい。やっぱコッチは都会の夜空とは大違いだなぁ」


 ……私の計算が間違っていなければ。今は“浦原喜助が隊長へ就任して九年が経過した世界”だ。——いつ魂魄消失事件が起きてもおかしくはない。だからこれが、彼らと過ごす最後の七夕だったのに。あの人とひよ里さんの短冊を、笹の葉のてっぺんに飾ってあげたかったのに。残念ながらそれは叶わない。
 それなら、いつもと違う七夕を過ごすのもいいかもしれない。自分で短冊を書いたからか、はたまた自分だけ仲間はずれになったことに開き直ってか。自然とそんなことを考えていた。一人で天の川を見ながら、夜を明かしてみたい。きっと山田副隊長にバレたらかなり怒られると思う。いや、怒られるだけで済むかな。分かんないけど、まあその時はその時だ。むしろ、自由奔放な私が今までよく大人しく入院生活を送っていたと思う。今日ぐらい良いよね。七夕なんだし。


「今年も晴れて良かったね」
「……一年に一度しか会えないなんて、寂しいよね」


 織姫と彦星。想い合う二人が引き離されてしまったのは、結婚した途端に互いにやるべき仕事をしなくなってしまったからだと言う。だけど、だからと言って二人を引き裂いて会えなくしてしまうなんて、神様も随分酷いことをする。話し合うとか助け合うとか、そういう方法もあったでしょうよ。川の対岸で引き離すなんてあんまりだ。我を忘れる程愛し合った二人なのに。
 364日、相手の事を思い続けて。たった1日、7月7日にようやっと会える。それでも、伝承の上では互いにずっと想い合ったままなのだから、とても深い愛情だと思う。もし現代に一年に一度しか会えない夫婦がいたら、少数ではあるだろうけど、何割かは浮気だの不倫だのと袂を分かつ二人もいるはずだ。……まあ、おとぎ話と現実を比較するべきじゃないけど。ロマンもへったくれもないけれど。でも、自分に出来るかと言われたら自信はない。364日、相手はまだ自分を好きでいてくれるだろうかとか、自分よりも相手に相応しい人がいるんじゃないかとか。きっとそんなことを考え続ける約一年を過ごすことになる。


「……綺麗だなぁ」


 でも、織姫と彦星は、きっとそんなこと考えないだろうな。
 ただただ互いを大切に想い合い、愛し合って、信じ合っている。


「……私が四席になったら、」
「……はい」
「今よりも強くなって……もっと、格好いい女になれるかな」
「ええ、もちろん。……アナタなら、絶対に」
「はは。ダメだよ、科学者が絶対とか言ったら」
「でも、それが朝緋サンでしょ?」
「…………」
「アナタは確かに意地っ張りだし頑固だし、ボクの言うことなんかちっとも聞いちゃくれないじゃじゃ馬ですけど」
「……すいませんね」
「——でも、何があっても絶対に諦めない。傷付いても、立ち止まっても、必ず前に進もうとする」
「……」
「大丈夫っスよ、アナタなら。絶対に叶えられる。……少なくともボクはそう信じてますから」



 ——私も、そんな恋がしてみたかった。愛されていると信じて疑わない、自信を持って相手からの愛を受け取り、自分も愛していく。そんな、奇跡みたいで普通の恋をしてみたかったのに。


「(ああ、そうか。だから……)」










 ——カラン、コロン、


「!」
「……やっと見つけた」


 たった一人を永遠に愛し続けることは、きっと流れ星を掴むに等しく難しくて。
 ……その想いを諦めることは、もっと難しい。





「探したんスよ。病室に行ったらアナタはどこにもいないし、窓は開いたままだし」
「……霊圧探ればすぐに分かったでしょ」
「それが、どうやらこの病棟は外壁が殺気石で出来てるみたいで。アナタの霊圧を感じられなかったんスよ」
「へぇ、そうだったんだ。知らなかった」
「……どうしてここに?」
「天の川を見に。病室の窓からじゃ反対方向で見えなかったので」
「……」
「もう七夕なんですね。退屈な入院生活を過ごしてるとどうも日付感覚が無くなっちゃって、教えてもらうまで気が付きませんでしたよ」
「……誰に教わったんスか?」
「卯ノ花隊長です。救護詰所でも短冊を飾るから書いてみないかって声をかけられて」
「……だから、アナタの短冊が飾られてたんスね」
「え、」
「あんな笹の葉の下の方に控えめに飾る人なんて、朝緋サンしかいないだろうなって。すぐに分かりましたよ」
「……」
「短冊は笹の葉のてっぺんに付けた方が、織姫と彦星が見つけやすいから願いが叶いやすいんだって。そう言ってたのはアナタでしょう?」
「……別に。ただ、片手だから上の方に付けられなかっただけですよ」
「……」
「そっちの七夕祝いはどうでした? 無事に終わりました?」
「ええ。今年も例年通りに、研究室へ笹の葉と短冊を飾ってありますよ」
「そう。なら良かった」
「……」
「……」
「……」
「……はあ、」
「……」
「もういいですよ、誤魔化さなくて」
「……何がっスか?」
「どうせ、山田副隊長に言われて私を連れ戻しにきたんでしょう?」
「……」
「まったく、よりによって一番逆らえない人を送り込んでくるなんて本当に性根が悪い男だな。足の小指でもぶつけてしまえばいいのに」
「……」
「分かってますよ、こんなところに居るべきじゃないなんて。このお茶飲んだら戻るから、先に行ってて下さい。山田副隊長に報告でもしといて——」
「違う」
「、え?」
「ボクは誰かの指示でここに来たんじゃない」
「……」
「アナタに会うためにここへ来たんス」


 屋上の硬い地面を蹴る軽やかな下駄の音が、後ろから次第に大きくなる。カツン、カツンと私の横を通り過ぎた彼は——暗闇でもよく映える白の羽織を翻し、真正面に立って振り返った。


「……どうして、」
「——……アナタに、左腕の再生手術を受ける資格があるかどうか、それを見極めるためです」


 灰緑の瞳は真っ直ぐに私を見つめて、ハッキリとそう告げた。
 ……言葉の意味を、すぐに理解出来なかった。


「……なに、それ」
「言葉通りですよ。分かりませんか?」
「分かんない。なんにも意味が分からない」
「なら、言葉を少し変えてみましょう」
「……」
「アナタが腕を取り戻すかどうかは、ボクが決めると言っているんです」
「……なんで、」
「それは——」
「私が片腕のまま生きた方が、あなたにとって都合がいいの?」
「……」
「その可能性もあるから、左腕を取り戻さないなんて選択肢が用意されてるってこと?」
「……」
「私、そんなに足手まといですか? 部下失格?」
「違う、」
「なんでよ。どうしてみんなそうやって、私の限界を勝手に決めるの」


 まるでもう用済みだと、そう言われたように聞こえて全身から血の気が引いていく。
 彼の言葉が冗談やハッタリではないということは、こちらを静かに見つめる彼の真剣な表情が十分物語っていて。……それが余計に、私の中の焦りを加速させていった。


「私はまだまだ戦えます。どれだけリハビリが辛かろうが、必ず腕を取り戻してまた今まで通りに戦います。今度こそ、仲間を守りきれる四席になるんです……!」
「……」
「言ったでしょう、私はまた同じ状況になったら同じことをするって! でもその時は、今度こそ誰も傷つかなくて済むように守れる自分になりたいの! 片腕のままじゃそんなこと出来ないよ……!」
「だからですよ」
「、!」
「だから、腕を取り戻してもらっちゃ困るんです」
「……っ」


 彼と目を合わせ続けることに耐えきれなくなって、思わず下唇を噛んでサッと目を逸らす。だけど、上から聞こえてくる声はそんな私を追い詰めるように、更に低くなって鋭さを増していった。


「今ここで腕を取り戻せば、アナタはより一層努力を重ねて、みんなを守れる四席になろうとするでしょう。……今度こそ、誰も失わないように」
「……」
「——だけど、アナタはまた同じことをするんでしょう? 自分が傷付いて、戦うことが出来ない不利な状況でも。目の前に救える命があるのなら、自分の腕だろうが足だろうが、命だろうが犠牲にして。手を差し出さずにはいられないんでしょう?」
「っ、」
「困るんですよ。そうやって自分の体を使い捨ての道具のように扱われちゃ。また何かを失っても取り戻せばいいやだなんて、ボクたちはアナタの壊れた部品を直すために千切れた左腕を修復してるんじゃないんです」
「……」
「いいっスか。ボクはアナタが命懸けでひよ里さんを守ろうとしたことを否定してるんじゃない。腕を失くしてきたことを責めてるんじゃない」
「……」
「——アナタが、始解も出来ないのに敵へ立ち向かったこと。そして、自分が助かるための行動を何ひとつ取らなかったこと。生きることを諦めた選択をしたことが間違いだと言ってるんです」
「……、」
「そんな誤ちをもう一度犯されるなら、左腕を取り戻すことは許可出来ません」


 正しい意見だと思った。筋が通っていて、いかに私が愚かだったかを思い知らされる、反論の余地のない意見だった。
 ……彼が私を叱ったのは、腕を犠牲にして戦ったことそのものじゃない。私のことを『何があっても絶対に諦めない人』だと信じてくれていたのに、私が生きることを諦めるような選択をしたから。その信頼を裏切るようなことをしてしまったから、あんなにも本気で怒っていたのだ。
 始解が出来ないのに戦いへ挑み、捨て身で敵を倒すことしか出来なかったこと。そして、迫り来る死の予感に抗うことなくひよ里さんを逃がして満足したこと。そのどちらも、彼からしてみたら愚か極まりない行動であり、仮にも弟子を名乗る女がそんなことをしたのだから、許せないのは当然だった。
 ……そりゃあ、私が片腕のまま生きてた方が都合良いよね。四席からも外して、任務にも参加させないで。ずっと、昔のような雑用係をさせてる方が、彼も二度と不快な思いをせずに済むだろう。

 だけど、ごめんね。
 それでも私は生き方を変えることは出来ないよ。誰かが私のために命を張る機会は、確かにその未来なら格段に減ると思う。ほとんど無いかもしれない。だけどそれでも、いつかその瞬間が訪れたら、私は自分の命に代えてでも守るよ。私はこの世界の人間じゃない。生きるべきは、この世界の人々。それは絶対不変の真理だから。


「……浦原隊長の言う通り。あなたが全部、正しいと思う」
「……ええ」
「でも、それでも私は……同じことをするよ」
「……」
「たとえ左腕を取り戻せなくても。それだけは、変えられない」
「……そうですか」
「……」
「……“変わらない”じゃなくて、“変えられない”……なんスね」


 満点の星空。煌めく天の川はとても美しく、無数の星が輝く夜空において間違いなく特別だ。
 それなのに、目の前にいるこの男はそんなものに見向きもせず、ただ私を見て僅かに目を細める。その表情は、喜びとも悲しみとも、怒りとも違う。——初めて見る、よく分からない表情だった。



- 157 -


戻る  |  次へ


表紙

TOP