物足りない心の絶叫
――コンコン
「失礼します」
「あ、すいません朝緋サン。急にお呼び立てして」
「いえいえ、気にしないでください。浦原隊長のお役に立てるならいつでもすっ飛んできますから」
「……?どうぞ、そこに座ってください」
彼は机に向けていた体を椅子ごとくるりと回して、そこへ、と空いている椅子を指した。机の上には乱雑に書類が散らばっていて、“隊長兼局長”の忙しさが伺える。
「流魂街、どうでした?」
「楽しかったです。おかげさまで、いい気分転換になりました」
「それならよかったっス。また、行きたい時は遠慮なく声かけてくださいね」
「はい。ありがとうございました」
備え付けの戸棚を探る彼の背中越しに、他愛もない会話が交わされる。――また、声をかけてください、と。優しさを含むその言葉が、許しを得なければ外に出られないという事実を遠回しに伝えていて。受け取る側の解釈が歪んでる事は百も承知で、ちくり、と胸が痛む。……十二を背負うその背が、あの時、書庫で見た時よりもどこか少し小さく感じた。
やがて彼は年季の入った木箱を戸棚から取り出すと、それを持って私の正面に座る。彼は持ってきた箱を開けて、中身を選ぶように物色していて。その動作がどうも私の思っていたものと違って、つい、食い入るように見つめてしまう。
「……?どうしたんスか?」
「あ、いえ。どうして救急箱を用意したのかなぁと思って」
「そりゃあ、朝緋サンの火傷の手当をするためっスけど…?」
まぁ、そりゃそうか。治験とはいえ、傷に薬だけ塗っておしまい!なんて事は、彼に限ってないか。
彼は救急箱から包帯や消毒など必要なものを取り出したのち「それ、外してもらってもいいですか?」と私の左手を指差す。「はい」と一言だけ返事をして、少し雑に巻かれていた包帯をくるくると外していった。
「……朝緋サン、火傷したのってどれくらい前でしたっけ?」
「ええと、たしか一ヶ月くらい前だった気がします。中々治らないものですね」
「……そうみたいっスねぇ」
包帯を解く僅かな音だけが静寂に響く中、ちらりと前に座る彼の顔を盗み見ると、言葉にしがたい翳りが宿っていて。どこか遠くを見つめるような、哀愁の滲む表情に思わず目を逸らし、次第に素肌が晒されていく左手を凝視することしかできなかった。
「ああでも、これでもすごく良くなったんですよ。ひよ里さんからもらった塗り薬、本当によく効いてて」
「でも、それだけじゃ治りきらなかったんスよね?」
「まぁ、その、痛みは引いていたので。あとは自然に治るかな〜って思ってたんですけど……」
包帯を全て外し、ガーゼの下に隠されていた――真っ赤に焼け爛れた左手が露わになる。
「………」
「はは、薬の試しがいがありそうですね、これじゃ」
そこにあるのは、誰が見ても痛々しい火傷の痕で。とても、横着して痛みを無視して手を動かしてました、とは言えぬ雰囲気だった。
素直に白状しよう、火傷は確実に悪化していた。無理もない。ひよ里にもらった塗り薬が切れてからというもの、手を動かすたびにじわじわ治りが鈍くなって、気づけば今朝には、動かしただけで血が滲むほどになってしまっていた。
別に、治すのを放棄していたわけじゃない。だけど、平気な顔して過ごしてきたのに、実は全然治ってないので新しく塗り薬を貰えませんか、と言える勇気は私にはなかった。心配されたくなかったし、何より、強がっていた自分をあっさり否定するようで、それがどうしようもなく恥ずかしかった。
……はあ、情けない。なんて小さくて惨めなプライドなんだろう。反吐が出る。
怪我を理由に手を抜くのが嫌で、いつも通りを貫こうとした結果がこれだ。中途半端に治らない傷――なんとも皮肉な話だと思う。こんなことになるくらいなら、いっそもっと早くから「実験台になりましょうか」と申し出ておけばよかったのかもしれない。……今となっては、だけど。
私の傷を確認した彼は、驚くというよりも「あぁ、やっぱりな」という目をして顎に手を添え、眉間に皺を作りじっと傷を見つめていた。「触ってもいいっスか?」と、ご丁寧に確認してから私の左手をとって、傷の観察を始める。手と手が触れ合っていても、不思議と私の心臓は落ち着いていた。いつもより真剣な表情の彼を間近で見れることに、誇らしさすら感じていて。
「……完治が遅れた理由は、主に二つあると思います」
しばらく黙ったまま傷を観察していた彼は、おもむろにそう切り出して、乱雑に広がった机の上の書類をかき分けていく。やがて一つの小さな瓶を取り出し、静かに語り始めた。
「一つは、朝緋サンが触れてしまった薬液がおそらく特殊なものだった、ということ。極めて霊子濃度の濃いものだったんじゃないっスかね、」
「……なるほど」
「……もう一つは、ひよ里さんが朝緋サンに渡したあの薬が、本来は死神用のものだった、ということ。朝緋サンにもしっかり効果は出てたみたいっスけど、本来なら二日三日で完治出来るくらい万能なお薬なんスよ、あれ」
先程手にした小瓶の軟膏を丁寧に塗り広げながら、視線は一度も交わることなく、彼は淡々と処置を進めていく。
完治が遅れた理由。どう考えたって、私の怠慢のせいじゃないですか。それに一切触れないのは、あえて言わないのか、分かりきった上でなのか――あくまでも科学者としての分析結果とでもいうような、報告を聞いているようだった。それが妙に冷たくも優しくも感じられて、何とも言えない気持ちになる。
「へえ、二日三日で……すごいですね、そんな万能なお薬、私が貰ってしまって良かったんでしょうか。ひよ里さん困ってないかなぁ」
「これは簡単に量産出来る薬なんで、心配ないっスよ。在庫はまだたくさんありますから」
「ああ、そうなんですね。ならよかった」
処置を終えた彼は手際よく私の手に包帯を巻いていく。その動きは無駄がなく、実に慣れたもので。私が自分で巻くよりずっと綺麗に、きちんと整っていく様子を眺めながら――こんなにも手慣れた動作が身につくまで、どれだけの怪我と向き合ってきたんだろうか、なんてどうでもいい事が頭を過った。
「それじゃ、この薬お渡ししときますね」
「ほう、これが治験に使う新薬ですか」
「まぁ、新薬といえばそうっスねぇ……これは、朝緋サンのために作ったものなんで」
「ええ、私用に?なんか緊張しちゃいますね、ちゃんと結果出さないと」
「……」
彼から受け取ったその軟膏は、淡く透けるような青を帯びていて、どこか儚く、まるで薬というより小さな宝石のようだった。しっかり使って効果を確かめないと、と思う反面、淡く輝く青色がとても綺麗で、使うのがもったいないとも思ってしまう。
「使い方は簡単っス。一日二回の塗布、その都度包帯も取り替えてください」
「分かりました。浦原隊長が作った新薬、責任もってお試しさせてもらいます」
「……そんな、大袈裟っスよぉ。気楽に使ってください」
そう言って、彼はいつもより三割増で困ったように笑った。その笑顔の裏に隠れた寂しさがいつもより色濃い気がしたけれど、気のせいかな、と私も同じようにへらっと笑っておく。
「なんだかすっかり、綺麗に手当までしてもらっちゃいましたね、すみません」
「いいんスよぉ、これくらい。気にしないで下さい」
「……あの、でも。こんなこと、手当してくれた方に言うのは筋違いかもしれないんですけど、」
「……はい?」
あの傷を見せておいて、こんなお願いをするのはどうかしてるかもしれない。だけど、やっぱり私は、こんな怪我ひとつで何も出来なくなるような、弱々しい存在でいたくなかった。別に、左手動かしたからって死ぬわけじゃないんだし。出来ることならなんだって。……貴方の役に立てるなら、なんだって、やりたいのに。独りよがりなわがままでも、貫き通せば何かが変わるかもしれないと、小瓶をぎゅっと握りしめて、前に座る彼をまっすぐに見つめた。
「私に、何か出来ることは無いでしょうか」
「!」
「流石に、大きい荷物とかは運べないですけど……でも、だからといってじっとしてるのも性にあわなくて」
「……」
「……いえ、すみません。流石にちゃんと治すのが先ですよね。わざわざありがとうございました、失礼します」
けれど、彼は俯いたまま何も言わなかった。そりゃそうだ、私が屈強な死神であればいざ知らず。雑用しかこなせない、ひ弱で無力な試験管のサンプルなのだから。……私の考えが甘かった。はぁ、馬鹿だな、本当に。
張りつめた空気を断ち切るように、ガバッと勢いよく立ち上がる。そして、なるべく礼儀正しく、深く一礼をして、足早に局長室の扉へ向かう。……とりあえず、阿近に押し付けた書類だけは手伝って、きちんと終わらせよう。あとは軽い掃除でもして帰ろうかな。その代わり、明日は少し早く来よう――なんて。自分の失言を誤魔化すように、やるべきことで頭を埋めながら、扉の取っ手に手をかけた。
「……朝緋サン」
「……?はい?」
後ろから聞こえた私の名を呼ぶその声は、いつもより少し静かで落ち着いた響きを帯びていて。ぱっと振り返ると――そこには、何かを決意したような、強い光を宿した眼差しでこちらを見ている彼の姿があり、ばちっと目が合った。
「朝緋サンに一つお願い事があるんスけど、聞いてくれます?」
「お願い、ですか?」
「……片手でも出来る、とっても簡単でとっても大事なお仕事、っス」
その言葉と共に、彼はふわりといつもの優しい笑顔を浮かべる。――釣られて私も、思いきり頬が緩んだ。
(強い意志を宿した瞳は)
(決して消えない灯火のようだった)
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