物足りない心の絶叫


 
 目を覚ますと、変わらない無機質な天井が目に入る。何の変哲もない、宿舎の天井。見慣れた光景のはずなのに、何故だか息が詰まった。

 昨日見た、流魂街での景色が頭を過ぎる。あそこには確かに“日常”があった。生きることにまっすぐな人たちの、朗らかな表情が脳裏に焼き付いている。
 それに比べて私は。囲われて、守られて、この中でしか生きていけない。――まるで、試験管の中のサンプルみたいだ。自分の足で立つ事も出来ないのに、何が“生きる”なんだろうと、ふと疑問に思う。

 あぁ、厭だ。途端に自分が弱々しく思えてきて、悔しさと情けなさでぐっと唇を噛み締める。……もし、私に力があったのなら。自分の居場所を作って、自力で立って生きていけるんだろうか。――私に、力があれば。あったら、いいのに。


 身支度を整えて、最後に机の上にぽつんと置かれた亜麻色を手にする。真子さんに無理やり買わされた、髪紐。あの人の髪と同じ色の、真新しい髪紐を手にして、髪を結う。
 ――喜助さん。どうしてあんなに、いつも困った顔で笑うんですか。私の目には、寂しさばかりが映るんです。分かり合いたいだなんて言いません。ただ私が、同じ目線に立って、寄り添いたいんです。失くしてしまったパズルのピースを嵌めるような、貴方が奥底にしまい込んで蓋をしてしまった孤独を、埋めたいのです。そのためなら私は、何だって出来るよ。普通を、当たり前を捨てただけじゃ足りないのなら、どうすれば力を得られるんですか。私は――


「――っ、いた、」


 左手に走る痛みで、思わず顔が歪み、髪を結う指が止まる。忌々しく巻かれた包帯には、じんわりと血が滲んでいて。


「……痛い」


 血の滲む左の手の甲を、右手でぎゅうっと抑える。結び途中だった髪は支えを失って、はらはらと肩に流れ落ちていく。
 ああ、ちくしょう。なんだって、こんな怪我ですらまともに治せないんだ、私は。非力な自分がどうしようもなく情けなくて。悔し涙が流れないように、上を向いて無機質な天井を見据える。

 ――変わりたい。試験管の中で生きるだけの、何も出来ない無力なサンプルじゃなくて。自分の足で立って、翡葉朝緋として生きていきたい。自分の人生を、選び取れる人になりたい。そうでなければ、同じ目線に立つなど、到底叶わないのだから。
 


***




「おい、お前」
「はーい?なんだね阿近少年よ」
「うるせえ、ガキ扱いすんな」


 後ろの、やや下の方から声がして、くるりと振り返る。むすっとした顔で私を見上げる、背丈には似合わない鋭い表情の少年――阿近がいた。この頃の彼はまだ、私のよく知る青年の彼よりも、随分と幼い。はっきり言うと、どこからどう見ても見た目は子供だ。
 
 
「私は『お前』じゃなくて『朝緋』だっていつも言ってるでしょう。年上に生意気な口きくうちはいつまでもガキんちょだよ」
「……チッ」


 長寿命の死神である阿近は、私より年上かもしれないとは思ったけれど、あくまで見た目の話だ。うん。普通に考えて、子供が大人に対して『お前』と呼ぶのはどうかと思うんだ。
 
 
「こら、そんな面倒くさそうな顔しないの。別に私の事どう思ってようが構わないけど、こういう場所では礼儀正しく呼ばないと、将来君が困るでしょう」
「お前に心配される筋合いはない」
「ははっ、そりゃそーだ。ごめんごめん、」
「(なんだこいつ……)」


 子供扱いするなと言う割に、子供らしく言いたいことは言い放題の阿近。良くも悪くも、彼の言う言葉はとても真っ直ぐで、分かりやすい。そうですね、私があなたの将来を心配するなんておかしな話だ。ははっと、乾いた笑いがこぼれた。

 
「それで?私に何か用?」
「喜助さんからお前を呼んでこいって頼まれた」
「(だから朝緋だってば)……んへ?浦原隊長が?」
「その怪我、治療したいみたいだぞ」
「ええ……?なんでわざわざ……?」


 阿近の口から出た意外な人物に、頭の中は疑問でいっぱいになる。怪我の治療?喜助さんが?話の意図が上手く掴めなくて、首を傾げて素直に疑問を口にする。

 
「知らねーよ。傷の治り診て新薬試したいとかじゃねえの」
「……ああ、なるほど、そういう事か。そうだよね。よし、じゃあこの残りの書類、阿近に任せるわ、よろしく!」
「はあ?意味分かんねえだろ。つか、なんでそんな嬉しそうなんだよ。実験台にされんだぞ、お前」
「はあ?阿近こそ何言ってんのよ、浦原隊長の実験台になれるなんてそんな喜ばしい事他にないでしょうが」
「……はあ?」


 なるほど、要は治験をしたいってことか。なんとも、科学者らしいというか、あの人らしいお願いだと思った。確かに、どこぞの妖怪白玉団子に治験をしたいと言われたら即答で断るけど、彼なら話は別だ。好きな人の役に立てるなら――そう思う気持ちもまぁゼロではない。けれど、それよりも、科学者としての彼をもっと間近で見てみたい、知りたい、という好奇心の方が今は強かった。


「んじゃ、善は急げということで私はもう行くので。書類よろしくね〜!」
「……何なんだあの女。意味分かんねえ」


 抱えていた書類をザバっと阿近に無理やり押し付けて踵を返す。ごめんよ、後でちゃんと手伝うから許してくれ。首元で揺れる髪紐にそっと触れ、明かりのついた局長室へ足を運んだ。


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